第01話
以前「 婚約破棄された聖女候補ですが、天才魔術師と新作魔術を開発したら国中から評価されて、元婚約者が泣きついてきました 」と言うお話のリメイク版です。
短編なので、数話で終わります。
よろしくお願いいたします。
「セリア・ルーヴェル。君との婚約を、ここで破棄する」
その言葉を聞いた瞬間、私は自分の呼吸がひどく浅くなったのを感じた。
王立魔術学園の中央棟、その奥にある聖堂回廊。昼下がりの陽光が色硝子を透かして床に落ち、青や赤の光が大理石の上で揺れている。
厳かな場所のはずなのに、今の私には処刑台のようにしか思えなかった。
目の前に立つのは、この国の王太子テオ・アルセイン殿下――そして、私の婚約者だった人。
だった、という言い方を、私はまだ心の中でさえ受け入れきれていない。
「……理由を、お聞きしてもよろしいでしょうか?」
よくこんな声が出たものだと思う。
喉は張りついて、胸の奥は冷えきっているのに不思議なほど声だけは震えなかった。
私がそう問うと、テオ殿下は小さく息を吐いた。
その顔には、申し訳なさよりも面倒な説明をしなければならない苛立ちの方が濃く浮かんでいた。
「君は真面目で努力家だ……それは認めよう。だが、王太子妃としては致命的に華がない」
「……」
「社交の場でも地味だ。愛想も足りないし、共にいても息が詰まる。正直に言えば私はもっと……人を惹きつける相手を望んでいる」
胸の奥を、鈍い刃物でゆっくり抉られるような気分だった。
華がない。
地味。
息が詰まる。
どれも、この数か月、陰で何度も囁かれていた言葉だ。
けれど本人の口から、まるで価値のない品を査定するように告げられると、こんなにも痛いのだと初めて知った。
私は視線を落としたまま、指先に力を込める。
爪が掌に食い込む痛みだけが、かろうじて私を立たせていた。
――言い返したいことは、あった。
私はこの婚約のために、王太子妃教育も、聖女候補としての研鑽も、決して手を抜かなかった。
社交の席で笑顔が苦手でも、礼を失さないよう努めた。
流行のドレスよりも魔術理論書を優先してしまう自分を何度も矯正しようとした。
それでも足りなかったのだと、いま、突きつけられている。
「……お相手は、リリーナ様ですか」
言葉は自然と口をついて出た。
テオ殿下の眉がわずかに動く。それだけで十分だった。
――リリーナ・ベルナール。
最近、やけによく殿下の隣で見かけるようになった少女だ。
新興貴族の令嬢で、明るく愛らしく、誰にでも気さくに笑いかける。
私とは正反対の存在だった。
「彼女は聡明で柔軟だ。少なくとも君のように、魔術式の紙束ばかり抱えて人を遠ざけたりはしない」
「……そう、ですか」
自分でも驚くほど、平坦な声だった。
本当は泣きそうだった。
今すぐこの場から逃げ出して、誰にも見られない場所で崩れ落ちてしまいたかった。
けれど、それだけは嫌だった。
せめて最後くらい、みっともなく縋りつく女にはなりたくない。
そう思ったのは、意地だったのか、矜持だったのか、自分でもよく分からない。
「話は以上だ。正式な手続きは王家から追って伝える」
「承知いたしました」
「……引き止めないのだな」
「引き止めて、何か変わるのですか?」
そこで初めて、私は顔を上げた。
殿下は一瞬だけ言葉を失ったように見えた。
多分、もっと取り乱すと思っていたのかもしれない。
泣いて、縋って、彼を困らせると思っていたのかもしれない。
――そんな権利は、もう私にはないのに。
「失礼いたします、殿下」
一礼して背を向けた。
足が震えているのが分かる。
長い回廊を歩くたびに、靴音だけがやけに大きく響いているような気がした。
結界の向こうには誰もいないはずなのに、無数の目に見られているような気がした。
――婚約破棄。
たったそれだけの言葉で、これまで積み上げてきたものが音を立てて崩れていく。
王太子の婚約者としての立場。
聖女候補として当然視されていた未来。
周囲が私に向ける目。
――そして、少しは信じていた、自分の努力がいつか報われるはずだという期待まで。
回廊を抜け、人目の少ない中庭に出たところで、私はようやく息を吐いた。
吐いた、というより、こらえていたものが勝手に漏れた、という方が近い。
「……っ」
喉の奥が痛い――泣きたくないのに、目の奥が熱くなる。
私は近くの石造りのベンチに腰を下ろし、両手で顔を覆った。
(だめ……泣くなら今だけ。今だけで終わりにしなさい、セリア)
聖女候補として選抜試験を控えている以上、立ち止まっている時間などない。
婚約がなくなったからといって、私自身の知識も、積み上げた研究も消えるわけではないのだから。
――本当に?
胸の奥で、弱い自分が囁く。
王太子の後ろ盾を失った私に、まだ価値があるの?
地味で、愛想もなくて、華もないお前に?
「……あるわ」
私は顔を上げ、誰に聞かせるでもなく呟いた。
「私には、魔術があるもの」
それだけは、嘘ではなかった。
幼い頃から、私は聖属性魔術の構築式を読むのが好きだった。
祈りや感覚だけに頼る旧来の聖術より、術式として分解し、再構築し、より高効率に運用する理論の方に心を惹かれてきた。
だから周囲からは変わり者扱いされたし、聖女候補のくせに可愛げがないとも言われた。
それでも私は、何度計算を間違えても、何度術式を壊しても、考えることをやめられなかった。
――好きだったからだ。
誰に褒められなくても、魔力の流れが美しく噛み合った瞬間だけは、世界が正しい場所に戻るような気がした。
私はゆっくりと立ち上がる。
泣いたところで、何も変わらない。
だったらせめて、今日のうちに研究を進めよう。
選抜試験まで残された時間は少ない。
今の私にできることは、それだけだ。
私はその足で図書塔へ向かった。
学園でもっとも静かな場所。
高い天井まで続く書架と、青白い魔導灯の光に満ちた研究閲覧室は、私にとって唯一余計なものを忘れられる場所だった。
席に着くなり、私は鞄から魔術ノートを取り出した。
私のノートには癒やしの聖術式と、光属性の増幅補助式。
その二つを連結し、広域展開に耐えうる新しい補助術を構築する。
選抜試験に向けて、ずっと続けている研究だ。
本来なら、聖術は安定性を最優先する。
けれど私は、回復だけでなく、魔力障壁の補強と浄化を同時展開できる複合術式を目指していた。
実用化できれば、前線の生存率を大きく上げられるはずだった。
何度も書き直した術式を見つめる。
集中しなければ。余計なことを考えてはいけない。
なのに、視界が少し滲んだ。
インクの線が揺れ、計算欄の数字がうまく追えなくなる。
「……同期率が、足りない」
自分に言い聞かせるように呟いて、私はペンを走らせた。
補助式から入る?
違う、それでは回復核が不安定になる。
なら先に維持層を――いや、だめ。魔力消費が増えすぎる。
焦りで、思考が空回りする。
いつもなら見逃さない小さな違和感を、今日は何度も取りこぼしてしまう。
婚約破棄の言葉が、嫌になるほど頭の中で反響していた。
華がない。
息が詰まる。
紙束ばかり抱えて――
「――式の接続点がずれている」
不意に、低く澄んだ声が落ちてきた。
私ははっとして顔を上げる。
向かいの席に座っていたのは、ユリウス・グランヴァリウスだった。
学園主席で攻撃魔術の天才。
冷徹で近寄りがたいと有名な公爵家の嫡男。
誰に対しても愛想がなく、教員ですら一目置く存在。
その彼が、本から目を上げたまま、私のノートを見ていた。
「そこを維持層に繋ぐから歪むんだ。君の魔力構成なら同期を先に置いて補助式で包んだ方が安定する」
「……え」
「それと、回復核の位置が深い。広域展開を前提にするなら、中心ではなく分散配置にした方がいい」
「な、んで……」
動揺で、声がうまく出ない。
そんな私をよそに、ユリウスは淡々と続けた。
「君、最初から回復だけを作る気がないだろう?障壁補助と浄化も重ねたいはずだ。だったら今の組み方では魔力が喧嘩する」
心臓が止まりそうになった。
その通りだ。
私は誰にも、この研究の全体像を話していない。
聖女候補がやるには攻めすぎている、現実味がないと笑われるのが分かっていたからだ。
だから表向きは、ただの聖属性補助術の改良だと言っていた。
それなのに、この人は、数式の断片だけで私の意図を見抜いた。
「どうして……分かったんですか?」
「そんなの、見れば分かる」
あまりにも簡単に言われて、私は言葉を失う。
――見れば分かる?
そんなわけがない。
これを見て理解できる人なんて、学園にほとんどいない。
教師ですら、聖術と攻性理論の複合構築には慎重だったのに。
ユリウスは閉じていた本を机に置くと、少しだけ身を乗り出した。
「君、泣いていたのか?」
「……っ」
反射的に目元を押さえた。
自分では立て直したつもりだったのに、多分少し赤かったのだろう。
「別に、あなたには関係ありませんっ……」
「そうだな」
否定されると思ったのに、彼はあっさりと頷いた。
そのくせ、次に続いた言葉は私の予想を完全に裏切るものだった。
「だが、才能のある人間がくだらない理由で研究を止めるのは見過ごせない」
「え……」
私は息を呑んだ。
――才能。
その言葉を、今日の私に向けて使う人がいるなんて思わなかった。
華がないと切り捨てられた、その同じ日に。
地味でつまらないと判断された、その直後に。
「君の術式は未完成だ。だが、発想は面白い」
ユリウスは私のノートの一節を指で叩いた。
「聖属性を守るためだけでなく、前線そのものを立て直す術に変えようとしている。そんな組み方をする聖女候補は初めて見た」
「……笑わないんですか?」
「なぜ笑う?」
「無茶だと、現実的じゃないと、そう言われると思っていました……」
「無茶と、価値がないは別だ」
静かな声で、彼は言った。
けれどその一言は、不思議なくらい真っ直ぐに私の胸へ届いた。
今日一日で、私の中の何かはずいぶん傷ついた。
折れかけていたと言ってもいい。
なのに、たった数言で、それでもまだ立てると思わされてしまう。
――悔しいほどに。
私はノートへ視線を落とした。
インクで埋まった式の列が、さっきまでとは少し違って見える。
失ったものばかり数えていたのに、目の前にはまだ、考えるべき問題が残っていた。
「……もし」
自分でも驚くほど、小さな声だった。
「もし、この式を完成させたいと言ったら……」
ユリウスは一拍置いて、口元だけで笑った。
「手伝ってやってもいい」
閲覧室の魔導灯が、かすかに揺れる。
婚約を破棄された日――全部を失ったと思ったその日の終わりに、私の術式を理解したのは、学園一の天才魔術師ただ一人だった。
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