第56話 通界に残る理由
通界の朝は、早い。
港が動き出す前。
市場が声を上げる前。
それでも――
街は、もう静かに回っている。
「滞在延長」の一文
リディアは、
王都宛ての報告書を閉じた。
最後の一文。
なお、状況把握のため、
通界にもうしばらく滞在します。
形式上は、問題ない。
言葉も、よく使われる。
だが――
「……便利な言葉ですね、“状況把握”」
小さく呟き、
自分で苦笑した。
本音を言えば。
帰る理由が、見つからなかった。
通界の日常(想定外)
「おはようございます!」
港で、
少年の声が弾む。
「今日は魚、安いですよ!」
「昨日、魔物が出たんで!」
「獲れすぎました!」
リディアは、思わず足を止める。
「……魔物が出て」
「安く、なる?」
「はい!」
即答だった。
「倒しましたから!」
理屈は、分かる。
だが、感覚が追いつかない。
王都との決定的な違い
王都なら。
魔物被害
↓
報告
↓
会議
↓
責任追及
↓
予算申請
↓
対応は数日後
通界では。
魔物出現
↓
倒す
↓
食べる
↓
安売り
「……短いですね」
フレイが、横から言った。
「?」
「考える時間が」
リディアは、少し考え――
小さく息を吐いた。
「……羨ましい、です」
リクスとの会話
応接区画。
飾り気のない机。
「帰らないんだ」
リクスは、淡々と告げた。
「はい」
リディアは、正直に答える。
「王都から」
「戻れという命令は?」
「出ていません」
「じゃあ」
一拍。
「残る理由が、ある?」
リディアは、目を伏せた。
本音
「私は」
言葉を、慎重に置く。
「ずっと、“役職”として生きてきました」
「文官として正しく」
「貴族として間違えず」
「失敗しないように」
少し、間を置く。
「でも、通界では」
顔を上げる。
「誰も、私に期待しすぎない」
沈黙。
「それが」
「こんなに楽だとは、思いませんでした」
リクスの返答
「期待されないのって」
「嫌じゃない?」
「いいえ」
即答だった。
「“選べる”からです」
「役目じゃなく」
「意思で、ここにいられる」
リクスは、少し考えてから言う。
「それ」
「結構、贅沢だよ」
「はい」
リディアは、微笑んだ。
「だから……」
言いかけて、止める。
「いえ」
「今は」
「この街を、知りたいです」
アクアの現実的ツッコミ
「ちなみに」
帳簿から目を離さず、
アクアが言う。
「滞在費は?」
「……え?」
「外交官の長期滞在」
「タダじゃないですよね?」
リディアが、固まる。
「王都規定では……」
「通界では」
アクアは、にこやかに続けた。
「働いた人は」
「滞在費が、浮きます」
「……働く?」
「はい」
「何を?」
「まずは」
一拍。
「書類整理」
フレイが、吹き出した。
「世界を背負ってきた人に」
「それ、振る?」
「得意でしょう?」
アクアは、真顔だった。
小さな笑い
リディアは、数秒固まり――
そして。
「……分かりました」
観念したように言う。
「では」
「通界式で、働きます」
フレイが、軽く肩を叩いた。
「歓迎するよ」
「肩書き」
「置いていけば?」
リディアは、一瞬考え――
「……はい」
外套を、脱いだ。
余韻
その日。
通界に、
一人の“王都の人間”が、
正式に溶け込んだ。
国の代表ではない。
使者でもない。
ただの――
通界の住人として。
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