最終話 契約偽装結婚した幼馴染との結末
「今日もありがとうございました。楽しかったです」
「また遊びに来てね」
「はい、トリスちゃんにも会いに来ます!」
馬車に乗り込み、私たちはウィンストン家を後にした。
外の景色は夕陽の橙に染まり、街路樹の葉が黄金色に輝く。穏やかな空気は、今日の幸せな時間の余韻を運んでいた。
アレックスはあの館から離れ、私たちは王都にほど近い別邸で暮らしている。その土地も広大な領地を管轄するウィンストン家の一部であり、アレックスは日々貴族としての務めを果たしていた。
別邸の話を持ち出したのはアレックスのほう。私は二人だけでは心細いと思っていたが、ちょうどアンナ様のご懐妊が重なり、少しでも負担にならないようにと配慮した結果、別邸で生活を送ることになったのだった。
*
夕食を済ませて、ソファに並んでくつろぐ。
「トリスちゃん、可愛かったですね」
微笑みながら、私は今日の出来事を振り返る。小さな手や、無邪気な笑顔がまだまぶたの裏に残っていた。
「シェリルは……子どもが欲しいのか?」
珍しく、重いくらい真剣な声が届く。
「え!? それは、はい……。いつかは欲しいなって」
私は少し顔を赤らめながら、これまで考えたこともなかった未来を思い描く。アレックスと笑い合う生活の中に、子どもの小さな笑い声──そんな光景が頭に浮かび、自然と口元が緩んでしまった。
だが、ほころんだ気持ちも束の間、次の彼の言葉が胸に刺さる。
「俺は……いらない」
「……え」
驚きのあまり、息と一緒に声がもれた。
思い描いた未来を否定されたようで、心臓が締め付けられる。信じられないという気持ちと、ほんの少し寂しい気持ちが入り混じり、呼吸が止まりそうになる。
「別邸にしようって言ったのも、シェリルと二人だけの時間が欲しかったからだ。子どもができたら、その時間が奪われるような気がする」
言葉の裏には、彼なりの不安と迷いが滲んでいた。ベアトリスちゃんから一歩距離を置いていたのも、少し拗ねているように見えたのも──私との大切な時間を守りたい気持ちの表れだったのだろう。
「だけど……そうじゃないのかもしれない」
アレックスは少し視線を落とし、肩の力を抜いた。
「シェリルがベアトリスに向けてた顔は、俺の知らなかった一面だった。愛しい人が、誰かを慈しむときに見せる表情……。あれがもし、俺たちの子どもに向けらるとしたら……シェリルはどれだけ幸せそうに笑うんだろうなと思った」
「アレックス……」
「お前の笑顔を守りたい。それだけじゃない、ずっと、そばで見ていたいと思ったんだ」
真摯な告白。昔から変わらない、私のことを思ってくれている瞳。
嬉しくて涙が出そうになった。
「ありがとうございます。私も、あなたとの子どもができたら……そんな幸せなことはないと思います」
こつん、と体が自然に寄り添う。
アレックスの手は、言葉以上に固く握りしめられていた。その緊張を溶かすように、私はそっと手のひらを重ねる。
「いつか、あたたかい家族を築きましょう」
「ああ」
彼の拳が解かれて、手が絡まり合う。
今日を境に、“夫婦としての未来“が少し形を持ちはじめた気がした。
「シェリルは、何人くらい子どもが欲しい?」
「そうですね……たくさん、ですかね」
「ざっくりしてるな」
「だって理想ですし。それに、子どもの数だけ笑顔が増えるじゃないですか。だから笑顔がたくさんあるほうが幸せだなって」
「お前らしい」
アレックスはくすくすと喉を鳴らして笑った。
「笑顔がいっぱいの家、か。悪くないかもな」
「はい、悪くないと思います」
「……シェリル」
名を呼ぶ彼の声が、やわらかく揺れた。視線を合わせるより先に、胸が熱を帯びる。
──あ……。
唇が触れた瞬間、鼓動がとくんと波紋のように広がった。
そして気づけば、私の身体はアレックスの腕に軽々と抱き上げられていた。
「わっ……! 急にどうしたんですか!?」
「お前が笑ってくれる未来、全部欲しくなった」
「……っ!」
低く落ちた声に、今度は心臓が跳ねた。
その言葉がどれほど誠実で、どれほど甘いかを、私はもう知っている。
恥ずかしさに頬を赤らめながらも、彼の腕に身体を預けた。
寝室のベッドで触れ合う体温、息を感じる距離、儚くも愛おしい視線──交わされたのは、きっとこの先の未来に繋がっていく温もりだった。
* * *
数年後──。
朝日が差し込むリビングで、子どもの笑い声が軽やかに響く。その騒がしい温もりの中で、私とアレックスは互いに微笑み、手を握り合う。
家の中には、日々の小さな幸せが積み重なっていた。
時には叱り、時には笑い、時には寄り添いながら──私たちは家族としての絆を、ともに一歩ずつ育んでいる。
かつては契約で結ばれた関係。
けれど今はもう、手放す理由などどこにもない。
今日も、明日も、その先も。
この人と、この場所で、生きていく。
それが偽りから始まった私たちが辿り着いた、ただひとつの愛であり、永遠だった。
最後までお読みいただき、誠にありがとうございました。
最後に少しだけアレックスの裏設定のお話を。
* * *
幼い頃の彼は髪が短く、ロイドと本当によく間違えられていました。本人は気にするどころか、むしろ“間違えられるのを楽しむ“ようなイタズラ好きな一面があったほどです。
しかしある日、シェリルにまでロイドと間違えられてしまい、彼の中で何かが変わりました。
それからアレックスは髪を伸ばし始めます。もともとは優しい性格も持ち合わせていたのですが(シェリルに王子様と思われるくらいには)、それがロイドと重なるのが嫌で、彼独自の俺様気質が前面に出るようになりました。
退院したシェリルへの態度に拍車がかかったのは、その延長でもあります。まあ彼自身もシェリルの反応を楽しんでいましたし、これが彼の素なんでしょう。
余談ですが、長髪男性は作者のヒーロー像の嗜好です。ですが、今回はちゃんと理由のある長髪だったりしました。
* * *
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またいつか、別の物語でお会いできましたら幸いです。本当にありがとうございました。
葉南子




