第38話 愛し愛され
長いキスが終わったとき、私の息はかすかに乱れていた。
息を吸い込もうとしても、うまく吸えない。火が出そうになるくらい身体は熱くて、視線をどこに置けばいいのかもわからなかった。
なのに、アレックス様は私の反応を全部楽しむみたいに、余裕たっぷりに私を見つめていた。
「シェリルは、ほんとうに可愛いな」
「〜〜っ!」
いよいよ、頭から湯気が立ち上りそうになる。
アレックス様は堪えきれないといったように微笑み、私の頬を軽くつまんだ。くすぐるみたいな触れ方に、いたずらっぽい指先と視線。肩がびくりと跳ねた。
「もう……! アレックス様の、ばか」
抗議しているはずなのに、口から出た言葉には甘さが抑えられなかった。
そんな私を見て、また笑う。
──ずるい……。
そんな無邪気な顔で笑われたら、怒るどころか、もっと好きがあふれてしまう。
アレックス様は少し真面目な顔に戻り、私の髪を撫でた。
「本当は、こんなタイミングで言うはずじゃなかったんだ」
「え?」
「怪我も治って、ちゃんと正装をして、舞踏会のような華やかな舞台で、みんなの前で堂々とプロポーズするつもりだった」
そう言って、苦笑してみせた。
私はこの瞬間に、何の不満も感じていない。それどころか多幸感で満ちていて、ふわふわと舞い上がってしまっているくらいだ。
けれど、そういう未来を思い描いていてくれたことは純粋に嬉しかった。それができなかったからこそ、アレックス様はかすかに苦笑いしたのかもしれない。
「だが、もう我慢の限界だった。これまでの時間を取り戻したくて……気づいたら全部吹っ飛んでいたんだ」
「アレックス様……」
「やっぱり、お前のこととなると、どうにも抑えが利かなくなるな」
目の前の彼はどこまでも真剣で、そして少しだけ子どもっぽい。だから余計に、愛しさが込み上げる。
「私は……嬉しいです。指輪を持っていてくれたことも、こうして隣にいれることも、指輪をくれてプロポーズまでしてくれたことも。全部、嬉しいです」
アレックス様は私を引き寄せ、胸の中に抱き込んだ。ローブから胸に巻いた包帯が見えて、思わず息を呑む。余裕そうに見えて彼はまだ怪我人だったということを、はたと思い出した。
「アレックス様、まだ傷が……!」
「お前を抱きしめられるなら、こんな傷痛くもなんともない」
さらにきつく抱き寄せられた。傷口が心配なのに──私はもう、彼の腕から離れられそうにない。
これまでに何度も抱きしめられているけれど、今日はいつも以上に彼を近くに感じた。
それは、関係が変わっただけではなくて。薄手のローブの隙間からのぞく素肌。彼の身体の温もりが、すぐそばにある。自然と呼吸が浅くなり、心臓がどきどきと波打った。
ちらりと見上げれば、すぐに彼と目が合う。どうやら、ずっと私のほうを見ていたらしい。目を逸らせば胸の高鳴りが増す。そして、目を合わせれば蒼い瞳に吸い込まれる。
その瞳に身体が寄せられるように、気づけば私は彼の首筋に口づけを落としていた。
──あ……!
と我に返ったのは、アレックス様の熱を帯びた吐息が耳に触れてからだった。
「……シェリル」
「あ、えと、これは、その……!」
身体が勝手に動いてしまった、なんて恥ずかしすぎて言えるはずがない。必死に言い訳を探している間も、顔が火照っていくのは止められなかった。
「し、仕返し……です! いつもアレックス様には驚かされてばかりなので、たまには……その!」
たどたどしく言葉を並べる私を、アレックス様は黙って見つめていた。蒼い瞳はさっきまでの優しさとは違い、どこか意地悪な色をはらんでいる。
「……仕返し、か」
低い声。くすりと笑い、蒼い瞳の色がわずかに深まった瞬間。
「きゃっ……!」
くるりと視界が揺れて、気づけば私はベッドに押し倒されていた。両手は顔の横でそれぞれ押さえつけられて、逃げ場を塞ぐように身をかがめられる。
「ア、アレックス様……?」
「なあ、シェリル。そんな可愛い仕返しをされて、黙っていられると思うか?」
「え……!? いえ、私は別に……!」
「前、『無防備にそんなことするな』って言っただろ? だから、約束を破った仕返し」
耳元で囁かれて、どきっと心臓の音が一拍響いたあと──彼の唇が首筋に触れた。
「……っ!」
触れたのはほんの一瞬のはずなのに、そこから甘い痺れが全身へ広がっていく。身体がびくっと跳ねたのを、アレックス様の指先がしっかり受け止めていた。
「シェリルはわかりやすいな」
囁きながら、彼の唇がもう一度同じ場所に触れた。今度は押し当てるだけではなく、ゆっくりと首筋をなぞるようにあたたかいものが伝う。
「っ……ぁ……」
情けない声がもれてしまって、恥ずかしくて息を吸うことも忘れそうになる。なのにアレックス様は、その反応に満足したように小さく笑った。
「……可愛い」
落ちたら声は意地悪なのに、触れ方は優しい。逃げたいのに、逃げられない──そんな感覚に溺れそうになる。
そして彼は、片手で器用に私の胸元のボタンを一つずつ外しはじめた。
「アレックス様……!? ちょっと、待って……!」
ボタンを外すために彼の右手が離れ、自由になった左手で肩を押し返そうとする。だが、視界いっぱいに近づく顔がそれを許してくれなかった。
「待たない」
「……あっ……」
露わになった胸元に唇が添わされて、たまらず息がもれる。
彼に触れられるたびに身体中が熱くなって、何かを考える余裕なんてなくなるくらい全部が溶けていってしまう。
それでも──いや、だからそこ、私の心臓はもう限界だった。心拍数は振り切ることろまで振り切って、今にも破裂してしまいそう。どうしてまだ動いていられるのか不思議なほどだ。
「アレックス様……あ、あのっ……! もう心臓が……!」
「嫌か?」
「嫌、とかじゃなくて……! 心臓バクバクしすぎて、もう無理なんです……! ほら、触ってみてください、すごいんですから……!」
恥ずかしさと必死さのまま、私は彼の右手を自分の心臓に押し当てた。布越しでもはっきりわかる、彼の手のひらの温度。その温度に、鼓動はさらに跳ね上がった。
なら当然、アレックス様にだって伝わっているはずだ。私の鼓動の速さも、強さも、想いも、全部。
「シェリル……ほんとうに、無自覚なんだよな?」
彼は、わずかに眉間にしわを寄せていた。叱る、というよりは、どこか照れくさそうで──それでいて、必死に何かを堪えているような瞳。
私の言葉をひとつずつ確かめるみたいに、じっと見つめてくる。
「じ、自覚くらい……してますよ! アレックス様にだって、私の心臓がどれほど……!」
「そういう意味じゃない。俺の手、いまどこにあるかわかってる?」
「そんなの……私の、左胸の……」
自分で押し当てておきながら、その事実を口にした瞬間、頭の中は真っ白に塗り替えられた。
──胸の……上!?
熱い、なんてものではない。血と汗が一気に沸騰して、蒸発してしまいそうなほどの熱が全身を駆け巡る。
恥ずかしさで呼吸の仕方さえわからなくなって、このまま消えてしまえたらどれほど楽かと思うほどだった。
「お前、意外と大胆なんだな」
低く落ちた声が耳をかすめて──私は、ついに限界を迎えた。
「…………あっ……あぁ、アレックス様の……バカぁ!」
どんっ、と勢いよく彼の胸板を押し返す。
私から身体が離れたと同時に、「っ……!」と彼の声がこぼれた。その短い息遣いに、私はとんでもない場所を押したんだと気づく。胸板を負傷していたと、羞恥にすっかり上書きされていたのだ。
「わっ、アレックス様……! すみません! ごめんなさい……!」
慌てて上半身を起こし、全力で謝罪する。そんな私を見たアレックス様は、苦笑混じりにため息をついた。それは痛みを伴うものではなく、昔から変わらない優しさと、ほんの少し意地悪なもの。
「ほんとに……無自覚で俺を殺しにくるよな、お前」
「ごめんなさい。なんかもう反射的に……。その、つい……?」
「ついって」
目を細めて笑うアレックス様の笑顔に、すとんと肩の力が抜けた。張りつめていた心臓も、少しずつ落ち着きを取り戻す。
自然と私も微笑み返していたところで──。
「そういえば、ダンスの練習といい、パーティーの後といい、喧嘩をしたときといい……お前は俺から逃げてばかりだったな」
言葉と同時に、ぎゅっと抱きしめられた。
「アレックス様……! 傷……!」
「言っただろ。お前を抱けるなら、こんな傷ひとつ痛くもないって」
「だけど……!」
「もう、逃げられないようにしてやる」
やさしく、ふわりと身体を押し倒された。
「あ……」
彼の言葉通り、逃げられるはずもなく──というよりは、逃げる気なんて本当は初めからなかったのかもしれない。
「シェリル、好きだ」
「私も……アレックスが好きです」
とろけるくらい甘くて幸せなキスをして、私は彼に身を預けた。
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朝昼夜の1日3回更新予定です
いよいよクライマックスです
最後までシェリルとアレックスのじれキュンをお楽しみください♡




