第37話 あの日の約束を
「髪飾り、着けてくれたんだな」
彼の視線が私の髪へと落ちる。
「あ、はい。次ちゃんとお会いするときには着けようって決めてたんです」
「綺麗だ」
低い声で言われ、頭の先からつま先まで一気に熱が広がった。褒められたことより、彼の声音の甘さに体温が上がってしまう。
そして、もうひとつ。星空の下で寄り添った、あの夜の記憶が浮かんでいたせいもあった。
ダンスパーティーのあと、バルコニーで同じように褒めてくれたこと、優しく抱き寄せられたこと、首筋にキスされたこと──あのときの熱が、そのまま浮かび上がってきたみたいだった。
──私ったら、何を……!
こんなの、アレックス様を求めているみたいで恥ずかしすぎる。
思わず顔を逸らすと、アレックス様がくすりと笑った。たぶん彼には、私が何を思っていたのか見透かされているのだろう。
「なあ、シェリル。幼少期のころ、お前が俺に指輪を渡したとき、なんて言ったか覚えてるか?」
「え!? それは……えと、あの……!」
彼の唐突な問いかけに、恥ずかしさがどんどん増していく。
もちろん、一日だって忘れたことはない。ずっと胸の中に秘めていた記憶。その相手が、いま、私の目の前にいる。
あとのき振り絞った精いっぱいを、また振り絞るときなのに──こんなに近くで、優しい目で見つめられながら言えるわけがない。幼い恋心の延長ではなく、今の私はあの頃よりずっとずっと、彼を好きになっしまっていた。
「俺は、小さいときからシェリルのことだけを見てきたんだ。一目惚れ、だったのかもしれない」
「え……」
「か弱くて、可憐な女の子。俺が絶対に守ってみせるって、子どもながらに真剣だった」
「そう……だったんですね」
「だから指輪をもらったときは、ほんとうに嬉しかった。あれで全部報われた気がしたんだ。『シェリルは俺のものだ』って、勝手に思ってた」
その告白は、甘くて、懐かしくて、でも今の私の心に強く響いた。
アレックス様がかすかに息をつき、視線を外す。その横顔は、どこか照れくさそうで、ほんの少しだけ拗ねていた。
「……なのに、お前ときたら。俺を兄と間違えて覚えているなんて」
「それは……! だってアレックス様、意地悪だったから……! 勝手にロイド様だと……」
弁解しながら、言葉の端がしぼんでいく。あのときの自分の勘違いも、すれ違いも、恥ずかしさも全部まとめて胸に込み上げてくる。
「俺も、素直になれなかった。悲しくて、悔しかったんだ。だから、どんどんシェリルに対して素直になれなくなっていった」
「ごめんなさい……」
「いや、俺もすまなかった。俺ももう少し、素直になろうと思う」
重なる視線。優しくて、あたたかくて、その言葉だけで涙が滲む。
──あの頃とは、全然違う……。
幼い勘違いでも、片思いでもない。すれ違い続けた私たちは、やっと同じ場所に立てた気がした。
握りしめていた手を離したアレックス様は、ローブのポケットに手を滑り込ませ、小さな群青色の箱を取り出した。
「シェリルに、これを」
それは私の手のひらにも収まる小さい箱。だけど、そこに込められた彼の想いの重みが、胸を焦がすくらい伝わってくる。
「これって……」
視線を箱からアレックス様に移すと、彼はにこりと笑って少し顔を傾げた。髪をさらりと落とした彼の瞳が、「開けてみろ」と囁くように私を見つめる。
震える手で、そっと蓋を開けると──そこには、光を受けて煌めく指輪がはめ込まれていた。薔薇の花びらを精巧にかたどった石座には、炎が宿ったのうに輝き揺らめく真紅の宝石。まるで、私の人生そのものを映しているかのようだった。
「……綺麗」
「お前の指に、似合うと思ったんだ」
そう言って差し出された左手が、何を意味するのか──考えるよりも先に、私は自分の左手を彼の手に重ねた。
指輪を取ったアレックス様が、ゆっくりと私の薬指へ指輪を滑り込ませる。手先が触れ合うたびに、心が溶けていくような感覚がした。
指輪が指にはまった瞬間、彼の目が柔らかく微笑む。
「あの日の約束……やっと叶えるときがきたな」
私を包み込むような声色。触れ合う手の温もりに、心臓は早鐘のように跳ね続ける。胸が締めつけられるのに、そこに苦しさはまったく感じない。
あふれそうになる涙を堪えながら顔を上げると、真剣で、誠実で、まっすぐな蒼い瞳が、私だけを捉えていた。
「シェリル、俺と結婚してくれ」
穏やかで、でも揺るぎない──胸の深くまで落ちて、身体中に染み込んでいく声だった。
世界が幸福で満ちていく。頬が熱くなって、呼吸がうまくできない。笑いたくて、泣きたくて、どうしたらいいのかわからなくなるほど嬉しかった。
「……はい」
想いをすくい上げるように言葉に変える。こぼれた涙をアレックス様は指先で拭ってくれた。
あたたかくて、私を守ってきてくれた大きな手。
「シェリル、愛してる」
「私も、アレックス様のことを愛しています」
互いの想いを確かめ合ったあと、わずかな沈黙が落ちる。その沈黙に身を委ねるように、私たちは顔を近づけて目を伏せた。
すぐそばにアレックス様の呼吸を感じる。彼の香りが鼻先を撫でた瞬間──そっと唇が重なった。
深くも強くもない、触れ合うだけキス。だけど、どんなキスよりもやさしくて、愛であふれていた。
唇が離れて、彼は私の頬に触れたまま微笑んだ。
「これからも、ずっと一緒だ」
「……はい。ずっと、大好きです」
そうして私たちは、もう一度顔を寄せ合って──今度は、お互いの愛に触れるように深いキスをした。




