第33話 救護
──私を庇ったばっかりに、アレックス様が……!
余計なことばかりが頭をよぎる。私がもっと上手く立ち回れていたら、彼を傷つけることなんてなかったかもしれないのに。
「……シェ、リル……大丈夫だから、そんな大声出すな……」
か細い声が耳に触れた。けれど蒼い瞳の光はしっかりしていて、いつもの苦い笑いまで浮かべている。
その顔に、一気に安堵の気持ちが広がった。私よりも、刺されたアレックス様のほうが落ち着いているようだ。
「アレックス様……! よかった……!」
彼の背中に腕を回し、膝枕をして上半身を支える。心なしか、アレックス様の呼吸が楽になった気がした。
「思っているより、傷は深くない……。だから……泣くな」
彼の手が私の頬にやさしく触れた。
どうやら私は無意識に涙をこぼしていたらしい。彼のことしか考えられず、自分のことなんて頭になかったから気づかなかった。
「ああ……ほんとうに、よかったです……」
彼の手の上に自分の手のひらを重ねると、また涙があふれた。
「いま救護隊を呼んでるところだから、もう少し頑張ってくれ」
ロイド様が労わるように声をかけてくれる。
「ありがとうございます」
「ヴィンセント卿は拘束して、騎士たちが然るべきところへ連れて行ったよ。彼には、相当重い罰が下されるだろうね」
「はい……」
「僕もそこへ向かう。シェリルは救護隊が来るまでアレックスのそばにいてあげて」
「……はい!」
ロイド様は騎士を伴って、この場を離れていく。二人きりなった温室は、先ほどまでの緊迫が嘘だったような静けさで満たされていった。
「アレックス様……私なんかを庇ってくれて、ありがとうございます」
「当然だろ……夫なんだから」
弱々しいながらも、迷いのない彼の言葉に胸が熱くなる。
「シェリルからもらった宝物に……助けられたな……」
アレックス様が左胸のポケットに手を伸ばし、小さな皮袋を取り出した。袋は出血で赤く染まり、短剣が貫いた一筋の裂け目が痛々しく残っている。
手渡された袋の口をおぼつかない手つきで開くと、中からこぼれたのは──きらりと光る、割れたシルバーと赤いガラスの破片だった。
──これって……!
鼓動が一度、強く跳ねる。
「その指輪が……俺を守ってくれた」
彼の口からその言葉を聞いた瞬間、張り詰めていた想いがぷつりと切れた。愛おしい、大好き、なんて言葉では足りないくらいの感情があふれて、これ以上ないほどに視界が涙で滲んでいく。
「……ずっと、持ってたんですか?」
震える声で問うと、アレックス様は痛みを押してでも笑おうとするように、やわらかく目を細めた。
「もちろん……。シェリルがくれたものを、手放すわけがないだろ」
当たり前のように告げられたその言葉が、胸に深く落ちる。幼い日の私が「大きくなったら結婚してね」と渡した小さな指輪を、彼はずっと胸元にしまって守っていてくれた。
とっくに忘れて、捨ててしまわれても仕方ないと思っていたのに。
「……アレックス様」
「泣くなって言っただろ」
「こんなの……泣かないほうが、無理ですよ」
涙まじりに笑い返すと、アレックス様の指が私の涙をそっと拭ってくれた。それはまるで、あの日の答えを指先から伝えてくれるみたいに、愛しみのあるやさしい触れ方だった。
「……くっ」
急にアレックス様の眉が寄り、身体が丸まる。抑え込んでいた痛みが限界に達したのだと、すぐにわかった。
「アレックス様! 傷を……!」
慌ててハンカチを取り出し、傷口を押さえ込んだ。ハンカチに滲んでいく鮮血の生あたたかさが、手のひらからじわりと伝ってくる。体温すら感じられるそれは、彼の生命そのものが流れ出しているようなあたたかさだった。
「……お願い! 止まって……!」
アレックス様の命が、文字どおり手の下で脈打っている。私は必死な思いでハンカチを押さえた。
──早く……。早く……!
救護隊の到着を待つ時間は永遠みたいに長くて、これっぽっちも生きた心地がしない。心と身体がぐらぐら揺れる。
そのとき、外から複数の足音が一斉に近づいてきた。
「大丈夫ですか!?」
駆け込んできた救護隊の一人が声を張る。
「……なんとか! 早く! 手当を!」
「もちろんです。あとは我々に任せてください」
泣訴する私を落ち着かせるように、救護隊の隊員が穏やかに声をかけた。
救護隊が素早くアレックス様に取りつき、私の手と替わるようにして止血に移る。
ハンカチから手を離した瞬間、身体から力が抜けた。呆然としたまま、その場に座り続けることしかできなかった。
「シェリル……」
担架に乗せられたアレックス様が、苦痛を堪えつつも私に向けて微笑んだ。
「心配しなくても……大丈夫だ」
「アレックス様……」
隊員の掛け声とともに担架が持ち上げられる。その動きに合わせるように、私も自然と立ち上がった。追いかけたくて、そばにいたくて──そう考えるよりも先に、身体が勝手に動いていたと思う。
だが、彼の隣を歩こうと一歩踏み出した私に対して、救護隊の一人がきびきびと告げた。
「彼を医務室へ運びます。状態は安定していますので、ご安心を」
そうだ。これ以上、私にできることはない。
いまは邪魔をせず、一刻も早く彼に治療を受けてもらう。それが、いまの私にできる唯一の最善だ。
「……よろしくお願いします」
私は深く頭を下げ、担架が視界から消えるまでその背を見送っていた。




