第31話 ひと芝居
「私たち、別れましょう」
そうアレックス様に告げた私には、並々ならぬ覚悟があった。
「……なにか、考えがあるんだな」
アレックス様も私の意図を汲んでくれたようだ。戸惑う様子は見せず、受け止めるように聞いてくれた。
「はい。私たちが別れたという噂を意図的に流します。ヴィンセント様は、私がアレックス様と別れると信じて疑っていません。それを利用します」
「……別れたふりか」
「そうです。傷心した私を慰めるつもりで、必ず会いに来ます。温室にいれば、遅かれ早かれ接触してくるはずです」
なるほどと言いようにアレックス様が一度頷く。
「そこで彼の本性を暴きます。なので、アレックス様はその間に証拠を集めていただきたいのです」
その言葉に、アレックス様がわずかに眉を寄せた。
「お前……一人でヴィンセントに会おうとしてるのか?」
「はい」
「反対だ」
厳しい顔つきで、即答される。
「お前一人であいつに会わせるわけにはいかない。危険すぎる」
「それはアレックス様だって同じです。危険を承知で記録局に行ってるんですから」
「俺のことはいい。それより、お前にもしものことがあったら……俺は……」
言葉が途切れ、その腕が私を抱き寄せた。
「頼む、今度は守らせてくれ」
「アレックス様……」
守られてばかりではいられない。
そう思ったはずなのに──彼の腕に包まれた途端、安堵がふっと息を吹き返した。彼はいつだって、自分より私を優先して守ってくれてる。助けてくれる。
私の王子様は、おとぎ話のような優しいだけの人じゃない。不器用で、強引で、言葉より行動で全部示してしまうような人。でも、そんな彼だからこそ私は救われる。
「ありがとうございます」
「一人で抱え込むのはなしだ」
身体を離したアレックス様が、私の頭を撫でた。大きな手のひらから伝わる体温には、昔からずっと私を守ってくれたあたたかさがあった。
「それに……」
「それに?」
「次、お前に指一本でも触れようものなら……俺は、あいつを殺してしまうかもしれない」
口の端だけが意地悪そうに上がっている。けれど目元はどこか拗ねているようで、真剣なのか脅しなのか判断に困る表情だった。
「だ、ダメですよ! そんなことで人殺しなんて……!」
「冗談だ」
アレックス様は、ため息混じりに「はは」と肩をすくめて目を伏せた。それから、すうと息を吐いて「だが……」と重く口を開いた。
「そのくらい、お前には触れさせたくない」
私を見つめた顔から覗く、澄みきったまでの蒼い瞳。 独り占めしたいと訴えるような眼差しが、どうしようもなく愛しくて、嬉しくて、胸がぎゅっと高鳴った。
──ああ……、ここが外じゃなかったら……。
きっと──私はこの人に抱きついて、好きだと言って、勢いのままにキスしていただろう。
彼の手がこちらへ伸びてくる。その手に触れられるなら、何も抗うことなんて──
「……いたっ!」
そう思った瞬間、軽くおでこに何かが当たる。コツンと響いたのは、彼の指先だとすぐにわかった。
「なんでデコピンなんて……!」
蒼い瞳の奥で、くつくつとアレックス様が笑っていた。
「お前は、ほんとうにわかりやすいよな」
「えぇ……?」
「何を考えてるか、顔に出てる」
「……っ!!」
かぁと顔から全身へ熱が巡った。私が何を思っていたのか、彼には全部見透かされていたらしい。
ひと笑いしたアレックス様の表情が、ふっと静まる。冗談の色が消え、私だけを射抜くような瞳になった。
「そんな顔するのは、俺の前だけでいい」
「……はい」
「シェリル」
やさしく呼ばれた声に息が詰まる。肩を寄せられ、彼の影が覆いかぶさったとき──おでこに柔らかな唇が触れた。
「今は、これで我慢な」
意地悪そうに微笑んだ彼の囁きは、胸だけではなく肌に落ちた余韻まで震わせた。
*
それから私たちは計画を立てた。
まずは、すぐに「夫婦関係を解消した」という噂を流すこと。現実味を持たせるため、温室へ行くのは三日後と決めた。もちろんアレックス様も一緒だ。
そこでわざと口論をする。そう提案したのは私だった。
ヴィンセント様が本当に別れたと確信すれば、気が緩むはず。目の前で噂の証拠を見せれば、なおさらだ。アレックス様は渋い顔をしていたが、納得してくれた。
そして庭園はウィンストン家で貸し切り、他の者が立ち入れないように手配する。
その中に身を潜めるのは、ウィンストン家の信頼できる騎士たち。いざとなればすぐに動けるよう、四方に配置してくれるらしい。
「この二日で、証拠を集める」
アレックス様は、また一人で記録局へ潜入すると告げた。胸が強く締めつけられる。心配で、不安で、何もできない自分が情けない。
けれど、私がついて行ったところで足を引っ張るだけだと、誰より私自身がわかっている。喉まで出かかった「私もお手伝いを」という言葉を呑み込んだ。
「辛いだろうが、待っていてくれ」
「そんなの、アレックス様に比べたら……」
手を握り合い、額を重ねる。
触れ合ったわずかな体温が、離れがたいほどに愛しい。だけど、結んだ絆は離れても解けることはないから──私は、彼のことを信じて待つだけだ。
「どうか、お気をつけて」
こうして私たちは互いを想いながら、ほんの短い間だけ“他人“に戻った。




