第3話 偽装夫婦!?
「まったく、うちの娘は少しも落ち着きがないな」
草原から戻ると、リビングで腕を組んだお父様が待ちかまえていた。
威厳ある大きな体躯に、髭を生やした口元には苦笑が浮かんでいる。
「ごめんなさい、お父様。外の風が気持ちよかったから、つい」
「まあ、病床に伏していた頃を思えば……今こうして走り回っているのが奇跡みたいなものだからな。あの頃は、もう長くはもたぬかもしれぬと覚悟したものだ」
お父様は、ふっと目を細めた。
幼少期特有の持病は、成長とともに消えていったけれど。
あの日々がなかったら、私はきっと今の自由をこんなにも尊く思わなかっただろう。
「だからこそだ、シェリル」
「はい?」
お父様の声が少し低くなった。
わずかに眉間にしわの寄った表情。
これは“父“ではなく、“領主“としての顔だ。
「お前が元気になったと知って、政敵一派が縁談を持ちかけてきている。キャスター家の領地と後継ぎを狙う輩だ。放ってはおけん」
「政敵……?」
「ハイライト家だ。詳しいことはよく知らんが、金や利益のためなら手段を選ばんと聞く。貴族の風上にも置けない奴らだ」
「へえ、そうなんですね」
私はどこか他人事のように呟いた。
縁談なんて興味がないと突っぱねればいいだけだ。それに貴族同士のもめごとなんて、今に始まったことではない。
私もそういうものに関わる歳になったのかと考えていると、お父様が口調をさらに引き締めて続けた。
「そこでだ。敵の手を避けるためにも、先にこちらで形だけでも作らねばならん。幸い、ウィンストン家とは旧来より親しい。ロイド殿は既に婚姻を結んでいるが……」
嫌な予感、とでもいうのだろか。
その言葉を聞いた瞬間、背筋にひんやりと冷たいものが走った。
「アレックス殿との婚約ならば、外聞も悪くないだろう」
一瞬、頭が真っ白になる。
──アレックス様と……婚約?
その言葉を反芻してすぐ、反射的に私は「はあああ!?」と大きな声を出していた。
「お父様!? それって、私にアレックス様と結婚しろと仰っているんですか!?」
「形だけと言っておるだろう。本当に結婚する必要はない。世間には夫婦と見せかけておけば十分だ」
「で、でも……っ!」
私の必死の抗議をよそに、お父様は淡々と続ける。
「それにこれは、お前の身を守るためでもある。わかるな、シェリル」
「わかりますけど……! でも、ウィンストン家は? そんな話、受け入れるはず……」
「快く承諾してくれた」
私は呆気に取られた。
そんなことがあるのだろうか。
お父様が私の身を案じてくれているのは、もちろんわかるし、ありがたい。
──だけど、よりによってアレックス様!?
優しいロイド様ならまだしも、口を開けば嫌味しか言わないような、あのアレックス様と?
頭の中で思考が渦巻く。
返す言葉が見つからずにいると、その沈黙を同意と勘違いしたのか、お父様の口の端がゆるんだ。
「まあ、俺としては偽装夫婦などと言わず、本当に結婚してくれたほうが安心できるがな」
声音は冗談めかしているのに、目だけは本気だった。
口髭をなぞりながら、まんざらでもなさそうに笑うお父様。
それもそうだ。
国随一の貴族であるウィンストン家に嫁げるなど、誰でも喉から手が出るほどの縁談である。
だから、これが本音なのだろう。
「お父様の……バカーーッ!」
私は椅子をがたんと鳴らして、勢いよく立ち上がる。
そしてお父様の呆れ顔を背に、自室へと一直線に駆け出した。
*
「アレックス様と偽装夫婦……?」
ベッドに突っ伏したまま、ありえない光景を想像してしまう。
無愛想で、いつも小言ばかり。
皮肉屋のアレックス様と“夫婦役”を演じるなんて、絶対にうまくいくはずがない。
──でも。
私を守るためだ、と父上は言っていた。
本当のところはどうあれ、アレックス様がそれを承諾したという事実。
それが何より信じられなくて、胸の奥がざわついて仕方がなかった。
──アレックス様は、どうして承諾したんだろう。
心のどこかで、あの鋭い蒼い瞳が離れない自分に気づいてしまう。
私は、はっと首を振った。
「違う違う! 私の王子様は、ロイド様のはず」
呟きながら、子どもの頃のぼんやりした記憶を必死に探る。
けれど浮かぶのは、誰かが差し伸べてくれたあたたかい手と、耳に残るやさしい声だけ。
──ロイド様……なんだよね。
なのに、どうして私はアレックス様の瞳を思い出してしまうのだろう。
冷たくて鋭いはずなのに、不思議と胸をざわつかせる。
──きっと、偽装夫婦を演じろなんて言われたせいだ。
そうに決まっている。
私は枕に顔をうずめ、無理やり思考を閉ざした。




