第25話 すれ違う想い
「……シェリル?」
当惑とわずかな愁い含んだ声色に、胸がずきりと痛む。けれどそれ以上に、決めた言葉を飲み込むわけにはいかなかった。
「アレックス様……。私たち、もう……関係を解消しましょう」
「……は?」
短く漏れた声に合わせて、彼の蒼い瞳がかすかに揺れる。それから澱が深海に沈むように、ゆっくりと光を失っていった。
「……ヴィンセントか?」
「彼は……関係ありません」
「あいつだろ……!」
声が鋭く跳ねた。
「昨日も会っていたと聞いた」と続くその言葉が、静まり返った温室に痛いほど響く。
どうしてそれを、と訊ねられないほとの威圧感。感じたことのない彼からの怒気や焦燥が空気をひりつかせた。
「あいつに……何をされた!?」
唸るような声が落ちて、肩を掴まれる。指先が食い込むほどに強い力。振り解けない。
何度もこの手に導かれてきたはずなのに──今は怖くて仕方がなかった。
「アレックス様……痛い……」
「お前は騙されてる! 何を吹き込まれたんだ!?」
「っ、痛いです……!」
「あ……」
自我を取り戻したように、アレックス様の指の力が緩んでいった。掴まれていた肩に、じんと痛みが残る。
「ヴィンセント様は、ほんとうに関係ありません……。私の意思です」
「わけを」
「アレックス様の……幸せのためです……」
「関係の解消が、俺の幸せだと?」
「はい……。私ではアレックス様とは釣り合いません。もっと相応しい上級貴族のご令嬢が……」
「いつ、誰が、そんなこと言った?」
怒ってる──思わず一歩引いてしまいそうになるど、アレックス様の蒼い瞳は烈火のごとく揺らめいていた。
「やっぱり、あいつだな。あいつが、お前に……」
荒い息を吐き出しながら、アレックス様は外套をひるがえす。歩き出した歩幅には迷いがなく、何かを確かめに行くかのようだった。
「どこへ……!?」
「ハイライト家だ」
「待ってください……!」
たまらず彼の腕を掴んだ。
「ヴィンセント様は私を心配してくれただけなんです!」
「……心配?」
冷たい視線が落ちる。唇の端が歪み、笑みとも嘲りともつかない表情が浮かんだ。
「心配、ね。お前、気づいていないのか? あいつが、どんな目でお前のことを見ていたか……」
「アレックス様こそ!」
彼の言葉を遮って、抑えていた声が爆ぜるように口から出ていた。その言葉と一緒に、積もっていた感情が一気にあふれ出す。
「いつも私のことからかって、私が困っているのを楽しんでただけじゃないですか! 私のこと、おもちゃか何かだと思って支配したかっただけじゃないんですか!?」
アレックス様の瞳が見開かれた。
「……ふざけるな」
押し殺したような低音が耳を裂く。
「俺がここ数日、どんな思いで動いていたか……お前にはわからないだろ!?」
「わかりませんよ!」
必死に泣くのを堪えていたが、声が震えるのだけは止められなかった。
「だって私たち……偽装夫婦ですもの! 最初から気持ちなんて、通じてなかったじゃないですか! 私がどれほどあなたのことを……!」
その先の言葉をぐっと呑み込んだ。感情のまま吐き出していたら、きっとすべてが壊れてしまう。幼馴染という関係にすら、もう戻れないだろう。
別れたいのに、別れたくない──。
これほどまでに胸が痛むことがあっただろうか。熱された刃で心臓を抉られるような痛みが走り続ける。
それでも、押し込めていた彼への想いは今にもこぼれ落ちてしまいそうだった。
──ああ……私は、こんなにもアレックス様のことが……。
その事実を認めてしまった瞬間、張りつめていたものがぷつりと切れた。堪えていた想いが涙に変わり、頬を伝ってこぼれ落ちる。
「……もういいです!」
アレックス様が出て行くよりも先に、私は温室から逃げるように飛び出した。
横を過ぎるとき、一瞬だけ彼の腕が動いたのが見えたけれど──その手が私を掴むことはなかった。




