第24話 巡り合って
館に馬をつけるなり、跳ねるように鞍を降りる。そして手綱を執事に渡し、休む間もなくキャスター家へと足を向けた。
幾度となく通ってきた道が、今は果てしなく遠く感じる。胸のざわめきが全身まで絡みつき、激しく息を上らせた。
キャスター家の門をくぐると、庭先で掃除をしていたメイドが驚いたように顔を上げた。彼女が挨拶をするよりも先に声を出す。
「シェリルはいるか?」
「シェリル様でしたら、朝からお出かけになられております」
「どこへ?」
「すみません、そこまでは……」
「……わかった」
短く礼をし、すぐに踵を返した。
──他に行きそうな場所……!
思考を巡らせる。
──たしか、昨日は新刊日だったはず。
もしかしたら、今日も図書館へ行っているかもしれない。
拭えない焦燥を押し殺すように唇を強く噛み締めて、図書館へ駆け出した。
*
息も絶え絶えに図書館の扉を押し開けると、受付にいる司書が顔を上げた。
「あらアレックス様、お久しぶりですね。大きくなられまして。昔はよく来てくれたのに、最近は……」
「悪いが、今は世間話をしている暇がない。シェリルは来てないか?」
「シェリル様でしたら、いらしてませんよ」
「……そうか」
焦りが喉を焼く。
どうにか次の手がかりを探そうと頭を巡らせていると、司書は世間話の延長をするように笑った。
「昨日はいらしてましたよ。だけど、珍しく本を借りられなかったんです。お連れ様とご一緒に外へ出られて、それきり戻られなくて」
ざわり、と嫌な予約が胸をかすめた。
「連れ……?」
「ええ、とても素敵な殿方でした。恋人さん、ですかね? シェリル様もそんなお歳に……」
「そいつ、金髪で翠色の瞳じゃなかったか?」
言葉を遮るように吐き出す。そう問いながらも、答えはもうわかっていた。
司書は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたあと、にこりと笑って小さく頷いた。
「ええ、アレックス様もお知り合いだったんですね」
焦りに混ざって、怒りが再び頭をもたげた。
ヴィンセント──その名を思い浮かべた瞬間、唇の裏に血の味が滲む。
──くそっ……!
「邪魔した」
「えっ、アレックス様……!?」
半ば吐き捨てるように言い、司書の呼び止める声を背に図書館をあとにした。
さらに思慮を巡らせる。
家にも、図書館にもいないなら──。
──庭園か……!
思考が閃くより早く、身体が動いていた。
まもなく正午を迎える日差しが石畳を照り返し、視界が白く滲む。穏やかに漂う空気を切り裂くように走り、息を詰める。
頭の中ではシェリルの姿だけが浮かんでいた。
彼女が俺ではない誰かと笑い合っている光景を想像するたび、胸が焼けつくようにひりつく。
──間に合え……!
鼓膜まで響く鼓動。焦りと不安がせめぎ合う胸中をもがくように走る。
やがて庭園に着き、一角にある温室の前で立ち止まる。硝子越しに揺れる花々の間、淡い光を背にした人影が見えた。
──シェリル……!
とにかく顔が見たかった。
何から話すべきか、どんな顔をすればいいのか──考える余裕なんて、どこにもない。
衝動のまま、俺は扉へと手をかけた。
* * *
眠れない夜だった。
アレックス様とちゃんと話をしよう──そう心の中で何度も繰り返しても、全然形にはならなかった。
彼と会わなくなって、九日目の朝。
「会いたい……。でも、会いたくない……」
次会うときが、きっと──終わりを告げる日になる。
決心したはずなのに、心臓を鷲掴みにされたように胸がぎりっと痛んだ。
──家にいても落ち着かない……。
気づけば、足が自然と庭園へ向かっていた。その足元はアレックス様の館の方角を避けるように、風の通る小道を選んでた。
*
花の香りに包まれた温室。
差し込む陽光に照らされた花々の影が、地面に淡く模様を描く。深く吐き出したため息に呼応するように、それはゆらりと歪んだ。
「全然落ち着かないなあ……」
心が安らぐお気に入りの場所なのに、心は波立つばかりだった。
ここでヴィンセント様と会ったこと、そして昨日、彼に言われた言葉が何度も脳裏をよぎる。
──アレックス様の幸せを願うなら……。
私と結ばれるべきではない。
薔薇の棘に触れたような痛みが、じくりと胸を刺す。
私は、これと似た痛みを知っていた。それは、ロイド様がアンナ様と婚約したときにも感じたもの。
でも──あのときより、ずっと苦しい。棘が刃に変わって、全身を貫かれるような痛みだった。
その苦しみと痛みの理由は、もうわかっている。
──私……いつの間にかアレックス様のこと……。
だけど、それ以上は認められなかった。認めてしまったら、さらに決心が鈍ってしまう。
このまま気づかないふりをして、心の奥底に閉じ込めてしまおう。ロイド様のときのように、笑顔の裏で静かに沈めてしまえばいい。
そう思っても、一度気づいてしまった想いはそう簡単には沈んでくれなかった。むしろ、沈めようとするほどに浮かび上がってしまう。まるで「忘れたくない」とでも言うように、私の意思とは反対に心の淵で揺らめき続ける。
ロイド様のときとは、全然違っていた。
──あれっ……。
視界が滲んでいく。気づけば、一粒の涙が頬を伝って落ちていた。
「……おかしいなあ。あのときだって、涙なんか出なかったのに」
強がるように、苦笑を浮かべながらひとりごちる。指先で涙を拭ったとき、背後で扉の開く音がした。
思わず肩を跳ねさせ、振り向いた先には──会いたくないけれど、会いたかった人が日差しを背に受けて煌めいていた。
「……アレックス様」
そう呼びかけるよりも前に、彼は駆け寄ってきた。何か言葉を発する間もなく、次の瞬間──強い力で、ぎゅっと抱きしめられた。
「やっと、見つけた……」
低く掠れた声が耳元で震えている。その声音には怒りでも焦りでもなく、どうしようもない安堵が混じっていた。
「……アレックス、様……?」
彼の息が上がっている。身体は発熱したように熱い。こんなふうに疲弊した彼の姿を見るのは、たぶんこれが初めてだ。
戸惑いながら名を呼ぶと、さらに彼の腕に力がこもった。
──ああ……アレックス様の匂い……。
匂いだけじゃない。胸元にすっぽりと包み込まれてしまう大きな身体。骨ばっているけど、何度も私の手を取ってくれた繊細な指先。私の心臓の音と重なる彼の鼓動。
愛おしくて、抱きしめ返したくてたまらなかった。このまま身を委ねてしまえたら──。
──流されちゃダメ……!
自分を戒めるように唇を噛んで、ひゅっと細く息を吸い込んだ。
「……離してください」
抱きしめ返そうとした腕を、彼の背から胸元へと移す。そして手のひらに触れたぬくもりまで手放すように、胸元を押し返した。




