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【完結】幼馴染の冷徹貴族様と偽装結婚したら、契約なのに私を離してくれそうにありません  作者: 葉南子@アンソロ発売中!
第三章 運命の歯車

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第24話 巡り合って


 館に馬をつけるなり、跳ねるように鞍を降りる。そして手綱を執事に渡し、休む間もなくキャスター家へと足を向けた。

 幾度となく通ってきた道が、今は果てしなく遠く感じる。胸のざわめきが全身まで絡みつき、激しく息を上らせた。

 

 キャスター家の門をくぐると、庭先で掃除をしていたメイドが驚いたように顔を上げた。彼女が挨拶をするよりも先に声を出す。


「シェリルはいるか?」

「シェリル様でしたら、朝からお出かけになられております」

「どこへ?」

「すみません、そこまでは……」

「……わかった」


 短く礼をし、すぐに踵を返した。


 ──他に行きそうな場所……!


 思考を巡らせる。


 ──たしか、昨日は新刊日だったはず。

 

 もしかしたら、今日も図書館へ行っているかもしれない。

 拭えない焦燥を押し殺すように唇を強く噛み締めて、図書館へ駆け出した。


 *


 息も絶え絶えに図書館の扉を押し開けると、受付にいる司書が顔を上げた。

 

「あらアレックス様、お久しぶりですね。大きくなられまして。昔はよく来てくれたのに、最近は……」

「悪いが、今は世間話をしている暇がない。シェリルは来てないか?」

「シェリル様でしたら、いらしてませんよ」

「……そうか」


 焦りが喉を焼く。

 どうにか次の手がかりを探そうと頭を巡らせていると、司書は世間話の延長をするように笑った。


「昨日はいらしてましたよ。だけど、珍しく本を借りられなかったんです。お連れ様とご一緒に外へ出られて、それきり戻られなくて」


 ざわり、と嫌な予約が胸をかすめた。


「連れ……?」

「ええ、とても素敵な殿方でした。恋人さん、ですかね? シェリル様もそんなお歳に……」

「そいつ、金髪で翠色の瞳じゃなかったか?」


 言葉を遮るように吐き出す。そう問いながらも、答えはもうわかっていた。

 司書は一瞬だけ驚いたように目を瞬かせたあと、にこりと笑って小さく頷いた。

 

「ええ、アレックス様もお知り合いだったんですね」


 焦りに混ざって、怒りが再び頭をもたげた。

 ヴィンセント──その名を思い浮かべた瞬間、唇の裏に血の味が滲む。


 ──くそっ……!


「邪魔した」

「えっ、アレックス様……!?」


 半ば吐き捨てるように言い、司書の呼び止める声を背に図書館をあとにした。

 さらに思慮を巡らせる。

 家にも、図書館にもいないなら──。


 ──庭園か……!


 思考が閃くより早く、身体が動いていた。

 まもなく正午を迎える日差しが石畳を照り返し、視界が白く滲む。穏やかに漂う空気を切り裂くように走り、息を詰める。

 頭の中ではシェリルの姿だけが浮かんでいた。

 彼女が俺ではない誰かと笑い合っている光景を想像するたび、胸が焼けつくようにひりつく。


 ──間に合え……!


 鼓膜まで響く鼓動。焦りと不安がせめぎ合う胸中をもがくように走る。

 やがて庭園に着き、一角にある温室の前で立ち止まる。硝子越しに揺れる花々の間、淡い光を背にした人影が見えた。


 ──シェリル……!

 

 とにかく顔が見たかった。

 何から話すべきか、どんな顔をすればいいのか──考える余裕なんて、どこにもない。

 衝動のまま、俺は扉へと手をかけた。


 * * *


 眠れない夜だった。

 アレックス様とちゃんと話をしよう──そう心の中で何度も繰り返しても、全然形にはならなかった。


 彼と会わなくなって、九日目の朝。


「会いたい……。でも、会いたくない……」


 次会うときが、きっと──終わりを告げる日になる。

 決心したはずなのに、心臓を鷲掴みにされたように胸がぎりっと痛んだ。


 ──家にいても落ち着かない……。


 気づけば、足が自然と庭園へ向かっていた。その足元はアレックス様の館の方角を避けるように、風の通る小道を選んでた。


 *


 花の香りに包まれた温室。

 差し込む陽光に照らされた花々の影が、地面に淡く模様を描く。深く吐き出したため息に呼応するように、それはゆらりと歪んだ。

 

「全然落ち着かないなあ……」


 心が安らぐお気に入りの場所なのに、心は波立つばかりだった。

 ここでヴィンセント様と会ったこと、そして昨日、彼に言われた言葉が何度も脳裏をよぎる。


 ──アレックス様の幸せを願うなら……。


 私と結ばれるべきではない。

 薔薇の棘に触れたような痛みが、じくりと胸を刺す。

 私は、これと似た痛みを知っていた。それは、ロイド様がアンナ様と婚約したときにも感じたもの。

 でも──あのときより、ずっと苦しい。棘が刃に変わって、全身を貫かれるような痛みだった。

 その苦しみと痛みの理由は、もうわかっている。

 

 ──私……いつの間にかアレックス様のこと……。


 だけど、それ以上は認められなかった。認めてしまったら、さらに決心が鈍ってしまう。

 このまま気づかないふりをして、心の奥底に閉じ込めてしまおう。ロイド様のときのように、笑顔の裏で静かに沈めてしまえばいい。

 そう思っても、一度気づいてしまった想いはそう簡単には沈んでくれなかった。むしろ、沈めようとするほどに浮かび上がってしまう。まるで「忘れたくない」とでも言うように、私の意思とは反対に心の淵で揺らめき続ける。

 ロイド様のときとは、全然違っていた。


 ──あれっ……。


 視界が滲んでいく。気づけば、一粒の涙が頬を伝って落ちていた。


「……おかしいなあ。あのときだって、涙なんか出なかったのに」


 強がるように、苦笑を浮かべながらひとりごちる。指先で涙を拭ったとき、背後で扉の開く音がした。

 思わず肩を跳ねさせ、振り向いた先には──会いたくないけれど、会いたかった人が日差しを背に受けて煌めいていた。


「……アレックス様」


 そう呼びかけるよりも前に、彼は駆け寄ってきた。何か言葉を発する間もなく、次の瞬間──強い力で、ぎゅっと抱きしめられた。

 

「やっと、見つけた……」


 低く掠れた声が耳元で震えている。その声音には怒りでも焦りでもなく、どうしようもない安堵が混じっていた。


「……アレックス、様……?」


 彼の息が上がっている。身体は発熱したように熱い。こんなふうに疲弊した彼の姿を見るのは、たぶんこれが初めてだ。

 戸惑いながら名を呼ぶと、さらに彼の腕に力がこもった。


 ──ああ……アレックス様の匂い……。


 匂いだけじゃない。胸元にすっぽりと包み込まれてしまう大きな身体。骨ばっているけど、何度も私の手を取ってくれた繊細な指先。私の心臓の音と重なる彼の鼓動。

 愛おしくて、抱きしめ返したくてたまらなかった。このまま身を委ねてしまえたら──。


 ──流されちゃダメ……!


 自分を戒めるように唇を噛んで、ひゅっと細く息を吸い込んだ。


「……離してください」


 抱きしめ返そうとした腕を、彼の背から胸元へと移す。そして手のひらに触れたぬくもりまで手放すように、胸元を押し返した。

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