第23話 ◆アレックスの奔走
──今日で九日目か……。
王都中央記録局の内部に潜り込んでから、それだけの時が過ぎていた。それは同時に、シェリルと顔を合わせていない日数でもある。
会えないもどかしさを押し込みながらも、ヴィンセントの素性を突き止めるまでは引き返せない──そう自分に言い聞かせていた。
記録局は、王都の中でもひときわ重厚な造りをしている建物だ。磨きぬかれた大理石の床に、壁には金の額縁に入った壁一面の絵画。天井は高く、緻密な彫刻が施された白亜の柱が幾本も並び、行き交う役人や市民の足音が反響する。
だが、それは表の顔。一般人が立ち入りできない地下へ降りると、様子は一変する──。
朝、館を出た俺は、いつものように記録局へ向かった。
そしらぬ顔で正面玄関を通り抜ければ、人の流れが途切れた一瞬の隙を縫って地下への通路に足を踏み入れる。
九度目の潜入とはいえ、糸が張り詰めたような緊張は一度だって緩んだことがなかった。
階段を降り続けた先、表からは決して見られない地下二階にある記録保管庫。一見、倉庫のようなこの部屋は、装飾のかけらもない無機質な空間が広がっている。そして常に厳重な錠がかけられており、その鍵を握っているのは四人の限られた権限者だけ。
その内のひとりが、母上の知人でもあるエミリー管理官だった。
「マーガレットの頼みだからね、こっちでも上手くやるわ。でも、絶対に見つからないように気をつけて。バレたら本当の意味で私のクビが飛んじゃうから」
どこか母上と似た、明るく肝が据わった物言いだった。突如訪れた非日常感を楽しんでいるかのような軽やかさがありつつも、彼女の協力がなければここまで潜り込むのは不可能だっただろう。
──ここまできたんだ。絶対に……。
目が回りそうなほど積み上げられた資料の山の中から、“ヴィンセント“という名を探し出すのに数日を要した。同名の人物は十を超え、学者や商人、果ては一般市民まで、身分も職業も年齢もさまざまだ。
それでもようやく、二人の人物に目星をつけることができた。
ヴィンセント・ハイライトと、ヴィンセント・アークロイヤル。
どちらも二十代半ば。記録上では、俗にいう中級貴族に分類されている。
そもそもで奴が上級貴族なら、俺が知らないはずがない。そして、あの結婚記念パーティーに紛れていても不自然ではない人物、ということを踏まえれば──必然的に、この二人に絞られる。
引っ掛かっていたのは、ハイライト家のほうだった。閲覧した財務諸表に、どうにも腑に落ちない点があったからだ。
──“慈善事業”……ねぇ。
報告書には「孤児院支援」や「物資支援」といった名目で、十数件もの支出が記録されていた。内容だけ見れば立派だが、怪しいのはその数と額の大きさ。よくよく見れば支出の半分以上が、こうした慈善事業に回されている。
あまりにも非現実的すぎる。中級貴族ならばなおさら、支出の多くは領地の管理費と従者の給与、邸宅の維持費などに回るはずだ。
さらには、財政記録と王都へ納めた税金の金額が妙に食い違っていた。一つ一つは少額の誤差に見えても、件数が積み重なれば総額は莫大になる。
宙に浮いている金の流れ。そして、この不自然なまでの報告書を通せる理由──。
考えたくはないが、もはや、それしかありえない。
──ここには、ハイライト家に買収された役人がいる。
しかも、記録を改竄できるほどの重役。それに気づいたとき、背筋に今まで以上に緊張が走った。
ハイライト家の資料がどこにあるかは、すでに俺の頭の中に入っている。慎重に棚に手をかけ、さらに探りをいれようとしたそのとき。
外から鈍い金属音がした。それは、この部屋の鍵を開ける音。扉が開くより前に近くの棚の影に身を隠し、息を潜める。
鍵の所有者は四名のみ。エミリー管理官が来られるはずはない。となれば、残る三人のうちの誰かだ。
静かに扉が開き、足音がゆっくりと近づいてくる。
目を凝らすと、薄暗がりの中に人影が見えた。中年の男──鍵を持っていることからも、エミリー管理官と同等の階級だろう。それに襟元には、彼女と同じ記録局を模した金のブローチが光っていた。
息を殺し、動きを目で追い続ける。
ふくよかで温厚そうな印象の男。だが、その足元には迷いがない。明らかに、目的がある動きだった。
棚に手を伸ばした男は、一冊の資料を取り出す。そこは、俺が頭に入れていたハイライト家の資料の場所だった。
──やはり、何かある……!
手に汗を握り、男の一挙手一投足を見逃さないように目を凝らす。資料を開き、何かを書き込んでいるのがわかった。
その場で男を取り押さえたい衝動をぐっと抑える。今出ていけば、エミリー管理官にも迷惑がかかる。俺自身も追及され、自由を失うだろう。それだけは避けなければ。
数分後、男は資料を棚に戻し、何事もなかったかのように扉を閉めて去っていった。
錠の落ちる音が響き、足音が遠ざかったのを確認してから、急いで資料をめくる。
──これは……!
目を疑った。そこには、以前にはなかった領土や資金の移動の記録が不自然に差し込まれていた。
表向きは、やはり譲渡や慈善事業の形式をとっている。だが、予定か未定かもわからない注釈が、あたかも正式な記録のように書き込まれていた。
明らかな策略──そう直感した。
──ヴィンセント・ハイライト……。やはり、あいつは。
疑念が確信に変わっていく中、ページをめくる手が止まった。目に飛び込んできた注釈の一文には──。
《シェリル・キャスターと婚姻のため》
その瞬間、手が震えた。怒りが全身から込み上げてくる。
ハイライト家はキャスター家を──いや、シェリルを利用しようとしている。
結婚記念パーティーのときに感じたあの違和感。あれは思い過ごしなんかじゃなかった。ヴィンセントが彼女に近づいたのも、最初から仕組まれていたのだ。
──シェリル……!
焦燥が押し寄せ、思考が一瞬で熱を帯びる。
資料を漁っている場合じゃない。彼女のそばにいるべきだった──そう思っても、もう遅い。
──考えている時間はない!
シェリルが危険にさらされる前に止めなければ。
資料を棚に戻し、慎重にかつ迅速に記録局を駆け出した。
頭の中でシェリルの顔が何度もよぎる。あの笑顔、無防備な仕草──すべてが今にも壊されそうな気がしてならない。
──頼む、無事でいてくれ……!
焦る鼓動を抑える暇もなく、馬を走らせた。




