第2話 シェリルと幼馴染
私は十九歳になった。
病もすっかり克服し、もうあの頃の病弱な子どもではない。
あの病は成長とともに消えていく類のものだったらしく、気がつけば外を歩けるようになっていた。
今ではドレスをひるがえしながら踊ることだって、馬に乗って風を切ることだってできる。
ただ、幼い頃に過ごせなかった分を取り戻そうとするかのように、私は少しばかり無理をしてしまうのだけれど。
だけど、それすらも私は楽しんでいた。
自由に駆け回れる身体。
たくさん遊んで、たくさん学んで、そして──いつか結婚する。
そんな“あたりまえの日々“を過ごせることの尊さを、私は誰よりも知っていた。
*
「ん〜、いい天気!」
私は、家の近くにある草原で寝転がっていた。
背中をくすぐる草の感触、頬をなでる風の匂い。鳥のさえずりが空高くにまで響き渡る。
胸いっぱいに空気を吸い込むたび、笑みがこぼれた。
「はぁ〜、生きてるって感じ!」
昔は寝室の天蓋越しにしか空を見られなかったのに。
今はこうして、好きなだけ駆け出して、転がって、大の字になれる。
果てしない青空を見上げて、私は心の底から呟いた。
「……気持ちいいなあ」
両手を広げて伸びをしていると、背後から不意に声がかけられた。
「やあ、シェリル。今日も元気だね」
「……っ、ロイド様!」
慌てて飛び起き、スカートの裾を払ってぺこりと頭を下げる。
「いつも言ってるじゃないか、『様』はいらないよって。昔みたいにロイドでいいのに」
「そんな訳にはいかないです!」
にこやかに笑うロイド様の黒髪が、さらりと風になびく。
透き通るような蒼い瞳は、空をそのまま閉じ込めたみたいに澄んでいた。
「ほんとうに、見ていて気持ちがいいですね」
彼の隣から、物腰の柔らかい女性の声が聞こえた。
ロイド様の奥方、アンナ様。
口元に手を添えて微笑んでいる姿は、まさに貴婦人そのもの。
ミルクティーベージュのふわりとした髪に、やさしい茶色の瞳。
誰もが想像するような、お姫様みたいな人だ。
それに比べて、私のほうは。
まっすぐに落ちる赤みがかった茶色の髪。
瞳の色も煮出しすぎた紅茶のように濃くて、きっぱりとした印象を与えてしまう。
おっとりしたアンナ様の隣に立つと、私の元気さやおてんばさが余計に際立つ気がしてならなかった。
「お二人は、どうしてここに?」
「元気よく駆けていくシェリルの姿が見えたから、僕たちも散歩に行こうかって。ねぇ、アンナ」
「ええ。シェリルさんの笑顔を見ると、私まで元気になります」
二十五歳のロイド様と、その二つ下のアンナ様。
おしどり夫婦という言葉がぴったりな二人だと、辺りでも評判な夫婦。
まとう空気はいつだって穏やかで、幸せな家庭の象徴そのものだった。
「ロイド様とアンナ様も、相変わらず仲睦まじくて……羨ましいです」
「はは。彼女がいてくれるから、僕は安心していられるんだ」
そう言ってアンナ様の手を取る姿に、胸がきゅっと締めつけられる。
微笑み合う二人の間に──割って入る余地なんてない。
羨望と、ほんの少しの寂しさ。
その空気を裂くように、からかうような声が聞こえた。
「病気してた頃のほうが、お淑やかでよかったんじゃないか?」
「……っ!」
振り返れば、長い髪を束ねたロイド様の弟──アレックス様が立っていた。
黒髪に蒼い瞳。
歳も二十四歳とロイド様と一つ違いで、双子のようにそっくりな風貌。
けれど温厚な兄とは違い、眼差しは鋭く、口から出る言葉はいつも辛辣だ。
「アレックス様はお淑やかな女性が好みなんですね! よかったですわ、わたくし、もうすっかり元気ですから!」
わざとらしい敬語で嫌味っぽく言い返すと、アレックス様も嫌味に乗るように、わざとらしく肩をすくめてみせた。
「こんなじゃじゃ馬みたいな令嬢、好き好んで迎える男なんていないぞ」
「っ、それは関係ありません!」
私たちのやりとりを見ていたロイド様夫妻が、微笑ましそうにくすりと笑ったのが目に入った。
ロイド様もアレックス様も、幼い頃から付き合いがある、いわゆる“幼馴染“という関係。
領地が隣同士ということもあり、両家は昔から家族ぐるみで親しい中で、自然と幼い頃から一緒に過ごしてきた。
もっとも、二人の家──ウィンストン家は国随一の貴族。
我がキャスター家は地方を治める領主家に過ぎないため、本来なら立場は大きく違う。
それでも二人は分け隔てなく接してくれて、病弱だった私の面倒をよく見てくれたことは、かすかな記憶に残っている。
そしてロイド様は、私の憧れで──たぶん、初恋の人。
たぶんというのは、その頃の記憶が曖昧だからだ。
けれど、寝込んでいた幼い私を看病してくれた、あの王子様みたいな優しさは、きっとロイド様のものだと私は信じている。
なぜなら、アレックス様にそんな優しさがあるなんて、とても思えないのだから。




