第15話 緊張と緩和
「他の男のことを考えるなんて、ずいぶん余裕だな」
「……え? あの……?」
いつもと少し違う雰囲気に戸惑う。アレックス様の視線は真剣で、それでいて挑発的に揺れていた。
「俺の妻、だろう? なあシェリル。いい加減、どうしたら自覚してくれるんだ?」
わずかに口角を吊り上げて、こちらを追い詰めるように言い放つ。
“独占欲“──その言葉が脳裏をよぎった。偽装夫婦のはずなのに、彼は必要以上に私に固執しているように思えてしまう。ウィンストン家の息子としてのプライドなのか。それとも、俺のものだと意識させたくて仕方がないのか。
なんにせよ、この距離感では呼吸すら乱されてしまう。心臓の鼓動がうるさくて、言い訳を探す余裕もない。
「私は、ちゃんとアレックス様のこと……!」
呼び捨てにするのも忘れて、必死に言葉を繋ぐ。その途中で、彼の腕の力がほんの少し強まった。
「俺だけ見ていろ」
甘くて、でも命令みたいな響き。蒼い瞳に射抜かれて、ついに言葉を失ってしまう。心臓の鼓動はもう限界を超えそうだった。
そのまま彼の手が、そっと私の頬に添えられる。指先が触れている頬から、熱が全身へ広がっていく。前に、「練習でもしておくか?」と顔を近づけられたときと同じような状況なのに──どうしてか、今は拒めそうにない自分がいた。
息を止めてしまうほど距離が縮まって、以前にはなかった“その先“を覚悟するように、私は思いっきり目をつむる。
そして、彼のかすかな香りを感じた、その瞬間。
「シェリル様、お待たせいたしました。紅茶のご用意が……」
不意に割り込んだ声に、はっとして目を開ける。視界に入ったのは、扉のところで紅茶を持っているあのメイドだった。
「失礼いたしました。お取り込み中でしたか」
彼女は何も見なかったかのように事務的に頭を下げた。
その対応が逆に恥ずかしい。いっそのこと「お熱いことで」とか「お邪魔しちゃいました?」とか、茶化してくれたほうがまだ気が楽になるのに。
「では、私は一度退室いたしますので」
「……っ、待ってください! メイドさーーん!」
身を引くように部屋から出て行こうとするメイドに、私はたまらず叫んでしまった。
*
恥ずかしい話だ。
どうやら私は、メイド──クロエさんがしたノックにも気づかなかったらしい。鼓動が大きすぎて、音が耳に届かなかったせいに違いない。
ソファに腰かけ、恥ずかしさのあまり手で顔を覆っていた。
「せっかくの紅茶が冷めるぞ」
隣からは、ぶっきらぼうな声。足を組んで座っえいるアレックス様は眉間にわずかなしわを寄せ、どこか面白くなさそうな表情を浮かべている。
「……そうですね。せっかくクロエさんが、私のために淹れてくれたんですもん」
手元に置かれたのは、カモミールティー。リラックス効果がある紅茶だとクロエさんが教えてくれた。そこに少量の蜂蜜を加える。口当たりがまろやかになって、香りも際立つそうだ。
数回ほどスプーンを回して、「いただきます」とティーカップを口に運んだ。
──ああ。たしかに、ほっとする……。
ほんのり甘い香りが鼻腔をくすぐる。紅茶の温かさが身体に染み渡っていくのを感じて、ふわりと身体の力が抜けた。
私のお願いを快く受けてくれたクロエさん。今度会ったときには、きちんとお礼とお詫びを言おう。そう心に決めながら、ゆっくりと紅茶を口に運んだ。
「落ち着いたか?」
「ええ、まあ」
「ならいい」
そう言ったあと少し間を置いて、アレックス様は視線を私に向け直した。
「さっきは……やりすぎたかもしれない。すまなかった」
意外だった。
いつも意地悪で、素直に謝る姿なんて想像すらしたことなかったのに。今の彼の声は本当に真摯的だった。
その声に押されるように私もアレックス様と向き合って、気持ちを紡いだ。
「あの、私、ちゃんとアレックス様のことは夫として意識しているつもりです。それと、ウィンストン家にもご迷惑をかけないように立ち振る舞わないと、とも思っています。今日のダンスのために、アレックス様だってお忙しい中ずっと……」
言葉の途中で、彼の人差し指が静かに顔の前に差し伸べられた。
「“アレックス“、だろ?」
数時間前、館に着いてすぐに言われたセリフ。
でも、あのときの意地悪な言い方ではなくて。優しく微笑みながら、確かめるように囁かれた。
そんなふうに言われてしまったからには、もう「意地悪だな」なんて思えなくなってしまう。
「……アレックスだって、お忙しい中ずっと私の指導をしてくれたんです。教えていただいたことを無駄にしたくありません」
膝の上でぐっと手のひらを握って、私も真摯に本音を伝えた。
アレックス様は、「そうか」と短く返すだけだったけれど。いつもの冷たい響きはなく、私への期待と信頼で満ちているように力強くて、澄み切っていた。細められた蒼い瞳からは、ずっと私のことを見守ってくれる安心感すら覚える。
普段との違いに気づいたその一瞬、彼の顔に見惚れてしまったのを自覚した。
「そろそろ時間か」
「はい」
「緊張はしていないな?」
「はい、クロエさんの紅茶のおかげで」
もちろん、クロエさんのおかげもある。
だけどそれ以上に、隣にいるアレックス様の穏やかな声と眼差しが、私の緊張をなにより和らげてくれていた。
「お前の努力は、ずっと見てきた。なら俺は、お前を誇れるようにしないとな」
頼もしいくらいの、やさしい笑顔。
彼が私を導いてくれるなら──きっと大丈夫。
「行こうか、シェリル」
「はい」
手を取り合い、部屋を出る。
廊下を歩く足取りは自然に重なり合い、緊張とはまた違った心の高鳴りが身体の中で響く。
いよいよダンスの時間が始まろうとしていた。
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引き続き、シェリルとアレックスのじれキュンをお楽しみください♡




