第13話 金髪の貴公子
残された私はひとり、豪華に並べられたスイーツの前に立っていた。
色とりどりのケーキ、艶やかなチョコレート、果物の彩りが映えるタルト──選びきれないほどの甘い誘惑からは、どうにも立ち去れそうにない。
──ん〜、これも美味しい。
気づけば四種類も平らげていて、つい舌鼓を打ってしまっていた。
──さすがに最後の一個にしよう。
別に、アレックス様に「食べすぎるな」とからかわれた言葉を気にしているわけではない。これは単純に、コルセットの締めつけがじわじわと苦しくなってきただけ。
そう思いながら、どれにしようかと目を泳がせていると──不意に、肩にどんっと小さな衝撃が走る。
慌てて体を引くと、目の前の人物も同じように体を引いていた。肩同士がかすかにぶつかったのだと気づき、すぐに頭を下げる。
「わっ、ごめんなさい! 全然周りのこと見えてなくて……」
「いえ、申し訳ない。こちらこそ不注意でした」
品のある声に顔を上げ、改めて相手をちゃんと見やる。
目の前にいたのは、背が高くすらりとした、顔立ちのいい青年。歳はアレックス様と同じくらいだろうか。淡い金色の髪は、光を受けて控えめに煌めいている。
そして、涼しげなエメラルドグリーンの瞳が申し訳なさそうに細められていた。
「お怪我はありませんか?」
彼は胸元に手を当て、軽く頭を傾ける。指先まで綺麗に整えられた所作は、思わず見惚れてしまうほど優美なものだった。
そんな彼の雰囲気に押されたように、私もかしこまって頭を下げた。
「はい、大丈夫です。あなたのほうこそ、大丈夫でしたか?」
「ええ」
端正な顔に浮かぶ微笑みはきりりと無駄がなく、大人の余裕みたいなものを感じさせる。
「どれも美味しそうで、目移りしてしまいますよね」
「そうなんです。私、甘いものには目がなくて……つい」
自嘲気味に笑うと彼は目尻をやわらかく緩め、目線を私に合わせた。
「その素直さは素敵だと思いますよ。取り繕うより、ずっと」
さらりと口にした彼の言葉は、どのスイーツよりも甘く聞こえた。
翠の瞳にじっと見つめられる。腰を少しかがめたときに揺れた彼の髪は、金糸のように光を反射していた。きっと誰もが「かっこいい」と口にするであろう顔立ちが、私の真正面にある。
──わ、近いっ……!
退院してからの七年間、まともに接した男性なんて、ロイド様とアレックス様くらいしかいない。色恋沙汰もなかった私には、今の彼の距離感は刺激が強すぎるくらいだ。
気づけば、半身ほどのけぞってしまっていた。
「失礼しました、不躾でしたね」
軽快されたように思ったんだろう。彼は姿勢を正し、穏やかな声で詫びてきた。
「いえ、私こそ。その、あんまり異性に慣れてなくて……すみません」
「そうなんですか? こんなにお綺麗なのに」
またしても、さらりと褒め言葉を口にする。
あからさまなお世辞とわかれば、それなにり適当にあしらえるのに。彼の所作はあまりにも自然体で、逆に緊張してしまう。
こういうときにどう反応すればいいのか瞬時に判断ができず、私は「とんでも、ないです……」と口をすぼめるしかなかった。
──うぅ、こういうときに気の利いた返しができればいいのに。
縮こまっていると、彼は口元に手を添えてくすりと笑った。
「すみません。実は俺も、あまり異性とは関わったことがなくて。いまいち距離感というものが掴めないんですよね」
「……冗談ではなく?」
つい問い返してしまう。
だって、流れるように女性を褒められる人が異性に不慣れだなんて。上品な所作も、自然に笑みを浮かべるその余裕も──どう見ても、場慣れしているようにしか見えない。
ちょっと嘘くさい、と思ってしまった。
「はい。昔は身体が弱くて、ずっとベッドの中にいましたから。接してきた女性といえば、世話をしてくれたメイドくらいなものなんです」
「奇遇ですね! 私も小さいときは病弱で……それはもう、ベッドが友だちって感じでした!」
「そうでしたか。これも何かの縁ですね」
この人も私も同じ病にかかっていたのかもしれない。
そう思ったら、一気に親近感が湧いてきた。
「実はさっきから『美味しそうに食べるな』って、あなたのことを見てまして。気になっていたんです」
「……えっ、ええぇ!?」
声が裏返る。あまりにも唐突な言葉に、心臓が跳ねた。頬に一気に熱くなる。
目の前で微笑む彼が嘘をついているようには見えないけれど。
──異性に慣れてないとか、絶対ウソ!
「わっ、私なんか、そんな……!」
慌てふためく私を前に、彼はにこやかに続けた。
「俺も甘いものには目がなくて。どれが美味しいのか気になっていたんです。おすすめのスイーツは、なにかありますか?」
その言葉を聞いた途端、とんでもない勘違いをしていたことを悟った。心臓がぎゅっと縮むような恥ずかしさに襲われ、頭の中で「うわあああ」と叫ぶ。
──気になってたって……そっちの意味か……!
彼は視線を並べられたスイーツへと移し、吟味するように一つひとつを眺めていた。気になっていたのは私ではなく、目の前の甘味のほうだったらしい。
「あ、えと、このチョコレートケーキとか。濃厚なのに口の中にくどさが残らないですし、どんな方のお口にも合うかと」
「なるほど」
ふんふんと頷いた彼がケーキに手にかけようとしたとき。
「ヴィンセント様」
彼の背後から、彼の執事らしき男性の声が聞こえた。その声に反応した彼は「どうした?」と執事のほうへ振り返る。
小さな声で二言三言、さりげなくやり取りを交わしたのち、彼──おそらくヴィンセント様は、こちらに一歩詰め寄ると優美に頭を下げた。
「急用が入りまして、残念ですが、あとでいただきます。教えてくれてありがとうございました」
「いえいえ、私なんかのご意見でよければ」
ぺこりとお辞儀を返すと、ヴィンセント様はさらに一歩近づき、耳打ちした。
「では、また後ほど。シェリルさん」
さきほどまでの穏やかな声ではなく、低くて、わずかに艶の混じった声。不意をつかれたように耳元に落ちた艶美な声色に、身体は硬直してしまった。
ヴィンセント様は何事もなかったかのように背を向け、落ち着き払った足取りで去っていく。私は目を丸くさせたまま、彼の背をぼんやりと見送しかなかった。
──距離感、おかしすぎだって……!
距離感が掴めない、というよりも掴む気がないのかもしれない。果たして無意識なのか、実は計算なのか。
なんにせよ、彼の言動に惑わされてしまう女性がたくさんいるんだろうなと、下世話な考えが頭を巡っていた。




