第12話 天邪鬼な彼
馬車が石畳を進むたび、車輪が小さく弾む。それに合わせるように、私の胸もどきどきと波打っていた。ほんの十分ほどの道のり。落ち着かない気持ちは、どんどんと強まっていく。
窓の外では館へ向かう馬車が数台見えた。きっとみんな、ロイド様とアンナ様を祝うために集まっているのだろう。華やいだ空気は、もう外からでも感じられた。
「そんなに緊張しないの。シェリルなら大丈夫よ」
隣に座るお母様が私の手を包む。
「だって……失敗できないし」
「失敗なんて誰にでもあるじゃない。大事なのは、最後まで堂々としていることよ。ねえ、あなた」
「あ、ああ……。そうだな」
お父様も緊張しているのか、声はどこか上ずっていた。
娘の大舞台を見守ると同時に、貴族の集まりで威厳を保たねばならない立場でもある。さらには、仮とはいえ娘を“婚約者“としてウィンストン家の息子──アレックス様の隣に立たせる。その重圧を思えば、緊張するのも無理はないのかもしれない。
「もう。あなたまでそんな調子じゃ、シェリルの緊張が解けないでしょう」
「あ、ああ……。そうだな」
同じ言葉を繰り返したお父様に、お母様は呆れたようにため息をついた。
でも、いつも通りのお母様の落ち着いた様子に、少しだけ緊張が和らぐ。私より緊張しているお父様のぎこちない声もなんだかおかしく聞こえてしまい、身体から力んでいたものが少しだけ抜けていった気がした。
*
やがて馬車が止まり、会場となるウィンストン家の館の前に降り立った。
大きな門から続いている庭には、色とりどりの装飾品が飾られいる。中はすでに多くの招待客で賑わっていた。
ドレスの裾を整えて足を踏み入れると、華やかな音楽と料理の香りに包まれる。ちょっとした祭事よりも、派手で豪華なパーティーだ。
「ロイド様、アンナ様。このたびは、ほんとうにおめでとうございます」
深く一礼し、祝いの言葉を述べると、二人は顔をほころばせて「ありがとう」と返してくれた。
寄り添うように立つ姿は、陽だまりそのもの。あたたかな笑みが二人分並んだ会場は、幸福感あふれる空気に包み込まれている。
「ぜひ楽しんでいってくれ」
「シェリルさんに喜んでもらえるように、デザートもたくさん用意しましたから」
「はい、ありがとうございます」
再度頭を下げて、その場から立ち去った。
次々と訪れる貴族たちに、ロイド様とアンナ様は一人ひとり丁寧に言葉を返している。疲れた顔の影すら見せない立ち居振る舞いに、尊敬の念すら覚えた。
そして私の両親もまた知り合いの貴族たちに声をかけられ、輪の中へと消えていく。
自然と一人になった私は、豪勢に並べられた料理のテーブルの前で足を止めた。
甘い香りに釣られたようで少しだけ自分が恥ずかしかったけれど、すでに視線は選り好みを始めていた。
「相変わらず、食い意地張ってるな」
不意に背後から声がかかって、びくりと背筋が伸びる。
「……アレックス様」
振り返ると、アレックス様が立っていた。
濃紺の燕尾服には金の刺繍が贅沢にあしらわれ、胸元には家紋を象ったブローチが光る。
普段の姿でも十分目を引く彼なのだが。今日はいつも以上に豪華な衣装に身を包んでいるせいか、オーラは格段に華やかで、この場の誰よりも目を引く存在に見えた。
恥ずかしい姿を見られたと思いつつも、負けじと口を開く。
「相変わらず、とはなんですか。アレックス様は……」
言いかけた瞬間、私の唇の前に彼の人差し指がすっとかざされる。その指に意識を向けられたせいか、気づけばアレックス様の顔は耳元まで近づいていた。
「“アレックス“、だろ」
囁くような声と意地の悪い微笑みに、今度は心臓がどきんと跳ねた。
──ほんと、心臓に悪い……!
けれど、彼の言う通りだ。
今日という日こそ「アレックス」と呼び捨てにしなくてはならない。過半数の貴族たちは、私たちの“偽りの関係”をなんの疑いもなく受け入れている。ここで怯んでしまえば、今まで積み重ねてきた努力も水の泡になってしまう。
熱を帯びた耳を押さえながら、私はぐっと息を呑んだ。
「……アレックス」
名前を呼んだ途端、彼の瞳がわずかに細められた。
からかいの色はなく、とても自然な微笑み。その眼差しからは、ほんの少しの温もりが感じられた。
「ずいぶんと見違えたな」
低く落ち着いた声が、パーティーの喧騒から切り取られたように耳へと届く。
──え? それって、まさか……褒め言葉?
予想外の響きに、私は口を開けたまま固まってしまった。目を見開きながらアレックス様を見つめていると、彼は訝しげに顔を傾けた。
「なんだ?」
「褒めて……くれてるんですか?」
「これを皮肉と取るなら、とんだひねくれ者だぞ」
そう言って、ちょっと呆れたように笑う。どうやら、アレックス様は本当に褒めてくれたらしい。
なんと思われようが関係ない、と自分に言い聞かせてきたはずなのに。
胸の奥に芽生えていた小さな期待は思いがけず、そしてあっけなく花開いてしまったようだった。
「……ありがとうございます」
声が震えていないか心配になって、つい俯いてしまう。耳から伝わるように頬まで熱くなっていった。
ちょうどその時、少し離れた場所から「アレックス卿」と呼ぶ声が響いた。アレックス様は軽く片手を上げて、呼び声に応える。
彼も忙しい身なのだ。主役のロイド様に代わり、来客への挨拶、貴族たちの取りまとめはアレックス様が担当していた。
第二子とはいえ、日頃からどんな場面でも冷静に判断できる彼の貫禄は、兄のロイド様とはまた違う種類の尊敬を集めていた。
「シェリル」
「……はい?」
「また夜に」
告げられた言葉に、どくんと身体が脈打ち、緊張の糸がピンと張る。思わず肩に力が入り、不自然なくらいに背筋も伸びた。
夜、アレックス様と踊る時間。その瞬間を思い描いただけで、胸がぎゅっと締めつけられる。失敗は許されない、というプレッシャーが全身を覆った。
私の緊張を察したのか、アレックス様は「大丈夫だ」とでも言うように、ふわりと頭に手を置いてくれた。大きくて頼もしい手のひらに、つい気を許しそうになったのも束の間。
「食べすぎて動けなくなるなよ」
「……っ、そんなになるまで食べません!」
にやりと口角を上げて、軽口を最後に彼は人混みに消えていく。その背中を見送って、ぽつりと言葉がこぼれた。
「もう……」
アレックス様らしいひと言。だけど、その一言でふっと肩の力が抜けた。
彼にはもう、私の性格や癖、どうからかえばどう反応するか、どう褒めれば心が動くか、きっとすべてを把握されているのだろう。
手綱を引かれている──悔しいけれど、今日だけは否定できそうにない自分がいた。




