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ある建築家の夢

 もちろん彼は元の世界に家族や友人があり、一級建築士という肩書を活かした地位とそれにふさわしい収入を得ていた。

 そもそもここに来たのは自分が望んだことではない。


 当然それに気づいたとき、すぐにどうやったら帰還できるかを模索する。


 いや、実際は模索しようとしたのだが、すぐにそれを諦めた。

 物理的にそれが無理だということを理解して。


 ……いつか聞いたな。

 ……こういうものを世の中では異世界転生というと。

 ……まさかそのようなもの全く信じていなかった私がそれを体験するとは。誰の差し金かは知らないが随分なものだな。

 ……だが、そうなると、私は向こうの世界で死んだのか?


 ……どうも、その記憶はないのだが。


 ……しかも、すべての記憶が消えたわけではない。

 ……現に、私は別の世界で生きていたことを知っている。


 ……試しに……。


 彼は建築に関わる公式を諳んじる。

 続いて、有名な建築物の名を挙げ、さらに自らが関わった建物について説明をする。

 心の中で。


 ……言える。

 ……ということは、最後の記憶の現場ではある例のバーで崩落事故にでも巻き込まれ即死したのか。


 ……まあ、それはそれとして……。

 ……これからどうする?


 実をいえば、現在の彼にとってこれが最も重要なことだった。


 ……順応するしかあるまい。

 ……幸いにも言葉は通じないものの、周りはそれなりに知性を持った人間たちの集まりのようだし、なんとかなるだろう。

 ……それに言葉は覚えればなんとかなる。

 ……その時間も山ほどある。

 ……なにしろ……。


 ……現在の私は赤子なのだから。


 元の世界で一級建築士という高いレベルの建築技術と知識を持った彼にとってそれが最高の幸運だったのかは微妙ではあるが、彼の新しい家族はアリターナ王国で男爵という爵位がある田舎貴族、と言ってもそれなりに広い荘園を持つその地方ではそれなりの名門といえる家柄だった。


 この国だけのことではないのだが、爵位持ちの貴族は自ら望まぬ限り戦闘に出ることはない。

 その点については必要に応じて徴兵される平民たちに比べれば遥かに恵まれた環境に育ったといえるだろう。


 ……もちろん望みを言えばキリがない。

 ……だが、目の前に広がる最悪のことを考えれば、これで十分に満足すべきであろう。

 ……なにしろたいした障害もなしに、自らの目的に向かって歩めるのだから。


 自らが転生者であることを彼が自覚してから十六年の月日が経ったその日。

 すでに、この世界に馴染んでいた彼は目の前の光景を眺め直し、満足そうにこう言った。


「やはり、ここはまったく素晴らしい世界だ」


 彼の目の前に広がる世界。


 それは人間と魔族の戦いが大詰めを差し掛かっているグラワニーたちの時代よりもかなり古い時代のものとなる。

 なぜなら、そこでは平民はもとより貴族の家でさえ木材で主要建材。

 土台はともかく構造物に石材を使用しているのは城塞くらいなのだが、高層建築の技術は持っていないため、住居区画としてつくることができるのは一階まで。

 内部空間が極端に少ない物見櫓を除けば高さのある石材建築の建物は存在していなかった。

 ついでにいえば、城塞の材料である石材であるが、これは採石場から切り出し軽く成型したものであり、のちに魔族の将グラワニーが仮王都建設時にこの世界で初めて大規模に使用したとされる質の良いコンクリートどころか、その数世代前の代物となる古代エジプトで使用されていたその祖先にあたるものすら使用されていなかった。


「ここは紀元をはるかに遡る日本の建築レベルを持つ地中海沿岸の世界といったところか」


 この世界の建築物の現状をそのように位置づけした彼は、誰ともわからない相手に皮肉を投げつける。


「どこの誰かは知らないが、門外漢の私にでもすぐにわかる、元の世界から上辺だけを拝借した貴族制度の導入する前に、住居環境を整えるべきではなかったのかな?」


 そう言ったところで、彼は自らがここにやってきた意味を見出す。


「……いや。つまり、私がここにやってきた理由がそれであるというわけか」


「そう言うことなら承知した」


「それに……」


「効率性だけを求められる決まり切った建物を産み出し続けるのは正直苦痛だった。なぜなら……」


「私が建築の世界に入るときに立てた目標は、永遠の時を生きる誰もが知る歴史的建造物をつくることだった。だが……」


「あの世界、特にどのようなものに対しても最高の効率性が求められ、修復にかかる時間と経費だけを根拠に古い建物を容赦なく破壊する日本においては、それを実現するのは事実上不可能だったのだから」


「だが、ここならそれが実現できる」


「つまり、ここは私の夢が実現するところなのだ」


「もちろんそれだけではない。歴史的建造物をつくるだけなら、それはただの売名建築屋だ。私はそれだけではなく、この国、いや、この世界の建築技術の向上のために持っている知識を根付かせる」


「まあ、これも十分な売名行為ではあるのだが……」


 そう言っても苦笑いする彼だった。


「では、そろそろ動くとするか」


 煉瓦。

 実を言えば、この世界で煉瓦が初めて登場したのはこの時代だった。

 そして、言うまでもないことなのだが、それを発明したのは彼ということになっている。

 もちろん彼自身は、多くの称賛を受けながら、心の中で苦笑いをしていた。


 ……まあ、私自身はこれを発明したわけではなく、技術を紹介しただけなのだが。

 ……だが、私が紹介した日干し煉瓦と焼成煉瓦は、用途によって使い分けるけることができるうえに比較的生産しやすいという特徴を持つ。

 ……それに、あのサイズの煉瓦が一番使い勝手の良いことは長い歴史によってすでに証明されている。

 ……これで本来なら解を見つけるためにおこなう試行錯誤、その時間を省くことできる。

 ……短期間に堅牢な建物をつくるのに便利な煉瓦はこの国の建築を大いに発展させるだろう。


 ……続いて煉瓦と同じくこの国のどこでも採れる材料を使用した初期コンクリートを、と行きたいところなのだが、その前に……。


 やりたいことが多すぎて、その順番を決めるのは一苦労なのだが、今の彼にとってはそれすら喜びでしかない。


 そして、その彼が次にこの世界に紹介すると決めた元の世界にあった技術。

 それは……。


 ……もちろんアーチ構造。


 ……これで見栄えの良い高層建築が可能になる。

 ……さすがに誰も彼もというわけにはいかないだろうが、それなりに建築に関わった者ならすぐに理解するだろう。

 ……もちろんすべてを隠し、その技術を秘伝にすることも、今の私にはそう難しいことではない。だが、私はすべての技術を公開する。まあ、それを応用、発展させられるかはこの世界の者たちの力量によるのだが。

 ……とにかく、いくつかの建物をつくり、その技術を実践する必要はあるだろう。


 ……幸いなことに多数の金鉱山を抱えるアリターナの王は建築に関して非常に熱心だ。

 ……建設資金は惜しみなく出してくれるそうだ。


 ……それから、せっかくつくった建物を蛮族どもに破壊されぬ手を打たねばならないな。


 ……拠点ごとに強固な城塞をつくる。

 ……こちらに関しては、私の知る最高の技術を入れる。

 ……だが、そこにつかわれるものについては技術の伝承はしない。

 ……それがこの国、この世界のためなのだから。


 ……さて……。


 ……この世界の攻城戦で使用される最高の武器は魔法。

 ……だが、あれも、砲弾の種類が違うというだけで所詮大砲のようなもの。物理的に防ぐ手段はある。

 ……問題はどこまでやるか。そして、どのようなデザインにするかということだが……。


 ……やはり、あれか。


 ……そうすれば、万が一、あのときの仲間がこの世界に来ていれば、私の存在に気づく……。


 ……ユーボート・ブンカー。


 ……それしかないだろう。

 

それから、長い月日が過ぎ、こちらに来て六十三年後。


 彼は臨終のときを待つだけになっていた。

 家族の声を聞き流しながら、目を閉じる。


 ……最初はどうなるかと思ったが、結果的には十分に満足できるものだったな。

 ……多くの建造物と、今やアリターナの建築には欠かせないものになった煉瓦やコンクリート、それに部分的にしか実現しなかったが、とりあえず高層建築技術の入口も紹介できた。そのおかげで私は建築に関する名声を得て、歴史に名も残る。

 ……そう。

 ……元の世界では絶対に得られなかったものをすべて手にしたのだ。

 ……戻りたいという気持ちがなかったわけではないが、これだけいい思いをさせてもらったのだ。こちらの人間として生を全うするのが最後の務めというものだ。


 ……それにしても……。


 ……誰がこの喜劇の演出家かはとうとうわからずじまいだった。一度会いたかったな。その演出家に。

 ……異世界に飛ばされたことへの文句をひとつ。こちらでこれだけの名声を得られたことと、本来の活動期間の倍の時間を建築物とともに過ごせたことへの感謝を言いたかった。


 ……それから……。


 ……あのバーに一緒に行った仲間たち。

 ……もしかしたら、どこかに会えるかもしれないと思ったが、叶わなかった。

 ……やはり、こちらに来たのは私だけだったようだ。


 ……まあ、それはそれでいいことではある。


 ……もっとも、これだけ国名や人名、その他多くが、薄っぺらなものであっても元の世界から輸入されているのだ。間違いなく遠い昔にも私の同類はいたはずだ。


 ……まあ、会ったこともない者に声をかけるのもおかしなものだが、その者のおかげで比較的すぐにこの世界に馴染めたのは事実。死ぬ前にその者にもとりあえず感謝すべきか。


 ……ありがとう。


 ……意識が遠のいてきた。


 ……そろそろ迎えが来たようだな……。


 ……そうそう。


 ……せっかくこのような世界に来たのだ。

 ……一度くらいは魔法を使ってみたかったな。


 ……それだけが心残りだ……。

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