勇者との正しい戦い方
魔族の将グワラニーの文官時代。
その後期に、人間社会に勇者と名乗る一団が現れる。
「……勇者とは、危機に瀕した人類を救う者。だったか」
「まったく笑わせてくれるものだ。今攻めているのは人間で我々は防戦一方ではないか。ここからどうやったら勇者とやらの力が必要なほど人間が危機に瀕するような状況なるのか教えてもらいたいものだな」
「まったくだ」
「自虐はそれくらいにしておけ。それで、おまえたちはどう思う?」
「以前も似たような輩は何人もあらわれている。おそらく今回もその同類だろう」
「まあ、流しの剣士たちが箔をつけるために自らの肩書に勇者の名を使ったに過ぎないのだろうな」
「だが、小さな戦果をとんでもないものにされて人間たちを勢いづかせては面倒だ。どんな小さいことでもこれ以上状況が悪くなることは避けねばならない」
「そのとおり。偽りの戦果に引き寄せられて大きな集団の核になられる前に潰しておくのがいいだろう」
その情報を手に入れた魔族軍の幹部たちが目障りであるその一団の殲滅を命じたのは教官二人に率いられた二十人の新兵たち。
実戦訓練を兼ねて彼らを差し向けたのだが、その全員があっさりと返り討ちに遭う。
それを繰り返すこと数度。
相手がその程度では簡単には討ち取れない輩であることを悟った魔族軍はその規模を拡大していく。
最初の討伐部隊を派遣してから五十日後には予備部隊を中心とした五十人。百日後にはそれは倍にまで増える。
だが、結果はまったく変わらない。
いや。
派遣している数が多くなっているのだから、被害だけは右肩上がりになっていく。
やがて、魔族側はその質が格段に上がった部隊を送り出すようになるのだが、ここでその副作用が各地で出始める。
勇者討伐に熱中するあまり一線級の戦士や魔術師が引き抜かれた前線部隊は戦線維持すら困難になってきたのである。
さらに、悪いことは続く。
まるで、それに合わせたかのように、国境をはじめとする多く利害でいがみ合っていたはずの人間たちが一時的な同盟を結び、一斉に大攻勢をかけてきたのだ。
当然魔族軍は敗北を重ねる。
「……これまで利害対立を一時的にも棚上げできなかった奴らがそんな大掛かりな同盟を結ぶことができるとは思わなかった」
「盟主はブリターニャらしいが、やつらこそがこれまで対立の原因をつくっていたのではないのか」
「そもそもかの国にこれだけ大掛かりな同盟をまとめ上げるだけの力量がある者がいるなど聞いたことがないぞ」
「だが、フランベーニュはアリターナだって同じようなものだろう」
「……いったい誰だ?余計なことをした仕掛け人は」
「……そんなことはどうでもいい」
「そのとおり」
「……我々にとっての問題は誰が仕掛け人かではなく、この同盟そのものだろう」
「……まったくだ。よりによってこんなときに……」
「と、とにかくまずは諸悪の根源である勇者どもを血祭にあげねばならない」
「そのとおり。勇者たちさえ始末できれば他は腰を落ち着けて対処できる。そうすれば、同盟があろうなかろうが押し返せる」
そう喚き散らしながら右往左往する軍幹部の将軍たちの様子を冷ややかに眺めなる人間種の若い男。
もちろんグワラニーである。
……勇者一行はたしかに強い。
……そこは間違いない。
……前面に立つ三人の剣士は噂の人狼のなかでも特に腕が立つ。
……通常の兵士ならキルレシオ三対一、たとえ相手が人狼であっても一対一である魔族軍の戦士たち数十人を簡単に切り倒すのは尋常な剣技ではないのだから。
……もしかしたら、後方に控える魔術師によるなにかしらの支援魔法によるものかもしれない。
のちに数万の敵を一瞬で壊滅させる魔法を戦いの根幹に据えるグワラニーだが、このときの彼はまだ一介の文官。
軍略自体ももちろん素人だが、魔法に至ってはさらにわずかな知識しかない。
それを基にしているのだから、魔術師は剣士の補助役程度にしか思っていないのも致し方ないところであろう。
ゼロに近い魔法の知識を総動員させた彼の結論。
それがこれである。
……そうであればこちらも同じようにおこなえばよい。現に、最近の討伐軍には何人もの魔術師が同行している。
……だが、状況が改善したという話はない。
……つまり、魔術師の影響ではないということになる。
彼のもとにはまだ噂程度しか届いていなかったのだが、この時それなりの質と十分な数を揃えた魔族兵が戦いのたびごとに壊滅していた要因は、「銀髪の魔女」と呼ばれ始めた女性魔術師の攻撃魔法だった。
だから、魔術師の影響ではないというこの時のグワラニーの推測は間違いとなる。
もっとも、彼が想定していたのはこの世界ではほぼないと言ってもいい攻撃力を強化する支援魔法であったのだから、その点については当たっていたと言えなくもない。
いずれにしても、このときの彼が得られる情報は会議室から漏れ聞こえるものだけ。
これでも十分な推測と言えるであろう。
彼の思考はさらに進む。
……こんなことをしていても損害を増やすだけで埒が明かない。
……こうなったからは、将軍クラスの者が出向くしかないだろう。いや……。
……それよりも、王都に駐屯している軍を根こそぎぶつけるほうが手っ取り早い。
心の中ではあるが、それを口にしたところで、グワラニーに疑問が浮かぶ。
……なぜそれをやらない?
……王都に駐屯している軍のうち、最低でも数万、その気になれば五万の兵が動かせる。しかも、指揮官も一線級の将軍たち。
……それなのに……。
だが、王都に駐屯している軍をわずか五人の勇者一行にぶつけるというこの策は、軍略に関しては素人ではある彼でも考えつくようなこと。
当然軍幹部たちの頭にだって思い浮かぶはず。
……つまり、わかっていながらそれをおこなわないということか。
……では、その理由はなんだ?
真っ先に思い浮かぶ答えはそれでも勝てないということなのだが、さすがにそれは考えたくない。
それ以外になにか理由になるものはあるのか。
……勇者と名乗っているものの、彼らは正規軍ではなく、冒険者と呼ばれる流浪の人間たち。そんなやつらにエリートで構成された五万もの大軍をぶつけるのはプライドが許さない。
……選民意識の塊である軍幹部ならあり得る話だ。だが、ここまで来てはそんなことを言っている場合ではないのは彼らでもわかるはず。ということはこれも違うということか。
……では、五万もの兵が目の前に現れたら奴らは逃げるから?
……これは十分にあり得る。
……しかも、逃げ出した先でまた暴れられたら、五万の軍はそちらに向かわなければならない。そうなればイタチごっこ。
……さらにいえば、五人対五万と簡単に言っても、その大部分は戦闘に参加できない遊兵になってしまう。
……混乱に乗じて逃げられる可能性もあるし、大軍を派遣するということは後方支援もそれなりの規模になる。
……勇者たちの目的も王都の精鋭を引きずりまわすことなのかもしれない。
……将軍たちはそれを疑っているのかもしれないな。
……単純に多数の兵士を派遣すればいいというわけではなく、奴らが戦いに乗って来る程度の数で叩くしかないということか。
……勉強になった。
自問自答の結果ではあるが、とりあえず終着点に辿り着いた彼の思考は、次の課題に進む。
……そもそも本当の強者である勇者を倒さなければならないものなのか?
実を言えば、彼が軍を率いるようになってからの戦い方の根本はこれであるだが、この考え方は彼が以前から持っていた、読破した数多くの小説の一部に対するアンチテーゼのようなものでもあった。
……まあ、物語の構成上仕方がないのだろうが、多くの地域に侵攻しているはずの敵が、わずかな数の者たちに対して主力を引き抜いて戦いを挑む。
……しかも、絶対に勝てる戦いならともかく、五分五分の相手に対して、毎回小出しに兵を送るのは不自然。
……そもそもどれだけ強くても軍どころか部隊とも呼べない規模しかいない者たちの戦果など、戦局そのものにはたいした影響は出ないのだから、相手にする必要があるとは思えない。
……もちろん勝利を続ける彼らはその武名こそ残るが、数がいない者たちの影響下にあるのは彼らが立っている周辺のみ。面どころか線でもない。
……その点のような存在でしかない彼らをやり過ごし、彼らがいなくなったところで改めて解放された地域を占領し直せば結局何も変わらない。
……絶対的強者である彼らはあくまでその世界にとって特別な存在。そして、その後ろにいるのは十分に戦える程度の相手。
……わざわざ強者と戦って戦力を削るより、勝てる相手と戦うべき。
……そうすれば戦力は維持され、占領地も変わらぬ。
……これこそが勇者と呼ばれる者たちとの正しい戦い方だ。
……それがわからぬとはプライドだけが高いただの愚か者。滅ぼされて当然の輩というところか。