初陣
魔族軍の将アルディーシャ・グワラニー。
公式記録では彼の初陣はロシェの町を襲撃したものとされている。
もちろんその準備段階で旧魔族領各地に姿を現していたときこそが彼の初陣であると主張する者も一定数いるのだが、いずれにしても彼の初陣は自らの部隊を持ってからであるというのがこれらすべての意見で一致していることには変わりない。
だが、実を言えば、彼が最初に戦場に出向いたのはそれより十一年も前のことであり、さらにその後も度々戦場に姿を現していた。
もちろん戦地に行ったといっても、人間種であり、文官という職業柄そのような嗜みもない彼が実際に剣を振るったわけではなく、後方要員として、武器や食料などの必要物資を前線で戦う兵士に届けること、そして、王都へ戦況を報告することが役目だった。
だが、その時に彼はその目で見て、そして、体験した。
本当の戦いとはどのようなものかということを。
そして、この時期に凄惨なシーンを数多く目の当たりにしていたために、指揮官として戦場に立ち、グロテスクな場面に直面する、または部下たちにそれをおこなうことを命じなければならない事態になったときでも冷静に対応できたのだともいえる。
もっとも、自らが最初に指揮した一連の戦いが終わったあと誰もいないところで嘔吐し、その後長い間悪夢にうなされていた事実を考えれば、それらはすべて表面上のことであったことはほぼ間違いないところであろう。
その大部分の者には認定されない幻の初陣。
そこから数えて七度目となる任務を終え、王都に戻る馬車内でグワラニーはこう呟いていた。
……今回はとくに酷かったな。
……そして、改めて思う。
……これは物語やゲームではない。
……文字通り、自らの命をかけた、生きるか死ぬかの戦いだ。
……法やモラルを守って名誉や名声とともに潔く敗北するのと、後世の歴史家や単なるギャラリーでしかない部外者に後ろ指を差され、悪名が歴史に残ろうとも、とにかく勝利を得ること。
……現場を任せられた指揮官がそのどちらを選択するかなど考えるまでもないことだ。
……しかも、魔族にとって敗北は即、自らの死に直結する。
……自らと配下の兵たち、さらにその翼の下で震える民たちが生き残るのであれば、どのようなモラルに反する行為であろうが、それをおこなうことを指揮官が躊躇するなどありえぬことだ。
……いや。あってはならないとさえいえるだろう。
……もちろん私が指揮官であっても、同様の判断をする。
……それに、この世界でおこなわれている魔族と人間との戦いにおいては元の世界にあるような戦時国際法的なものは存在しない。
……つまり、どのような手段を使っても法的にだって問題はない。
……もっとも、元の世界にあったあの大仰な条約だってそれによって罰せられるのは常に敗者。
……勝者は、自らが犯した罪をすべて敗者に擦り付ける。
……たとえそれができなくても、うやむやにしたうえ、こっそりと闇に放り込むことはできる。そして、後世の歴史家がその非道を発見したときには時効が成立し、汚名は残るかもしれないが、当事者にはお咎めはやってこないという構図だ。
……まさに「勝てば官軍負ければ賊軍」なのだ。
……つまり、始めたからにはどんな残虐行為をしてでも勝たねばならない。戦いというものはそういうものなのだ。
……法律やモラルに縛られて死ぬことなど御免被る。
……生き残るためなら、そんなものはいくらでも踏みにじり唾を吐きかけてやる。
心の中で、元とはいえ、二十一世紀の日本の住人とは思えぬ身も蓋もないことを言ってから、彼はさらに思考する。
……それにしても不思議なものだな。
……モラルの欠片もないような世界。しかも、このような状況にもかかわらずそれを厳格に守っていられるとは……。
グワラニーが心の中でそう呟き、驚いていたもの。
それは魔族軍内に存在する封建社会に伝わる騎士道精神のような奇妙な慣習だった。
……魔族社会では戦いに参加するのは純魔族の男のみ。人間種は女だけではなく男も守るべきものとして戦場に立たせることはしない。
……そして、その基準は実際の戦闘だけではなく、戦場からの離脱や撤退の際にも徹底されているのは今回も含めて何度も確認した。
……もちろん、普段純魔族に比べて数段階低い地位に置き、あれだけ見下している人間種とともに戦うことをよしとしないし、まして人間種よりも純魔族の兵士が先に逃げるなど絶対に許されないという純魔族の選民意識やプライドがその理由の根底にあるのは間違いない。
……だが、これが人間社会なら、そのような身分の低い者は作戦上死ぬべき者が必要となった場合に真っ先に選ばれ、ひどいときには弾除け代わりに使用されて捨て駒以下の扱いで消費されていくはずだ。
……そこは魔族社会の美点として評価すべき点であろう。
……そして、それが苦境のなかでも内部崩壊が起こらない理由ともいえる。