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加速する青空

作者: H.

加速する青空


一章「龍ちゃん」


これは僕と、僕の高校時代の最高の友人であった龍ちゃんと、僕らの最高の担任教師であった太田先生の三人だけの話で、それをできるだけありのままに書き記したいと思う


僕にとって高校三年間を共に過ごした龍ちゃんは本名を龍之助といって、同級生からも「龍ちゃん」と呼ばれていました


そして僕らの担任であった太田先生は龍ちゃんのことを「龍之助」と呼んでいました


僕と龍ちゃんが出会ったのは静岡の高校に入学した初日で、まだお互いのことを知らなかったので皆なんとなくよそよそしく、同じ中学から来た子たちが少し話しているくらいでした


僕はというと、誰か話しかけられそうな人はいないかなと周りを見ていた時、廊下の窓から外を見ている龍ちゃんが目に止まりました


皆まだ入学初日で教室や校舎に興味があったのに、なぜか龍ちゃんはずっと窓から見える景色を見ていました


でもそれは所在なさげとか、寂しそうとか、学校が嫌だとかそんな雰囲気じゃなく、なんだかとても自然に、窓から見える春の美しい箱根の山々を穏やかな表情で見ていたのを今でも憶えています


少し不思議だったのは、そのとき龍ちゃんは開いた校舎の窓枠の上に手をついて外を見ていたのですが、その窓枠には目に見えてかなり埃が溜まっていて、なのに龍ちゃんはそのことをちっとも気にしていませんでした


だから僕が初めて龍ちゃんに話しかけた言葉は、「手、ほこり付くよ?」でした。我ながらつまらないことを言ったもんだなって思います


すると龍ちゃんは僕の方を見て、少しきょとんとした表情をしてから、自分の手を見て、「ああ…大丈夫。大したことないよ」と言いました


それはとても穏やかな笑顔で、僕はなんだか不思議な子だなって思ったことを覚えています


それからしばらく僕と龍ちゃんは一緒に外を眺めたりしながら、お互いの名前だとか、どこの中学から来たかとか、実にありふれたことを話して、そこから僕と龍ちゃんは少しずつ親しくなっていきました


龍ちゃんは何というか…実際の年齢よりもだいぶ落ち着いた雰囲気がある子で、普通高校生男子っていったら友達でも喧嘩したり、険悪な雰囲気になることくらいあると思うのですが、龍ちゃんと一緒に過ごした三年間で龍ちゃんが怒ったところや感情的になるところは一度も見ませんでした


けれど龍ちゃんは理不尽なことに対しては、相手が怖そうな上級生だろうと毅然とした態度をとれる人で、それも自分のためじゃなく常に他人のためでした。そんな性格だから、龍ちゃんはクラスでもとても人望がありました


けれどその高校生にしては高すぎる精神年齢は、時に龍ちゃんの背景にあるものの重さを物語っているようでもあり、それはまるで少年時代を奪われてしまった人のようにも思えました


当時はその理由は聞いてはいけないことのような気がしていて聞くことも憚られました。けれどもし聞いたところで、おそらく龍ちゃんは適当に話をはぐらかして話さなかったのではないかと思います


でも、それでもやっぱり一度は真剣に聞いてみるべきだったと後悔していて、今も僕の心に棘のように刺さったままでいます


龍ちゃんとは学校でも放課後も、色々なところに出かけて遊んだり、本当に沢山のことを話したけれど、お互いの家にだけは行ったことがありませんでした


二人とも家庭環境に恵まれていなかったために家に友達を呼べる状態ではありませんでした


僕の家はよくあるような父親が家族に暴力を振るうといった類のもので、母親は不倫をしていているという、絵に描いたようなありきたりな崩壊家庭でした


それに頻繁にではないけれど僕の姉は父親の性暴力の対象になっていたために、何度か家に警察が来ることもありました


けれど僕が感じていた龍ちゃんの抱える苦悩は、僕よりももっと深刻なものであるように感じられていて、そこだけは深く聞くことが憚られました


そうそう、僕と龍ちゃんは出席番号が近かったから、授業などでも同じ班になることが度々ありました


体育のスポーツテストの時なども、三年間ずっと僕と龍ちゃんは50m走を一緒に走っていて、僕は足が別に速い方ではありませんでしたが、龍ちゃんは見た目は凄く速そうなのに、走るのは遅くて、三年間ずっと龍ちゃんは僕より後にゴールしていました


そんなこともあり、僕は後から息を切らしてゴールする龍ちゃんに、三年間「龍ちゃんは見かけ倒しだなぁ」と言っていて、龍ちゃんはそれに対して「うっせ」と答えるのが毎年のスポーツテストでの僕らの恒例行事のようなやりとりでした



二章「太田先生」


そして僕と龍ちゃんにとって、そしてクラスにとても大きな存在であったのが、僕らの担任であった太田先生でした


太田先生と僕らが最初に出会ったとき、太田先生は二十六歳で、僕らのちょうど十歳年上のまだ若い先生でしたが、当時の僕たちには随分年上の大人のように見えていて、太田先生は多くの生徒に信頼され尊敬されていました


それは太田先生の人柄によるもので、誰に対しても公平で、そして生徒のことを四六時中考えているというのが僕らに伝わってきたからだと思います


太田先生は全く怖い先生ではありませんでしたが、生徒を想い、真剣に向き合っていることは子供にも伝わるもので、他の教師に対して反抗的だった生徒たちでさえ太田先生が真面目に叱っているときは逆らうことはありませんでした


そんな太田先生は僕らが高校二年生の時に御結婚され、クラス全員でお金を出し合って大きなベンジャミンという観葉植物を太田先生にプレゼントしました


のちに太田先生は育て方を間違ってベンジャミンを枯らせてしまったようで、ばつが悪そうに僕らに報告しましましたが、その報告にも僕らは文句を言いながらも笑っていて、僕らと太田先生にはなんだかわからない、そんな信頼がありました


僕と龍ちゃんも、二人で話している時に特に太田先生の話題を沢山していたわけではありませんが、わざわざ言わずとも、お互いが他の生徒たちと同様に太田先生を敬愛していることは感じていました



三章「山へ」


そんな風に僕と龍ちゃんは、平凡だけれどそれなりに楽しく高校生活を過ごしていたように思います


僕らは学校でも休みの日にもよく一緒に過ごて、自転車で色々なところに出かけけがら、とりとめもない話をして笑いあっていました


教室の窓から見えていた箱根の山々は、僕らの家庭環境からくる憂鬱さをいつも慰めてくれていたように感じていました


とくに僕の席は幸運にも窓側であったため、授業中はよくその山々を見つめながら、現実の生活から離れ、あの山に行けば違う景色が見えるんじゃないかという馬鹿げたことをいつも考えていました


高校二年生の初夏のある日の、そんな気持ちをとうとう抑えられなくなった僕は、昼休みに龍ちゃんに「今から窓から見える山に今から行ってみる」という話をしました


すると龍ちゃんはまるで当然のように、「じゃ、一緒に行くわ」と即答しました


いつも冷静で聡明な龍ちゃんがなぜそんな馬鹿げた行為に付き合ったのか、あるいは龍ちゃんの中にも僕と同じような気持ちがあったのか、それは今もわかりません


けれど一緒に行かないかと誘ったわけでもないのに、その応えが返ってきた時、僕はなんだか心に暖かい火が灯ったような、本当に龍ちゃんは大切な親友だと感じたことを憶えています


そして僕たちは深く考えもせず、学校を抜け出して山を目指して歩き出していました


教室の窓からいつも見ていた山々は思いのほか遠くて、山の麓にたどり着くだけでもそれなりの時間を要したけれど、僕らはいつものようにとりとめもないことを話し笑いながら、よし登るか!といった勢いのままに山を登り始めました


山は人の手がほとんど入っていない入っておらず、山道らしい山道もなく僕らは学生服のままで、けもの道のようなところを登っていました


僕は龍ちゃんといることで不安もなく、龍ちゃんもいつもと変わらず、僕らはとりとめもない話をしていました


たまに滑り落ちそうになって「うわっ」となったり、気合を入れて急斜面を地べたに手をつきながら、二人で笑いながら上へ上へと登っていきました


龍ちゃんと一緒にふざけながら過ごす時間は、本当に心から楽しかった。本当に…


もちろん二人とも本心では、頂上にたどり着いたところで僕らの家庭環境が変わったり、人生が大きく変わったりすることなんてないことは分かっていました


それでもその行動には僕らなりの、ささやかな人生への抵抗や願いが込められていたように思います


それとは逆に、僕と龍ちゃんは自分たちの存在など大して気にもされていないだろうと思っていたので、二人で授業を抜け出したことも、「明日太田先生にちょっと怒られるかもね」くらいの話しかしていませんでした


けれど僕らが山を登っている頃、学校では生徒二人が消えたことが発覚し、大騒ぎになっていたそうです


僕らは自分達が思っていたよりも真面目な生徒だと思われていたようで、当時学生の自殺事件が続いていたこともあって、後からクラスメイトから聞いた話では、僕らの姿が消えて家にも帰ってないことが分かり学校では僕らの本格的な捜索が始まっていたそうです


そんなこととはまるで思っていなかった僕と龍ちゃんは、ひたすら山を登り続け、夕方頃にはなんとか山頂にたどり着くことができました


山頂に着いた時には二人とも汗だくで、感傷的な気分というよりも山登りの達成感のようなものの方が大きかったように思います


やっぱり教室の窓から毎日のように見えていた山の頂上に来たところで、それが「今の場所に」なってしまうだけで、何かが変わるわけではないということは確かでした


けれどそれでも僕らにとって山頂から見る夕暮れの景色はとても美しく見えたことを憶えています


しばらくその景色を見た後、僕らは下山する事にしました


しかし、登山道のない山道はすぐ暗くなってしまい、僕らはあっという間に帰り道を見失ってしまいました


初夏でしたし、低山であったこともあって学生服でも寒くはなかったけれど、どんどん暗くなって、僕らは完全に遭難していたんだと思います


まだ携帯電話を高校生が持っているような時代ではなかったから、連絡手段もなく、僕らは本当は少し危険な状況だったのかもしれません


けれど僕と龍ちゃんは「俺ら遭難してるんじゃない?」といったことを笑い合いながら言っていて、街を目指して森の中を歩いていました


正直、全然怖くはありませんでした。そしてそれは間違いなく龍ちゃんがいてくれたからだと思います


しかしその頃には、もう僕らの失踪は学校の中だけの問題では収まらない大騒ぎになっていて、警察にも連絡がいき、先生たちが僕らの捜索をしてくれていたそうです


特に太田先生は、一晩中、車を走らせて僕らを探し続けながら、僕らが立ち寄りそうなあらゆる場所で、僕らを見かけたら連絡してもらえるように頭を下げてお願いして回ってくれていたことを、僕たちはあとから人づてに聞く事になりました


山の中を彷徨った僕と龍ちゃんも、翌日の昼近くになり、クタクタになりながらもようやく下山する事ができました


流石に疲れ果てていた僕らは、元の山とは全然違う山裾にあるわさび畑のそばの農道で座り込んでいて、そんな僕らを、学生がいなくなったことを聞いていた近所の人が見つけて通報し、警察と消防の人が来ました


想像もしていなかった騒ぎになっている事に僕と龍ちゃんは少しあっけにとられながら、なにがなにやら分からないまま、名前や体調について聞かれるがままに答えていました


そんな事態になりながらも僕らの親は迎えに来ていませんでしたが、僕も龍ちゃんも「どうせうちの親は来ないだろう」と思っていたので、それほど落胆してもしていませんでした


むしろ僕も龍ちゃんも、「こんなに大騒ぎしなくてもいいのに」と思っていましたが、そうしていたところに、太田先生が車で駆けつけてきました


太田先生のオンボロの茶色いセダンはいつも学校の駐車場で見ていたので、「あ、太田先生来たよ」と呑気に龍ちゃんに言ったことを覚えています


しかし車から飛び出してきた太田先生は、遠目にも一晩中山の中を彷徨った僕ら以上に憔悴している様子でした


ぐしゃぐしゃになった髪の毛と汗でたびれたワイシャツ姿で僕らの方に駆け寄ってくる太田先生を見ながら、僕も、おそらくは龍ちゃんも「これは流石に殴られるな」と覚悟していました


当時はまだ体罰が普通にあった時代で、問題を起こせば体育教師に平手打ちされるくらいのことは普通にあって、太田先生はそれまで生徒に対してそうしたことを一度もしたことはありませんでしたが、僕は家庭環境のせいで殴られ慣れていたので、平手打ちくらいどうとも思っておらず呑気に構えていました


駆け寄ってきた太田先生は僕らを殴りはしませんでしたが、やっぱりものすごく怒っていて、顔を真っ赤にしながら僕らの制服を強く掴んで、「お前ら何考えてるんだ!」とか「どれだけ皆に迷惑かけたか分かってるのか!」といったことを言いながら怒鳴っていました


けれど太田先生は怒鳴りながらも涙が溢れ出し、ボロボロとこぼれ落ちる涙をとめることができずにいました


太田先生の説教の内容はほとんど頭には入ってきませんでしたが、顔を真っ赤にして叱りながらも安堵で涙が止まらない太田先生の姿を見ながら、僕も龍ちゃんも、太田先生をこれほど心配させてしまった事に対しては本心から悪いことをしたなと思って、しょぼくれていたのをよく覚えています


その時、僕と、おそらく龍ちゃんにとっても太田先生が本当に特別な担任になった瞬間だったように思います


僕にとっては太田先生は、両親よりもずっと信頼できる大人でした



四章「校章」


そんな、ある意味では充実した高校生活を過ごしていた僕と龍ちゃんも三年生となり、卒業の時期が訪れました


当時は大学進学率も今ほど高くはなく、また僕らの高校は工業高校だったので進学組よりも就職組の方が多数派でした


僕と龍ちゃんも就職組で、僕は東京の企業に、龍ちゃんは地元の企業への就職が決まっていました


僕が東京で就職することにしたのは、なんとなく一度は東京に行ってみたかったのと就職先の企業に寮があって、やっと家から出られるといった程度の理由だったので、仕事内容や企業に思い入れは全くありませんでした


対して龍ちゃんは地元の企業に就職が決まっていて、その選択をした理由を聞いても「まあ、近いし」くらいしか言わなかったのですが、成績優秀であった龍ちゃんがなぜ地元の企業に行くことにしたのかその時はよく分かりませんでしたが、「龍ちゃんは僕以上に拘りがないのだろう」くらいに考えていました


そうしたことから、僕らは卒業後は物理的には離れ離れになることになったのですが、住む場所が変わった程度で僕は龍ちゃんとの友情が途切れるとは微塵も考えていなかったので、寂しいという気持ちはほとんどありませんでしたし、龍ちゃんもそのことを大して気にしている様子はなく、だから僕は卒業することにそれほどの感慨はありませんでした


けれども、卒業式の日の夢のような光景は昨日のことのように覚えています。本当によく覚えています


僕らの高校は世間の注目を集めるような名門校ではありませんでしたが、校舎は丘の上にあって、その道は長い長い桜並木になっていて、卒業シーズンはその坂道が桜で埋め尽くされていました


特に僕らの卒業の年は快晴で桜が満開であったため、卒業式の日、僕らの高校はまるで桃源郷のような美しく彩られていて、僕は「今日この日、ここよりも美しい場所はないだろう」と思うほどでした


僕らの卒業式は滞りなく行われ、有名なオリンピックの金メダリストの方が来て体育館でスピーチをしていましたが、僕も龍ちゃんも、そしておそらくはクラス全員にとって、有名人のスピーチよりも太田先生との最後のホームルームの方がずっと心に残ったように思います


太田先生は最後のホームルームでなにも特別な話はしませんでしたし、これからの人生のアドバイスなどもしませんでした


太田先生は、ただ僕らとの三年間のとりとめもない思い出を話をして、一人一人の生徒との思い出を話してくれて、その間、僕らの教室は終始暖かい空気に包まれていました


もちろん僕と龍ちゃんと先生の思い出話は、僕らが山に登ったことで、でも太田先生も笑いながら懐かしそうに語ってしました


そうした話をしている間、教室の温度が少し上がったような、ふわっとした心地よい暖かさに包まれていて、家では一度として感じたことがないような、本当に幸福な空間でした


そんな小さな奇跡のような時間もやがて終わり、太田先生とのお別れを済ませた僕らは、卒業証書の筒を持って遂に校門のところまで歩いてきました


僕にとっては大した思入れもなかった校舎だったけれど、三年間通った学校ともお別れかと思うと自然と僕と龍ちゃんは校門の前で立ち止まって校舎を振り返りました


校舎の壁には、僕らが三年間まじまじと見ることはなかったけれど、確かにいつもそこにあったはずの校章がきらきらと輝いていました


何本もの満開の桜に囲まれ、快晴の青空のもと、その校章は光を浴びて輝く水面のようでした


陽光にゆらめくように光る校章はまるで白昼夢のようで、いつまでも見ていられ、僕と龍ちゃんは黙ったまま長いこと二人で校章を見続けていました


あまりにもその光景が美しくて、なかなかその場を離れられずにいた僕らでしたが、やがて龍ちゃんが「行こうか」と言い、僕も「そうだね」と言って、校門を出ました


桜並木の丘を降りて行く時、僕は龍ちゃんの表情をしっかり見ていたわけではありませんし、特に何かを話した記憶もありません。二人とも心地よい春の空気と桜の花に包まれながら歩いていました


何の言葉がなくても、それは本当に美しく幸せな時間でした


やがて僕は、いつも龍ちゃんと帰宅の道が分かれる場所にたどり着きました


その時の龍ちゃんの顔はたまたま逆光でよく見えず、今もどのような表情であったのか思い出すことはできません


一瞬、龍ちゃんの顔を見たいなと思ったのに、顔を見たいからと位置を変えるのは何だか照れくさくてできませんでした


ずっとなぜあの時しっかりと龍ちゃんの顔を見ておかなかったのかと悔やんでいますが、もし見たとしても、きっと龍ちゃんはいつもと変わらない穏やかな表情だったのだろうという気がしています


僕はそれまでの三年間と同じように、「じゃ、またね」といい、龍ちゃんも「うん、また」といいました


そうして僕らの幸せな三年間の高校生活は終わりを告げました



五章「電話」


卒業して数日の間、僕は特に龍ちゃんと連絡を取ることもなくぼんやりと就職のことを考えていました


それまでは短期のアルバイトの経験くらいしかなく、両親も就職や働くということに対して適切なアドバイスをくれるようなタイプではなかったため、就職するとか東京で寮で生活するといったことに実感が湧かず、自分自身の気持ちが定まらないような、ふわふわとした感じで僕は過ごしていました


そんな日の夜、僕がぼんやりと部屋で漫画を読んでいた時に家の電話が鳴る音が聞こえてきました


電話には母親が出て、狭い家でしたから声の大きい母親の電話口での声は僕の部屋にもなんとなく聞こえていて、母親の返答から、その電話が学校からのものであることがなんとなく分かりました


だから僕は漫画を読むのをやめて、その声に聞き耳を立てました。 最初はなにか学校に忘れ物でもしたかなと思っていましたが、そのうち母親が驚いたように声を上げました


その声は、驚きと共にわずかな高揚感を含んでいて、非日常的なことが起きた様子でした


その瞬間、僕はなんだかとても嫌な予感がしました


少しして、母親が僕の部屋に電話の子機を持って来たとき、僕の嫌な予感は確信に変わりました


そして母親は太田先生からだといって、受話器を渡してきました


僕は条件反射で受話器を受け取りながら、その電話に出たくないという気持ちと、自然と受話器を耳に当ててしまう自分の体の動きの乖離を強く感じていました


電話に出て、小さな声で「はい」とだけ言った僕に、太田先生は僕の名前を呼んで、「元気か?」と聞きました


その声は淡々としていましたが、いつもの太田先生の温かみを感じない、なにか淀んだような声でした


僕は再び「はい」とだけ答えました


太田先生はもう一度僕の名前を呼び、そして「落ち着いて聞いてくれ」と言いました


僕はもう、その先を言うのをやめて欲しいと心の中で叫んでいました。本当に叫んでいました


なにか直感のようなものが、とても悪いことが起きて、それがおそらく龍ちゃんに関わることであるような気がして、けれど僕はその続きを話すのをやめて欲しいと言葉にすることはできませんでした


そして太田先生は静かな声で、「龍之助が亡くなった」と言いました


僕はその瞬間、本当に目の前が真っ暗になって何も考えられなくなりました


太田先生はきっと僕に色々な言葉をかけてくれていたのだと思います


けれどそこから先の僕は記憶が飛び飛びで、自分が太田先生になんと答えたのか、どう行動したのか、自分自身の感情すらも未だに思い出すことができません


けれど、僕は龍ちゃんの死を伝えた太田先生を全く恨んでなどいません。太田先生はきっと「この親から龍之助の死を伝えたくない」と思ってくれたのだと思います


僕は、そのことに今も心から感謝しています


けれどそれでも、僕はもう完全に心神を喪失していたんだろうと思います


間も無く龍ちゃんのお葬式が行われたそうで、クラスメイトのほとんど全員が出席していたとのことでした


けれど僕は龍ちゃんのお葬式には出ませんでした。龍ちゃんの死を到底受け入れられませんでしたし、とてもお葬式に出席できる精神状態ではなかったと思います


だから僕は龍ちゃんのお葬式に出席しなかったことを悔やんではいません。どうあれその時の僕はなにもできなかったのだと当時の僕を受け入れています


後から聞いた話では、龍ちゃんは自宅マンションから飛び降りたとの事でした


龍ちゃんの遺書があったのかどうかといったことは聞く気になれませんでした。遺書があったという話はその後も聞かなかったので、おそらく龍ちゃんはなにも残さなかったのだろうと思います


誰にも伝えず、一人で決断してあっさりと逝ってしまった龍ちゃんに、なぜか僕は「龍ちゃんらしいな」と感じたことを覚えています


ただあの卒業式の日、夢のように美しい学校で、光に揺らめく校章を二人で見つめている時、既に龍ちゃんの心は決まっていたんだろうと思います


龍ちゃんの心中にどのような感情があったのか、それは今もわかりません


ただ龍ちゃんにとって卒業することには何かしらの意味というか、「そこまでは踏みとどまろう」というゴール地点であったのだろうという気がします



六章「痛み」


龍ちゃんが亡くなってからしばらくの間、僕はただ呆然としたまま横になっているだけで、義務的に水を飲んだりすることが精一杯でした


食べ物も食べようとしてみましたが、噛むところまではできてもどうしても飲み込むことができず、やがて食べることを諦めてしまいました


けれどそもそも食欲がまるでなかったので食べられないことにも特に苦痛は感じてはいませんでした


一日のほとんどをベッドの上で過ごすようになった僕は少しずつ衰弱していき、やがて入院することになり、僕の病院での生活が始まりました


入院当初は点滴だけでしたが、数日すると食べやすいものであればなんとか少しだけ食べられるようになっていきました


しかしその頃から、僕は夜になると、まるで背中を万力で締め付けられるような激しい痛みを感じるようになっていました


お医者さんは手を尽くして調べてくれましたが、いくら検査しても原因は分からず、毎晩毎晩、何時間も襲いくる痛みに僕は気が狂いそうでした。どんな痛み止めも効かず、唯一少し楽になるのは向精神薬だけでした


僕自身、この原因不明の痛みが精神的なものから来ていることは何となく自覚していました


激しい痛みに耐えられなくなって何度も病院の窓から飛び降りようと考えましたが、あまりの痛みと繋がれた点滴でベッドから降りることさえ困難であったことでなんとか踏みとどまっているという状態でした


日中の痛みは夜に比べると大分楽でしたが、夜になるのが怖いと感じつつも、日中は行動に移す度胸がでないという日々を僕は繰り返していました


僕はとにかく夜が怖くなり、向精神薬と睡眠導入剤をもらってなんとか夜は早めに寝るようにしていました


痛みは本当に気が狂いそうなほどで、その痛みに耐えている間、僕は猛省や後悔の念で、自分の考え方や人格が音を立てて変わっていくのを実感するほどでした


そしてそんな風に自分というものが変わっていくのなら、それは僕という人間が消えてしまうのと同じことと同じですから、尚更生きている意味を感じなくなっていました


僕が入院し始めた頃、入院の話を聞きつけたクラスメイトたちは最初は誰かしら毎日のようにお見舞いに来てくれていましたが、やがて皆の足も遠のき、1ヶ月も過ぎる頃にはクラスメイトはほとんど来なくなりました


けれども僕はそれを自然なことだと思っていましたし、むしろ友人たちが自分たちの新生活のために歩き出して行くことを望んでいたので、なんら寂しいとか薄情だといった気持ちはなく、むしろそうしてくれることを望んでいました


それよりも僕は背中の激痛から逃れるために、さまざまな方法を試すことで精一杯でした


龍ちゃんのことを考えないようにするために違うことで一生懸命考えを埋めようとしたり、あるいは逆に龍ちゃんを恨もうとしてみたり、色々なことを試してみましたが、何をどうやってもその痛みは毎晩僕を襲い続けていました


そんな日々が続き、僕の心はもうすっかり擦り切れてしまって、 僕の日課といえば病院の中をウロウロと散歩する程度だったのですが、頻繁に行っていたのは救急外来の待合室でした


僕は救急外来の近くの自動販売機のそばのソファーに座って、毎日何時間も救急外来の様子を見ていました


救急外来の待合スペースは時に血だらけの人や、家族の安否を祈る人など、負のオーラのようなものが漂っていて、それが僕にとってはむしろ落ち着ける場所でした



七章「太田先生の地獄」


クラスメイトたちがお見舞いに来なくなった頃、それと入れ替わるように太田先生が僕の病室を訪ねてくるようになりました


先生は平日と週末の週二日、毎週お見舞いに来てくれて平日は学校帰りに、休日は昼間に病院を訪れてくれました


しかし僕はクラスメイトから、本当は太田先生が休職中であることを聞いていました


太田先生は龍ちゃんが亡くなってからしばらくして、体調がすぐれず学校に通えなくなっていると聞いていました


太田先生がどのような症状にせよ、それが僕と同じく龍ちゃんのことで心を病み、あれほど好きだった教壇に立てなくなっているのだという確信がありました


しかし太田先生は平日お見舞いに訪れる時は、スーツを着て、仕事帰りのフリをしていて、そして自分が休職していることを隠して、僕の様子を見に来てくれていました


だから僕も太田先生が学校に行けない状態であることを知っていながら、知らないふりをして話していました。 けれど今思えば、それは僕と太田先生の過ちであったと思います


龍ちゃんの死と僕の入院によって、太田先生は恐らく多くの人から責められ、またそれ以上に強い自責の念で苦しんでいることは容易に想像がつきました


しかし龍ちゃんと最も親しかった僕でさえ龍ちゃんの苦しみに気付けなかったのに、多くの生徒を見なければいけない立場の太田先生に龍ちゃんの死の責任は全くないはずでした


そして僕と龍ちゃんが山で遭難した時に親よりも必死に僕たちを探してくれたこと、駆けつけてくれたこと、電話口での僕の両親の驚きの奥にあるわずかな高揚感を感じ取って、龍ちゃんの話を僕の親から伝えさせたくないと思ったこと、その全てに僕は本当に心から感謝していました


龍ちゃんの死を僕に伝える資格があるのは太田先生だけだったと今も思っています


太田先生は僕の見舞いに来るときも時々急にトイレを理由に席を立つことがしばしばあり、そうした時には長時間帰ってこず、平静を装っていても体調や精神が良い状態でないことは明らかでした


僕たちにとって随分大人に見えていた太田先生も、今思えば当時まだ28歳であり、教え子が自殺したことで、その精神はとうに限界を超えていたのだと思います


しかし太田先生はそのことを僕には話さず、僕も太田先生が学校に通えていないことを知りながら、知らないふりを続けていました


そして僕自身、毎晩襲い来る死を望むほどの背中の激痛のことを大して話さず、太田先生になるべく心配をかけさせまいとしていました


当時はそうした間違った気遣いが、僕と太田先生の苦しみを余計に長引かせていることに気づくことが出来ませんでした



終章「加速する青空」


そうして数ヶ月が経ち、八月の終わりのある日のことでした


いつものように夏休みを装いながら太田先生がお見舞いに来てくれました


僕と太田先生は、夏の終わりを感じて、なんとなく病室を出て病院のすぐ隣の小さな公園へ散歩に行ってみようという話になりました


僕も太田先生も特別な話題があるわけでもなく、先生は「今日も暑いな」といったようなことを言って、僕も「暑いですね」といった相槌を打つくらいのぼんやりとした会話をしていました


公園に着くと、僕と先生はなんとなくベンチに座ってふと空を見上げていました


空は見たこともないほどに深い青色で、目も眩むほどの青色の空と美しい入道雲が広がっていました


真っ青な空の下で入道雲の縁がきらきらと輝く様子は、まるであの卒業式の日、龍ちゃんと見上げた校章のようでした


その時、僕は「なんて美しい空だろう」と、久しぶりに龍ちゃんのこと以外で心が動いた気がしました


こんな状態にあってさえ、人は美しいと感じることができるのだと不思議な気持ちになり、少しだけ気持ちが軽くなったような、あるいは憂鬱さの中にも、そうした気持ちが同居できるのだということを感じていました


僕はその夏空の美しさに見とれながら、ふと太田先生の方を見ました


すると太田先生も茫然と空を見ていました


僕は特に何かを思慮したわけでもありませんでしたが、なぜか自然と「先生、学校行けてないんでしょ?もう隠さなくていいよ」と言っていました


太田先生は僕にバレているだろうと察していたのか、特に驚いた様子はありませんでした


けれどその時、ほんの少しだけ力が抜けたような、太田先生の雰囲気が変わったように感じました


それは三年間ずっと僕らの前で「先生」をしていた太田先生が初めて見せた弱々しい姿のように見えました


僕は「龍ちゃんのことは先生のせいじゃないし、龍ちゃんだってそう言うよ」と言いました


それは僕の心からの本心でしたし、龍ちゃんがあの場にいたなら、きっと同じことを太田先生に伝えたかっただろうと今も確信しています


やがて太田先生の目から涙が溢れ出しました


太田先生は手で顔を覆って泣きながら、「助けてくれ」「苦しいんだ」「もう耐えられない」「俺を殺してくれ」と言っていました


それは、毎夜毎夜僕が感じていたことと変わらない感情だったと思います。僕は太田先生もまた、もうこの苦しみに耐えることが出来なくなっていたのだと気づきました


しばらくして、少し落ち着きを取り戻した先生は、何度試しても、どうしても教室の前でへたり込んでしまって教室に入れないこと、自分のせいで新婚の家庭がとても暗い状態であることなどを正直に話してくれました


たぶん太田先生にとって、教室に入る瞬間が教師としてのスイッチを入れる瞬間で、そこがもっとも精神的な負荷がかかる場所だったのだろうと思います


僕も毎晩襲い来る背中の痛みが堪え難いもので、もう人生を終わりにしたいことを正直に話しました


太田先生は自分は殺してくれと言っていたくせに、僕には「死ぬのは絶対許さないからな」と全く勝手なことを言っていて、僕はおもわず苦笑してしまいましたが、けれどもその時、僕はなぜか穏やかな気持ちになれました


それは龍ちゃんが亡くなって以来、初めてのことだったように思います


そして僕はもう一度、空を見上げました


すると先ほどまで「これ以上に青い空はないだろう」と思っていた空は、より深い蒼色となって広がっていました


太田先生もその空を見て、呆れたように「なんだこの空、馬鹿みたいに青いな…」といい、僕も少し笑いました


本当に呆れるほどに、馬鹿みたいな青でした


僕と先生はしばらく空を見ていましたが、やがて太田先生が「龍之助はさ、意外と抜けたところあるよな?」と言いました


それは本当に他愛もない、僕らの担任であった太田先生から見た生徒としての龍ちゃんの姿だったのかもしれません


だから僕はスポーツテストの50m走で三年間、龍ちゃんに言い続けたように、「龍ちゃんは見掛け倒しだから」と微笑って言いました


すると、どこからか飛んで来た飛行機が、世界一の蒼穹にまっすぐな飛行機雲を引いて飛んで行きました


それは本当に美しく真っ白な白線で、僕にはその飛行機雲が、まるで龍ちゃんが毎年のスポーツテストの50m走の後のように「うっせ」と応えてくれたように感じました


僕と先生の上には目眩をおぼえるほどの青が広がっていて、なぜだかそれは、僕と太田先生が何かから解放された一瞬だったように思います


不思議なことに…あるいはそれは当然のことであったのかもしれませんが、その日を境に、僕と太田先生の心と身体は少しずつ回復しはじめました


そして翌年には僕は退院し改めて就職してそれなりに働けるようになり、太田先生も教員として復職することができました


ちなみに僕らの高校は、その後、統廃合でなくなってしまい、龍ちゃんと見たあの校章もなくなってしまいましたが、太田先生は新しくできた学校で教員を続け、昨年、校長先生に就任されました


僕はというと、その後も色々なことがありながらもなんとか今も生きていていて、夏の青い青い空を見ると、今も龍ちゃんと太田先生のことを思い出すのです


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