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この作品には 〔ガールズラブ要素〕が含まれています。

匂う花、さそう、

作者: ノブオカ
掲載日:2024/01/14

匂う花、さそう、




一、


「世の中に絶えて桜のなかりせば」


カンカンと響く独特の金属音を聞きながら、安っぽいつくりの階段を昇る。


「春の心はのどけからまし、か――」


目的である二階にたどり着けば、唐突にぶわりと吹き荒れる風とともに桜が千々に舞う。

少なくない枚数が女子学生寮の手すりを越え、はらりはらりと廻り廊下へと自由落下する。

短大の文学コースに所属している身でありながら私は自他共に認める不調法者なわけだが、これほどまでに繰り広げられるとさすがに酔いしれる光景だ。

さっさと進むこと廊下つきあたり奥、深緑色をした薄めのドアの前に立つ。

呼び鈴という工程を踏む必要がないのは重々承知しているため、躊躇なく銀色のドアノブを捻る。住人のがさつな性格の直喩としてドアはあっさりと開き、訪問者である私、三宅アヲイを迎え入れてくれる。

共通玄関の開錠にカードキーが必要であるという女子学生寮の特殊性、あるいはイナカ岡山市のさらにイナカ、のどかな西川原であるという諸々の事情を加味しても、危機感があまりに欠如してやしないか。

犯罪者はどのような手立てを用いるかわからない。ずさんな性格とはいえ〝いちおう〟女子のはしくれであるのだから、せめて鍵くらいかけておいて欲しいというものだ。ましてや本人は一切なりふり構わないとはいえ、それなりに綺麗な顔をしているのだから。まあ本人は自覚のない、そのやたら綺麗な顔というものが、そもそもの一連の流れの元凶ではあるのだが……。


「……また派手に散らかしとるなあ……」


フルオープンであったドアを閉め内鍵をかける。何人暮らしですか? とでも聞きたくなるほどばらばらと散らばるパンプスを手ばやく揃え、私はスニーカーを脱ぎ隅のほうに揃える。

初っ端から裏返しになったブラ付きキャミソールがお出ますような、一般人なら度肝を抜かれる部屋ではあるものの、仮にも人の家に上がる以上それは礼儀というものだろう。

まかり間違っても物盗りなどではないのは自明の理だ。事実ヘンゼルとグレーテルさながら衣類が点々と続く廊下の向こうから、リズミカルな重低音が特徴的な音楽が鳴り響いてくる。

EDMというやつか。今まさに強盗に押し入られたような人物がEDMをガンガンにかけ、時折「ヘイ!」などという素っ頓狂な声を上げるはずがない。

「伊織さんさあ、そんな大音量お隣に迷惑――」

「あ、いらっしゃーい」

「…………服、着てくれない……?」

リアルに頭を抱えざるを得ないのは、この全裸で小躍りする一見〝美少女〟に見える人物が私の従姉妹であるということだ。




二、


「あーちょっと! せっかくノってたのにい!!」

黙っておもむろにPCの音量を下げだした私に伊織さんは非難轟々だ。

中腰でマウス操作をしていると首からぶら下がる来訪者用カードキーが邪魔で、私は都会の会社員さながらカード部分を胸ポケットにしまい込んだ。

「お隣さんに迷惑じゃろ? 集団生活は一定のマナーをちゃんと守らんと」

「大丈夫大丈夫!! 私EDMって音楽ジャンル知ったのお隣がかけてたからだもん!! つまりお隣もEDM大好きなんよ。だから問題なし!!」


ぐっ、とあけっぴろげな格好のまま右手の親指を突き立てる。

私はあからさまにため息をつきながらソファにかかっていた毛布を伊織さんにぶん投げた。毛布は伊織さんの上半身をある程度隠すことに成功したものの、いまだ放送禁止な恰好であることは間違いない。


服着て服、とたしなめながら私は散らばった洗濯物を拾い集め洗濯機を回し、ビールの空き缶をゴミ袋にまとめていく。

片づけの傍ら行われた私の執拗な服コールに観念したのか、伊織さんはぶつぶつ言いながらもようやく下着類を身に着けはじめた。

「こんな元気なら来るんじゃなかったわ。きのう夜中一時過ぎに電話かけてきて、叩き起こされて……」

私も負けじとぶつぶつ独りごちる。

伊織さんの男運はかなりわるいほうだった。

〝だった〟と過去形であるのは、夜中の電話でめそめそと泣きながらもう男はやめる、もう男なんて絶対つきあわない、と幾度目になるかわからない伊織さんの〝男断ち宣言〟にいちおうの敬意を払ってのことだ。

まあどうせあと何週間かすれば、また性懲りもなく恋をはじめるのだろうが。


掃除機をかけながら、散らばっている薬学だの化学だののテキストを軽く揃え重ねるも、インスピレーションのフックになっているかもしれないため場所は不必要に動かさないでおく。

なんちゃら分子学だの、応用化学なんちゃらだの、ド文系の私には「難解そうだな」といった凡庸な感想しか思い浮かばない。

薬学部六回生、特待生として学費を免除されている伊織さんは文系には計り知れないほどの秀才、いや奇才ではあるのだろう。

そうだよな、と掃除機のコードをしまいながら伊織さんのほうを振り向くと、かろうじてパーカーまでは着込んだものの相も変わらずパン一の伊織さんが積まれた漫画本に無我夢中になっていた。

学問のアイデアを生みだす起爆剤として、伊織さんには〝恋愛〟というある種のドーパミンが必要なのかもしれない。

しかしこれほど強力な頭脳を持っていて、あらゆる事象にとことん興味を持つことができるのだから、今度こそ本当に恋愛から卒業してもいい気がする。

伊織さんの頭脳に〝恋愛ごとき〟はもったいない気がするのだ。ましてやたった一晩でここまできれいさっぱりふっきることが可能なのだから、伊織さんにとって男の優先順位は下の下なのだろう。

だったらなおさらのことだ。

この性懲りもなく繰り返される交際開始と振られるのループ。そのすべての男が、見た目の愛らしさから伊織さんにアプローチしたものの、あまりの変人ぶりにドン引きしたがための終結であった(本人曰く)。

「伊織さんさ、どうして男の告白をオッケーするん?」

「……へ?」

数秒の後ようやくきょとんと顔を上げた伊織さんが、なんか言った? と聞き返す。

「言った言った。なんで告ってきた男と律儀に付き合うんかなあ、思ってな。断ってもいいやん。みんな甲斐性なしなんよ。あんな男たちに伊織さんはもったいないわ、」

当然私はまともな回答は期待していなかった。

片づけ作業をつづけながらの他愛もない雑談だ。せっかく声かけてくれたんだから受けなきゃ損じゃーー!! とか、恋愛最高お!! ドーパミンドバドバ!! とか例のハイテンションで煙に巻かれるのがオチだと思っていた。

だが違っていた。

伊織さんは普段の粗野さからは想像もつかないようなやたら丁寧な所作で漫画本を傍らに置いた。

そして相変わらずのパーカーにパン一で、私のほうに静かに向き直った。ということに気がついたのは、突如として訪れた不自然な静寂を私が訝しみ、作業の手を止めて伊織さんのほうを見遣ったときだった。

「――私にだって」

「おん?」

「私にだって、共に生きていきたい人はおる。でもだめなんよ。その人はこの思いに気づきもしない。」

「おん……?」

「こんな私の一方的な思いに巻き込むわけにはいかない。だから男と付き合うことを繰り返す。少しでも思いが満たされることを願って、」

「……、」

「でもだめなんよ。男はとうぜん私とセックスしたがるし、断るとことごとくこっぴどい終結を迎える。結局、私は誰からも真に受け容れられない――」

伊織さんの灰色がかった透明度の高い眸にまともに見据えられ、私はとっさに息を呑み動けなくなった。




三、


カーテンの隙間から洩れてくる春のあたたかい陽射しによって、私は自然と目を醒ました。


半ば夢うつつのまま上半身をむくりと起こし、せっかくきのう伊織さんの部屋を訪れたのに、あのことを伝え忘れてしまったな、と茫漠とした脳で思う。

陽射しの先が、〝新聞奨学生〟のパンフレットを照らす。不自然なまでのはつらつとした笑顔を浮かべる作業着の若者が表紙だ。

新聞奨学生。

日々の配達や集金といった業務をこなす代わりに、上限額込みで学費を新聞販売店が肩代わりしてくれるという、知る人ぞ知る昭和然としたシステムだ。

入会には保証人を取られた上、万一途中で退会しようものなら学費は一括返済。だから皆死に物狂いで働くのだそうだ。

イナカではめずらしく我が家は子どもが私しかいない。一人っ子の私と父母、三人家族なのだが、家は信じられないくらいのド貧困だ。

とうぜん共働きなのだが、といっても母はパート。加えて昔、父の給与明細をこっそり垣間見たときは度肝を抜かれた。

本来子どもなどあつらえてはいけないような低収入ぶりなのだが、のほほんと天然をふりまく両親は後先考えず子どもをつくったのだろう。

みろ、私の四年制大学進学の学費などとうぜん捻出できず、バイト漬けを前提とした上で私は短大にしか進学できなかったじゃないか。まあ、国公立に入る頭のなかった私もわるいのだが。

徹底した放任主義を貫く両親は、短大卒業後は東京の文学部に編入したいと宣言した私をあっさりと許した。でもどうしましょう、お金がないねぇ……と例によってド天然同士顔を見合わせる両親に向かって、私はあらかじめ用意していた新聞奨学生のパンフレットをすっと差し出したという次第だ。

この制度を利用するので、お金は不要です。ただ保証人にだけはなって欲しい。もちろん迷惑をかけないよう、死に物狂いで働きます。

両親はしばらく逡巡したのち、印鑑を管理する母が書類に押印した。


……のが昨年の話だ。入会は許可され、編入試験も無事合格し、来週の短大卒業を待って私は上京する。

当面伊織さんには会えなくなるだろう。

かねてより伊織さんに言おう言おうと思っているうちに時間は瞬く間に過ぎ、ようやく意を決し昨日も伝えるつもりでいたのに、……あの眸に見据えられた瞬間に私は動けなくなった。

――伊織さんのほんとうに好きな人って、まさか――

ふるふると雑念を払うために私はゆっくりと頭を振る。

いくら自分が度々男と間違われるなりをしているからといって、自意識過剰が過ぎるというものだ。伊織さんとは長年のつきあいになるが、そんな話は聞いたことがない。

伊織さんはド変人でこそあるものの根は善良だ。そして美少女で、強力な頭脳を持っている。

伊織さんのすべてを受け容れてくれる男性が現れるのも時間の問題だろう。

そして結婚が半ば強制されるイナカのことだ、ごくふつうに結婚して、そしてあたたかい家庭を築くのだろう――。

伊織さんのまっとうな明るい未来を想像しながら、どうしてこの胸は寂寥感を憶えるのか。

不思議に思いながらも心臓のあたりをさすっていたときだった。

「伊織ちゃんきたよーー、二階上がってもらってるからーー、」

「へ……?」




四、


母の能天気な声とともに、とん、とんと静かに足音が響く。私はとっさに声が出てしまった。

まさか昨日の今日で本人が直接来るとは。

どんな顔で会えばいいのか? いやその前に部屋の中央に堂々と置かれている、新聞奨学生のパンフレットをひとまず隠さなければ、いやなぜ隠す? エロ本でもあるまいに――、

控えめなノックが響く。

「いやちょっと待っ……片づけるから、」

普段であれば、従姉妹同士やーー!! 散らかってても気にせられなーー!! と豪快な挨拶とともに構わず伊織さんは入室していただろう。

だが少々落ち込んでいるのか、バタバタと片付けの音が止むまでおとなしく待っていた。

「ごめ……お待たせ、」

ようやく汗だくになりながらドアを開けたときは、春らしい小花模様のワンピースを着た伊織さんが佇んでいた。




五、


紅茶とお菓子(伊織さんは紅茶が好きなのだ)を差し入れてくれた母もとうに引っ込み、部屋には静寂が流れていた。

伊織さんはお菓子にも、好きなはずの紅茶にも口をつけようとしない。

黙っておとなしくしてると、ほんとうにただの育ちのいい美少女よなあ……。

香り立つダージリンを飲みながらしみじみと思う。

これまでの男たちは伊織さんの真の姿も知らんと、告白してきたんやなぁ……。

伊織さんのことをわかろうともしないで、勝手に好きになって勝手に傷つけて……と内心ふつふつと憤りを感じていると、

「私……アヲイちゃんに言わんといけんことがある」

心臓がわかりやすく脈打った。

伊織さんは相変わらず深刻な顔をして、伏し目がちにやや下を見ている。

ゆっくりとまばたきする度に、長いまつげがはかなげに揺れた。

もうここまでフラグを立てられれば、いくら鈍感な私とはいえ、さすがに伊織さんが言わんとしていることはわかりきっている。

私は恋愛をしたことがなかった(そもそも人を好きになるという感覚がわからない)。

伊織さんの気持ちに応えられるだろうか。……いやなぜ応える前提なのだ。私は女だぞ(戸籍上は一応)、丁重に断るのが通常だろう。そもそも私は来週から上京する身――、

「私ね……、」

心臓の拍動が耳に迫る。

「卒業したら上京するんよ。東京の製薬会社に内定もらってて……、だから、」

一瞬意味がわからず呆気にとられていると伊織さんは顔を上げ、気丈に微笑んでみせた。

「だから昨日のことは気にしないで。もう会うこともないだろうし……、酔いが残っていた同性愛者の戯れ言よ。私の言葉なんて忘れて、アヲイちゃんはアヲイちゃんの道を歩んで――、」

「いや……私も上京するんやけど……、」

「へ……?」

伊織さんにはめずらしく極端に気の抜けた声が出た。



六、


気づけばスマホの時計が16時過ぎを指していた。

もともと仲の良い従姉妹同士だ。

伊織さんが来たのが10時過ぎ、そこから数時間後に母のふるまう昼食を挟み、再び部屋にこもり、腹を割って話し合いつづけ、気づけば夕刻になっていたという次第だ。

いつから同性が好きと気がついたのか、とか、お互い性に苦手意識がある、とか、親しいつもりでいたが、知らなかったことがずいぶんと多いことに気づかされた。

「……どうりでアヲイちゃんから恋バナとか聞かんと思ったわ。ずーっと文学文学やもんなぁ」

「例え恋してても、伊織さんには相談しようとは思わんやろ。ことごとく振られるんじゃから」

「ひどいなあ!! 私も告白受けた際に『セックスは出来ないと思いますよ』て相手に通知するんよ?!」

「直截的やろ!! 伊織さんらしいけど……」

「でも男は自分なら変えられると思うらしいわ……お家デートを全部断ったからやろなぁ。あえなく破局よ」

「そりゃあ男ならしょうがないやろ……」

くつくつと笑う伊織さん。

ふと私は、何十年後かもこうして伊織さんと笑いあっていたいという思いに駆られた。

「待っててくれん?」

ん? と伊織さんが笑うのをやめる。

「この私の思いがなんなのか、私にも整理が必要なんよ。それまで待っててくれん? ひとつはっきりしているのは、たまにこうして、伊織さんと笑いあうのをずっと続けたいということ――、」

伊織さんは二、三度小さく頷き、無理せんでええんよ、とつぶやき笑いかけた。

「無理じゃない、」

私は少々驚いた表情の伊織さんの両手を包むように掴み、しっかりと握りしめた。

「伊織さんは過去からの断絶を望んで、私は岡山よりも広い世界に行きたくて、……お互い東京を目指したわけやろう。私らはこの空気のように蔓延る常識に馴染めんのよ。その点は共通しとる。私たちは仲間なんや、」

「……、」

「だから私は一緒に考えていきたい、」

ざあと風がなだれ込んだ。

歩道の樹々から桜が舞い、数枚がひらひらと窓から入ってくる。

桜が存在しなければ、春を過ごす人々の心が穏やかであったように。

人が完全に独りで生きていくことができれば、つながりなどを希求することはなかっただろう。

この先どうなるのかはわからない。伊織さんとの関係も変化していくだろう。

それこそ真に伊織さんを受け容れてくれる男性が現れるかもしれない。

私が別の人を「好きに」なるのかもしれない。

未来はわからない。確定的なことは言えない。

だが私は今この瞬間に心底思えたことを、ありのままを伊織さんに伝えた。

伊織さんは私の眼を見てゆっくりと頷いた。透明度の高い、灰色がかった伊織さんの眸。私はそのときはじめて美しいと思った。


(了)

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