第一話 いつものこと
「おとうさん。またできちゃったー」
先月で十二歳になったはななが俺の背を押す。
今にも吹き出しそうな顔で。
愛娘の笑顔はいつだって眩しいけれど、これは呆れ笑いだ。気持ちは分かる。こんな異常事態が日常では仕方がないことだ。
急かされるままに初夏の庭に出る。
「ほら、ここー」
「あー、ホントだね。なんでウチの庭にばっかり。もう諦めてるけどさ」
刈り揃えたはずの芝生に黒々とした穴が開いている。直径二メートルを超える楕円形。偶然の造形にも人工物にも見える不規則な石段が闇の奥へと続いている。すでにかなりの深さがあるようだ。
これはダンジョン。
そう、あのダンジョン。
魔物がいたりお宝があったりする、ファンタジー名物の不思議地下構造、あのダンジョンである。
わが家の庭はダンジョンの生える庭なのだ。
「今朝はまだなかったよね。生まれたてにしてはデカいし、もう階段もあるのか」
「こんどのはお向かいさんから見えちゃうかもね」
かなり母屋に近い位置になる。通りを挟んだ向かいの屋敷、その上階から生垣越しに覗けそうだ。ダンジョンの存在がバレるのは不味い。もちろんご近所にも秘密なのだ。
「これは、すぐにやらないとな。はぁ……」
「おとうさん。ため息つくとシアワセがにげちゃうってよ」
「それはないさ。はなながいてくれれば幸せだから」
「おかあさんにもそう言ってたよね」
「う。はは、よく覚えてるな」
亡き妻のことも、はななと自然に話せるようになった。楽しい思い出に限るけれど、ほんの少しの気遣いさえ忘れなければ、かつての三人暮らしを懐かしむことができる。
「前回から十一日か。発生ペースはあんまり変わらないね。やっぱりダンジョンの呪いかな」
「ダンジョンさんムキになってるんじゃない」
「そんな意地張って欲しくないけどな」
折角の週末だがここはダンジョンへの対処を優先せざるを得ない。数時間もすれば地下構造がさらに成長するだろう。赤ちゃんダンジョンのうちなら踏破も容易だ。若い芽を摘むのだ。
「あれ? おくでなにか光ったよ」
「早速か。待ったなしか。行くよ、はなな」
「りょうかい」
「支度も競争な」
「えーっ? おとうさんズルい。わたしまだ着替えてないのに」
俺はすでに作業衣を着ていた。この休日は庭木の手入れをする予定で、ちょうど取り掛かるところだったのだ。
六月の日差しが眩しい。緑の匂いが湧き立つ。
「父さんは聖剣バールを握るだけでOK。常在戦場」
「じゃあわたしもこのままでいいや」
はなながくるりとターン。黄色の裾を翻して可愛い膝小僧を覗かせる。これは。ノースリーブじゃないか。紙装甲か。サンダル履きなんて論外。
「ダメだ。それは父さんのお気に入りワンピースなんだよ。大切な夏の少女が汚れたらマジで泣く。号泣する」
「はあ。わたしの服はどれもおとうさんのお気にじゃん。愛がオモイとうっかりハンコーキさんが来ちゃうよ?」
女の子はこうして自分自身をベットして脅すのだ。
だが、愛とは重いものだ。とても重いのだ。
「せめて上下ジャージとニープロテクターを。あと安全靴な。それと手袋とヘッドガードも」
「はーい!」
そして今度は素直さアピールのキラキラ笑顔でよいこを演出。あざと可愛い。まあ仕方ないな。どうせ父親は勝てっこないのだから意地を張るだけ無駄だ。
小走りで自室に向かうはなな。
俺は物置から地元のホームセンターで購入した特大バールを取り出す。のようなもの、じゃなくて本物のバールだ。無理に振り回したら筋肉を傷めそうな重さがある。これって本当に作業現場とかで使われているのだろうか。ただの売り場用アクセサリーじゃないのかね。
さらに雑装備一式を詰めたバックパックを背負う。
戻って来たはななの装備をチェック。流しただけの髪をヘアゴムで束ねてやり、ぱっつん前髪の上からLEDライト付きのヘッドガードを被せる。バッテリー残量は確認済み。はななの武装は背負った軽量ケースに入っている。
「靴はキツくないか? サイズが合わなくなる前に言うんだよ」
「まだだいじょうぶ」
ダンジョン探索は明りと足下が基本だからな。
このソールとつま先にチタンプレートの入った子供用安全靴は、今ではホームセンター等で普通に手に入る。
今現在日本にあるとされるダンジョンは十五カ所余り。ほとんどの地域では住民がダンジョンに直接関わることはないが、ダンジョンはどこにでも、前触れもなく誕生する。今は縁のない場所でも、防災用具の品揃えは異様な充実ぶりを見せている。危機感による需要だろう。
「ハンカチとおやつは持ったかい」
「バナナわすれましたー」
「お嬢ちゃん、ちゃんとトイレは済ませたかな」
「いやー。セクハラ、パパハラー」
「おっし」
「おおー」
おバカな会話をする父娘が互いの右拳を突き合わせる。
「ではこれより、第二十四回庭先ダンジョン探索を決行します」
「さんかメンバーはおとうさんとわたし、二名さまになります」
「各自安全に留意するように。探索開始日時は六月四日土曜日十三時四十九分。では出発!」
「はーい!」
石段を慎重に踏み締めて、ゆっくりと庭先ダンジョンへ下りていく。






