メリナ・ノイマンは妻になりたい
連載予定で書いていたけど気付いたら短編になってました不思議。
誤字脱字、変なところがあれば教えて頂きたく…
兎に角楽しんでくれたら嬉しいです。
メリナ・ノイマン侯爵令嬢。
この国の貴族に属する者は彼女の名前を知らないはずがなかった。
名門ノイマン家の可憐な娘。我儘放題の困った令嬢。彼女は世界の中心が自分だと思っているに違いない。
豪華絢爛な装飾品と新しい物を好み、一部屋を軽く埋め尽くす程溢れる宝石に、基本的に使い捨ての靴や服、お気に入りになったドレスに至ってはもう収納する場所がないからと実兄の部屋にまで持ち込みクローゼットを侵略するほど。しかも悪びれもせず「もっと私の衣装部屋が広ければいいのに」という始末。
学問に至っては基本的に興味がないらしく学園に行っても上の空。試験はそっちのけで市街に繰り出すという常識外れ。なら何故学園に入ったのかと問いただしたくなるほどに不真面目。ある貴族が実際に聞いたらしいのだが、彼女曰く「私という侯爵令嬢が通っているというだけで学園に箔が付きますでしょう。それだけで十分なのでは?」と鼻で笑われたという。
我儘で傲慢な女。しかも侯爵家だというのに未だに嫁ぎ先もないらしく、父親であるノイマン侯爵もきっと頭を抱えているに違いない、ノイマン家の目の上のたんこぶ。天才と名高い侯爵を継ぐ彼女の兄も未来の金食い虫の対応に困り果てているだろう。
それがメリナの社交界での評判だ。
「って好き勝手言われておりますが、お嬢様いい加減になさったら如何です?」
「あら、どうして?私別に気にしておりませんことよ、アリア」
とある農村。じゃぶじゃぶと音を立て洗濯をする二人の娘。
一人は茶色の髪を綺麗に結い上げたそばかすの女性。彼女はアリア。名乗る姓はなく、この村出身で色々あって今は幸運にも貴族の娘の専属メイドとして働いている。
もう一人は対照的に金色の髪をぼさぼさ結い上げた女性。だが彼女のシミ一つない美しい肌は今まで何一つ苦労を知らないと言わんばかりに輝いている。彼女はメリナ。メリナ・ノイマン侯爵令嬢である。わけあって現在この村で生活をしている。
「旦那様とお兄様、テオ坊ちゃんも一日も早く帰るようにと手紙が送られて来ておりますが」
「うふふ、大丈夫よ」
「いえ、大丈夫ではなく。お嬢様、お二方はお嬢様の身を案じておられるのですよ」
「えぇ、だから護衛騎士を雇ったわ。後ろの彼を含めて交代勤務で四人も。本当は必要ないのだけどお父様が泣いて頼み込むもの。手痛い出費だわ」
手を止めて後ろに向かって手を振るメリナ。アリアも振り向けば困った様に頭を下げるのは護衛騎士。彼もまたアリアと同じ侯爵家に仕え、メリナの我儘に振り回される側の人物だ。
確かにメリナは我儘である。だがそれは、社交界との評判とはまた別の意味で、と頭に付くが。
「お嬢様、お嬢様の心意気は私もしっかり存じ上げているつもりです。そんなお嬢様だからこそ、私もそして護衛騎士の彼らも喜んで協力させて頂いております」
「分かっています。皆さんが、そして貴方がいなかったら私、本当にどうしようかと、きっと今頃悩みに悩んで、見当違いなことをしていたに違いないわ。例えば事故に合わせたり陥れたり追放したり」
「そんなこと考えていらっしゃったのですか。……ですがお嬢様、この村に来てどれほど経ったかお分かりですか?」
「あら、そこまで私もお馬鹿さんではないわ。もう半年よ」
「はい、半年です。ではそれを踏まえて、質問を変えますが旦那様とテオ坊ちゃんとの約束は覚えておいでですか?」
「覚えていますよ……半月で帰る様にと言われましたね」
「約束破りまくりではないですか」
じゃぶじゃぶじゃぶ。
二人は手を止めることなく洗濯物を洗っている。
「あら、でも私自分が納得するまでは、そしてこの村のお姉さま方々に及第点を頂くまでは帰らないとお父様に書面で報告しているわ。お父様のご署名も頂いた正式な文書よ。控えはアリアの壁とベッドの隙間に隠しているから後で確認してみて。まぁ、確かに小さな文字だからお父様は見えなかったのかもしれませんがね」
くすりと優雅に笑う主に頭が痛くなる。預かり知らぬときにアリアの自室のベッドに大切な書面を隠すのもどうかと思うが、それ以上に自身の父親の目が悪いことを知った上で、少なくともメリナの父親にとって、重要な事を小さな文字で書くとは。
「私は、お嬢様はもうご立派に努めていらっしゃると思います。ここに来たときは、洗濯はおろか、外を箒で掃くことすら出来なかったのに、一月で洗濯も掃除も、お料理ですら上達したではないですか。私はそんなお嬢様を尊敬しておりますし、母も、村の女達も褒めていらっしゃいましたよ。皆さんもうお嬢様を認めているに違いありません」
だから帰りましょう、と言外に言ってみる。
時期はもうじき冬になる。国の北部にあるこの村から首都へ向かうとなると、この時期を逃せば移動が困難になる。村の象徴ともいえる大木の葉が上から半分落ちてしまう前に村から早く出さなければならない。それを過ぎれば寒くなりすぐに雪が積もるだろう。春の日差しが雪を解かすまで強制的にこの村への滞在を余儀なくされる。アリアは確かにこの村に住んでいたがもう何年も首都暮らしだ。護衛騎士達もこの村程ではないが全員が農村から出て首都で侯爵家に雇われている。つまりここよりも比較的暖かい冬と便利な生活に慣れていた。村が嫌いという訳ではないが早く帰りたい、自室のベッドや首都の少し味が濃い料理が恋しい気持ちがあり、早く帰りたいと焦る気持ちがあるのだ。だがメリナは首を縦に振ることは無い。
二人の手は止まらず洗濯物を片付けている。
「いいえ、確かに私は努力して家事という家事を学びました。一週間で泣きそうになりましたがアリアのお母様の叱咤激励のおかげで私は何とかここまで来ることができました。本当に感謝しかありません。料理と洗濯、掃除は勿論のこと、農作業の効率的なやり方に行商人との駆け引き、井戸端会議での話題の振り方聞き方、動物の解体、キッチンに現れる黒い悪魔の抹殺の仕方。男性の不審者が現れた際どこを狙えばいいのか、もし男性の権力者に言い寄られた際の強かな返し方、それに」
「待って、待ってください。私の母は一体何を吹き込んでいるんですか!?」
「アリアのお母様だけじゃないです。お隣のクロエや先向こうの村長の奥様、アリアのご友人のエリー、他にも色々な方に、色々と、ご教授頂きました。皆様本当に博識で首都にいたら学ぶことが出来ないものばかり」
「お嬢様、確かにあって困るようなものではないのですが、一令嬢が覚えるにしては少々行き過ぎだと思います」
つい最近までは蝶よ花よと育てられていたのに、どうしてこんなにも逞しくなってしまったのだろう。アリアが今まで世話をしていた『可憐なメリナお嬢様』は今では影も形もない。
「でもね、アリア聞いて頂戴。……まだ足りないのよ?」
「えっ」
「だってあの方と結婚するのなら最低でも自分一人で子供の面倒を見れるようにならなくては。乳母なんて家計を圧迫するに決まっているもの。だから今度村長の娘さんに子供が生まれるから一緒に面倒を見ることになったわ。流石に大切な赤ちゃんだから一人で任せては頂けないけど、良い経験になると思う。それに今村外れのお婆さんに保存食の作り方を習っているし、私まだここでやるべきことが沢山あるわ!」
この国で知らない人がいないであろう、メリナ・ノイマン侯爵令嬢は花が綻ぶように笑った。
鼻の頭に泡を乗せ、灰で少し頬を汚した顔で。
□
メリナの社交界の評判は確かに前述に記載した通りであるが、それは表向きである。
第一メリナが社交界デビューするまでは全くと言うほど悪い噂はなく、文字通りの『ノイマン家の可憐な娘』として彼女が母親に連れられて行っていたお茶会では評判だった。可愛らしく、躾も行き届いていたので小さな子どもだというのに礼儀正しく、ひとつひとつの動作も優雅。まさに完璧な娘であった。
だが彼女が七つになって暫くして母親が病により急逝。ノイマン家の社交を担っていた人物がいなくなってしまった為お茶会に出ることはなくなった。今まで首都にいたメリナと兄のテオは領地に戻る事となる。
領地で暮らしていく間にメリナもテオも母親を亡くしたことに出来てしまった心の傷を緑が溢れる自然と領民の優しさのおかげでだんだんと癒されていった。勿論父も月に一度は帰って来て三人で穏やかな時を過ごすうちに元の明るさを取り戻していた。
それから数年経って。彼女の仲のいい従姉妹が結婚した。勿論お祝いの為に結婚式に参列したのだが、そこでメリナは運命の出会いを果たす。
『メリナ、この子は旦那様の友人の弟でヴォルニー・アダルベルトよ』
純白のドレスを着た従姉妹が紹介したのは真っ黒な髪と金の瞳を持つ仏頂面な男の子だった。
雷に打たれた様な衝撃が彼女に襲い掛かった。以前町の仲のいい女の子から薦めてもらった恋愛小説と同じ展開に目を白黒させつつも理性は一つの答えを自然と導き出した。
『一目惚れ』だった。
そこからの行動は早かった。従姉妹の結婚式から帰ればすぐに従姉妹当てに手紙を書きお茶会をセッティング。従姉妹からの許可が降り、ヴォルニーも参加が決まったなら当日までひたすらに自分磨き。首都で話題のドレスを一足早い誕生日プレゼントとして買ってもらい、香りが良い石鹸でメイドに隅々まで綺麗にして、マナーも一から復習し少しでもおかしい個所があれば家庭教師にみっちりと教育してもらった。ダンスもセンスのいい紅茶選びも、流行りの音楽も押さえ、今どきの男の子が好きそうな物は徹底的に調べ上げ頭に叩き込んだ。知識だけではボロが出てしまうと思い乗馬や狩りに関しては実践もした。
準備は万端。メリナは勇んでお茶会へと向かう。
『メリナです、結婚を前提に婚約してくださいまし!』
開口一番がこれであった。
メリナの為に一応言っておくと単純に緊張から頭が真っ白になってしまい、兎に角会話をしなければと思い出た言葉であった。本来なら世間話をし段階を重ね、何度目かのお茶会のときにでも告白する予定であったが、おもいっきり飛び越した結果がこれである。
幸運にもまだお茶会にはヴォルニーとその兄、従姉妹夫婦しかいなかった為大した騒動にはならなかったものの、共に来たテオや新人メイドのアリアは突然の事に言葉を失い、口をパクパクさせていた。
『すみません無理です』
顔色一つ変えずヴォルニーは今日の天気を伺うようにあっさりと答えた。
勢い任せに何故かと問えば、ヴォルニーは伯爵家の四男である為成人を迎えれば家を出て騎士になり貴族では無くなるからと。そして自身の事は嫌いではないが侯爵家の一人娘を嫁がせるには荷が勝ちすぎるからと。お金も今の様に使えなくなる為侯爵令嬢であるメリナには辛いだろうと。もっと家格に合う人の方がよいと答えた。
年齢の割にしっかりと将来を見据えすぎている少年にテオとヴォルニーの兄は軽く引いている。そこで丁度別のゲスト達が立て続けに来たところで話は終わり、表面上は穏やかなお茶会は始まった。帰り際手紙を書いてもいいかとメリナが問えば、友人としてならと一応は許可を貰った。
屋敷に戻りすぐにヴォルニーとの文通を始めた。彼は生真面目で冗談が苦手で、メリナが何か失敗すれば心配する文面が次の手紙には書いてくれた。優しい人物ではあるがしっかりと壁を作る人物でもあった。少しばかり寂しいがこればかりは仕方がない。開口一番に告白したことを思い出すだけでメリナは恥ずかしさでベッドを転げまわった。
文通を始めて半年、メリナは一人レターセットを前に熟考する。勿論議題は【ヴォルニーと幸せな結婚をするには】である。
一つ目の案はヴォルニーにアダルベルト伯爵家を継がせること。
その為には悲しいが上の三人の兄達には死んでもらわなければならない。人を雇い、金を積めば貴族の嫡男の一人や二人ぐらいは簡単に殺してくれるだろう。だがアダルベルトは武官の家系である。なにかしら戦う術は持っているだろう。それに今回彼に付いて来た彼の一番上の兄は首都の流行りを聞いていたときに一緒に情報として入ってきた王太子のお気に入りの騎士だ。剣の腕前はピカイチ。おまけにルックスもいいので首都では人気者の人物。殺すのは不味い。最悪王家を敵に回し処刑もあり得る。第一もしバレたら確実にヴォルニーや従姉妹夫婦に嫌われる。却下だ。
二つ目の案はノイマン侯爵家を自身が継いだ上でヴォルニーには婿入りしてもらう。
現在首都の学園に通う兄のテオをなんとかして後継者としては相応しくないと父に判断してもらわなければならない。が、彼はノイマン家始まって以来の天才児として持て囃されてきた兄だ。抜けている面もあるが実際領地に多大な功績を残しているし領民からの信頼も厚い。お粗末なメリナの計画ぐらいすぐに見破る。追い出すことは不可能だ。なら最悪殺すしかない。だが殺せば最近始めたばかりの改革が止まってしまい領地の運営は滞ってしまう。バレれば父に叱られるどころではない。何だかんだ言って兄は好きだし尊敬できる数少ない人物である。領民も白い目で見てくるだろうし、やっぱりヴォルニーに嫌われてしまう。それに自身に領地を運営できるかといえば、多分無理であろう。天才の兄と比べられ溜息まみれの人生など、幸せに値しない。却下。
三つ目の案。これはヴォルニーに頑張ってもらわなければならないが、新しく家を興す。
一介の騎士とはいえ、功績を残せば爵位が貰える。が、最近国は平和だし特に他国とのいざこざはない。戦争のせの字すらないので功績も残しづらい。それに万が一戦争が起きたら、戦いになど行って欲しくない。もし死んでしまったら。そんなの考えたくなかった。やっぱりこれも却下。
悶々と悩むが残念ながら今のメリナにはいい案が浮かぶことがなかった。
ただ正直に、やはり結婚できないのかと便箋に書いて封を閉じた。壁はあるもののヴォルニーはメリナを嫌ってはいないはずである。
それにメリナ自身にもあまり猶予はない。まだ社交界に出られないとはいえ、どこからか打診をされれば条件次第で婚約が決まってしまうだろう。運悪く王族にはメリナと歳があまり離れていない王子がいた。お茶会などは城勤めの父がまだ心の傷が癒えていないと何かしら理由を付けて断っている。父が言うには、まだ母が存命であった頃に二、三度行ったことがあるので大丈夫との事である。どこが大丈夫なのか問いただしたいが面倒な事を避けられるのであまり強くは追及しないが。もし行ったとして王族の、何かの琴線に触れてしまえば。それはなんとしても避けなければならない。
『貴族の貴方には難しいかもしれないけど、貴方も市井に下るっていう案もあるわ』
それはヴォルニーと文通を初めて数年。その間片手で数える程ではあるがヴォルニーとのお茶会を挟みながら、メリナ自身も首都の学園に通う為に準備をしていたとき。息抜きに行きつけの貸本屋を訪れたとき、仲のいい年上の友人とお薦めの本を紹介している最中にうっかり恋焦がれている相手について話したことがきっかけだった。面白がらずにしっかりと聞き、数年前の案も聞いてくれた。流石に聞かなかったことにすると言われたが。
『私のお祖父ちゃんのお祖父ちゃんが元貴族で、でも三男坊だったし権力争いが怖かったから大人しく市井に下ったら、貴族の女の子も付いて来たの。惚れたって理由だけで。でもあまりにも暮らしぶりが違うから子供生んですぐに離縁したのよ』
理想だけじゃ好きな人とは生きていけないって事ね。寂しそうに答える友人に俯くメリナ。
全く考えなかったという訳ではなかったが、やはり貴族の子女が市井に下るのは現実味がない。生まれてこのかた世話してもらっていることが当たり前になっているのでメイド達がいない生活などきっと立ち行かないだろう。
『そうですね。それもあります。私には今の貴方を経済的にも精神的にも支えることは難しいでしょう』
やっと両手で数えることが出来るようになったお茶会でヴォルニーは表情一つ変えることなく答えた。やはりと口から零れる言葉には覇気がない。
現在、どうしても学園だけは卒業してくれと両親に懇願された為一年遅れではあるが首都の学園に通い、騎士為の養成所に通うという二足の草鞋を履き、それでいて既に家を出ている彼はこうしてメリナが望むお茶会のときだけ伯爵家に戻ってきてくれる。少し前まではそれが嬉しかったのだが、時が過ぎ知識が頭の中に入ってくれば家格が上のメリナのお願いは命令なのではと思う様になってしまった。だから頻度はあまり多くはない。
話を変えるように今どんな生活を送っているのか聞いてみる。すると少し困ったように眉を顰めた。あまり表情を変えない彼には珍しい。
『食堂がある寮ではありますが、たまに自分で料理を作ります。よく失敗して同室の者に笑われます。まぁ彼も同じように台所に立てば炭を作るのですが』
思い出すように語る優しい顔のヴォルニーに思わずメリナも頬が緩む。ずっと兄と同じように完璧な人だと思っていたが欠点は誰にでもあり、自身も料理は苦手なので共通点があったと嬉しかった。
そして決意した。
『私、やっぱり貴方と結婚したいです。どうかもう暫く私の我儘にお付き合いください。学園に入学してから三年……いいえ、ヴォルニー様がご卒業されるまで、二年お時間を下さい。成果を上げ、貴方を満足させ、尚且つ結婚に同意させますわ』
言い方に少し難があったが。
そこからはまた行動が早かった。父には一先ず結婚については二年間何も言わないで欲しい事。社交界デビューが終わったら家格に群がるだろう男避けに悪い噂、ノイマン家に被害が及ばないように自分自身の人格に関する悪い噂をでっち上げて流して欲し事。
一つ目のお願いは意外とあっさりと許可が出た。何でもノイマン侯爵家は基本的には結婚に関しては本人任せとの事。本人が望めばお見合いもさせるし政略結婚も自由との事。最悪結婚せずともしっかりとした人格で結婚願望のある者を養子に貰い、ただ『ノイマン侯爵家』が続くことに意義があると話した。
だが流石に後者の方は首を縦に振ることはない。むしろメリナ自身に結婚願望があるのなら悪手なのでヴォルニーと結ばれなかったら永遠に婚約が難しいと渋い顔をされた。
『ご心配本当にありがとうお父様。でもヴォルニー様と結婚できないなら意味はないわ。そのときは領地でお兄様の補佐をして生きていきます。私が邪魔になるときが来れば修道院でもどこへでも行きましょう』
真っ直ぐ見据えた瞳に絆されそうになるもののすんでのところで思いとどまる。いくら可愛い娘とはいえ悪者にするのは話が違うというもの。が、残念ながら既にメリナは噂を彼女の信頼できる貴族の友人経由で流していた。
『ということでどうぞよろしくお願いしますね、お父様』
こうして社交界デビューと同時に、メリナの悪い噂が世間に飛び交うこととなった。
周囲はメリナを腫物のように扱い、求婚者も片手で数えられる程度。一人一人断りを入れる父やテオに同情する視線を尻目にメリナは着実にヴォルニーと結婚するための準備をした。勿論学園に通いながらではあるが、寝る間も惜しんで勉強に取り組んだので一年の単位を半年で取得。残りの半年間はほぼ毎日が花嫁修業。貴族のメリナは平民の生活など皆無であった為一日の半分は平民出身のメイドによる生活に関する事を学び、残った時間は実際に町に出ての実践。買い物は勿論のこと実際にお金を使うことも初めてであった為最初の一月は全てにおいて四苦八苦することとなったものの、すぐに慣れる事ができ、護衛はいるものの一人で買い物することも出来るようになった。
『でもたかが買い物。これだけ出来るようになっても意味はありませんわ』
次に取り組んだのは家計のやりくり。世帯があるメイドに教えを請い節約術を教えてもらった。分かっていた事だが綺麗な服もお茶会用のドレスも買う暇など皆無である。毎日食べている料理ですら平民になれば年に一度食べる事が出来るか分からない。
『覚悟はしていましたが、私、大丈夫でしょうか』
ここで一度メリナは迷ってしまう。本当にヴォルニーと結婚して平民になり幸せになったとしても、まともに生活できないのではないか。ヴォルニーの荷物になるだけなのではないか、それならやはり結婚しない方が彼の幸せになるのでは、と。
迷いにぐらついていると一通の手紙が届いた。なかなか学園では会えないヴォルニーからだった。
内容は学園生活と騎士の養成所の生活。メリナの悪い噂に関する事。全く違う噂が流れている為どう対処すればよいかという問い、遠まわしに心配している旨。そして、ヴォルニーは学園や養成所の卒業を待つまでもなく騎士団への入団が決まったと最後の締めに書かれてあった。
着実に前に進んでいる事に驚きと恥じらいがメリナを支配した。
『ヴォルニー様はもう既に有言実行されているのに私は…不甲斐ないですわ。待っていてくださいませヴォルニー様、私はもう迷いません。貴方様の為に立派な妻になります!』
メリナの顔にもう迷いはなく、善は急げと言わんばかりに自身の専属のメイドのアリアの所へ駆けて行った。
因みに、ヴォルニーは現段階で特に結婚については了承したとは一言も言っておらず、妻になるなどはある意味メリナの暴走であったことを記しておく。
□
学園の中庭は春の日差しでぽかぽかと暖かい。雲一つない、文字通りいい天気の中、放課後のこの時間、何人かの女子生徒たちは近くのベンチで小さなお茶会を始め、その反対側には剣術の稽古に勤しむ男子生徒の姿。
ヴォルニー・アダルベルトは一人木陰で読書に勤しんでいた。学園内の成績もよく教師からの覚えも良い。既に騎士団への入団が確定しているエリートであり、少々目付きは悪いが顔の造形は格好良い部類に入る彼であるが、誰も気に掛けない。伯爵家とはいえ四男。騎士団に所属するとはいえ平民になる身。未来の伴侶には少々ハードルが高いと判断され、令嬢達は軽く挨拶するのみで直ぐに去っていく。たまに婿入りを願う令嬢はいるものの、彼があのメリナ・ノイマンと交流があると知れば直ぐに立ち去って行った。
ふと考える。
メリナ・ノイマンという二つほど年の離れた少女は、家格は彼女の方が上であるものの自身を慕ってくれている。兄の友人の結婚式で出会って数年、ずっと一途に想ってくれている。四男で爵位を継ぐことが無いと言っても、平民になるからと言っても口を開けば『結婚して欲しい』だ。一度はっきり経済的にも精神的にも無理であると伝えたが、それでもと絶対に引こうとはしなかった。挙句には結婚に同意させると言ってくる始末。頭を抱えたくなった反面、どこか嬉しさもあったのは秘密である。
頻繁に送られてくる手紙には一人で買い物が出来るようになった事や家計のやり繰りを学んでいる事、料理はまだ食べさせられないので待って欲しいと書かれてあった。小さな歩みでも着実に目標であるヴォルニーの隣を目指している彼女に報いたい。いつの間にか心の奥底に目標が出来ていた。
学園でいい成績を残し、騎士団に入団することが決まっても、まだまだ努力が足りない。正直今この状況は地団駄を踏んでいるに近い。手元にある軍略について書かれてある本も自身の足しにしたいからと読み進めている。
小さく溜息を吐いて、本をパタリと閉じる。メリナの事を考えれば集中力を欠いてしまう。まだ養成所の寮を借りているので早めに帰って寝るか訓練をしようと重い腰を上げた。
「お久しぶりですわ、ヴォルニー様」
耳に入って来たのは久しぶりに聞くその声は以前までのふわふわとしたものではなく、しっかりと地に足を付けている様にはきはきとした声だった。以前よりも清廉されたように目の前に立つ少女、いやもう女性というべきか。制服姿でもなければ普段彼女が好んで来ている花柄のドレスでもない。ぴっちりとした黒のパンツ姿に胸元にフリルがあしらわれている白いシャツ。令嬢が普段は着る事もない服を着こんでいるだけならまだしも、髪型もポニーテールに結上げられておりとても活動的である。ヴォルニーをはじめ周囲は少しずつざわつき始めていた。
「……お久しぶりです、見違えましたねノイマン侯爵令嬢」
「いやですわ、前のようにどうぞメリナ、と」
ニッコリと笑みを浮かべるメリナの手には大きな薔薇の花束、そして小ぶりのバスケット。以前の彼女ならばすぐにメイドに預けるはずだが、確かに目の前の女性は二つを難なく持っていた。少し離れた所には彼女の専属のメイドが待機しているが何一つ手伝う素振りは見せてはいない。それでもその表情はメリナの事が心配いであると雄弁に語っていた。
「メリナ様、今日はどうして」
「ヴォルニー様、どうか少しお待ちになって下さらないかしら。また混乱して突飛な事を言ってしまいますので」
芝生の上にバスケットを置いてメリナは、ヴォルニーの前に跪いた。周囲は先程以上にざわつく。遠くの方から教師の声も聞こえて来た。
「ヴォルニー様どうかそのままでいてくださいまし。私の方からお願いをするのですから跪くのは当たり前でしょう」
「……まさかとは思いますが」
「はい、貴方様の思っている通りです。どうかこの花束を受け取って下さいませんか。ちゃんと百八本あると思います。ご安心ください、これはちゃんと私のお財布から、基お給料からの出費です。侯爵家のお金は使っておりませんわ」
少々躊躇いつつも薔薇の花束を受け取る。百八本という単語に周囲の令嬢達から黄色い悲鳴が飛んでくるがそんなものを耳に入れる余裕など今のヴォルニーにはない。驚きと、心臓の異様な程速い鼓動をどう制御するべきか、そればかり考えていた。
「私、しっかりこの半年間しっかりと学びました。どれだけ平民の暮らしが大変なのか、不自由なのか。ですが、それ以上に楽しさを知りましたわ。これなら私、貴方様とずっと歩んでいけます。言いましたわよね、同意させる、と」
「はい、ですがこのようなことになるとは正直思っていませんでした」
「えぇ、私も。でもこういう場面だからこそ強気に行かなくてはと教わりましたので。私、しっかりお料理も出来るようになりましたのよ。おやつには少々遅い時間になってしまいますが後程一緒に、私が、焼いたスコーンを食べましょう」
「分かりました。ですが何時までもメリナ様を跪かせるわけにもいきませんので」
「いいえヴォルニー様。私が立ち上がるのはしっかりと想いを伝えてからですわ」
こほん、と小さく咳払いをして彼女、メリナ・ノイマンはただヴォルニーを見つめて口を開いた。絶対の自信を持って、確固たる信念を持った瞳で。
同時にヴォルニーも覚悟を決めた。ここまでしてくれた彼女に報いるために。
「ヴォルニー・アダルベルト様。あの日からずっとお慕い申し上げております。貴方様が平民になると決めていてもこの心は変わることはありません。覚悟は当に決めております。お父様やお兄様の許可はしっかりと取っております。どうか、私と結婚を前提に婚約してくださいまし」
そして私を妻にしてください。
メリナはしっかり働いてお給料をもらう事の大変さも知り、そのお金で服も花も買いました。
服はプロポーズするならしっかりと格好よくしないと、と悪乗りした貸本屋の年上の友人がコーディネートしました。勿論メリナの懐と相談しつつ。
この後ちゃんとヴォルニーもプロポーズする。
おまけに女性からのプロポーズがプチブームになる。
あくまで、プチ。まだ女性からはちょっと、時代が早い…。
最後まで読んでいただき、ありがとうございました。