金色夜叉琵琶法師
「いらっしゃいませ~」
コーヒーショップに入った老夫婦は驚いた。お店に入って、いきなり大きな声で歓迎されることなど今までにないことだったため、困惑していた。さらに困惑したのはカウンターの奥にいる若い店主の容姿だった。
ブロンズの髪が年を取って綺麗に白髪に変わったのだろう、夫婦そろってシルクのような髪をした老夫婦が偽物の髪色をした喫茶店の金髪マスターの前に座った。アジア系の人種と違い、欧米系の人は年を重ねると年齢以上に老けて見えるというが、その夫婦は特に年老いているように見えた。
「・・・・・」
「どうしました?何にしますか?」
「申し訳ない、私たちは困惑しているんだ。君はアジア人かな?」
「そうっすね、何か問題でも?」
「いや、随分英語が流暢だなと、まるでブルックリンの若者と話しているような」
「あははは、いやいや、自分は英語話してないっすよ。日本語っす」
「???」
男性の方はより困惑していた。この若い店主はなにを言っているのだろう。先ほどから女性の方は会話に興味がないのか、それともこの世事態に興味がないのか、目に輝きはなく、虚ろな印象を受ける。
「まぁ、まずは何か飲みましょう。コーヒーでいいっすか?」
「ああ、妻には甘いミルクティーをもらえると助かる。」
馴れ馴れしい若い店主は滑らかな手つきでコーヒーとロイヤルミルクティーを用意した。老齢な男性はコーヒーを一口飲み、目を大きく見開いた。今までもコーヒーを飲んできたが、それらはまるでただの眠気を覚ますだけの飲み物であって、本来の嗜好品といわれる飲み物はこれかと感じたほどだった。
隣に座る愛しい妻も紅茶の味が良かったのだろう、ここ最近では見受けられなかった朗らかな雰囲気を出していた。少しこちらの世に戻ってきてくれたようでうれしく感じたが、いまだに表情は戻っていない。数年前まで彼女はまぶしい笑顔をしていた。60歳近くになるのにまるで30代のような印象を受ける溌剌とした笑顔だった。
「なぁ、いくつか質問していいかな。」
「ええ、いいっすよ。」
「ここはどこだ。」
「いい質問っすね。場所という概念でいえばお二人が住んでいる国とは違う場所であり、同じ場所ってところっすね。」
「答えが明確になっていない。私たちは散歩をしている途中、ウエストブロードウェイからグランビルの方へ入っていく途中の雑居した建物に今まで見たこともないコーヒーショップの扉が入ってきたんだ。いくらアルバータの田舎でいつも過ごしているとはいえ、自分が生まれ育ったBCのことを忘れることはない。つまりここは我々が住んでいるカナダだろ。」
「ならなんで「ここはどこだ」といった質問したんすか?今自分が言ったことに疑惑を感じたからっすよね、そして今それを言ったのは自分を納得するためっすよ。どうします、まだ話を聞きます?」
「・・・・ああ」
老人は一瞬この若いアジア人、さっき日本語といったから日本人であろうこの男の話を切り上げて出ていこうかと思ったが、今以上に不快になることもないし、妻もミルクティーをゆっくり飲んでいる。待っている間、話を続けることにした。
「そんじゃ、話しますね。おっしゃる通り、お二人がいたのはカナダですし、この店の扉を開けて出ればカナダです。ただ今この場所はカナダでも、ましてや自分が住んでいる日本でもない場所なんすよ。まぁ、信じるか信じないかは別っすけど。」
「いまいち理解が・・・」
「まぁ、ここは異次元空間だと思ってください。だから自分が日本語を話していても、そっちには英語で聞こえているっていう不思議現象が起きているんすよ。」
「・・・・ああ」
老人は一口コーヒーを飲み込みながら、不可解な説明を自分の中に流し込む。隣で妻は穏やかなそうに若い店主を見つめている。少し興味が湧いたのか。
「・・では、誘われたというべきなのかな?なぜ私たち二人がこのお店に入れたのかな。」
「すごいっすね、ここに来る皆さんって、大概がそこら辺は無頓着っていうか、気にしてない人が多いんすよね。おじいさんには特別に教えてあげますよ。この店は何かを抱えた人だけが訪れることができるんすよ。」
「?」
「例えば、おじいさんたちが来る前にいた女性がいたんですが、その女性は婚約者の人を殺されたみたいで、超へこんでました。」
「・・それは・・」
「まぁまぁ、最後まで聞いてください。で、ここで、恨みつらみをぶちまけてましたよ。どうやら婚約者の人がお店を開こうとしたときに信頼していた経営コンサルタントに騙されたみたいっすよ。そいつがかなり悪徳だったようで」
「そうだ、世の中は不条理ばかりだ」
「そうっすね、ただここはそれに折り合いをつける場所なんっすよ」
「?」
「自分はあくまで仲介者なんすけどね、そのもやもやをぶっ飛ばせることが可能な場合があるんすよ。今話した女性はその経営コンサルの男を痛めつけて、ぶっ殺してほしいだったんで、それを可能な人が代行してくれたってな・・・・・」
「!!!!!!」
「そんなバカな話があるわけない、そんな映画のような殺し屋みたいなのは探したっていなかった。」
「そうっすね。実際はありそうだけどない、嘘みたいな話ですけどね。でも、今おじいさんがいるこの場所も嘘みたいだと感じません?それなのにおじいさんはカウンターに座って、コーヒー飲んでいるわけじゃないっすか。これは夢っすか?まぁ、信じるも信じないもどっちでもいいっすよ」
「・・・・・・」
「復讐をしてくれるのね」
老婦人は古びた井戸の底から響いてきたような声を上げた。そして虚ろだった瞳は強く、そして燃えるような輝きを宿した。
「まぁまぁ、落ち着いてください。可能な場合はって話ですよ。それに代行してくれる人がいるかわからないし、ただそうやって問題を抱えている人はこのカウンターで、思いをぶちまけ、それを聞いた代行希望者が立候補する、ってな感じの場所っす。」
「うっ、うっ、頼む、頼む、わしではどうしようもできないのだ、、、、、」
老人は今まで押し殺していたのか、悲嘆の感情が現れ始め、最後の方は声がかすれていた。
「いや、だから、まず話を聞かないと」
若いマスターが困惑していると
「この人は私を守るために、今まで泣かなかったので、今は泣かせてあげてください。ここからは私が説明します。」
そういうと今まで心ここにあらずだったはずの、老婦人はぼつぼつと語り始めた。
自分たちが仲睦まじい夫婦だったこと
1人だったが子宝にも恵まれ、子供はすくすく育ち、楽しい日々だったこと。
かわいい孫ができ、これからも幸せだろうと思った矢先、孫を残し、息子と嫁がこの世を去ったこと。
神を怨み、一度は人生を悲観したが、二人が残した孫を代わりに育てることが生きがいとなったこと。
孫はまっすぐと良い好青年に育った、天国にいる息子夫婦に、うれしく報告できていたこと。
ただまた神は裏切った。あんなに良い子がむごい仕打ちを。
二人の愛情が注がれた未来豊かな好青年はAI認証では人として認識されないような顔と全身が数十か所に及ぶ骨折でぐちゃぐちゃになっていた。
手塩に掛けて育てた自慢の孫の最後。
そこからの地獄の日々。
犯人が分かっても解決されない事件。
訴えたとしても叶えられない望み。
老婦人は語り始めた穏やかな美しい顔からこの世のすべてに怒る魔女のような顔に変わり、呪いの言葉を唱え始めていた。その頃合いでとなりでむせていた老人は冷静を取り戻したようで、隣で悪魔と化した妻の代わりにゆっくりと話し始めた。
「私たちができることならなんだってする。どうか孫の敵を取ってほしいんだ。」
そういうと若いマスターの手を熱く握りしめた。
「いやいや、自分はあくまでも仲介するだけなんですって・・・・お、九頭見さん」
マスターが苦笑していると老夫婦の横にいつの間にか男が一人座っていた。
「腑に落ちないことがある。」
下から黒いブーツに、黒いパンツ、黒いワイシャツを首元までボタンをかけ、黒いジャケットを着ている。両手も黒い手袋を付け、サングラスをかけているので表情が読み取れないが、口元は笑っていないことは確かだ。いかにもな格好で、一般人には見えないのは確かだ。
「犯人が分かっているのに解決できないというのはどういうことだ。」
全身黒ずくめの男は言葉を続けた。
「言葉通りだ。孫が殺されたのはアンダーグラウンドの格闘技場だった。どういういきさつかはわからないが孫一人対複数の対決をさせられ、観客の前で集団リンチにされたのだ。」
「警察の介入は?」
「奴らが調べたところ、孫がアンダーグラウンドとはいえ合法的に選手として試合のリングに立ったらしく、リング禍も起こる承諾の書類に孫がサインしているとかぬかし、逮捕ができないとほざいた。」
「そんな承諾書の有効性なんてないわ。でも有力な権力者たちや裏の社会の人間が手を組んで、賭博をしているの、だから誰も手を出さないし、声を上げても消されてしまうの。」
思いのたけを吐き出し切ったのか、落ち着いた微笑を浮かべる老婦人が答えた。
「なんでそんなところにお孫さんがいたんだ。しかも観客ではなく、選手として。格闘家だったのか」
「わからん、なぜ孫が、確かに体は大きく運動神経はあったが、格闘家になるような話は聞いたことはなかった。」
「人と争うより優和を重んじていた子よ。自らの意思でリングに立ってはいないわ」
「あんたらはそう信じたいんだな。実際の本人がどうであったかは本人しか知らない。」
「いや、わしらはあの子を小さいころから育てた。だからわかっている。あんな場所に自ら足を踏み入れる子ではない。何かに巻きこまれたはずじゃ。」
「・・・・そうか。確認だが二人の希望は・・・」
「あの地下格闘施設に関わったクズ全員の死」
「クラウディア!何もそこまで。対戦相手のやつらだけで十分じゃ、奴らが止めれば済む話だったのだ」
訂正しようとする老人の腕に細い白い手を乗せ、老婦人は首を振った。
「ジェフ。アレックスを見殺しにしたやつも含めて許してはいけないわ」
コーヒーショップに入ってきたときの影が薄い印象だった女性は今現世に戻ってきたようだ。
「あなた方の孫がどういう経緯で地下格闘技に参加したとかは知らなくてよいのだな。」
「ええ」
「・・・・・・ああ」
「自分たちに不都合な理由には目を閉じたいからか?」
「そうじゃないわ、理由なんて関係ないからよ。どんな理由であれ、あの子はあの場で殺された。殺されたの。その復讐よ」
「・・・・・・・」
「わかった、そのアンダーグランド格闘技施設の名前はわかるか。」
「GASLANDって呼ばれているわ。他に・・・」
「それだけ分かれば十分だ。この件は俺が引き受けても良い。俺に依頼する際の条件はマスターから話を聞いてくれ。受理されたら、すぐに動く。それじゃぁ、俺はカナダに行けるよう準備するんで先に失礼するよ。」
そういうと九頭見と呼ばれた男は、カウンターから離れいった。
「ちょっとまって、いつ実行されるの?いつまで待てばいいの?」
声をかけられた男は振り向きもせず、扉を開け、出てってしまった。
「どうなるの、これは!」
「大丈夫っすよ!九頭見さんは結構忙しい人なんで速攻動きますから。多分、二人が条件を承諾すれば、カナダ行きの飛行機すぐ取りますよ。それより九頭見さんの値段は高いんですけど、良いっすか?」
「ええ」
「ああ」
「2億円」
「!!」
「そんな、大金は」
「そしたら、諦めるっすよ。九頭見さんが手を挙げたら、他の人は出てこないと思いますよ。なんせ、皆殺しって、人数わかんないから、もしかしたら格安かもしれませんよ。」
「・・・・・」
「本当に全員殺してくれるの。」
「そこは保証します。九頭見さんがやるって言ったから」
「わかったわ」
信用性のかけらもない若いマスターの言葉を本気にするべきかどうか一瞬悩んだものの、他に自分たちの復讐を果たす方法などない。老夫婦は自分たちがもう少し若ければ無鉄砲な復讐を実行していたかもしれないが、年を取ってしまったがゆえに心と体が追いついていかない。
「クラウディア、やはり、これは」
「いいじゃない、私たちでは使えきれないお金があるわけだし、問題ないじゃない。これで格闘施設の運営した奴らはみんな死ぬのよ。」
もともと堅実な生活をし、実直に働いていた二人は子供のため、孫のためと貯えていた。そこにその貯えを託す相手から、命と引き換えに保険金を得ていた老い先短い二人にとって、2億は払えない額ではなかった。
「うぃっす。そしたら九頭見さんには契約成立したと伝えておきます。九頭見さんが仕事を終わったら、またここに来てください。その時にお金を持ってきてくだされば助かります。」
「ええ」
「ああ」
若いマスターに言われたものの、本当に依頼を達成してくれるのか。老夫婦は懐疑的だったが、今まだ悲しみに暮れる日々から少し脱却できるかもしれない期待に心震わせた。
老夫婦は喫茶店を出ていこうとし、扉に手をかけたとき老人が帽子を忘れたとカウンターに戻り、マスターに改めてお礼を言う愛する妻の元へ戻った。しかし老人は息を吹き返したような妻を再び見られて安堵する一方、狂気じみた笑みを浮かべた妻に不安を抱いてもいた。
例の喫茶店から帰った九頭見は事務所の九曜巴の家紋が入った扉を開けると全体を見渡した。中にいた男たちは九頭見の姿を見るなり、入り口の方へすぐに整列し、「「「若、お疲れ様です。」」」と一斉にあいさつしたのだった。
「ああ、べつにいいから気楽にしてろ。ところで、蓮見は?」
「蓮見さんは下の2人と一緒に親分のところに報告に行きました」
「ああ、そうか、昨日はお前が行ってくれたな。いつも助かる。」
「そんな、親分と若のおかげで自分たちはあるので」
「はは、前からも言っているがこんな昔ながらの気質な組に忠義を尽くしてくれているんだ、礼を言うのはこっちさ。気にするな」
片田舎のシマしかないしがないやくざ、久遠組の若頭が九頭見巽だった。若頭の巽の祖父がこの組の親分で、残りの構成員は7名と合計9名の少数の組は、一見他の同業者にすぐ潰されてしまいそうなものだが、同業者は絶対にこの組とシマには手を出さない、絶対に。
理由は一つ武力の差。久遠組の全盛期に手を出した有名な組が丸ごと潰され、最近もこの組が管轄していた地域に半グレといわれる若造たちがオレオレ詐欺やゆすり、ドラッグ等の犯罪を組織的に開始した際には、警察に知られることなく、瞬時に潰されていた。捜索願が出された彼らはいまだに見つかってはないのは、骨まで砕かれ、自然に帰り、誰も見つけることはできないからだろう。
クスリやゆすり、詐欺といった犯罪で得るシノギは一切認めず、昨今反社会勢力といわれる連中とは一線を画き、シマで何か問題が起きれば解決のため体をはっている。些細な地域の厄介ごとにも親身に対応しており、市民からは恐れられていながらも慕われている組織は、地方の祭りの的屋とこの地域に住んでいる人たちの自主的なみかじめ料で成り立っている。
この地方に古くから住む権力者たちは久遠組と仲が良く、お互いに便宜を図ってはいる。つまり爺さん世代は仲が良いのだ。ただ中堅世代や外部から甘い汁を吸いたくて狙ってくる権力者たちは久遠組を好ましく思ってない邪魔な存在とし扱われている。
それでも表立って妨害や攻め込んでくることはないのは、巽の父親による過去の伝説とそれを受け継ぐかのような武勇を持つ巽による影響で間違いない。だから無知な連中以外はこの久遠組のシマに首を突っ込もうとしない。彼らの領土に入りこんだら最後というのを理解している。だからほとんどが漁夫の利を待っているのだ。
久遠が幅を利かせる場所が広がれば、それはそれで住民は幸せかもしれない。ただ彼らは島の拡大を望んでいない。絆が結ばれている組からの依頼や弱者からの嘆願があった場合を別として、久遠組が自発的に他へ攻め込むことはない。彼らは日陰者ということをしっかり理解しており、それは他を怯えさせるだけの悪行であり、正義のヒーローになれるわけではないと。
事務所の扉が開く
「「「蓮見さん、お疲れ様です。」」」
声をかけられた端整な顔つきをした男は軽く手で挨拶すると奥に座る巽の机に向かい
「若、お疲れ様です」男にしては高い声だ。
「漣、今日はオヤジのところに行ってくれていたんだってな。ありがとう。なんか言ってたか」
「いえ、何も。いつものように報告を聞いて、変わりないことに満足されてました。」
「そうか、一緒に行った2人は?レッツゴーか?」
「はい、親分につかまり、将棋の相手をしながら、家の掃除とかをしているはずです。終わったら帰っていいと伝えてあります。」
「そうか、そしたら俺が帰る時間まではいるだろうな。」
「だと思います。で、若、こちらを。今回はどちらに行かれるのですか。」
蓮見は事務所のポストに投函された喫茶店マスターからの封筒を開封せずに、巽に渡す。
「ああ、爺さんたちは飲んだか。蓮見、以前に連絡がきた中でGASLANDってところからの招待状はなかったか。」
「ありました。若の武勇をぜひ見てみたいと、カナダのB.C.にあるGASTOWNのどこかにあるらしいですね。カナダ行きのチケット取っておきます。」
「ああ、今晩オヤジには話すとして、他のには・・・」
「くどいとは思いますが、今回は何人か・・・」
「だめだ、俺一人で行く。蓮見には悪いがまた留守のあいだ頼む。もしもの時は」
「かしこまりました。」
すでに何度か行っているやり取りのため、蓮見は余計な何も言わない。九頭見巽という男を理解しているからこそだ。
巽は個室から出て、残っている組員を集めると手短に話をした。
「というわけで、今回はカナダに行ってくるから、留守を頼むぞ。」
「若、失礼を承知で言います。今回は‥‥」
巽が事務所に帰ってきたとき、報告をした古参の組員は言葉をつづけようとしたが、巽の後ろで蓮見が目を伏せ、首を振っているのを見て
「わかりやした。お気をつけて、こちらはご心配せずにいってください。」
「伊達、すまないな。みんなも俺がいない間頼むぞ」
「「「「「はい」」」」」
「九頭見」と掲げられた昔ながらの日本家屋の門の前に巽が到着すると中から騒がしい声が聞こえてくる。どうやらオヤジと子分の2人が盛り上がっているようすだ。
玄関を開けても何も反応が無く、広間まで向かうと年甲斐もなくニンテンドーswitchで遊ぶ老人と翻弄される双子が卓球勝負をしていた。
「ただいま戻りました。」
「兄貴、お疲れ様です。」
「若頭、お疲れ様です。」
豪と烈の双子は同じタイミングで答えるが、態度と言葉が違う。二卵性で見た目も性格も違うのに話すタイミングは全く一緒というのは双子の不思議だ。
「おお、おかえり、はぁはぁ、お前もちょっとやるかい」
「「見た目は爺なのに元気な人だ」」と巽は安心しながら
「いや、俺は良いよ。飯は?」
「いや、まだだよ。」
「兄貴、大丈夫っす。いろいろ買っておいたんで、レンチンですぐっすよ。」
「若頭、大丈夫です。何品か作っておきましたので、温めてすぐ出せます。」
「よし、そしたら、飯にしよう」
4人はてきぱきと片付け、ちゃぶ台の上に食事を並べた。オヤジの意向で、組長の自宅であっても子分は、一緒の食卓に座って同じ釜の飯を食うことになっている。レッツゴーは特に気兼ねなく食事をとるので巽の祖父のお気に入りだ。
豪がレンチンで温めたハンバーグやポテトグラタンといったおかずに、烈が作った筑前煮、みそ汁、御御御付が並び、かなりの豪勢な食卓になった。大人4人の食事にしても多い量だが、この4人なら問題ない。
「そんじゃ、まぁ」
「「「「頂きます」」」」
大人4人が一斉に飯を喰らう。
その間、無駄な会話は一切せず、食事に集中する。これは昔っからの決まり事で実の父親がいたときから変わらない。
食事を終え、一息つくと
「親分、すみませんが明日の夜にカナダに発ちます」
「・・・・例の仕事か」
巽の祖父である親分を含め久遠組の組員は若頭の仕事の詳細はわかってはいない。ただ時たま九頭見巽個人に入る仕事のおかげで組の経営が成り立っているのを承知している。
「はい。」
「兄貴、お気をつけて」
「若頭、お気をつけて」
「ああ」
「すまないな。変なものを継がせてしまったな。」
年老いた組の長は遠くにある仏壇に飾られた家族の写真を見つめながら、孫に課せてしまったものを悔んでいた。
「じいちゃん、そんなことはない。俺が望んでやっていることだよ。親父が生きてても、同じだからさ。任せてよ。」
巽は揺るがない意志があった。
全盛期の祖父は「血染めの銀治」と言われ、ひと昔の仁侠映画の主役のような大立ち回りをしていたようだ。祖父の逸話を嬉々として話す父親が好きだった。巽は父の胡坐の上に座りながら話を聞き、母が遠くから食事の支度をする音が聞こえ、祖父が照れながらも話を盛り、祖母がその話を訂正する。子供時代の巽の至福の時。子供の巽はその話に出てくる祖父と同じように男気溢れる筋の通った男になることが夢だった。
それは巽の父親も一緒だった。父もそんな活躍をしたかったのかもしれない。だからあんな無理をしてしまった。それを止められなかった母が悔やんで、気を病んでしまった。祖母は母の代わりに家を切り盛りし、疲れて倒れ。祖父は自分の武勇伝が起こしてしまった事態に覇気を無くしてしまった。
巽は高校に上がる前に変わりゆく周りを食い止めるため、巽は家族の反対を押し切り、組の先頭に立った。自分が好きだった、大切だったものを守るために。父親が亡くなって数年の間に組からの裏切り者はすべて裏切り、巽を認め、支えようと残った組員以外は全員去り、久遠組のシマに攻め込む輩の相手に明け暮れた。
中学を卒業したばかりのガキが守れるはずなどなく、つぶれ行く田舎のやくざとなるのが久遠組の定めだった。今まで陰ながら助けていた権力者たちもそっぽを向き、警察は今まで通り見て見ぬふりをし、すべてからの支援がなくなったことが明確になっていたある日、西の方からの大きな勢力の若頭が九頭見巽に1対1での話し合いを求めてきた。
周りの組員が警告する中、無計画に単身乗り込むことを決めていた巽は待ち合わせの倉庫に行ったところ案の定、罠だった。光物やハジキを持った男たちが待ち構えた倉庫に巽は一人佇み、眺めた。
相手方の若頭をはじめとしたそこにいた奴らは皆、巽をあざ笑った。彼らの言葉を信用した時代錯誤のガキへの罵声と久遠組に対するこれからの仕打ちを楽しそうに語り始めた。
しかしそれは巽のも分っていた。西の勢力が久遠組をどう扱うか、また彼らが大切にしていたシマをどう扱うか、奴らの言葉を信用するのは愚かしいことにもほどがあること、巽は良く良く知っていた。なぜなら父の膝の上で聞いた祖父の相手がまさにそういった輩だったから。
巽は今から祖父の、そして自分の父親も作った伝説を作る。そのために一人この場所に来たのだ。
巽はしゃがみ込むと地面に手をついた。周りにいた馬鹿どもはそれが絶望した子供が地べたに座り込んだのだと勘違いし、さらに笑った。
「金色夜叉琵琶法師」
巽はその一言と一緒に墓桶を地面から出現させたのであった。
「巽のぼっちゃん、すみません。くそ、間に合え!」
伊達を含めた残された組員たちは連日の他の勢力からの嫌がらせや抗争に疲弊しきっていた。そんな中での西の勢力からの提案にもしかしたらと藁にも縋る思いで巽に話してしまった。いやその時にはすでに巽を人身御供にすれば、この地獄も終わると心の隅で思ってしまったのかもしれない。
しかし覇気を無くした顔で、組長である巽の祖父、銀治が事務所を訪れ、「巽を知らないか」といった一言に目が覚めた。巽は家族に何も言わず、敵が提案してきた罠に飛び込んだのだ。それはまるで巽の父親と一緒の行動だった。自分たちの馬鹿さに嫌気がさし、すぐに事務所を飛び出した。
それは銀治も一緒だった。古株の伊達の表情を見て、一瞬で悟った銀治は自分の愛する息子、そして孫までも失いかけていることに気が付き、それまでそのことを放置していた自分に怒り、伊達たちと事務所を飛び出した。
最悪のことを想定していた久遠組一行が約束の町はずれの倉庫についたときに見た光景。
それは頭の中を支配していた暗い映像を払拭する輝かしい光景だった。
九頭見巽は人の気配がしない倉庫の外で一人朝日を浴びて立っていた。周りには巽が沈めたであろう百数十人の侠客たち。巽は近づいてくる祖父の銀治や組のみんなに気づき、手を振りながら歩いて行った。
その背中には坊さんの恰好をし、琵琶を弾きながら、謳っているかのような姿をした金色の鬼が描かれていた。