その7 さつきの友達はゆるふわビッチちゃん
「……いってきまーす」
誰もいない家に声をかけて、さつきは家を出る。
最近は父親よりも遅く出かけることが多くなった。『いってらっしゃい』を言ってくれる人がいないのは寂しいけれど、その代わりに見送ることができるようになったので、プラスマイナスはゼロである。
カギを閉めて、階段を下りる。
駐車場にとめてある車に乗り込んで、大学へと向かった。
今日は二限目からの授業なので、いつも以上にゆっくりできる。
本当はもっと遅く出かけても良かったのだが、いつきのいない家にいても寂しくなるだけだ。最近はいつきがいない時間帯はなるべく出かけるようにしている。
高校生まではずっと家にいた。学校が終わったら、基本的に家でいつきを待っているのが彼女の日課だったのだが……その時間帯を、彼女は『自分磨き』にあてるようになった。
娘としてではなく、女性として見られるために。
さつきは色々と魅力が足りないことを自覚している。人間として、それから女性として、もっと成長したいと考えるようになった結果、なるべく外に出ようという結論に至ったわけだ。
高校生までは苦手だった友達付き合いも、大学生になってからは積極的になったのは、そういう理由もあった。
おかげで、彼女はたくさん友人ができた。
ただし、『女性のみ』という条件がついているが……それもまた友人づきあいには違いない。
今日、少し早く出かけたのも、友人とお茶でもしようと誘われたからだ。
「えっと……いたいたっ」
待ち合わせ場所に指定していた、大学の近くの喫茶店に到着して、友人の姿を探す。
その子は窓際の席でぼんやりとスマホを弄っていた。もう既に到着していたようだ。
「真美ちゃん、やっほー」
手を振って声をかける。
真美と呼ばれた女性は、さつきに気付くや否やパーッと表情を輝かせた。
「さっちゃん、やっほ~」
両手を振って挨拶する友人にさつきは頬を緩める。
大学生になってたくさん友人ができたが、真美は一番最初にできた友達なので、特に仲が良い。
「今日もさっちゃんはかわいいね~。写真とっちゃおー」
ふんわりと笑いながら、真美はスマホのカメラでさつきを撮る。
いつものことなので、さつきは微笑みながら写真を撮らせてあげた。
「あ、ミルクティーでお願いします」
「真美はタピりたいなぁ~」
「……タピオカミルクティーも追加でお願いします」
店員に注文すると、あまり時間も待たずに飲み物が届く。
それを飲みながら、二人は談笑を交わした。
「いいなぁ~。さっちゃんみたいにかわいかったら良かったのに~」
「真美ちゃんもかわいいよ?」
いつもキャーキャー言われるのだが、さつきは別に自分が特別にかわいいと思ったことがない。それに、真美も可愛いと本心から思っているので、羨ましがられることを不思議に思っていた。
「え~? 真美もかわいいかなぁ~?」
「うん、かわいいよ?」
実際、真美はふわふわしていてとても魅力的だと、さつきは思っている。
栗色の髪の毛がよく似合っている女性だ。くせっ毛らしく、髪の毛に少しパーマがかかっており、それが彼女のふわふわという印象を強くしていた。
肉付きも、全体的に細くて痩せているさつきに対して、真美はいい意味でムチムチしている。身長はさつきとさほど変わらないのに、胸は大きいので、逆にさつきの方が羨んでいるくらいだった。
「そうかなぁ~? そうだったらいいんだけど……この前、彼氏に振られちゃったからなぁ~」
「うぇー。またその話するのー?」
ふわふわしている真美は、かなりモテる。
独特な雰囲気を持っていて、男性だろうと関係なく心を開いて接するタイプの人間なので人気が高い。
しかし、逆に女性からは少し嫌われるタイプの人間でもあった。
あざといというか、ぶりっこ気味なのでそれも仕方ないだろう。だからこそ、数少ない女友達のさつきを、真美は大切に思っているようである。
そういうわけなので、真美は気軽に男子と遊びに行くような人間でもあった。
性格がふわふわしているので、恋愛に対しても浮気がちなのだ。
おかげで彼氏から振られてしまったらしい。さつきからすると同情の余地なく真美が悪いので、慰めることは絶対にしない。
「男遊びを控えたら良かったのに」
「え~? でもぉ、遊びたかったしぃ~」
まぁ、言ったところで聞かないのが真美という女性である。
彼女は少し、頭もふわふわしている。物事を深く考えないので、感情に行動が引っ張られがちだ。
そういうところは、友人としては好ましく思うが……彼氏の身からすると、たまったものじゃないだろう。
「どうせ真美ちゃんならすぐに彼氏作るよ。たぶん一週間くらいで」
「……実は今、いい感じのお友達がいるんだよね~」
「ほら、やっぱり、それで一カ月くらいで別れるよ」
「うぇ~ん。さっちゃんたら酷い~……ぴえんぴえん」
嘘泣きする友人に、さつきは思わず笑ってしまう。
こうやって、真美とは気兼ねなく話せる仲だ。異性に対してはだらしない真美だが、同性に対しては大らかで懐の深い性格をしているので、さつきも接しやすいと思っていた。
この子が最初の友達になってくれたから、さつきは友達って悪くないと思えるようになった。
だから高校生まで使っていたお嬢様言葉もやめた。なるべく普通に話して、友人たちと仲良くなろうと努力していたのである。
その甲斐あって、今では立派な女子大学生になりつつあった。
ただ、人との距離感を近づけた分、少しの弊害もあったりするわけで。
「あ、そういえばね、さっちゃん? 今日の夜、真美が狙ってる男の子たちと合コンするんだけどね、一緒に行ってくれないかなぁ~?」
そうなのだ。大学生と言えば、世間一般的には遊びまくる年齢である。
もちろん、みんながみんなそうするわけではないだろうが、少なくとも確実に真美は遊び人なので、よくこうやって誘われることがあった。
まぁ、いつも答えは決まっているのだが。
「んー、遠慮しとく。あんまり興味ないって前にも言ったでしょ?」
「えー? でも、今日はイケメンがいっぱいくるらしいよぉ~? ほら、サッカーサークルの先輩たちとかいるのに~」
そう言われて、スマホの写真を見せられたが、さつきにはかっこいいかどうかよく分からなかった。
(……テレビの芸能人もそうだけど、最近の若い人ってみんな顔が一緒に見えるなぁ)
あまりにも異性に興味を抱かなかったせいか、男性はみんな同じ顔に見えてしまうようになっていた。
彼女が好きな人は、今も昔も一人だけである。
とことんファザコンの弊害が、ハッキリと出ていた。
「それに、真美ちゃんの男づきあいは信用がないから、絶対に行きませーん」
「え~? なにそれひどーい。ぷんぷんっ」
「……波美さんの美容室の件、まだ忘れてないからね?」
一カ月ほど前、真美の紹介で桐川波美の美容室に行ったわけだが。
その時、チャラい男性店員に絡まれてしまったことを、さつきはまだ忘れていない。
以来、真美にお願いするのは控えるようなったくらいである。
彼女は悪い子ではないのだが、良くも悪くもふわふわしているのだ。そのことを身に染みて理解した一件だった。
「あはは~。あれはごめんね~……えっと、彼って誰君だっけ? この前、ラインで飲みに行こうってしつこかったからブロックしちゃったんだよねぇ~。えっと~……名前忘れちゃったなぁ~」
間延びした声には一切悪意がないので、それがまた不気味である。
(世の中って不思議だなぁ……面白い匂いがする人がいっぱいいる)
真美からは独特の匂いがした。
嗅覚の鋭いさつきにしか分からない香りだろうが、唯一無二の匂いにさつきは首を傾げる。
嫌な臭いではない。でも、綺麗な匂いでもない。
食べ物で例えるなら、ゲテモノだろうか。味は美味しいけど好き嫌いが分かれるような匂いである。
そしてさつきは、真美の匂いが嫌いではなかった。
四六時中一緒にいたいとは思わないが、少しの時間であれば、逆にクセになりそうな独特の魅力を感じている。
「行かないのかぁ~。残念だけど、また今度誘うねぇ~」
真美は基本的に断っても気にしない。良くも悪くも何も考えていないので、次も懲りずに誘ってくるのだが、だからといって不機嫌になることもないので、さつきとしては接しやすかった。
「それでねぇ~。このお洋服なんだけどさぁ~」
そして話が180度転換する真美。
「へ~。オシャレなお洋服だね~」
いつものことなのでさつきはもう慣れたものだった。
……かつて、さつきの世界は父親と彼女の二人だけで完結していた。
それ以外は要らないと切り捨てていたのだが、しかし最近のさつきの世界は結構、賑やかになりつつあった。
おかげで視野も広くなりつつあって、色々な方向性から物事を考えることもできるようになっていた。
世間一般的に言えば、それは『成長する』ということで。
そう……さつきは、大学生活を経て、少しずつ大人になっているのである――




