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その3 はじめてのびようしつ

 ――大学生になったさつきは、自分を変えようと必死だった。


(パパに、娘じゃなくて『女の子』として見てもらわないとっ)


 異性として認識してもらうために。

 さつきは娘ということに甘えてきた今までの自分を封印したのである。


 高校生までのさつきは、基本的に父親にすべてを任せていた。

 家では着る服も父親のものを借りていたし、外出用の衣服はほとんど彼が選んだものを着用していた。


 髪形も特にこだわりがなかったので自分で適当に切っていた。

 化粧もせず、自分磨きもあまり意識せず、ただただ父親に甘えてばかりいたのである。


(あうぅ、あの時の自分を記憶から消したいっ)


 義理の親子であると分かった時、さつきは自分がものすごく恥ずかしくなった。

 娘として、見てほしくないと思っていたけど……逆に、あんなことばかりしていたのだから、娘としか見られないのも当然だと気付いたわけである。


 だから彼女は、大学生になってから自分を変えようと一生懸命だった。


 もちろん、結果はすぐには出ない。

 父親のいつきにはあまり認識の変化がないようで、今でもさつきのことを娘のように思っている……ように、さつきは感じている。


 だから、もっともっと女性らしくなろうと、彼女は必死だった。


「えっと……ここかな?」


 今日は大学の講義が早く終わった。

 まだ時間は14時だ。もちろんいつきは仕事中なので、家に帰っても仕方ない。


 だから彼女は、余った時間を有効活用することにした。


(は、初めての美容室だから緊張するっ」


 訪れたのは、友人に紹介されてやってきた美容室だ。


 今までの彼女は、なんと自分で髪の毛を切っていた。

 適当に長さを揃えて満足していたのである。


 しかし最近は、今までの自分ではダメだと思うようになっていた。

 なので、髪形も大きく変えることにしたのだ。


 大学の友人におススメされたこの美容室はかなり人気があるらしい。

 本来ならすぐに予約が取れる場所ではないのだが、これまた友人の人脈のおかげで予約を入れることができた


 さつきは大学で人付き合いにも力を入れている。

 おかげで、友人もいっぱいできた。その子たちから色々な情報を得て、自分磨きにも励んでいるわけである。


(緊張するけどっ……髪形を変えていつきをびっくりさせてやるんだもんっ)


 お店の入口付近でおろおろしていたさつきだが、勇気を出してと足を踏み出した。自動ドアが開き、そして正面にあるカウンターの奥から店員がこちらに目を向けた。


「いらっしゃいませー……ん? 今日は予約とかしてます?」


 出迎えてくれた店員は、どことなくチャラそうな男だった。


「は、入ってませんか?」


「んー? この時間帯の予約はないんすよね~」


 しかし、名簿と思わしき用紙を見つめて、店員は首をかしげていた


「すいませんけど、うちは予約制のお店なんすよ。新規のお客さんは案内してないんで、すいませんっす」


 歓迎されていない雰囲気に、さつきはちょっとだけ気後れしそうだった。

 でも、父親に『かわいい!』と言ってもらうために、彼女は勇気を出す。


「え、えっと、真美ちゃんの紹介できました」


 このお店を紹介してくれて、予約も取ってくれた友人の名前を出す。


「真美ちゃん? ……ああ、もしかして君がさつきちゃんか!? なんだ、先に言ってよ~」


 すると、チャラそうな店員は一気に馴れ馴れしそうな態度になった。

 へらへらと笑いながらカウンターから出てきて、肩に触れようとしてくる。サッと身を引いてかわしたが、それを気にせずに彼は席に案内しようとしてきた。


「こっちにどうぞ~。そういえば真美ちゃんから紹介されてたの忘れたな~」


「……あの、予約は入ってなかったんですか?」


 てっきり、友人の真美が入れてくれていたと思っていたのだが、そういうわけじゃなかったらしい。

 店員の態度から見るに、正式な紹介とは思えなかったのである。


「予約? ああ、大丈夫! 俺が切ってあげるから、予約なんていらないよ?」


「え? あなたが???」


 その発言に、さつきは眉をひそめた。

 聞いていた話と違うのだ。真美からは『腕のいい女性美容師がいる』と聞いて、このお店に来たのである。


 さつきは基本的に、一定の年齢を越えた男性以外に触れられることを拒んでいる。おじいちゃんなら気にしないのだが、若い男性のことは敬遠していた。


 ましてや、髪の毛を触れられるなんてもってのほかだった。

 彼女の頭に触れていい異性は、たった一人だけなのだから。


「そういうことなら、今日はいいです……すいません、話が違うので帰ります」


 すぐに帰ろうと、踵を返す。

 しかし、チャラそうな男性は諦めが悪かった。


「ちょっとちょっと! せっかく切ってやるって言ってるんだから、遠慮しなくていいじゃん? 俺、こう見えて結構上手いよ?」


 彼はさつきの前を阻むように立ちふさがってくる。

 その時、不意に嫌な臭いを覚えて、さつきは身をすくめた。


(変な匂いがするっ)


 嗅覚の鋭いさつきは、他人の悪意の臭いでさえも感じることができてしまう。なので、この男性店員が何か嫌なことを考えていると、彼女は察した。


「け、結構ですっ」


 すぐに逃げようと試みる。

 だが、男性店員はしつこい。


「おいおい、それはないんじゃないの? そんなに嫌がってたら、まるで俺が嫌なことをしてるみたいじゃん? 失礼と思わない?」


 今度は詰め寄ってきて、いよいよさつきは身の危険を覚えた。

 何かをされるのではないかと恐怖を覚えて、その場から逃げようと踵を返す。そのまま入口を飛び出そうとした、その時だった。


「おい……うちの店で揉めてんじゃねぇよ」


 声の方向を振り向く。

 たった今、店に入ってきたのは、ピンク色の髪の毛を持つ女性だった。


 まるでバンドマンみたいな奇抜な髪色の女性である。破れまくっているダメージジーンズとへそ出しのシャツという、露出の多い恰好に、同性ながらさつきは少しドキドキした。


「て、店長!? きょ、今日はお休みじゃないんすかっ」


 チャラい男性店員も彼女の登場に驚いている。

 さっきまでは嫌な臭いを発していたが、今は困ったような臭いに変わっていた。


「あたしの店なんだから、休みだろうと様子を見に来て何が悪いんだ?」


「そ、そうっすね! あははっ」


「ってかよ……てめぇ、この子に何かしようとしたか?」


 そして店長と呼ばれた彼女は、さつきを見て怒ったように声を荒くしていた。


「もしかして、また勝手に客を取ろうとしたんじゃねぇよな? 見習いの分際で、まさかでしゃばった真似してたんじゃねぇよな?」


「ま、ままままさか! そんなわけないっすよ! ねぇ、さつきちゃん? 君、今から帰るところだったよね? ほら、店長に勘違いされちゃうから、帰っていいよっ」


「…………」


 男性店員は明らかに焦っている。

 さつきはなんて言っていいか分からなくて、押し黙ってしまった。


 その様子を見て、店長はため息をつく。

 どうやら全てを察したようだ。


「ちっ。てめぇを雇ったあたしがバカだった……もういいから、裏で備品整理でもしてろ。二度と表に顔を出すなよ」


「は、はいっ。すいませんっした!」


 男性店員は店長をとても怖がっているようだ。

 血の気の引いた顔で愛想笑いを浮かべて、言われた通りに店の奥へと消えて行った。


 後には、戸惑ったさつきと、呆れた様子の店長がだけが残る。


「悪いね、うちのバカが迷惑かけたみたいで……前々から問題ばっかり起こすアホだとは思ってたけど、またやらかしやがった」


「は、はぁ……そうですか」


「まったく……あいつ、うちの若い従業員と付き合ってるらしくてね……その子がどうしてもって言うから雇ってやったのに、ふざけた接客ばかりしやがって」


「な、なるほどです……」


 いきなり愚痴を言われても、さつきには返す言葉などない。

 帰った方がいいのだろうか、と彼女はおろおろしていた。


「以前も、あたしが休みの日に勝手に客を取ろうとしたんだよ。それで揉めて、あたしが客に頭下げて許してもらった。あのバカには二度目はないって脅したのに、またやりやがった」


「……たいへんですね」


「まったくだよ。うちの店の名前を穢すんじゃねぇよ……あいつはクビにしてやるっ」


 さつきは赤の他人なのだが、こんな話をして大丈夫なのか……と、少し心配になった。


「あの、わたしこそすいません。友人の紹介という形で来てしまいました……正式に予約も入れないで、ご迷惑をおかけしました」


 とはいえ、さつきにも悪いところはあった。

 確認不足だったので、きちんと頭を下げておく。


「ん? なんであんたが謝るんだ? そっちは何も悪くないだろ」


 それから店長は、さつきの肩を抱いて歩き出した。

 自然な態度で触れられた。しかし同性ということもあったのか、嫌悪感は一切ない、むしろ、この女性からは悪意の臭いがないので、さつきは身を任せてしまった。


 たまに、いるのだ。

 いつきみたいに、綺麗な匂いのする人間が。


 いつきほど純粋で透明な匂いは誰もいないのだが……それに近い人間は、少数ながらに存在する。

 たとえば、身近な人間で言うと親戚のソフィアもそうだ。他には、高校生の頃の担任である奥川先生も、綺麗な匂いを発していた。


 そして、このピンク色の女性も、どうやら似たように綺麗な人間らしい。

 だから彼女は不信感を覚えずに、連れて行かれるままに歩き出した。


「ちなみに、友人ってのは誰なんだ?」


「え? あ、はい。真美ちゃんです」


「真美か。うん、知ってる……うちの常連だね。あたしが面倒見てる小娘だ。あの子は人懐っこくていい子なんだけど、ちょっと頭が緩いんだよなぁ……だからさっきのバカみたいな男とも仲良くなっちゃうんだろうね」


 連れて行かれるままに、さつきは店の中へと足を進める。

 店内は、さつきの想像していたイメージと少し違っていた。


「あれ? 個室、なんですか?」


 そう。さつきがイメージしていた美容室とは、広いスペースに席が複数並んでいるような場所である。大きな鏡台の前で、他の客と並んで髪の毛を切るのだと思っていたが、どうも違うようだった。


「うちは個室ヘアサロンってやつだよ。他の客が隣にいたら気が散るだろ? ほら、座りな」


「え? あの……わたし、予約取ってないですよ?」


 席に促されて、さつきは首を振った。もちろん帰ろうと思っていたのだが……それを店長が許してくれなかった。


「バカが迷惑かけた分、償わせろ」


「で、でも……」


「お嬢ちゃん、自分で言うのもなんだけど……あたしは結構、腕が立つぞ? どうしても嫌なら別にいいんだが、もっと可愛くなりたくないのかい?」


 もっと、可愛くなる。

 その言葉に、さつきは背筋をピン!と伸ばした。


(かわいくなりたいっ)


 いつきに『かわいい!』と言ってもらうために、今日は勇気を出してここまで来たのだ。


 せっかくのチャンスなのだ。わざわざ見逃す意味はないと、さつきは前のめりになった。


「よ、よろしくお願いしますっ」


 ぺこりと頭を下げる。

 そんな彼女を見て、店長はニヤリと笑った。


「ああ、任せな。ふふっ……腕が鳴るよ」


 そして、彼女は今日……劇的な変化を遂げることになる。

 いつきは後にこう語った。


 女性って、髪形一つでこんなに変わるだなぁ、と――

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― 新着の感想 ―
[一言] これはまだ続きますね。 そんなに変わるものなのかなあ、と実際目にしたことのないものは考えちゃうんですが。目の当たりにすると、違うんだろうな。
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