第三話 君が義理の娘っていつになったら言えるのかなぁ
娘のさつきが膝の上に座って笑っていた。
「えへへ~。パパ、大好きー!」
さっきまで泣いていたのに、その面影はもう見えない。この子はコロコロと表情が変わる女の子だ。
晴れて16歳になったけど、見た目同様に性格もまだ子供っぽい気がする。
だからこそ、さつきは『パパと結婚する』なんて言っているのかもしれない。もっと大人になったら、そんなことも言わなくなるはず‥‥‥まぁ、それを中学生の頃から信じているけど、一向に良くならないわけだが。
「パパもわたしのこと好きなんだよねっ?」
「う、うん。好きなことは間違いないけど……」
「だったらサインちょーだい♪」
さっきダメって言ったのに!
さつきはまだ諦めていないようだ。
婚姻届けを握りしめて俺にぐいっと差し出してくる。
まるで学校でもらったプリントを手渡すみたいな気軽さだ。
「さつき……あのね、パパは君のことを愛しているよ」
「ほんとー!? えへへー、ありがとっ」
照れて唇をもにょもにょさせている娘は可愛い。
できることならこの笑顔を崩したくない。
この子の言うことを全部肯定して、望むことを全部やってあげて、幸せにしてあげたい。
だけど、甘やかすだけが子育てではないのだ。
ダメなことはダメ。ハッキリそう言わなければならない時がある。
その時が、今だ。
「さつきのこと、大好きだけど……ごめんね、パパとさつきは結婚することができないんだ」
心苦しい。娘を否定する時はいつも心が引き裂かれそうなほどに痛む。
でも、言い切った! 親としての責務を果たしたのだ。
「法律でね、親と子供の結婚は許されていないんだ。これは世の中のルールだから、守らないといけないんだよ」
諭すように言い聞かせる。
さつきがお父さんを好きって気持ちは嬉しいけど。
それは許されてはならないことだから。
きっとさつきは傷ついてしまうだろう。
もしかしたらまた泣いてしまうかもしれない。でも、こればっかりはどうしようもない。
せめて、泣き終わるまではそばにいて慰め続けよう。それが父親としてやってあげられる唯一の事である。
そう、思っていたのだが。
「むぅ、やっぱりダメかぁ~」
さつきは思ったよりもケロッとしていた。
「法律のせいでダメだもんねっ」
……まぁ、冷静に考えたら当然か。
この子はもう16歳。高校一年生だし、法律のことだって分かっているはずだ。
それでもあえて、この子は婚姻届を書いたと言うことだ。
そこに、作為的な匂いを感じた。
「でも、パパはわたしのこと、嫌いじゃないんだよね? 結婚を断る理由は『法律で禁止されているから』だよね?」
言質を取ろうとするようにさつきは念を入れて確認してくる。
さつきのことはもちろん嫌いじゃない。法律で禁止されているから結婚しない、というのも当たっている。
……確かに言葉通りなのだが、なんとなく引っかかる。
さつきはいったい何が言いたいのだろう?
「うん、そうだけど?」
恐る恐る、頷いてみた。
するとさつきはニッコリと笑って、俺の体を抱きしめた。
「じゃあ、法律を変えたらパパと結婚できるんだねっ? だって、パパはわたしのこと大好きだし、わたしもパパのこと大好きだもん! つまり、邪魔をしている法律がなくなったら、パパはわたしと結婚してくれるってことだよね!」
それは、少女の思い描く夢物語。
法律を変えるなんて到底無理な話だと思う。
というか、仮に法律が変わったとしても、娘と結婚なんてするつもりはない。さつきはとても魅力的な女の子だから、俺なんかが結婚相手なんて釣り合わないし、父親として認めたくない。
さつきはもっと素敵な人と結婚しなければいけない。
最低限、俺以上にさつきを愛してくれる人間と、幸せになってほしかった。
父親として、当たり前の思いだろう。
だが、幼いさつきはまだ夢を見ている。
きっといつか現実に直面する。父親が大したことない人間で、世の中にはもっと多くの素敵な男性がいて、その人たちですら自分が憧れられるほどの魅力を持っていると、分かるときがくるはず。
……本当は、否定しなければならないのだろう。
でも、現実的な事を言ってあげるには、さつきは少し幼すぎる気がした。
どうせ、法律なんて変えられない。
変えられるわけがない。
だから俺は、頷いてしまったのである。
「そ、そうだね。もし法律が変わったら、結婚しようっ。でも、法律が変わらなかったら、お父さん以外の人と結婚しなさい。いいね、約束だよ?」
そう言うと、さつきは満面の笑顔で頷いた。
「はーい! じゃあ、指切りしよっ」
小指を差し出される。
小さい頃から、約束をするときはいつも小指を結んできた。
「約束だからね、パパっ」
「ああ、約束だ」
小指を結んで約束を交わす。
いつか、さつきが現実を見るときまで。
この子が描く素敵なパパと結婚できないと分かるまでは、夢を見させてあげよう。
それが、父親にできる精一杯の『甘やかし』だった。
(でも……これじゃあ、言えないなぁ)
心の中でため息をつく。
16歳の誕生日。大人になったさつきに、本当は伝えたいことがあった。
この子の母親のことはもちろん、それからとっても大切なことを教えてあげたかったのだ。
(君が血の繋がっていない義理の娘だって、教えてあげたかったのにっ)
俺とさつきは血が繋がっていない。
でも、本当の親子以上に、親子だと思っている。
これからも君を幸せにするためにいっぱい愛するよ。
そう言ってあげたかった。
でも、それはまだお預けのようだ。
「よーし。わたしね、パパと結婚するために総理大臣になるっ。それで法律を変えて、パパと結婚するー!」
無邪気なことをいう娘は可愛い。
……この子に『義理の娘』って言ったらどうなるか、ちょっとだけ気になった。
その時はきっと……いや、やめておこう。
父と娘は結婚できない。それを分かってくれることを、とにかく祈るばかりである――