第三十四話 思いを受け止める、強さ
ようやく、話せた。
サーシャのことと、それから俺たちの血縁関係がないことを、やっと言うことができた。
本当は、さつきが16歳になったら全部打ち明けるはずだった。
しかし彼女が『結婚できる年齢になったから、お嫁さんにしてくださいっ』なんて言うものだから、真実を教えることはできなかった。
俺にとって、さつきは娘だ。
血は繋がっていないけど、この子のためなら命だってかけることができる。それくらい愛しているし、大切に思っている。
でも、それは親愛であって、情愛ではない。
だから結婚をするつもりはない……そう、思っていた。
とはいえ、それはある意味では、言い訳でもあった。
俺なんかがさつきの結婚相手にはふさわしくない。もっと素敵な人と結婚して、幸せになってくれたらいいと、そう願っていた。
でもそれは、俺が臆病なだけだ。
俺が、さつきの思いを受け止めるだけの強さがなかったから、言い訳することしかできなかった。
今だって、そうだった。
肝心のことはまだ、言えていない。
俺とさつきは、戸籍上でも他人だよ、と。
結婚も、やろうと思えばできるんだよ、と。
それだけは、まだ言うことができていなかった――
「つまり……ママは離婚していたから、パパがわたしを引き取って、育てたってことなんだね?」
全てを伝え終わった後、さつきは何やら納得したように頷いていた。
「でも、実際は血が繋がっていない。だからわたしたちは義理の親子ってことになる」
「うん、そうだよ……だから、このエアメールをくれた人は、さつきにとってはもう父親じゃない。でも、血の繋がっている人でもある。会うか、会わないかは、さつき次第だ」
さつきの父親であるマックスからもらった手紙も、彼女に渡した。
内容もきちんと教えた。病に伏しているマックスが、一目でいいから娘に会いたいと願っているらしい――と。
「財産とか、そういうのはどうでもいいし、要らないなぁ。わたし、お金ってあんまり好きじゃないし……あったところで、幸せになれるとも思わない。それよりも大好きな人と一緒のお部屋で、一緒にいられたら、それだけで幸せだもん」
あまり、乗り気ではないように見える。
ただ、さつきは迷っているみたいだった。
「もし行くなら、ソフィアさん?って人にお願いしたら、連れて行ってくれるんだよね?」
「うん。サーシャのいとこだから、信頼できる人だよ。安心して、国外にも連れて行ってくれると思う」
ソフィアさんとは、常日頃から色々な話をしていた。
その中で『さつきがもしかしたら母親の祖国に行きたいと言い出す可能性もある』と言っていたので、実は彼女のパスポートとか旅に必要な物は準備ができている。
必要な資金もきちんと用意していた。さつきが行こうと思えば、いつでもマックスのところに行くことができる。
でも、それはなないだろうな、と俺は心の中で思っていた。
だって、マックスはさつきにとって、ただの他人なのだ。
彼女の父親は俺である。血は繋がっていないけれど、さつきだってきっとそう思ってくれているはず。
非情なことを言うようではあるけれど……今更、父親面するなんて、遅すぎる。そう、思っていた。
でも、やっぱりこの子は、一途だから。
夢をかなえるために、いつだって真っすぐなのである。
「決めた。わたし、行くっ……そのマックス?って人に、会いに行く!」
俺と違って、さつきは強い女の子だった。
彼女には、前に踏み出す勇気があった。
「……ほ、本当か? 無理しなくてもいいんだぞ?」
「無理なんてしてないよ……正直ね、マックスって人については何も思わないの。わたしにとって、パパは一人だけだから。他人だし、別に今更何か思うことなんてない」
だったら、どうして会いに行こうとしているのか。
それは、やっぱりいつもと同じ理由だった。
「だけどね、ちょうどいいから戸籍上で父親になってもらってもいいかな?って考えてるの」
「こ、戸籍上? ど、どういう意味だ?」
「うんっ。実はね、わたしとパパは血が繋がってないけど……義理の親子でも、法律では結婚できないことになってるんだよ? だから、とりあえずパパとは戸籍上で『親子じゃない』ということにしたいの」
さつきには、夢がある。
幼いころからずっと、変わらない夢だ。
「パパと、お嫁さんになれるチャンスだもんっ! わたしは、そのためなら何でもする!!」
さつきは俺と結婚するために『総理大臣になって法律を変えたい』と言うくらい、俺のことを愛してくれているのだ。
結局、そのためにさつきはマックスと会おうとしているみたいだ。
「でも、うーん……どうなんだろうね? 一度でも親子関係にあった人と結婚できるのかなぁ? 色々と難しそうだけど……可能性があるなら、やってみる価値はあるよねっ」
さつきが嬉しそうに笑っていた。
俺と結婚できる可能性を見つけて、喜んでいるのかもしれない。
でも、違うんだ。
さつき……俺たちは、戸籍上でも繋がりなんてない。
だけど、本当にそれを言うべきなのかどうかが、分からなかった。
(言ってしまえば、もう断れなくなるかもしれない……)
この期に及んで、腰が引けていた。
今まで、親子という関係を隠れ蓑に、さつきの思いを受け流していた。
もしここで言ってしまったら、さつきはもう止まらなくなる。
そして俺も、断れなくなるだろう。
こんなに素敵な女の子に迫られたら、いつか陥落するに決まっている。
そもそも、俺がさつきを拒絶することなんて、無理なのだ。
もし、今の関係を維持したいのなら。
このまま『普通の親子』でいたいのなら、何も言わないべきだ。
ソフィアさんに連絡をとって、親権をマックスに移してしまえば、嘘もバレる可能性が低くなる。
とりあえず『公的に親子の関係にあった』という事実があれば、言い逃れる理由ができる。
でも、それが正しい答えだとは……やっぱり、思えなくて。
「もし……やっぱり俺と結婚できないって知ったら、さつきはどうするんだ?」
「そんなの、決まってるよ? わたしが総理大臣になって、法律を変えるのっ」
さつきはブレない。
いつも真っすぐ、夢に向かって走り続けているのだ。
(さつきが幸せになれる選択肢は、なんだろう?)
考える。前に、奥川先生に言われた言葉を思い出す。
『背中を押すことだけが、親の役目ではない』
応援するだけではダメなのだ。
親ができることは、背中を押すことだけじゃない。
手を引いてあげることだって、できるのだから
……別に、さつきは総理大臣になりたくて、なろうとしているわけじゃない。
この子が本当になりたいものは、
「いつか……本当に、パパのお嫁さんになれたらいいなぁ」
俺のお嫁さんになること。
それが、さつきにとって一番の幸せだから。
「参った……さつき、お父さんの負けだ、もう、打つ手がないや」
「え? な、何が? パパ、どうしたの? ……笑ってるけど、何かおかしいことでも、あったの?」
ああ、そうか。
おれは、笑っているようだ。
もう、選択肢は一つだけ。ずっと隠してきたというのに、いざ打ち明けるとなったら、心がとても軽かった。
やっぱり、俺も心のどこかでは分かっていたのだと思う。
いつか、こうなるんだろうな……って。
「さつき? 実はね……サーシャが生きていたころに、こんなことを言われたんだ」
かつてのことだ。
サーシャと一緒に生活していたころに、ハッキリとこう言われた。
『ワタシがもしいなくなったら、いつき君にはさつきを育ててほしい。でも……どうか、戸籍上ではさつきの父親にならないで。わがままで、ごめんなさい。でも、約束してほしい』
彼女の言葉はずっと覚えていた。忘れずに、その約束を守っている。
だから、俺たちは――
「俺とさつきは……戸籍上でも、親子じゃないんだ。隠していて、ごめん」
――心は、親子のつもりだけど。
実際には、血も繋がっていない。戸籍だって、繋がっていない。
俺たちは、他人なのだ。
「…………な、なんで?」
暴露も二度目となると、少しは耐性がついたのか。
呆然とまではいかずに、さつきは驚愕の表情でとどまっていた。でも頭は混乱しているのだろう。さっきから忙しなく俺の手をにぎにぎしていた。
「理由は、うーん……正直、分からないんだ。俺は戸籍上でも親子になりたかったんだけど、サーシャが絶対にそれを許してくれなかったんだよ」
本当に、頑なだった。
血のつながりがないからこそ、戸籍だけでもつながりを求めた俺を、サーシャは受け入れてくれなかったのだ。
予想としては、俺に迷惑をかけたくなかった……とか、俺への負担を軽くするため、とかそういうことしか思いつかない。
もちろんそれらも理由の一つではあるだろうけど、真意とは思えない。
サーシャには、もっと別の意図があったように思えてならなかった。
でもその答えはどんなに考えても分からなかったので、諦めていたのだが……どうやら、娘のさつきには、何か思い当たることがあったようである。
「…………あー! 分かった!!!」
さつきはハッとしたように上を見上げる。
まるで、天国にいるサーシャに話しかけているようだった。
「ママ……つまり、わたしにパパを任せたんでしょっ? ママに何かがあったら、わたしがパパを幸せにするって信じてたから、戸籍だけはダメって言ったんでしょ!?」
……い、いやいやいやいや!
それはさすがに、考えすぎではないだろうかっ。
だって、戸籍についての話をしたのは、さつきがまだ二歳の頃だぞ?
そんなに幼いさつきが、俺を男性として好きになることを予想するか?
そんなこと、ありえない……と、俺は思っているけれど。
しかしさつきには、分かるみたいだった。
「ママは絶対に『パパと一緒にいたら好きにならない女なんていない』って思ってたんだよ! だからわたしが結婚できるように、戸籍だけは阻止したんだねっ」
同じ女の子同士、何か共感することがあったようだ。
「ママ、ありがとうっ……わたしが、パパのことを幸せにするねっ。本当に、ありがとう!!」
感謝のあまり手を合わせてお辞儀していた。
その顔は、とても嬉しそうだった。
「か、隠してたこと……怒ってないのか?」
「ほぇ? 怒るってなぁに? こんなにわたしは幸せなのに、怒る理由なんてあるの? だって、パパと結婚できるんだもん!」
「け、結婚するとは言ってないぞ!?」
「えー? でも、隠してたってことは、パパもそれなりにわたしのことを意識してたってことでしょ~? 真実を打ち明けたら断り切れなくなるから、隠してたんじゃないの~?」
「っ!?!?!?!?」
図星だった。
さすが娘だ。俺の考えなんて筒抜けである。
「パパ……教えてくれて、ありがとっ」
ギュッと、手が握られる。
両手でこちらの右手を握るさつきは、喜びをかみしめているように見えた。
「やっぱり、パパは素敵な人だねっ……わたしの思い、受け止めようとしてくれたんでしょ? 本当は、戸籍のことを黙っていれば、わたしの気持ちを受け止める必要もなかったのに……」
さつきには、お見通しだったみたいだ。
俺の葛藤も、決意も、全てわかっているからこそ、彼女は喜んでいるのだろう。
「真剣に向き合ってくれて、ありがとっ。もっともっと、パパのことが好きになっちゃったよ……えへへっ」
はにかむように微笑む顔は、天使みたいに可愛いけれど。
だからといって、俺はまだ全てを受け入れる覚悟があるわけじゃない。
「さつき……俺は、君のことを娘として愛している。でも、この愛は『親愛』であって、『情愛』ではないんだ。だから、正直に伝えると……結婚は、まったく考えてない」
俺にとって、さつきは娘なのだ。
結婚したいとは、まだ思えない。
これだけはハッキリさせておきたい。
さつきの気持ちを受け止めることはできた。
だけど、受け入れるかどうかは、話が別なのだ。
「ごめんな……少し、気持ちを整理する時間をくれないかな?」
これが、今の俺に出来る精一杯の答えだった。
もうちょっと、ハッキリと言い切ることが出来たら良かったんだけど……しかし、さつきはそれでもいいと、笑ってくれた。
「大丈夫っ。謝らなくていいよ……パパが気持ちを受け止めてくれただけで、すっごく嬉しい。嬉しすぎて、さっきから頭が爆発しそうなの……わたしも、時間がほしいなぁ。落ち着いて、色々と考えて、それからパパのことをもっと好きになれると思うのっ」
一気に、色々なことを打ち明けたせいで、お互いに処理できていない状況みたいだ。
俺たちには、少し時間が必要なのかもしれない。
だからなのか、さつきは不意にこんなことを言った。
「パパ……わたし、やっぱりマックスさんのところに行くっ。今のお話を聞いたら、余計に行きたくなっちゃった」
「……そうなのか?」
「うんっ。わたしね、言ってやりたいのっ……『わたしのパパは、一人だけだよ!』って。あと、『生んでくれてありがとうございます』も、言っておきたいのっ」
それは、さつきなりの『けじめ』なのだろうか。
「こうして生まれてきたから、わたしはパパと出会えたから……どんな人だろうと、感謝の気持ちはきちんと伝えたい。そうしたら、気持ち良くパパと一緒に暮らせるから」
……そんなことを言われては、首を横に振ることはできなかった。
「うん、分かった。ソフィアさんに連絡しておくよ」
頷いて、さつきの頭に手を伸ばす。
今度は、恥ずかしがらずに頭を撫でられてくれた。
「数日くらいかな? 寂しくなるけど……行ってこい。後悔はないように、ちゃんと話してきてくれ……俺も、ちゃんと考えておくよ」
「うんっ……わたしも、寂しいっ……でも、待ってて? ちゃんと言いたいことを言って、気持ちも整理して、考えもまとめて、それからパパの事いっぱい大好きになるから!」
そしてようやく、俺たちは肩の力を抜くことができた。
伝えたいこと、知りたかったこと、全部を一気に話して少し疲れてしまった。
でも、とても清々しい気分だった。
やっと、真実を打ち明けることができて、良かった。
これから、どうなるかは分からないけど……きっと、前みたいに後悔することはないだろう。
ずっと、弱い人間のままだったけれど。
さつきの思いを、受け止めることができた……前に比べると、少しずつ強くなっていると思う。
これなら、天国のサーシャに会った時も、胸を張れるだろう。
サーシャ……君の思いは、ちゃんと引き継いでいるよ。
君の宝物は、絶対に守る。
俺の人生をかけてでも……大切にする!
だから、どうか……安心して、見守ってほしい。
さつきのことは絶対に幸せにするから――




