第三十三話 ママはきっと、パパの『幸せ』を望んでいるもんっ
娘に血が繋がっていないことを打ち明けた。
さつきはとても動揺していたけれど、少し時間が経ってなんとか冷静さを取り戻してくれた。
「さつき、落ち着いたか?」
「……う、うん。取り乱してごめんね? パ……パ?」
「パパでいいよ。血は繋がってないけど、俺は君の父親なんだから」
そう言って、地面に座ったさつきに手を伸ばす。
しかし彼女は両手を前に出して俺を制止した。
「ま、待って! ……今、触られちゃったら、嬉しくてたぶん死ぬからダメっ」
「そ、そうなのか?」
いつも通り撫でようとしたのに、さつきがそれを拒絶する。
それくらい、彼女は恥ずかしがっているみたいだ。
先程よりはマシになったとはいえ、さつきの顔はまだ赤い。
俺と目も合わせられないようで、さっきからキョロキョロとどこを見ているか分からなかった。
そのくせ、たまにこっちを見るので、目がバッチリと合う時がある。そのときはまた顔を赤くして目を逸らすので、ちょっと面白かった。
「あれ? 膝の上に座らないのか? 地面で正座なんかしてないで、こっちに来てもいいのに」
もちろん、からかい交じりの発言だ。
さつきもそれは分かっているのだろう。少し恨めしそうな目でこっちを見上げている。
「い、いじわるっ。そんなことしちゃったら、わたしが理性を失っちゃうよ? パパはわたしのことを過大評価しすぎだよっ……わたしは、我慢が苦手だもん」
さつきなりに色々と考えているみたいだ。
……まぁ、からかうのもほどほどにしないといけない。もとはと言えば俺が悪いのだから、これ以上さつきを困らせるのはやめておかないと。
「でも、正座なんてしてないで、ソファに座ってくれ。話しにくいから」
膝ではなく、隣のスペースに手招いてみる。
俺は太っているけれど、さつきは小柄なので、座れるくらいの余裕はあった。
「じゃ、じゃあ……座るねっ」
ゆっくりと、さつきがソファに腰を下ろす。
縮こまっているのは、やっぱりまだ恥ずかしがっているからだろう。
無理をさせているだろうか?
やっぱり、距離を話した方がさつきのためになるのかな?
そう思って、俺が立ち上がろうとしたのだが。
「パパ……手、出して?」
「ん? どうした?」
いきなりそんなこと言われた。
立ち上がるのをやめて、要求通りに右手を出す。
するとさつきは、俺の小指をちょこんと握った。
「さつき?」
何をしているのか問いかけると、彼女は唇をもにょもにょとさせながら、だらしなく笑った。
「えへへっ……パパと、おててつないでるっ」
どうやら手をつなぎたかったらしい。
こやって状況が変わって、さつきは変わらない。
いつも通り、俺を愛してくれていた。
「……いつもとつなぎ方が違うけど?」
普段なら恋人つなぎしてくるのだが、小指だけなのは心境の変化なのだろう。
「そ、それは、ゆっくり……もうちょっと慣れてからでいいのっ。時間をかけて、パパと仲良くなるんだもん!」
やっぱり、そういう部分は可愛いけれど。
それだけ、さつきにショックを与えてしまったことを、改めて申し訳なく思った。
「……隠していて、ごめんな」
しっかりと、頭を下げて謝る。
恨まれても、憎まれても、怒られても、仕方ないと思っていた。
しかしさつきは、笑って首を横に振った。
「ううん? なんで謝るの? パパは悪いことなんて何もしてないのに?」
「でも……俺はずっと、隠してたんだぞ? お前の気持ちを知っておきながら、ずっと秘密にしていたから……嫌われても、仕方ないと思ってる」
「嫌う? パパを? ……どうやったらパパを嫌いになれると思うの? こんなに大好きなのに???」
さつきはキョトンとしていた。
心の底から、俺が何を言っているのか分かっていないような顔だった。
「パパは悪いことなんてしてないよっ。だって、わたしを育ててくれたんだよ? 血が繋がってないのに、娘みたいに愛してくれたんだよ? それって、とってもすごいことだよ? パパはなんでそれが分からないの?」
こんなにも情けない俺を、さつきはいつも認めてくれる。
「パパ、あのね……わたしのこと、育ててくれてありがとっ。わたしのパパになってくれて、とっても嬉しいよっ。パパが『パパ』で良かった!」
「さつき……っ」
ああ、ダメだ。
そんな嬉しいことを言うなんて、ずるい。
泣きそうだった。というか、泣いていた。
俺が、父親で良かった――そう言ってくれて、本当に嬉しかった。
俺は、とても弱い人間なのに。
こんな俺を受け入れてくれるさつきに、心から感謝したのである。
「パパっ。な、泣いたらダメっ……わたしも、泣いちゃうよ? もうっ、元気出して!」
俺に釣られてさつきにもちょっと泣いていた。
「ごめん」
グッと力を入れて、涙をこらえる。
まだ、話は終わっていないのだ。
伝えなければ、いけないことがある。
サーシャの結婚と、その結婚相手についての話が、まだ終わっていない。
そして、さつきの本当の父親が、会いたがっていることも……教えてあげないと、いけないのだから。
「さつき、実はな……」
それから、しっかりと話をした。
サーシャの結婚が、望まないものだったこと。
さつきが生まれてから、全てを捨てて日本にきたこと。
俺と再会してからも、サーシャとは付き合わなかったこと。
それらを話し終えたところで、不意にさつきは泣き出してしまった。
「――っ」
くしくしと目をこすっても、さつきの目から次々と涙が溢れてくる。
まるで、サーシャの気持ちを、理解しているかのように。
「ごめんな、さつき。君の母親を、俺は守ることができなかった。不幸にしてしまった……っ」
後悔の言葉が、自然と漏れた。
心に引っ掛かっている思いを娘にさらけ出してしまう。
だけど、さつきは首を横に振るのだ。
「違うよっ……ママはね、きっとパパといられて幸せだったよ? 不幸だなんて、ありえないよ」
サーシャとの関係は、もっと別の道もあったかもしれない。
後悔はまだ消えない。きっと、これからも俺は自分のことを許すことができないだろう。
だけど、さつきはそんな俺を叱るように、強い言葉でこう言った。
「わたし、ママのことは覚えてないけど……なんとなく、分かるの。ママはね、パパのことが大好きだったの。だから、一緒にいられて、とっても幸せだったはずだもんっ」
「そう、なのかな」
「絶対にそうだよ! だから、これ以上は自分のことを責めないで? ママだって、そんなこと望んでないっ。ママは、心からパパに幸せになってほしかったはずだもん!」
どうしてさつきがそんなことを言いきれるのか。
言葉に重みを感じた。その説得力は、果たしてどこからくるのか。
それは、
「わたしには、分かるよ……ママと同じで、パパを大好きになったんだもん。わたしとママは……きっと、同じことを考えるはずだからっ」
親子だから、ではなく。
同じ人を愛したから、気持ちも共感しているのだろうか。
だとしたら……否定は、できなかった。
「パパがやるべきことは、ママとわたしに謝ることなんかじゃないっ……それよりも、いっぱい幸せにならないと、ダメっ。ママも、そうやってウジウジしてたら怒っちゃうよ?」
言われてみると、簡単に想像できてしまった。
『いつき君は、どうしてそうやってネガティブなのかなぁ』
呆れように、それでいて優しい口調で、サーシャは俺を叱るのだろう。
それなのに俺は、いつまでも過去に囚われてばかりだった。
もう、サーシャに償うことなんてできない。
何をしたところで、結局は俺が自分を許せなければ意味がない。
だったら、もう後悔するのはやめよう。
今はただ……サーシャの残してくれた宝物を、大切に守る。
さつきを、幸せにする。
それが一番、大切なことなのだから――




