第三十一話 手強いライバルで、一番尊敬してて、誰よりも素敵な人っ!
「……ママのことを、お話するの?」
場所をリビングに移して、さつきと顔を見合わせる。
とはいっても、彼女はいつもと同じように俺の膝に座っていた。しかも対面するように体がこっちを向いているので、いつもより顔が近かった。
たぶん、俺が悲しんでいるのがとてもショックだったのかもしれない。
少しでも離れたら、また俺が辛い思いをするとでも心配してくれているのだろうか。さつきは、離れようとしなかった。
だからこのまま、話をさせてもらうことにした。
「ああ、さつきのお母さんのことだ……今まで、黙っていてごめんな」
頭を下げる。しかし深く下げるとさつきに頭をぶつけてしまうので、浅めにお辞儀をした。
そうすると、彼女はコテッとおでこをくっつけてきた。
「ううん? 謝らなくてもいいよ、パパ。わたしは怒ってないよ?」
……思ったよりも、さつきは穏やかだ。
もっと取り乱すかと思っていた。あるいは、動揺するかもしれないと、不安だった。
だって、さつきはまったく母親のことを聞いてこなかったからだ。
話をするのも苦しいくらい、サーシャの事はさつきの中でトラウマになっている……そう、考えていたのだが、どうやらそれは俺の思い違いだったらしい。
「パパはいつも、わたしのことを一番に思ってくれているんだもんっ。だから、パパが話すタイミングじゃないと思っている時に、聞き出そうとなんてしないよ」
「……そういう、ことか」
改めて、感じた。
さつきが俺のことを愛していて、心から信頼していることを、強く実感した。
「もちろん、気になってはいたけど……わたし、あんまりママのこと、覚えてないもん。でも、すっごく興味はあったの!」
「そうなのか?」
「うんっ。だってね、パパが大好きになった人なんでしょ? いったい、どれだけ素敵な人なのか……知りたいに、決まってるよ」
いきなりだったはずだ。
今日は別に、何の特別性もない平凡な一日だ。
唐突な母親の話に、さつきは少なからずショックを受けると思っていた。
それなのに彼女は、まるで初めから心の準備をしていたかのように、俺の言葉を受け止めている。
なぜ、今なのか。どうしてこのタイミングなのか。俺が何を思って、いきなり母親のことを話そうとしているのか。
それらを聞いて来ないのは、きっと俺のことを信頼しているからだろう。
そうやって、相手の『準備を待つ』という態度が、やけに大人びて感じた。感情ではなく、理性で動くさつきを、同じ人間として尊敬した。
……さつきを、子供だとばかり思っていたけれど。
子供扱いしていたのは、俺の方だったのかもしれない。
さつきは俺が想像している以上に、大きくなっていたのだ。
「だから、教えてくれるなら嬉しいっ。ママのお話、聞かせて? どんな人で、どんなことが好きで、どんな人生を送っていたのか……あ、でも、一つだけ言わないでほしいことがあるかも」
「言わないでほしいこと?」
「うん……あのね、パパとママの馴れ初めとか、イチャイチャするお話とか、そういうのはダメっ。わたし、そんなこと聞いたら、きっとショックでパパにチューしちゃうから」
……さつきとは、血が繋がっていないけれど。
やっぱり親子だなぁ、と、感じた。
肝心な時にへたれるところが、そっくりだ。
俺も、サーシャの恋愛事情を聞くことができなかった。だから、気持ちはわかる。
でも、さつきが心配するようなことは、何もないよ。
俺とサーシャは、結婚していないんだから。
……とはいえ、それを伝えるのは、もうちょっと後にしよう。
話がややこしくなる前に、まずはサーシャという女性について、教えてあげることにした。
「君の母親は……サーシャは、とても素敵な人だったよ」
それから、色んな話をした。
幼少期の頃のサーシャが、とても大人びていたこと。
サーシャは天才で、さつきもその才能をたくさん引き継いでいること。
容姿も綺麗で、そんな彼女と仲が良かったから、同い年の男の子に嫉妬されていたこと。
そして、引っ越しをして別れたこと。
大人になって再会して、一緒に暮らし始めたこと。
もちろん、サーシャが何よりもさつきを大切にしていたこと。
さつきのことを一番に愛していたこと。
全てを、教えた。
その間、さつきはずっと静かに耳を傾けてくれた。
だから俺も話に夢中になってしまった。
ただ、結婚に関する部分だけは、ぼやかした。俺との関係性も伝えていない。
まだタイミングじゃないと思ったのだ。
「……えっと、こんな感じかな?」
ひととおり話を終えて、さつきの反応をうかがってみる。
彼女はなぜか、ほっぺたを膨らませながら、小さく笑っていた。
むくれているのか、喜んでいるのか、よく分からない顔だった。
「いんちきっ!」
そして、俺の話を聞いた第一声は、先程の大人びたさつきとはまるで違う、子供っぽい言葉だった。
「パパ、ママの話をしてる時、すっごく楽しそうだった……とっても、大好きだったんだなぁって、伝わってきたっ。こんなにパパに愛されてるなんて、ママはずるいっ」
しかい、抱いた感情は嫉妬だけではなかったようで。
「でも、こんなにパパに愛されるなんて……ママはとっても、素敵な人だったんだねっ! そんな人がわたしのママで、とっても嬉しいなぁ」
嫉妬と歓喜という二つの感情で。さつきはよく分からない顔になってしまっているようだ。
「わたしも、これくらいパパに愛されるようになりたい……ママのこと、いんちきだけど、尊敬するっ。そんな人に、なれたらいいなぁ」
その言葉を聞いて、胸がとても温かくなった。
「……うん。君のお母さんは、とっても素敵な人だった」
さつきが、サーシャに好意を持ってくれた。
それが本当に嬉しかった。
「うー!」
しかしながら……よくも悪くも、さつきは俺のことが大好きすぎるわけで。
「やっぱり、ずるい! パパにこんなに愛されるなんて、ママはいんちき! パパのことを好きって気持ちは、わたしだって負けないんだからねっ」
なぜか、サーシャと張り合おうとしていた。
それがとてもおかしかった。
「い、いや、そんな嫉妬しなくてもいいんじゃないか?」
「嫉妬じゃないもん! でも、負けたくないの……やっぱり、ママはわたしのライバルだよ! わたしもいつか、ママよりたくさん愛されるんだからねっ」
さつきにとっての母親は、とても面白い立ち位置にいるようだ。
「つまり、さつきにとってサーシャはどんな人なんだ?」
「えっとね……手強いライバルで、一番尊敬してて、誰よりも素敵な人っ!」
女の子として、娘として、人間として。
あらゆる観点から、サーシャはさつきにとって特別な人間になってくれたみたいだ。
「さつき……やっぱり、君が娘で良かった」
こんなにも優しい子に育ってくれて、ありがとう。
俺の愛した人を、愛してくれてありがとう。
そう、感謝せずにはいられなかった――




