第三十話 『大好き』という薬
なんて言えばいいんだろう。
どう説明したら伝わるんだろう。
頭の中がぐちゃぐちゃだった。
心の中は後悔でいっぱいだ。サーシャのことを思うと、胸が痛くて仕方ない。もっと親身になってあげたかった。寄り添ってあげたかった。そんな後悔ばかりが胸を渦巻いていて、うまく考えることもできない。
本当は、さつきのことだけを考えるべきだと分かっている。
あの子にとっても、サーシャの話は色々とショックなはず。もしかしたら俺以上に辛い気持ちになってしまうかもしれない。
さつきの本当の父親のことだってそうだ。いきなり、そんなことを言われたさつきは、果たしてどんな感情を抱くのか……きっと、複雑な感情を抱くだろう。
でも、さつきのことを考えるだけの余裕が、なかった。
考えてしまうのは、自分の愚かさばかり。とにかく俺は、俺という人間を許せなくて、頭がいっぱいだった。
怒っていた。悔しかった。恨んでいた。呪っていた。
自分の不甲斐なさが悲しくて、惨めだった。
「……っ!」
気付くともう、家に到着していた。
扉の前で、自分の頬を叩く、こんな情けない顔をさつきに見せるわけにはいかない。とにかく、落ち着いて……ゆっくりと、話をしよう。
まだ考えはまとまっていないけど、とにかく伝えないとっ。
そう思って、家の扉を開けた。
「た、ただいまっ」
平静を装って、声を絞り出す。
良かった、いつも通りの声が出た。安堵で息を零す。
「おかえりー! パパ、今日は遅かった……ね?」
さつきがダッシュでリビングから駆け寄ってきた。
そして俺を見て、彼女は首を傾げる。
「パパ?」
「……な、なに?」
いつも通りを振る舞えていた。
何事もなかったの素振りを、見せることができていた。
そのつもりだったけど……娘には、全てお見通しだったみたいだ。
「ぎゅーっ」
唐突だった。
なんの脈絡もなく、さつきが俺を抱きしめた。
「パパ、おひざついて?」
「え? あ、えっと……?」
「いいから、しゃがんで!」
よく分からないけど、言われた通りにひざをついて視線を低くする。
おかげで頭一個分、さつきより小さくなった。
そんな俺を、さつきは包み込むようにもう一度抱きしめなおした。
「よしよし」
まるで、赤ちゃんをあやすように。
さつきが俺の頭を撫でながら、背中を優しく叩く。
なるほど。こうしたいから、さつきは俺にかがむよう指示を出したのか。
理由は分かったのだが……その意図までは、分からない。
「さつき? いきなり、どうしたんだ?」
率直に理由を聞いてみる。
するとさつきは小さく微笑んで、こう言った。
「パパが辛そうにしているから、頭をなでなでしてあげてるんだよ?」
一目見て分かったようだ。
覆い隠したはずの俺の感情を、さつきは簡単に看破したのである。
やっぱり……娘に、隠し通すことはできなかったようだ。
「こうやってなでなでされながら抱きしめられると、すっごく心が落ち着くんだよ?」
ああ、知ってる。いつも俺が君にやってあげていることだ。
さつきが怖い夢を見た時とか、何かうまくいかないことがあったら、いつもこうやって慰めていた。
それを今度は、俺にやってくれていた。
「パパ、元気出してっ……パパが悲しいと、わたしが泣いちゃいそうになっちゃうんだよっ? ダメだよ、わたしが泣いたらパパがもっと悲しくなっちゃうもん」
欺こうとしていた。
この子の前では立派な父親で在りたくて、強がろうとした。
でも、無駄だった。
俺がさつきのことを全て知っているように、この子だって俺のことを全て知っているのだ。
感情を隠すなんて、到底無理なことだったのである
「もうっ。パパったらコートはどうしたのっ? 体、とっても冷たいよ……わたしがぎゅーってして、温めてあげるね?」
しがみつくようにさつきが俺を抱きしめていた。
頬と頬をくっつけて、彼女は俺を温めようと一生懸命である。
「娘成分100パーセントのホッカイロ、どう? あったかい?」
「うん……温かいよ」
不思議だ。
さつきに触れていると、心がどんどんと落ち着いていく。
サーシャのことで荒れていた感情が、一気に穏やかになっていく。
まるで、薬だった。
さつきの『大好き』という感情が、俺を癒してくれていたのだ。
「「…………」」
しばらく、無言で抱きしめ合う。
さつきがすりすりと体をこすりつけてくるのは、俺を温めようとしているからだろう。
「むふふっ……パパの弱みに付け込んで、今のうちに他の女の匂いを上書きしてやるっ!」
訂正。こんな時でも、やっぱりさつきはさつきだった。
「……心の声が漏れてるぞ」
「はにゃ!? べ、別に何も考えてないよっ。ただ、弱ったパパも可愛いとか、別の女の匂いが気になって仕方ないとか、そういうことは思ってないからねっ!」
まったく……本当に、うちの娘は可愛いなぁ。
おかげで、元気が出た
それと、ほんの少しも勇気も……ようやく、出てくれた。
だから俺は、覚悟を決めた。
「さつき、話があるんだ」
ずっと言えなかった、大切なことがある。
「さつきのお母さんについて……少し、話をさせてくれないか?」
サーシャのことを。
さつきのことを、誰よりも大切に思っていた彼女のことを。
遅くなったけど、君に話させてくれ――




