第二十六話 『さつき』という名前の本当の由来
月日が流れていく。
娘のさつきと過ごす時間はあっという間だった。
彼女と一緒にいると楽しいので、いつも時間を忘れてしまう。
12月。季節は冬となり、寒くなってきたこの頃
今日はソフィアさんと定期密会を行うことになっていた。
「……あれ?」
今回は時間に遅れずに到着できた。
仕事終わり、いつもの喫茶店に立ち寄ったのだが……しかし珍しくソフィアさんの姿がなかった。
いつもは一時間か二時間くらい早く来ているのに。
珍しいこともあるものだ。
とりあえずコーヒーを頼んで彼女を待っていると、十分くらいしてからようやくやってきた。
「いつきさん、ごめんなさい。遅くなってしまって」
「いえ、大丈夫ですけど……」
コートを脱いで席に座るソフィアさんは、やけに神妙な顔をしている。
「何かあったんですか?」
いつもと様子が違うのが気になった。
すると、ソフィアさんは頷いて、それから小さな声でこう言った。
「……さっき、実家から連絡があったわ。なんでも……サーシャの両親から、連絡があったみたいなの」
「っ!?」
息を飲む。
ずっと音沙汰のなかったサーシャに関する情報を、ついにソフィアさんは入手したみたいだ。
「あ、ありがとうございますっ……それで、なんと?」
「サーシャのご両親ね、さつきちゃんを探しているみたいだわ」
その言葉を聞いて、俺は思わず拳を握りしめてしまった。
身勝手な発言に、歯を食いしばるほどの怒りを覚えた。
「なんで、今更……っ!」
サーシャの葬式にすら来なかったくせに。
仕事で散々娘を振り回して、ろくな育児もせずに自分のことばかりで、子供のことなんて何も考えていなかったくせに!
「気持ちはわかる…‥でも、落ち着いて。まだ続きがあるの」
俺の気持ちはソフィアさんも分かっている。
だが、怒っている場合ではないと言わんばかりに、彼女は言葉を続けた。
「なんでも……サーシャの結婚相手が、ご病気らしくてね。後継ぎを探して血縁の子供を探し回っていたようで……その過程で、サーシャの娘がいることを知ったらしいわ」
「サーシャの結婚相手、ですか!?」
ついに……やっと。
サーシャの結婚相手であり、さつきの父親である人物についての情報を、ソフィアさんは手に入れてくれたようだ。
「つまり、さつきを探しているのは……サーシャの結婚相手、ということですね?」
「ええ。そうみたい。うちの両親が、色々と話を聞き出してくれたわ。さつきちゃんの父親が何をしていて、どういう人物で、どうやってサーシャと結婚したのか……全部、分かったの」
俺が知りたいことを、ソフィアさんは全て知っている。
でも、本当に聞く?とソフィアさんは俺の意思を確認している。
「一応、うちの両親は私たちの事情を知っているわ。だからさつきちゃんに関しては何も言っていない。こっちの味方になってくれている」
聞かなかったことにすれば、何も知らないまま今と同じ生活を続けることができる。
サーシャの父親のことなんて聞かなかったことにすればいい。そうしたら、これからもずっと、さつきとはただの親子でいられる。
だけどそれは、嫌だった。
いつまでも、現実と向き合えないままの人間でいるのは、恥ずかしい。
何より、さつきの父親として、情けない
立派な父親であるためにも、しっかりと向き合いたい。
堂々と胸を張って、さつきと一緒に暮らしたいのだ。
だから、
「聞かせてください。サーシャの父親のこと……教えてください」
頭を下げる。
覚悟はもうできていた。
「ええ、分かったわ……それが、あなたの意思であれば、喜んで」
ソフィアさんも了承してくれた。
そしてついに、サーシャの結婚相手について、俺は知ることができた。
「サーシャの結婚相手は、国外の大企業を経営しているわ……有名な資産家の一人でもあるようね。年齢は四十代後半。いつきさんとは、十歳くらい年齢が離れている」
「……それで、名前は?」
「マキシム、という男性よ」
サーシャは言った。
さつきの名前の由来を『大切な人からもらった』と。
そして、サーシャの結婚相手の名前は『マキシム』だった。
「い、意味は? その名前の意味を、知っていますか?」
「意味……そうね、確か『偉大な』とか、そういう感じだっと思うわ」
さつき。五月。皐月。
違う。どれも、サーシャの結婚相手の名前とは、ニュアンスも意味も、明らかに違う!
つまり、さつきの名前の由来は……
「いつき、だったんだ」
自分の名前を呼ぶ。そのまま両手で顔を覆って、唇を噛んだ。
後悔が胸を襲う。過去の自分の弱さを恨み、悔しさのあまり涙がにじみ出た。
俺は、本当にバカだ。
さつきの名前の由来は『いつき』だった。
彼女の大切な人は、俺だったのである。
サーシャはずっと、俺のことを思ってくれていた。
最愛の娘に、似た名前をつけるくらいには……愛してくれていたのだ。
それなのに俺は臆病だった。
さつきの名前を初めて聞いた時、俺の名前に似ているのはもちろん気付いていた。もしかしたら、サーシャも俺を大切に思っていて、だから同じような名前にしたのかもしれないという、期待はあった。
だけど、それ以上に怖かった。
さつきという名前の由来が、サーシャの結婚相手にあったとしたら……全部俺の勘違いで、思い違いだとしたら、自分が壊れると思ってしまった。
だから勇気がなかった。
サーシャに愛されていないかもしれない、という不安を消すことができなかった。
そんな自分を、心の底から恨んでしまった――




