第二十三話 『心』は誰よりも父親だけど
授業参観は滞りなく終わった。
数学と物理の授業を見学したのだけど、どれも頭が良くない俺には意味不明だった。何歳になっても数式には苦手意識が消えない。
しかしうちの娘は立派だった。
授業参観ということで、教師陣はいつもより問題の解答を生徒に尋ねる機会が多かった。
「この問題分かる人いるかー?」
「はい!」
その全てをうちの娘は手を上げて、回答していた。
しかも完璧に答えていたのですごかった。
さつきは既に父親の知能を越えていた。
さすがうちの娘である。天才だ! 将来はきっと立派な議員になって国を引っ張ってくれるはず!
なんてことを考えてしまうのは、親バカの証拠なのかもしれない。
そしてさつきはさつきで、子供バカだった。
(あの子、絶対に俺を意識してたよなぁ)
娘のことだから分かる。さつきはいつもより張り切っていた。
何せ、問題に回答するたびに俺の方をチラチラ見ていたのだ。褒めてほしそうにウズウズしていたのが見てとれた。
授業中はずっと背筋をピンと伸ばしていたし……あの子のやる気には恐れ入る。きっと、家に帰ったらたくさん甘えられるのだろう。
子供が頑張ったなら、甘やかすのが親の勤めだ。
今日は帰ったらなるべくさつきの言うことを聞いてあげよう。ケーキも買ってあげようかなぁ。
と、今後の予定を考えながら、俺は面談の順番を待っていた。
二年三組の教室の外で、椅子に座りながらぼんやりと時間をやりすごす。
高校生専用の椅子は、ぽっちゃりした俺の体格には少し小さかった。座り心地が悪いけど、こればっかりは仕方ないだろう。
もう既に授業参観は終わった。
午前中の授業だったので生徒たちもみんな帰っている。さつきとはタイミングが悪くて会っていないけど、たぶんもう帰っているだろう。
授業参観が終わった後、希望者は担当教師と面談を行える。
面談といっても、形式的には相談とか報告会みたいなものだろう。
先生には、さつきのことを色々と教えてもらおうと思っていた。
「次の方、どうぞ」
ちょうど、順番が回ってきた。
前の順番の保護者と入れ替わるように教室に入ると、中央付近に四つの机が並んでいた。その奥に先生が座っている。
「五月雨さんのお父さん、ご無沙汰しております」
「はい、お久しぶりです奥川先生」
挨拶をしながら、手前側の席に座った。
「ようこそお越しくださいました」
眼鏡をかけた理知的な男性が、生真面目な顔でコクリと頷く。
彼が笑った顔は見たことがない。お堅い性格なのだが、理不尽なことや理にかなっていないことは言わないので、俺はこの人が好きだった。
奥川先生には色々と相談にも乗ってもらっていた。
彼は第三者の観点からしっかりとした意見を出してくれるので、とても参考にさせていただいたものだ。
「確か、名字は……霜月さんでしたっけ?」
どうやら一度しか名乗っていない名字も、覚えてくれていたようだ。
「はい。霜月です……でも、そっちは隠しているので『いつき』と読んでいただけると助かります」
霜月いつき。
これが俺の本名である。
さつきには内緒にしているが、俺と彼女は血が繋がっていない。
だから名字も違う。さつきの場合は、彼女の戸籍上の母親であるソフィアさんの名字をいただいていた。
五月雨ソフィア。日本人の男性と結婚した彼女の名字は、さつきの名字でもある。俺とさつきは同じ家に住んでいるが、戸籍上でも親子ではない。
俺としては、戸籍上でも父親になるつもりだった。
でもそれは、さつきの母親であるサーシャが許さなかった。
彼女が亡くなる前に、ハッキリと言われた。
『君を父親という枷で縛りたくない。お願いだから、ワタシにこれ以上の負い目を作らせないでくれ』
別に負い目だなんて思わない。
さつきのことについて、俺は全ての責任を取るつもりではあった。
でも、それはサーシャが許してくれなかった。
守れと、言ったくせに。
迷惑をかけたくない、と言う。
矛盾した言葉は、しかし俺のことを思いやっての感情であることは、ハッキリと分かっている。
だから何も言えなかった。そしてそのまま彼女は亡くなってしまった。
結局、戸籍上の母親はソフィアさんになってしまった。
しかし当時の彼女は自分の生活でいっぱいいっぱいだったので、さつきを引き取る余裕がなかった。
そしてさつきも、俺から離れることを拒んでいた。
様々な要因が重なって、俺はさつきを育てることになった。戸籍上は他人だというのに、父親として振る舞っている。
おかげで状況が色々と複雑になってしまっている。
幼いころのさつきであれば、関係を隠すのは容易だった。
しかし大きくなって、彼女が色々と分かるようになると苦しくなってくる。だから学校側には全てを打ち明けた。家庭の事情で周囲に迷惑をかけるわけにはいかない。その時は潔くさつきに全てを教えてあげようと思っていた。
だけど、奥川先生は協力を約束してくれた。
「各家庭、様々な事情があります。可能な限り、尊重するのが我々教師の仕事ですので」
以前も聞いたお話だ。
奥川先生はさつきが一年生の頃から担任の教師である。彼女が高校に入学する前に、こちらの事情を説明した。その際に、このセリフを言っていた記憶がある。
笑顔はない。
しかしこれほどしっかりとした方が娘の教師をしていることに、俺は安心していた。
「いつきさん、色々と聞きたいこともあるでしょう。こちらからも確認したいことが何点かあります。有意義な時間にしましょう」
「はい、ありがとうございます。よろしくお願いします」
頭を下げて、感謝を伝える。
そして、面談が始まった――




