第一話 娘よ、誕生日プレゼントだからって婚姻届にサインはしないぞ!
5月5日。
娘が16歳の誕生日を迎えた。
「さつき、誕生日おめでとう」
深夜0時ちょうど。娘に祝福の声をかける。
俺のベッドでゴロゴロしていた娘は、ハッとしたように体を起こした。
「もう0時になったの!? うそ、パパ……わたし、16歳になった!」
「うん、そうだね。おめでとう」
「わーい、やったー!」
パチパチと手を叩く。
父親としては少し寂しい気持ちもあるけど、娘の成長は素直に嬉しかった。
「大きくなったなぁ」
ベッドの上で飛び跳ねるさつきはまだまだ子供っぽい。
長く伸びた銀髪、透き通るようなスカイブルーの瞳、真っ白な肌、150センチにも満たない小さな体……大人と言うにはもうちょっと大きくなってほしいが、それでも昔に比べたらスクスクと育ってくれた。
「小さい頃は、あんなに病弱で成長も遅かったのに……元気に高校生になってくれて、お父さんは嬉しいよっ」
少し涙が出そうになった。
娘の成長が本当に嬉しかったのである。
「それで、誕生日プレゼントは何にする? 好きな物を買ってあげるぞ!」
昔はお人形さんとかを好んでいたが、もうそんな年齢でもないだろう。
娘へのプレゼントはまだ買っていない。この子がほしいものをあげようと思っていたのである。
「ほんとー!? パパ、かっこいー!」
さつきははしゃいでいた。
ベッドで飛び跳ねていた彼女は、そのまま体操の選手みたいに空中で二回転した後、綺麗に地面に着地する。
病弱だったくせに運動神経がいいのは、きっと母親譲りなんだろうなぁ。
「誕生日プレゼント、何にしよっかなー?」
「好きな物を言ってくれ。さつきが望む物を手に入れてあげるよ……何がほしい? 世界? それともイケメン?」
最後あたりはもちろん冗談だ。お父さんにそこまでの力はない。しがない警備員なのであまり裕福な家でもなかったりする。
でも、娘の誕生日くらい、好きな物を買ってあげたい。
だから一生懸命働いていた。おかげで少しだけ懐には余裕がある。
さてさて、娘は何を欲しがるのだろう?
「えー? 世界とかイケメンなんて要らないよー? お金いっぱいかかりそうだしっ」
しかし娘は無欲だった。世界もイケメンも素で要らないと笑っていた。
俺の発言が冗談だとすら分かっていないのかもしれない。さつきはちょっと抜けているところがある。いわゆる『天然』な子だった。
「えっとね~……そうだ! パパ、ちょっと待っててっ」
それから、てけてけと可愛らしい足音を鳴らしながら走り出した。
「え? あ、うん」
たぶん自分の部屋に何かを取りに行ったのだろう。
言われた通り待っていると、さつきはすぐに帰ってきた。
その小さな手には一枚の書類が握られていた。
「パパ、わたしね……どうしてもほしいものがあるのっ。でも、それはお金では買えないものなの…‥」
さつきは言いにくそうに、ごにょごにょとしていた。
お金で買えないものか……いや、でも娘のためだ! 父親として、可能な限りの努力はしてあげたい。
「なんだ? 遠慮せずに言ってくれ。お父さん、できることならなんでもするから」
「ほんとー!? パパ、ありがとー!」
そう言ってあげると、さつきは嬉しそうに頬を緩めた。
ほっぺたが落ちそうなくらいの満面の笑顔。愛らしい娘にこっちまで笑ってしまうくらいだ。
うん、この子のためならなんだってできる。
そのために一生懸命頑張ろう!
そう決意したのである。
しかし、俺の決意は予想外の形で裏切られることになってしまった。
「あのねあのね、誕生日プレゼントはね……パパのサインが、ほしいのっ」
「……サイン?」
首をかしげると、さつきは持っていた書類を俺に手渡した。
その紙にはこんな文字が書かれていた。
『婚姻届』
娘がほしがっているものは、誕生日プレゼントにしてはちょっと重すぎた。
「パパ、わたし……16歳になったから、結婚できるって知ってる?」
「…………ま、まだ早くない?」
「早くしないとパパが他の女に取られちゃうもんっ。だからね、パパ……誕生日プレゼントに、サインください!」
それからさつきは、地面にかがんで三つ指をついた。
「不束者ですけれど、よろしくお願いします♪」
ぺこりと頭を下げて今後の人生を捧げようとする娘。
それに対する答えはもちろん、
「ダメだっ! さつき、いくらなんでも誕生日プレゼントにサインはあげられないぞ!?」
ノーだ。
サインなんて書けるはずがなかった。
俺はこの子を幸せにしなければならない。
さつきの結婚相手が俺だなんて、そんなの可哀想だし、もったいない。
君はもっといい男と結婚してほしい。
そして、幸せにならなければだめなんだっ。
そうじゃないと、俺は君の母親に合わせる顔がない。
『さつきを幸せにする』
もう天国にいってしまったこの子の母親と、そう約束したのだから――