第十四話 そうだ、パパが上着になったらずっと一緒にいられるね!
さつきは昨日から機嫌が悪い。
ずっとほっぺたを膨らませてそっぽを向いている。むくれた顔も可愛いけれど、この子は不機嫌になったら俺にべったりとくっついてくるので、ちょっと動きにくかった。
「さつき? そろそろ離れてくれないと、お父さんの匂いが移っちゃうぞ? 中年のおっさんの匂い、さつきは嫌いだろ?」
「パパはいい匂いだもーん。ふーんだっ」
ダメだ。リビングでゴロゴロしたいのに、娘が膝の上を占領するので身動きが取れない。せっかくの休日なのにたいへんだ。
父親に休みはないということだろう。
娘が学校に行っている時は仕事をしてお金を稼ぎ、休日は家で娘をあやさなければならない。
こうして子育てするようになって、改めて世間の親を尊敬した。本当に立派だと思う。
願わくば、色々とご教示いただきたいものだ。
「くんくん……まだ他の女の匂いが残ってるっ」
そして、不機嫌な娘の対処法も教えてほしい。
どうやったらこの子はいつも通りになってくれるのだろう?
まぁ、普段でさえ愛が重いなぁと感じることが多いけど、今の状態は重すぎてちょっと困っている。
だって、お風呂とかトイレにまでついてこようとするのだ!
『パパが他の女と密会するかもしれないでしょ?』
トイレやお風呂場で密会って不可能では?
なんて言える度胸は俺にはなかった。
光のない目で娘にそんなことを言われた時、世間の父親はどうするのだろう?
……いや、普通はそんなこと言われたりしないのか。
「パパ? わたし、寒い恰好してると思わない?」
「……確かに薄着だね」
今日は珍しく露出が多いなぁと思ってはいた。
普段は可愛らしいふりふりのお洋服か、あるいは俺のシャツを勝手に着ていることが多いのだが、この日はノースリーブとショートパンツという恰好だ。
今は四月。温かくなってきたとはいえ、その恰好では寒いかもしれない。まぁ、俺は脂肪という脱げないお洋服を着ているので、年中暑いんだけどね。
「上着があったらいいのにな~」
「……持ってこようか?」
「違う! パパが上着になってって言ってるの!」
えぇ……そんなこと言われても分からないよ。
俺が上着になるって発想がそもそもなかった。
「ぎゅーってして? パパが温めてくれないと、わたし凍死しちゃうよ? パパが将来結婚する女の子がいなくなってもいいの!?」
「わ、分かった。分かったから、興奮しないでくれ……」
荒ぶる娘を羽交い絞めするように後ろから抱きしめる。
包み込むようにすっぽりと覆ったら、さつきは満足そうに頷いた。
「うむ! パパ、それでいいんだよ? えへへ~……パパって上着になるのも上手だねっ」
おかげで少しだけ機嫌がマシになったようだけど。
まだまだ発言が支離滅裂なので、いつものさつきとは程遠い。
「あ、あははっ。お父さんには上着になる才能があるのかもしれない」
「……なってもいいよ? わたしの上着になってくれたら、ずっと一緒にいられるね」
怖いよ。
発想がちょっと歪んでるよ。
うちの娘はちょっと猟奇的なのかもしれなかった。
いつもはもうちょっと、大人しくしてくれるのになぁ。
……いや、それだけ不安になってしまった、ということだろうか。
恐らくは無意識かもしれないけど……さつきは母親であるサーシャが亡くなって以降、俺がいなくなることを過剰に恐れるようになった。
サーシャが亡くなった直後なんて、俺がトイレに行っただけでも号泣していたくらいである。
その影響がまだ残っているのだろうか。
もう少し、安心してほしいものだけど……こればっかりは、仕方ない。心の傷というものはそう簡単に癒えるものではないのだから。
でも、癒すことはできないけれど、不安感を消すくらいならできる。
それ以上の幸福と楽しみを与えてあげれば、きっと不安定になっているさつきも、元通りになってくれるだろう。
そのために、何をしてあげたらいいのか。
「もっと強く抱きしめてっ? うん、そんな感じ。わたしの骨を折るくらいでいいよ?」
娘を抱きしめながら考える。
この子が楽しいことと言えば、まぁ俺だ。自分で言うのもなんだが、さつきは父親が大好きすぎるので、一緒に何かをしてあげると喜んでくれる。
だから、思いついたのはこんなことだった。
「……さつき、買い物に行かないか? 久しぶりに、一緒に出かけよう」
娘は基本的に出不精というか、俺が仕事以外でほとんど外出しないので、この子もあまり外に出かけない。
でも、たまにはこういうのもいいかなと思って、提案してみた。
するとさつきは、予想以上にいい反応を見せてくれた。
「それってつまりデートってこと!? 行く行く! お外デートするー!」
ぴょーんと飛び跳ねて喜ぶさつき。
デートって……親子で買い物に行くだけだが、まぁいいか。
「ちょっと待っててね、お着替えするからっ」
さつきがスキップしながら自分の部屋へと向かっていく。
やっと俺から離れてくれた。
「ふぅ……」
息をついて、頬を緩める。
あの子には色々と手を焼かされるけれど。
なんだかんだ、娘の面倒を見るのは楽しい。
あの子が笑ってくれるのなら、なんだってしてあげられる。
たとえ愛が重くても、めんどくさくても、全て許せる。
それが『父親』というものである――




