表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

13/44

第十二話 母の強さと、男の弱さ

 ――思えば、サーシャは再会した直後に、しっかりと話し合おうとしていた気がする。


 十数年前、彼女が急に帰ってきた時のことだ。

 さつきを抱っこして家に入ると、サーシャはすぐに何かを伝えようとしてきた。


「いつき君、ごめんねっ。急に来てしまって……あの実はワタシ、結婚して…えっと、あのね――」


「……その前に、親父とお袋に挨拶してもらえないか?」


 話を遮ったのは、俺の方だった。

 再会は嬉しかったけど、サーシャの話を聞くのが怖かった。

 特に『結婚』の部分について、詳しい話を聞く勇気がなかったのである。


「……そうだね。まずは、おじさんとおばさんに、挨拶しないとね」


 サーシャも、俺が話を聞きたがっていないことは察していたのだろう。

 あまり無理に言おうとはしなかった。俺に促されるままに、両親に挨拶してくれたのだ。


「それで、おじさんとおばさんは?」


「……ここだ」


 案内したのは、俺の両親が寝室として利用していた部屋だ。

 そこには、二人の遺影を飾っていた。


「え…………?」


 サーシャがびっくりするのも無理はない。

 彼女がまだ引っ越す前は両親ともに元気だった。サーシャのことも、我が子のように可愛がっていた。


 だけど、ほんの数年前に両親は亡くなった。

 二人とも病気だった。まずは父が亡くなり、後を追うように母も衰弱していった。


 この家に残されたのは、一人息子の俺だけだった。


「……手を、合わせてくれないか? 二人とも、きっと喜ぶはずだから」


 仏壇、ではないけれど。

 この部屋は、俺にとって両親の部屋だ。亡くなった後も軽く片付けたけど、家具などはほそのまま放置していた。


 写真を飾って、ふと思い出した時に手を合わせるようにしていたのだ。


「……そうなんだ」


 サーシャは泣きそうな顔をしていたけど、必死に涙をこらえて手を合わせてくれた。それだけで、嬉しかった。


「んにゃー」


 俺の胸をポンポンと叩いていたさつきも、手を合わせる母親の真似をしていたのも覚えている。可愛い幼児が見れて、両親もきっと喜んだことだろう。


「まぁ、そういうわけだから、気軽にこの家を使ってくれていいよ。どうせ俺しか住んでないし」


「…………」


「あ、もしかして住むところはあるのか? ごめん、大荷物だし、事情もあるみたいだから、てっきり住居とかにも困ってるのかなって……」


「どうして?」


 サーシャにとっても、俺の両親の死はショックだったようだ。

 大人びていて、いつも冷静だった彼女が、珍しく取り乱していたことを今でもよく覚えている。


「君はどうして、そんなに優しいのっ……ワタシは最低の人間なのにっ。君を裏切った酷い女性なのに、なんで……っ!」


 俺の好意は、サーシャにとっては信じられない事ばかりだったようだ。


「そんなに優しくされたら……我慢、できないよぉ」


 崩れ落ちて、俺に縋りつくようにサーシャは手を伸ばした。


「サーシャ……」


 俺も、反射的に手を伸ばした。

 その手を握って、今までのことなんてどうでもいいと言いそうになった。


 どうでもいいわけ、ないのに。


 大好きという思いを、俺が傷ついたという過去を、夢が叶わなかったという現実を無視して、俺はサーシャの思いを受け止めようとしてしまった。


 でも、その手を掴んだのは、俺じゃなかった。


「ママ……?」


 俺がだっこしていたさつきが、サーシャの手を掴んだのだ。


「ぎゅーっ」


 それから、元気を出してと言わんばかりに、さつきはサーシャの手を握りしめた。小さな手に捕まれて、サーシャはハッとしたように目を見開いた。


「……そうだね。さつき、ワタシはママだからね……泣いてたら、ダメだねっ」


 サーシャは涙を拭って、俺からさつきを受けとった。

 我が子を胸に抱いて、彼女は自分が母親であることを強く認識したのだろう。


 子供の前で、情けない顔をするのをやめたのだ。


「ごめんね。取り乱しちゃった……君の気持ちも、分かっているつもりなのに……本当に、ワタシは最低な女だね」


 そして、彼女は俺に深々と頭を下げた。


「お願いします。住むところも、食べる物も、お金もなくて困ってるんです。いつき君、どうか……助けて、くれますか?」


 改めて、丁寧な口調で頼んできたサーシャ。

 どんな形であれ、俺はサーシャを見捨てない。彼女はそれを分かっているだろうが、けじめという意味でしっかりと頭を下げたようだ。


 もうその顔に涙はない。

 母親として、必死に我が子を守ろうとするサーシャは、とても美しかった。


「……もちろん。いつでも、頼ってくれ」


「ありがとうっ。いつき君……本当に、ありがとう」


「でも……一つだけ、お願いがある」


 そしてこの時の俺は、とても弱い男だった。


「サーシャ。君の結婚相手のことは……何も、言わないでくれるかな?」


 知ることを、恐れた。

 どんな人間をサーシャが好きになったのかを、分かりたくなかった。


 これが俺の『弱さ』だった。


「分かった。約束する……ごめんなさい」


 しかしサーシャは、何も言わずに頷いてくれた。

 最後に謝った理由さえも、当時の俺は分かりたくなくて、聞き返すことができなかった。






 ……これが、俺にとっての最大の後悔だ。

 以降、何度か勇気を出して聞いてみようと努力した。

 でも、本題に入る前にへたれた俺は、いつも寸前で逃げてばかりで何も聞くことができなかった。


 だから俺は、さつきの本当の父親のことを知らない。

 そのことを、今もずっと後悔している――

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
[良い点] 笑えるぐらい良い男やな [一言] 初恋の女の結婚相手を聞きたくないなんて全然弱いとも思わない。 さらに言えば、昔の離れ方も引きずるような別れ方で10年という時がたたったとしても、想いが残っ…
[一言] 知りたくなかったサーシャの旦那と、 後悔するほど知りたいと思ってるさつきの父親が、 主人公の成長を物語ってるいい対比かな。と思う。
[良い点] あんた、思ってたよりずっと強いよ 弱さを知り、それでも足掻こうしてるのはカッコ良いし、強いと思うよ
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ