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第十一話 初恋の人の結婚相手を知る勇気が出なかった

 注文していたものが届いた。

 俺はコーヒーを飲みながら、ソフィアさんはチーズタルトを食べながら、軽く雑談を交わしていた。


「……! いつきさん、甘いわ。砂糖のお味がするっ」


「ケーキだから甘いでしょうね」


「こんなに美味しいなんて信じられないっ。子供たちにも……っ!」


 と、言いかけていた言葉を止めて、ソフィアさんは頬に手を当てた。


「……まだ慣れないわ。みんな成人してもう家には誰もいないのに、未だに子供たちがいる感覚が抜けないの」


 長年、母親をやっていたクセだと思う。

 それくらい、子供とは親にとって当たり前の存在だから。


「お料理もね、気を付けないとすぐに4人分作っちゃうのよ……まったく、酷い話だわ。今までずっとお母さんだったのに、いきなりただのおばあちゃんになっちゃったわ」


「おばあちゃんと言うには、まだ早いですよ。見た目は俺より若いんですから」


「……あら、もしかして口説いてるのかしら?」


「そんなわけないことくらい、ソフィアさんが一番分かっているでしょう?」


 ソフィアさんのお子さんはみんな無事に成人した。

 しかもきちんと大学に進学して卒業したからすごい。今は三人とも働きながら、やりたいことを好きにやっているようだ。


「三つ子ちゃんだったから、大変でしたでしょうね」


「まったくよ。子供は一人でも大変なのに、それが三人なんて……忙しくて仕方なかったわ」


 愚痴のようなことを言っている割には表情が柔らかい。

 きっと、子供たちの面倒を見ることは、ソフィアさんにとっての幸福そのものだっただろう。


 忙しくはあっただろうけど、苦しくはなかったはずだ。


「それで、いなくなる時は一気にどこかに行っちゃうんだものね……酷い子たちだわ」


「とかなんとか言って、よく顔を出してくれるんでしょう? それでいいじゃないですか」


「そうね。週に一回は、ふらふら~って帰って来るわ。私は別に寂しくないのに……仕送りもいっぱいしてくるし、バカな子供たちよ」


 恐らく、ソフィアさんの子供たちは、彼女にとても感謝している。

 大人になっても、母親のことを一途に思っている。そういう関係がとても眩しく見えた。


 俺も、こんな親になりたいものだ。


「……あら? いつの間にか私の話になってるじゃない。いつきさんとさつきちゃんの話をしてくれないと、この密会の意味がないわ」


 ソフィアさんが照れ隠しをするようにケーキをもぐもぐと咀嚼する。

 お金がない時はケーキを食べる余裕もなかったのだろう。とても美味しそうな顔をしていた。


「さっきも言った通りですよ。俺とさつきは、元気です。それ以外に報告のしようなんてないです」


「元気ならそれが一番だけど……困った時があったら、いつでも言ってね? 昔は、助けてあげることができなかったけれど、今ならあなたを助けてあげられるから」


 ……ソフィアさんはまだ、昔のことを気にしている。

 この密会も、俺にとってはありがたいけど、開催を希望しているのはソフィアさんだったりする。


 もう十年以上も前、サーシャが亡くなった時……本当は、ソフィアさんがさつきを引き取る予定だった。


 でも、当時の彼女たちは貧しく、子供を一人養うほどの余裕がなかったのである。

 だから俺がさつきを育てたいと申し出た。

 それは、さつき本人が望んだから、というのも大きな理由である。


 サーシャがいなくなった後、さつきは俺から離れられなくなった。

 まるで、俺がサーシャみたいにいきなり消えてしまうとことを恐れているかのように、さつきはずっとくっついていたのである。


 だからソフィアさんとは色々と話し合って、俺がさつきを育てることにした。彼女の『父親』になって、立派に育てようと決意したのだ。


 あれ以来、ソフィアさんはさつきと会っていない。

 後ろめたさがあるのか、会う勇気が出ないようだ。


 しかしずっと、さつきのことを気にかけている。

 今でも、こうやって定期的に報告を求めてくるくらいだ。


「さつきちゃんのために……してあげられることは、なんでもやるわ」


 その気持ちはとても嬉しい。

 でも、大丈夫。


「無理に、背負わないでください。俺はさつきの他人じゃなくて、父親なんです……血は繋がっていなくても彼女を幸せにします。だから、安心してください。遠慮とか、気を遣う必要は、ありませんよ」


 血とか、戸籍とか、そういうのは関係ないのだ。

 俺はさつきの父親である。だから、彼女を守ることに理由なんて要らない。


 ソフィアさんは、他人である俺に遠慮している部分もあるように見える。

 だからそれは大丈夫と、改めてソフィアさんに伝えた。


 すると、彼女は目を細めて、小さく頷くのだった。


「そう……それならいいわ。うふふ、あなたも立派な父親なのね」


「はい。まだまだ未熟ですけど、父親を頑張っていますから」


「……あなたみたいな父親が、うちの子供たちにもいたら良かったのに」


「っ!? げほっ、げほっ」


 いきなりの発言に思わずむせてしまった。

 そんな俺を、ソフィアさんは楽しそうに笑っている。


 こうやってからかってくるところは、血筋なんだと思う。

 サーシャも、さつきも、それからソフィアさんも……イタズラするときは、決まって楽しそうに笑うのだ。


「勘弁してください……あんまりそういうこと言ってると、子供たちに怒られますよ?」


「あらあら。そうね、今更父親なんて絶対に要らないでしょうね」


 分かっているなら、そんなこと言わないでほしいものだ。

 ……それにしても、父親かぁ。


「そういえば……さつきの父親の事、何か分かりましたか?」


 さつきの父親について、ふと気になったので問いかけてみる。

 今まで、何度か密会していたわけだが、その最中に『さつきの父親について調べてほしい』とお願いしていた。


 とはいえ、ソフィアさんも今は日本に身を置いている。

 サーシャの実家のことも、父親のことも、あまり新しい情報はないようだった。


「ごめんなさいね。サーシャとは仲が良かったけれど……あの子、隠し事も多かったから」


「いえ……とんでもないです。むしろ、手を煩わせて、こちらこそ申し訳ないです」


 本来であれば、さつきの父親について何も知らないなんて、あってはならないことだ。

 さつきのことはなんでも分かっているつもりだ。でも、唯一……娘の本当の父親についての情報を、俺は何も知らない。


 いや、知ろうとしなかった。

 知る勇気が、なかった。


(やっぱり、サーシャから聞いておくべきだった……!)


 何度後悔したか、もう分からない。

 数えることができないくらい、人生で何度も後悔したけれど。


 一番悔いがあるのは、過去の自分の弱さである。

 俺は、サーシャの父親のことだけを、聞くことができなかった。


 初恋の相手と結婚した人を、知りたくなかったのだ。

 だから今でも、さつきの父親については何も分からない。


 生きているのか、死んでいるのか、どこにいて、何をしているのか……何もわからなかった。


 そのことを、今でもずっと後悔していた――

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