第九話 娘は学校ではどうやら猫を被っているようです
「パパっ。そろそろ学校に行かないといけないの」
朝、登校の準備を終えたさつきが、寂しそうな顔で俺を見ていた。
「本当はね、ずっとずっと…‥ず~っっっと、パパと一緒にいたいけど、総理大臣になって法律を変えるには、学校に行かないといけないの」
父親としてこの子に何を言ってあげるのが正解なのか。
ずっと一緒にいたいって部分が『お墓まで一緒♪』みたいな感じにも聞こえて怖いけど、とりあえず娘を応援しておいた。
「……が、がんばれ!」
父親とは子供の背中を押すことしかできないのである。
間違った方向に進んでいる時は道を正すことも必要だけど。
その舵を取るには娘の愛が重すぎた。重い物体は慣性が強いのでなかなか方向を曲げられないのだ。
「がんばるけど……パパ、いってきますのちゅー、してくれないの?」
ほら!
父親にこんなことを求める娘なんてまずいない。
甘えん坊なさつきに、苦笑してしまった。
「君の唇は、いつかできる大切な人に取っておきなさい」
キスの代わりに頭を撫でてあげる。
さつきは拗ねたように唇を尖らしていたけど、頭に触れただけで嬉しそうに目を閉じていた。拳をギュッと閉じて、喜びをかみしめているように見える。
さつきは愛が重いけれど。
結構、チョロい部分もあるので、扱いは結構簡単だったりする。
「しょ、しょうがないな~。今日は『なでなで』で我慢してあげるっ。でも、次はちゃんとちゅーしないと怒るからねっ」
「はいはい。キスは絶対にしないけど、怒ったらちゃんと機嫌とるから安心してくれ」
「いつまでもわたしが大人しくしてるなんて思わないでよっ! いってきます、パパ! ……お仕事、がんばってね?」
そう言ってさつきは玄関から出て行った。
途端に、家の中が静まり返る。さつきは嵐みたいに騒々しいけど、いなくなったらとても寂しくなるような子なのである。
「やれやれ……」
キスをせがんできたさつきに肩をすくめて、俺も仕事に行く準備を進める。
相変らず、甘えん坊な娘だ。
……いったい学校ではどんな感じなんだろう?
ふと、学校の様子が気になった。もしかして、学校でも家と同じように好き放題振る舞っているのかな?
さつきが楽しんでいれば、別にどうやって学校を過ごしていても文句はないんだけど。
……いや、それはないか。
さつきは今でこそマシになったけど、小さい頃はとても人見知りだった。
彼女が心を許していたのは、母親であるサーシャと、俺だけだったくらいである。その他の人間とは目も合わせないし、口を利くこともなかったなぁ。
そんな彼女が、他人しかいない学校ではどんな風に振る舞っているのか。
それはちょっとだけ、気になっていた――
――と、父親は心配しているが、学校でのさつきは家とはまるで違う女の子として振る舞っていた。
「おはようございます」
登校してまず、彼女は校門に立って挨拶運動を始める、生徒会に選ばれて以降、毎朝欠かさずやっていることだった。
ただの作業じみた無機質な挨拶ではなく、丁寧に頭を下げて声をかける。
その姿に、性別問わず多くの生徒が目を奪われるのは、朝の恒例行事だった。
普段、父親に対しては飛びつきながら『おはよー!』と笑いかけるが、学校ではとても大人びた女の子を演じている。
「見て、五月雨さんよっ」
「朝から綺麗だねっ」
「氷みたいで素敵だわ」
通りがかった女子生徒たちがさつきを見てうっとりと表情を緩める。
その評判通り、学校でのさつきは綺麗な美女として認識されていた。
家での彼女は無邪気で可愛い天使だと父親に思われているが、学校では天使というよりも高級な彫刻品のように扱われている。
触れてはならない神聖な存在として、さつきは崇められている。
それも無理はないことである。
さつきの通う王杯学園はかなりレベルの高い進学校として有名だが、彼女はその中でもとびっきりの天才である。
学校の歴史上、初めて一学年でありながら生徒会長の座についた唯一の存在でもあり、二年生時点で既に全高校生の中でトップの成績を誇り、助っ人で参加した部活動では数々のタイトルを獲得したバケモノでもある。
見た目も綺麗で、能力も高く、しかしそれらに奢ることなく他人に対して礼儀正しい。
そんな完璧な人間を、さつきは演じている。
もちろん、息苦しさは感じている。
しかし、彼女が夢をかなえるためには、まだまだ努力は足りないくらいだった。
(総理大臣になるには、いっぱい勉強しないとっ)
学園の生徒たちは、きっと知らない。
彼女が大のファザコンで、父親が好きすぎるあまり、法律を捻じ曲げてでも結婚しようとしていることを。
猫を被って完璧を演じているさつきが、実はただのファザコンヤンデレ娘であることは、誰も知らない事なのである。
(はぁ……パパに会いたいなぁ)
そして学校では四六時中、さつきが父親のことを考えているなんて、生徒たちは夢にも思っていないだろう。
同じく、父親のいつきですら、それは分からないかもしれない。
それくらい、さつきは父親のことを愛している。
その愛がいつきの想像をはるかに超えていることを、いつきはいつになったら気付くのだろうか――




