第1章 第1話 機械仕掛けのクロノス
「おにいちゃん、デートしよ?」
「絶対に嫌だ」
三月三十一日。つまり俺が中学生という身分でいられる最終日。春休みの日課であるリビングでのぐうたらタイムをこなしていると、よそ行きの格好に着替えた燕が隣に座ってきた。
「えー? こーんなにかわいい妹とデートできるんだよ?」
「燕がかわいいのと俺が出かけないのは関係ないだろ。燕は明日も休みかもしんないけど、俺は明日入学式なんだよ。せっかくの休み最終日に外行く馬鹿がどこにいんだ」
「うわー、出たおにいちゃんのニート発言」
ニートって……。そうじゃないんだよ、俺は。
「何事も効率よく。それが俺のモットーだ」
なるべく辛いことはしたくない。人生楽に生きるのが一番だ。そのための効率。行く必要のない外に行くなんて非効率甚だしい。
「まぁニートはある意味効率的だし羨ましいけどな」
「うぇー……そんなこと言ってると彼女できないよ?」
「はっ。彼女なんて金と時間を無駄にする一番の要因だろ。いらんいらん」
全部俺に尽くしてくれるなら話は別だけど……と言おうと思ったが、それはそれで相手に申し訳ないから嫌だな。そもそも俺と付き合いたいなんて思う女子なんていないし無駄な話だ。
「だいたい何しに行くんだよ。今時全部ネット通販でいいだろ」
「ばっかだなー、おにいちゃんは。お店で買う方が価値のあるものだってあるんだよ?」
「まぁ確かに腕時計とかブランド物はそうした方がいいかもしれないけど……」
春から中三の燕や高一の俺にはまだ早い代物だ。なのにもかかわらず、燕は「それだよっ!」と左人差し指を突きつけ、その後甲の側を俺に見せつけた。
「今からわたしたちは腕時計を買いに行きます」
腕時計……腕時計って……。
「くく……」
駄目だ、どうしても笑えてしまう……!
「はははっ! 腕時計なんて世界で最も非効率な物だろ! 時計なんてそこら中にあるし、そもそも時間を確認したいならスマホを見ればいい。なのに無駄に高くてぶつけないよう気を遣わなきゃならないのが腕時計だ。そんなの着けるメリット一つもないぞ。それに女物の腕時計なんて俺にはわからないしな。まぁ男物もわからないけど」
「なに言ってんの。買うのはおにいちゃんのだよ?」
「はぁ? だったらいらないしそもそも買う金なんて……」
「じゃーん! ここに三万円ありますっ!」
そう言って燕が広げたのは三枚の偉人の顔が載っている紙。これってまさか……!
「燕、その金パパか……」
「違う。くれたのは本物のパパだよ。入学祝で買ってあげたいけど買いに行く時間がないから選んでやってくれって」
「そうかよかった……」
いや、そうじゃない。
「そういうのって普通本人に隠すもんじゃないか?」
「わたしもそう思ったけどさ、どうせおにいちゃん貰い物でも気に入らなかったら着けないでしょ? だったら一緒に選んだ方がいいかなって。これも一種の効率だよ、効率」
んー、効率を口にされたら何も言い返せない。それにしても効率っていい響きだなぁ……。
「ここでうだうだ言う方が効率悪いしな。わかったよ、行くよ」
「おー、おにいちゃんちょろいっ。じゃあちゃちゃっとレッツゴー!」
と、一週間ぶりくらいに家を出たのはいいものの……。
「……ちょっと待て。どこ行くつもりだ?」
この街、渡蛍市はどっちかと言えば都会だろうと言えるくらいのいわば郊外。高めの買い物をするにはバスに乗って大きな駅に行かなければならないのだが、今俺たちがいるのは家から五分くらいの商店街。一応時計屋もあるにはあるが、入ったことはなくても修理が基本だろうとわかるくらいの小さな店しかない。
「三万円の腕時計ってどう思う?」
だが俺の質問に的外れな答えを返し、先を行く燕が少し速度を落として隣に並ぶ。
「まぁ俺は高いと思うけど……世間的にはどうなんだろうな。少なくとも高校生が持つには高すぎるんじゃないか?」
「わたしもそう思うけどさ、どうせなら高い方がいいじゃん。でも学生だと普段使いしてたらどうやったって汚れちゃうと思うんだよ。つまり、汚れても目立たない高級品がいいんじゃないかなって」
はぁ……燕の言いたいことはわかった。かわいい顔してるのにやることが一々コスいんだよな。
「つまり中古品ってことだろ?」
「そうっ。あ、でも後で駅の方にも行くよ? 一応見ておくだけっていうかさ、どんなものかなーって確認しておきたくない?」
「おきたくないな。だって本当の目的は『魔女の家』だろ?」
「あー、ばれてた?」
かわいく舌を出しててへっと笑うが、こればかりは笑って済ませる話じゃない。
『魔女の家』。正式名は『黄昏屋』だが、商店街の奥地にひっそりと佇む骨董屋をここら辺の人はそう呼んでいる。
その理由は大きく分けて二つ。一つは外観が古い洋館風になっていていかにも魔女が住んでいそうだから。そしてもう一つは、実際に魔女を見たという噂がどこからともなく流れてくるからだ。
もちろんそんな噂を信じてはいないが、それでも近寄りがたい場所であることは確か。前々から興味を持っていたけど、一人で行くには怖いから兄と一緒に一度行ってみようというのが燕の考えだろう。
だが『魔女の家』への訪問を断るつもりは俺にはなかった。非効率甚だしい話だが、実際俺も少し興味があるのだ。俺のモットーからはかけ離れているが、小学生の頃からずっと興味を持っていた。これに理由をつけるなら、何かそうさせる魔力があるから、という言葉が一番しっくりくる。
「よし、じゃあ行くか」
「うん。……おにいちゃん、よろしくね」
店に着いた直後俺の後ろに隠れた燕が背中を押してくる。少し心の準備をしたかったが、半ば強引に押し込まれる形で店内へと侵入することとなった。ていうか燕の奴、俺を押し込むだけ押し込んで自分は入らないつもりのようだ。……仕方ない。とりあえず俺一人で物色しようと前を見ると。
「いらっしゃい」
魔女がいた。
黒を基調としたゴスロリ風の服に、暗い店内でもはっきりと見えるくらいに透き通った明るい銀色の髪。魔女のイメージをそのまま映し出したかのような、俺と同年代くらいに見える若く綺麗な女性が奥のカウンターからまっすぐに俺を見据えていた。
魔女がいた、というのは魔女のような女性がいた、という意味ではない。
言葉通り、この女性が魔女だと確信を持ったのだ。なぜなら、
「待っていたよ。央間隼人くん」
魔女は俺の本名を告げ、ニヤリと口角を上げたからだ。
「央間燕さんはそのまま外で待たせているといい。君の信条通り、効率よく手短に事を済ませようじゃないか。ほら、早くおいで」
こいつ、燕の名前までも……! いや、そんなことより! 早く逃げないとっ!
人の名前を当て、俺のモットーまで告げてみせた。疑いようがない。ここは正真正銘『魔女の家』だった! 本当に魔女はいたんだっ!
「つばっ……!」
振り返って逃げ出そうとした瞬間。銀色の輝きが俺の身体の動きを止めた。
「君は腕時計がほしいんだろう? 代金はいらないよ。さぁ、持っていくといい」
カウンターに置かれたのは紫の敷物。そして、光もないのに眩く輝く銀の腕時計。
逃げなくては。頭では。心では。全身がそう指令を出しているのに、俺はいつの間にか腕時計を手にしていた。
形状的には普通の腕時計と言っていいだろう。銀の金属を纏った黒い文字盤を持つゴツゴツとしたサラリーマンが着けていそうな腕時計。
だが時計のことを何も知らない俺でもわかる。この時計はそんじょそこらの高級時計では太刀打ちできないほどの価値を秘めている。宝石のような装飾品はないが、各部のパーツの荘厳さがそれを補って余りあるほどに存在感を放っていた。
そして何より。
マゼンタ、シアン、イエローに彩られた、銀の竜頭の周りに配置された三つの竜頭。そしてそれに対応するかのように同じ色を持つ時針。
これを見た瞬間、俺は理解した。
俺を惹きつけていたのはこの店でも、魔女でもない。
たった一つの腕時計こそが、ここの全てなんだ。
「この腕時計は正確に言うと時計じゃない」
気づかない内に時計を左腕に巻いていた俺に魔女は言う。
「時を計るなんて低次元な代物じゃないんだよ。時を謀る。つまり、誰にも平等に流れる絶対の概念である時間を騙し、過去も現在も未来でさえも一度だけ自身のものにすることができる神すら恐れぬ代物」
そして魔女は笑う。
測るかのように。
図るかのように。
謀るかのように。
「『時謀』。これで君は時間を司る神となった」
ただただ、笑った、