9.彼の身の上に、予想もしないことが起きたのだった
書棚からその本を取り出した涼太は目次にざっと目を通してみた。
「幽霊の生活と意見」「幽霊と女性」「文学に現れた幽霊」といった項目が並ぶなかに「鬼と天狗」という項目もあった。
その箇所を開いてみると、ページの上端が折られていた。
おそらく才次郎が栞としてページを折ったのだろう。
パラパラと読んでいくと、何箇所かに鉛筆で傍線が引かれていた。
折られたページと鉛筆の傍線に、涼太は生身の祖父を感じた。
祖父がこの本を読んでいる光景が浮かんだのだった。
きっと、祖父は祖父なりに「8月17日の鬼」の正体を突き止めようとしたのだろう。
しかし、それの思いは叶わなかった。
それは祖父が無学なせいもあっただろうし、男手一つで子供を育てなければならなかった要因もあるだろう。
いろんな理由があったに違いない。
稚拙な鉛筆の傍線を見て、涼太はどこか哀しい気持ちになった。
代わりに自分が鬼の正体を突き止めよう、と思った。
祖父の遺志を継ぐ、といった大袈裟なものではないが、才次郎の供養になる気がしたのだった。
と思ったものの、その後の入学式から始まる大学生活の雑多な用に追われ、なかなか鬼の正体について調べることまでは手が回らなかった。
四月も半ばを過ぎて、ようやく落ち着いてきたところで「鬼の調査」に取りかかることにしたのだった。
涼太にはまったくといっていいほど、鬼についての知識がなかった。
まずは才次郎ののこした本を読むことから始めようと思って、今日、出掛けにカバンに入れてきたのだ。
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「その酒天童子って、どういう鬼なの?」
「平安時代に京の都で大暴れをした鬼です。貴族のお姫様たちをさらっていって酷い仕打ちをしました。犯したり、殺したり、しぼりとった血を飲んだり、生き埋めにしたり、それから食べたり」
「悪いヤツだったんだ」
「じつに悪いヤツでした」
「それが新潟出身なの?」
「新潟県に燕市というところがあります。その燕市に国上寺というお寺があるんです。五合庵といって良寛さんが住んだ庵があるお寺です」
涼太はうなずいて、先をうながす。
「良寛さんは江戸時代の人ですが、国上寺そのものは奈良時代からの歴史を持ちます。酒天童子はこの国上寺の稚児だったと言われています」
「稚児?」
「お坊さんのお世話をする子供たちのことです。いろんなお世話をしました」
と香奈子は意味ありげに笑う。
「酒天童子は実は大変な美少年だったそうです。それでまわりの女性たちからモテモテでした。恋文、ラブレターですね、これを山のようにもらったそうです。でも酒天童子は女の人には見向きもせず、せっかくもらったラブレターも箱のなかに放り込んだまま読もうともしませんでした」
「なるほど、酒天童子はイケメンだった」
「ところが、あるとき」と香奈子は急に声を重々しくする。
「彼の身の上に、予想もしないことが起きたのだった」
どうやらルポ番組のナレーターの口調を真似しているようだった。