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8月17日の鬼 〜あだやおろそか〜  作者: 鴨下つぐむ
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7.あのう。鬼に興味があるんですか?

 鬼がゾッとするような咆哮をあげた。

 才次郎は弾かれたように走りだした。

 と、その瞬間、また地震があった。

 気づくと才次郎は転倒していた。

 手のひらに痛みが走った。

 急いで起き上がり、再び走りだしながら背後を見た。

「!」

 鬼の姿は消えていた。

 紅蓮の炎も、バラバラの手足も、何もかも。

 そこにはいつもの街並みが広がっていた。

 才次郎は来た道とは別の道を通って家に戻った。

 そして家の人にいまの話をした。

 家の人は哀れみを浮かべた表情で、

「まだ無理もないなあ」

 と言って、才次郎を抱きしめてくれた。

 しかし、鬼のことは信じてはくれなかったようだった。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「まだ無理もないなあ」

 という言葉が涼太には気にかかった。

 何が無理もないのだろう?

 涼太がその疑問を口にすると、

「それはたぶん」と琴美は首を傾げながら言った。

「まだ子供やから無理もないということやないのかな」

「子供だから鬼を見ることが?」

「鬼は幻という風に家の人は考えんと違うかな。ま、敗戦のショックもあったやろし、そういうのが原因で幻を見るのも無理ないなあ、とか」

「敗戦のショック。九歳の子供が?」

「それは適当やけど。でも、そういうことを気にするより、もっと気にせなあかんのは鬼のことやない?」

「それもそうか」と涼太は苦笑する。「本当に爺ちゃんがその鬼を見たとして、いったいそれは何だったんだろう?」

「なんやったんやろね。地震があったいうから、近所の人が二階から転げ落ちて頭から血を出してた、とか」

「無茶苦茶な展開だな」

「自分でもそう思う」

 と琴美が笑う。


 しばらく二人は祖父の見た鬼の正体について思いを巡らせたが、どれだけ考えても分からないので、話題は自然と別のものへと移っていった。

 涼太は新幹線で会った根岸という男のことを話し、琴美はつい先日納車されたばかりの新車について話した。

 その他に学生生活のことや京都の観光名所、東京のいろんな街の話など話題は尽きなかった。

 涼太と琴美は飲み物のラストオーダーを尋ねられるまで、その店にいた。


◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆◇◆


「あのう。鬼に興味があるんですか?」

 と、涼太が渡邊香奈子から声をかけられたのは「仏教史学概論」という講義を受けているときだった。


 その講義は大講堂で行われていて、涼太は後方の席に座っていた。

 最初のうちは講義に耳を傾けていたが、じきに退屈になってきた。

 講壇に立つ教授はそのときインド仏教の流れを解説していた。

「四世紀から五世紀の半ばと言われていますが、無着と世親という兄弟が登場します。彼らは唯識という学説を完成させたことで知られています。唯識とは何か。簡単に言えば、私たちが見ているこの世界は、それぞれの心がつくりあげた世界である、という考え方です。みなさんは『西遊記』という作品をご存知だと思いますが、ここに出てくる玄奘三蔵が」

 この退屈な世界も自分の心がつくりあげたものだろうか。

 だとしたら自分の心はけっこう自虐的なところがあるな。

 と涼太はそんなひねくれたことを考え、小さくあくびをした。


 それから目立たないように鞄のなかから一冊の古ぼけた本を取り出した。『妖怪の話』というタイトルで、著者は上田都史。

 涼太はその本を開いて「鬼と天狗」という項目を読み始めた。

 気になった箇所をノートにポイントとしてまとめていく。

「地上の鬼として著名なのは渡辺綱が退治した大江山の鬼」

「源頼光の四天王、渡辺綱・坂田金時・卜部季武・碓井貞光。鬼のほかに土蜘蛛という蜘蛛の化物まで退治している」

「夢窓国師が美濃の国を行脚しているとき、死体の肉を食べる鬼に会った。その正体は老僧だった」

「上田秋成の青頭巾にも鬼になった僧の話が書かれている」

「鬼は人の肉を好む」

 顔をしかめながらそれを書いたときに「あのう。鬼に興味があるんですか?」 と背後から声をかけられたのだった。


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