3.これから京都に住むんです
涼太はスマホに表示されたアーティスト名を見る。
ケイト・リットル。
男にも言ったように、ケイト・リットルのそのアルバムは父のCDコレクションから借りたものなので、涼太自身はこのケイト・リットルがどういうアーティストなのかは分からない。
ただ、分かるのはそのアーティストが英語圏の(おそらくはアメリカだろう)女性歌手で、ギターを弾きながらシンプルな曲を歌うということだけだ。
その曲の印象から、痩身の女性のように思えた。
だから当然、日本人のこの男性がケイト・リットルのもとで働いているという状況がよく分からなかった。
「いやしかし、幸先がいいな。この列車を選択して正解だったよ」と男はうれしそうに手をすりあわせた。
「ところでキミは、どこまで行くの?」
「京都です」
「一人旅かい?」
「いえ、進学で。これから京都に住むんです」
「ますます幸先がいい。ベストチョイスだ」
と男は笑って、スーツの内ポケットから名刺入れを取り出した。
抜き出した名刺を涼太に渡しながら、こう言った。
「こんど京都にケイト・リットルがくるんだ。そのときは、よろしく!」
名刺には「ケイト・リットル・エコショップ 京都本店開設準備室 室長 根岸守」とあった。
車窓の端に京都タワーの姿があらわれ、 車内アナウンスが京都への到着を告げた。
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「京都へようこそ」
と言って、琴美がジョッキを突き出した。
「よろしく」
と涼太は答え、自分のジョッキを琴美のそれにカチンと合わせる。
そして半分ほど一気に喉に流し込む。
「ほう。けっこう飲めるんや、涼ちゃん」
「家では父親につきあわされてるから」
「未成年やのに」
「琴……自分だってそうでしょ」
涼太のその返事に琴美は顔をしかめながら小さく首を振った。
「え?」
「えらい他人行儀な言い方するんやね。自分だってそうでしょ、やて。なんなん、それ」
「あ、えーと、ごめん」
「琴美、呼び捨て、むかしといっしょ。な?」
「うん」
涼太は苦笑いをしながらうなずいた。
「まったく、長谷部涼太クンは水臭い人にならはった」
「京都人、しつこいぞ」
涼太が乱暴な口調で言うと、琴美はうれしそうに笑う。
「それでえーのん」
白川琴美は涼太にとって京都の幼馴染みだ。祖父の家の隣りに母親と二人で住んでいる。
その母親と涼太の父親もまた幼馴染みである。
琴美は涼太が親に連れられて京都に帰省したときの遊び相手だった。
年齢は一つ上。私立の女子大学に通っていて、現在は二年生である。
いま、二人は梅小路公園近くの洋風居酒屋にいる。京都暮らしの初日を記念して、と琴美が涼太を誘ったのだった。
梅小路公園は互いの家から歩いて15分ほどの場所にある。
「うちの店でも良かったんやけど、最初くらいはよそ行ってきぃってお母ちゃんが」
と琴美が言った。
琴美の母親小百合は、近鉄の東寺駅の近くで「まな」という小料理屋を開いている。
もう15年くらいになるそうだ。
涼太はこれから週に3日のペースで店の手伝いをすることになっていた。