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8月17日の鬼 〜あだやおろそか〜  作者: 鴨下つぐむ
21/92

21.それはいけません。せっかくの機会を失います

 のれんをかけて涼太が店内に戻ると、男はカウンター席の真ん中に座っていた。

 涼太は男と離れた場所に立ちながら横目で観察する。

 五分刈りの白髪頭に、白い鼻髭。

 丸いフレームの眼鏡をかけていて、口元には穏やかな笑みが浮かんでいる。

 年齢は五十代半ばといったところだろうか。

 その割りには肌の色つやがいい。

 年齢不詳という感じだった。

 大工の棟梁にも見えれば、大学の教授にも見える。

 不思議な印象を与える人物だった。


「長谷部涼太さんですね」と男は涼太を見ながら言った。

「ワタクシは、田中という者です。初めまして」

「あ……初めまして」

 戸惑いながら答える涼太を、田中は目を細めて見つめた。

 軽くうなずいたあと、琴美に「ビールをいただけますか。瓶で」と言った。

 琴美が瓶ビールとお通しを出した。

 田中は手酌で飲み始める。


 涼太は少し混乱していた。

 田中と名乗ったこの男とは初対面だ。

 田中にしても「初めまして」と挨拶をしたのだから、それは分かっているのだろう。

 だが、彼がなぜ涼太の名前を知っているのか? 

 涼太の混乱はそこにあった。

 しかし田中はそれを意に介することもなく、うまそうにビールを飲んでいる。

 その独特のマイペースな空気感のせいもあって、涼太は田中に話しかけるタイミングを逸していた。


 それを察したのか、琴美が口を開いた。

「涼ちゃんのこと、知ってはるんですか?」

 田中は軽くうなずき、

「鬼の正体についても」

 とあっさりとした口調で言った。

「え!」

 と涼太と琴美は同時に叫ぶ。

 田中は驚愕の表情を浮かべている二人を見ながら言った。

「昨夜のことです」

「?」

「砂川さんから連絡をいただきましてね。長谷部涼太さんが昨日ここで話した内容を伝えていただきました。もしワタクシに鬼の正体が分かるようなら教えてほしい、とのことでした」

「………」

「鬼の正体は砂川さんのお話からだいたいの見当はついたのですが、なるべくなら直接、長谷部涼太さんからうかがったほうがいいと思いまして、こうしてお邪魔した次第です」


 店内をしばらく沈黙が支配した。

 田中の言葉に涼太も琴美もどう反応していいか分からなかったのである。

 その沈黙を破ったのは、やはり琴美だった。


「鬼の正体が分からはったって、ほんまですか?」

「はい」と田中はうなずいて涼太を見る。

「長谷部涼太さん。あなたの学部は?」

「え? あの経済学部です。専攻は経済学科」

 その答を聞くと、田中は軽くため息をついた。

「ふむ。そうなると、なかなか大変かも知れない」

「何がですか?」

「鬼の正体にたどり着くのがです」

「え、そやけど」と琴美が言う。

「田中さんは知ってはるんでしょ? せやったら、教えてあげたら……」

 琴美の語尾が小さくなったのは、田中が途中で首を振ったからだ。

「それはいけません。せっかくの機会を失います」

「せっかくの機会?」

 田中はニコリとうなずいて、

「学びの機会です」

 と言った。


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