10.そう、イケメンではなくなったのだ
ちょっと変わったコだな、と思いながら涼太は香奈子の話に耳を傾けている。
「予想もしないこととは何か。彼を思い焦がれる一人の女性が、恋が実らないことを嘆いて、近くの湖に身を投げたのだった。さすがに哀れに思った酒天童子が、彼女からもらった恋文を読んでみようと、例の箱を開けると!」
香奈子が演出的な間をおき、涼太もつい身を乗り出す。
「恋文がたくさん詰まった箱からは、毒々しい真っ黒な煙がたちのぼったのだった。それは恋心に応えようとしない彼への、女性たちの怨念がこもった煙だった。その煙に包まれた酒天童子の顔はみるみるうちに醜くなり、美少年の面影はどこにも残っていなかったのである」
「イケメンじゃなくなった」
「そう、イケメンではなくなったのだ」
と香奈子はゆっくりとうなずいたあと、口調を戻して言った。
「国上寺には酒天童子の鏡井戸というものがあります。井戸に映った自分の顔を見てショックを受けたという井戸です。イケメン転じて鬼の顔ですから、相当なショックだったと思います」
「そのショックがもとで京都で大暴れしたのかな?」
「国上寺を追い出され、各地を転々としたあと、京都の大江山に棲みついたようです。いっときは比叡山にもいたそうです」
「追い出されたっていうのも可哀想だな」
「稚児としての魅力がなくなったからではないでしょうかね」
「え、どういうこと?」
「稚児というのは、お坊さんたちの性のお相手を務めるという役割もあったんです」
「………」
さっき香奈子が「稚児はいろんなお世話をした」と意味ありげに笑ったのは、そのことを指していたのだろう。
「ちょっと思ったんだけど」
「なんですか?」
「それって本当にあった話とは思えないけど、本当にあったことがベースになっている話のような気がする」
「さすがだ、長谷部君」
「え?」
「あ、ごめんなさい。つい……」
と香奈子はまたあたふたと両手を揺らす。
「いや、それはいいんだけど。さすがというのはどういう?」
「いま私が話したような言い伝えには、なんらかの意味が必ずあるんです。何か事実があって、それがいろんな事情でストレートに伝えられずに、非現実的な物語に姿を変えて語り継がれていく。多くの言い伝え、あるいは昔話には本当にあったことが隠されているんです」
「例えば、桃太郎とかかぐや姫とかも?」
「桃太郎もかぐや姫も浦島太郎も、です」
「へえ」
と涼太は感心する。
頭のなかでは8月17日の鬼のことが浮かんでいた。あの鬼の話には、どんな「本当にあったこと」が隠されているのだろう?
「私、そういうことを考えるのが好きなんです」
「隠されている本当にあったことを考えること?」
「イエス」となぜか英語で答える。
「史学科を選んだのも、だからなんです。この大学を選んだのも、ここが仏教系だから」
二人の通う大学は歴史のある仏教寺院が運営している。
総合大学として経済学部や経営学部、法学部、理工学部などが設置されているが、文学部には専攻学科として仏教に関連した学科もある。
一般教養の講義にも仏教関連のプログラムがあり、そのなかには必修科目もあった。経済学を学んでいる学生であっても、仏教の講義を取らなければならない。