悪役令嬢の悲喜交々
まあ、いわゆる、悪役転生であると気がついたのは、十歳の頃だった。
まだ幼い私は、悪役ってことは、ハイスペックだと思って、飛び跳ねて喜んだ。
スペックさえ高ければ、どうにでも出来ると思っていたのだ。
実際、ハイスペックであれば、どうにか出来たのではないかと、思うことはいっぱいあった。
しかし、私は全く、欠片もハイスペックではなかった。
容姿も、特別目を引く色彩でもなく、整った顔立ちで目立つ訳でもない。むしろ十把一絡げで埋没が目に見えている。
身体能力もごく平均。いや、ともすれば悪いのか。
ならば、頭脳はどうか。一を聞いて十を知るような、明晰さはなく、一度聞いたら忘れないような記憶力も形状記憶もない。
残るは、ファンタジーの定番、魔法とか、スキルとか、恩恵とか、不可思議な力はどうかといえば、まあ、今までの流れで察して欲しい。
何かあるのではと、いろいろとやらかし、すでに、黒歴史となっているので、詳しくを語りたくない。
やらかしただけあって、人の口に何とやら。面白おかしく、吹聴されているようで、両親はおろか、使用人に至るまで、可哀想な子を見るような目をされる始末。
これでは、両親が頑張ったところで、縁談も難しいかもしれない。
せめて、あの様々なあれこれが、もう少し幼い頃であったなら、子供のやることですんだものを。
本当に、微妙な年齢で思い出したものだ。
まあ、でも、このおかげで、きっと、悪役としては、お役ごめんだろう。
だいたい、容姿も平凡、頭も平凡、身体能力も平凡、特殊な恩恵も皆無の、平凡を絵に描いたような平凡っぷりに、王族と婚約とか、有り得ない。
家格だって、爵位こそ高いが、それは、場所柄、そこそこの爵位を持ってないと、国としての面目が立たないが故のお飾り爵位。
うちより、商家の方が余程良い暮らしをしているんじゃないだろうか。
そう考えると、早々に、独り立ちを考えた方が、良策だと思われた。
もっとも、このロースペックで、華々しい何かをなせるはずもなく、刺繍の腕も言うまでもないので、生計を立てる手段があまりない。
何をやるにも辛うじて平均に乗っかっている状態では、一芸に秀でるはずもなく。
むしろ性格でも破綻していれば、そこそこ面白可笑しく、太く短い人生を送れたかもしれないが、多大に両親や兄弟、使用人に致るまで、迷惑をかけるのは目に見えているので、そこは、小心者の自分をちょっとだけ誇っておこう。
だから、貴族のごく当たり前のお披露目も、埋没して終わると信じていた。
いや、むしろ埋没しなかったことの方が可笑しい。
「なぜ?」
百歩譲って、奇特な感性をした殿方に、一目惚れされると言うことはあるかもしれない。
まあ、この際、男女は問わないことにしても良い。
だが、自分でいうのもなんだが、ドレスも普通。飾りも普通。髪の色も瞳の色も、この国ではごくありふれた色。目立つ要素など、欠片もなかったはずだ。
いや、あの中から、私をピンポイントで見付ける方が難しいので、阿弥陀でも作って、適当に選んだら、たまたま当たったのかもしれない。
これが、世界の補正というものなのだろうか。
それにしても、大物をつり上げすぎて、両親など顔が真っ青だし、使用人たちは、勝手が分からず、右往左往し始めている。混乱を納められるほどの手腕を持つ者もなかった。
現在進行形で、混乱して行っているのを眺めているせいか、比較的、私は落ち着いているように見えるが、あくまで、こういう展開があったことを知っているから、多少のアドバンテージがあっただけで、全くもって、平静ではない。
むしろ、ここで、平静でいられるほどの剛胆さがあれば、一芸にも秀でられる気がする。
「家格的にも問題はないし、何かあっても切りやすいしねえ」
この家を震撼せしめている人物は、ゆったりと座りながら、足を組み直す。
ぞんざいなその言葉に、寧ろ私は心底安心をした。
一目惚れしたとか、気になったとか、そんなことを言われたら、真っ先に卒倒していたと思うが、切り捨てやすいといわれたのなら、確かに納得なのだ。
家は、場所柄を考えて、家格を下げることは出来ない。
もし、婚約を解消されたとしても、私一人の被害ですむ。
「ああ。良かった」
思わずこぼれた言葉は小さく、幸いにして、相手には聞こえていなかったようで、ほっとする。
「我が家であれば、毒にも薬にもならず、良いと言うことですね」
利用されるのだと分かれば、やっと心が落着いた。きっと、悪役令嬢もこう言う経緯で婚約者になったのだろう。
だいたい、次期国王候補と婚約など、家では荷が勝ちすぎると思っていたのだ。
釣り合うものなど爵位だけ。商家の方が余程財を成しているだろうと思えるほどに、領地運営も下手すぎて、時折領民が不安になっている程だ。うちが潰れやしないかと。
私も、もう少し税を上げても良いのではないかと思うのだが、ここは、場所柄もあり、そう簡単に税を上げることもできない。
ほっとしている私を、奇妙なものでも見るような目で見ている次期国王候補は、まるで地を這うような声を出した。
「少しは自らに利があるとは思わないのか?」
この利発そうな人が、入り婿になってくれるとでも言うのであれば、領地も家も多少良くなりそうな気がするが、彼は次期ではなく、確実に国王になる運命。となれば、私はいずれ婚約を破棄されるのも、決まっている。
「そうですね。多少の箔でも付いて、少しばかり自慢できるかも知れませんね」
この婚約が続いている間に、家族の結婚などが整ってくれれば、もしかして、結構家としては有利なんじゃないだろうか。
そう考えると、この話、そう悪くはないのか。元より私は私のことを一番に考えるのは諦めているし。
問題は、その間、うちの家族と使用人たちの胃が持つかどうかのような気もする。そこは、なんとか気合いとかで、がんばって乗り切って貰うしかないだろう。
「では、了承と言うことで問題ないのかな?」
整った顔に、綺麗な笑みを浮かべて問うてきた。了承も何も、ここまで乗り込んできた時点で、断わることなど出来るはずもない。
出来るというのであれば、方法を教えて貰いたい。格上からの申し入れを格下から断わることは出来るのか。
私が知らないだけで出来るのか。いや、今はそんなこと考えている暇も無い。両親は、もう卒倒寸前で、断れるのかどうかを聞くことも出来ないし、使用人は、自分の心の平穏を優先して、ほとんど居ない。兄弟が私以上の知識を有しているかどうかは分からないが、私以上の知識を有しているであろうと予測される兄たちは、既に意識がない。
よって、私は、ゆっくりと椅子から立ち上がると、付け焼き刃のお辞儀をする。
「はい」
短く返事をし、こうして、私と彼の婚約は整ったわけである。
あれから二年。そろそろ婚約破棄を言い出すのではないかと、日々、ウキウキ、もとい、ドキドキとしながら待っている状態だ。
ヒロインと思しき女性も彼の周りに居るし、彼以外の攻略対象と思しき人物も、彼女の周りには居た。
中でもやっぱり、彼が良いようで、必死にアピールしているのが微笑ましい。
「婚約されていらっしゃるのに、気になりませんの?」
少しばかり親しくなった令嬢の問いに、一瞬何を言われているのか分からず、一拍遅れる。瞬き一つ、それでも十分、間があったと思われたが、私は、もう一度、下で繰り広げられている光景を見た。
「必死になっていて、とっても微笑ましいですわよね」
口から滑り落ちた言葉に、思わず、しまったと思ったが遅かった。手遅れだ。
「まあ」
くすくすと笑う令嬢に、確実に違った意味で取られた。悪役っぽい方向で。
いや、まあ、立ち位置的には、悪役だし、問題は無いのだろうか。ヒロインの引き立て役としては正解な気がする。
直接手を下さずともこうなるとは、補正とは本当に恐ろしいものだ。
「人生は長いのですもの」
どうせ何を言っても無駄だと思い、助長するようなことを追加して、私はただ微笑んでおくことにする。
まあ、本当の意味で害したわけでもないし、私が婚約を破棄されるくらいであれば、家に多少の傷が付いてもたいしたことにはなるまい。
なにより、傾くほどのものもない。
悠々自適に、最後を待っていれば良いというのは、実に気が楽だ。何もしていないのに濡れ衣を着せられることもあるかも知れないが、元より、切りやすいと言うことで私なのであれば、大事になる前に切ってくれるだろう。
もっとも、恋をして狂った行動に出たと思われるのも、些か心外ではある。確かに見目麗しく、文武両道というハイスペックではあるが、それがイコール恋と繋がるかと問われると、それはないだろうと、言わざるを得ない。
なにより、王妃とか、私には荷が勝ちすぎるし、そんな地位は求めてもいないので、むしろマイナスポイント。彼の周りには、権力大好き、お金大好きな人たちが集まるので、そうでない人間というのは、想像しづらいのかも知れない。
それをどうこう言う気もないし、人間は自分の想像以上のことは考えられない。自分が欲しいものはきっと他人も欲しいと思っているという思考をするのであれば、私が、恋に狂って、何かをするという筋書きは、一番分かりやすい。
「あー。面倒」
やっと使い慣れてきた扇子で口元を隠しながら、ぽつりと呟いた言葉は思ったよりも大きくて、はっとして辺りを見回してしまった。
幸いなことに、少しばかり仲良くなった令嬢の姿ももうないし、周りに人影も無い。些か大きかったこの独り言は、どうやら無事に人に聞かれること無くすんだらしい。
もっとも、何が面倒なのか分かる人間などごく少数だろうが、これが、婚約者殿の耳に入ると、なんだか面倒なことになりそうな気がした。
そして、今までも、これからもたいしたことのなかった私が、初めてと言って良いほどに感じたその直感は、悲しいことに外れなかったのだ。
あれから数ヶ月。
彼はにっこりと笑って私の前に居る。
いや、居ることそのものは別段不思議ではないのだけれど、今まで見たことのないような満面の笑みを浮かべているのを見るに付け、心胆冷えるというか。
なんか、確実に何か踏み間違ったところに来た気がする。
「あなたとの婚姻の準備が整ったので、知らせに来た」
聞こえた言葉に、心が猛烈に理解を拒否した。
「破棄、ではなく?」
辛うじて言葉を返したが、私の失礼な言葉に、その場に居た母が卒倒し、慌てた父が必死に体を支えようとしているが、その父も卒倒寸前で共倒れしそうだ。
「お言葉ですが、私に王妃など勤まりません」
次期国王候補である彼との婚姻は、すなわち王妃街道まっしぐらなはずだが、少なくとも、私はこの二年というもの、まともに王妃教育などされていなかった。
だから、私は少なくとも王妃になることがない、すなわちいずれこの婚約が破棄される。
そう言うものだと思っていたのだが、いったい何がどう間違うと、婚姻が整うのだろうか。
「ここは重要で、下手に下心のあるものはここの管理を任せられない。可もなく不可もなく。君たちの一族は、そこそこ上手くこの領地を治めてきていた」
あ。そう言う意味で家って、信用されていたのか。確かに小心者なので、謀反を起こすなんて考えただけで、卒倒する。嗾されでもしたら、泣いて王族に真っ先に詫びる程の小心者だ。
しかも、詫びるのは、自分たちにそう言うつけ込まれるようなところがあったのがいけないのだと、土下座する方向で。
実際何代か前やらかしたらしいことが、どこかの誰かの日記でひっそり語られている。
下手に何か書物を残して、つけ込まれてはいけないと、家族全員個人的な何かしらは、絶対に書き残してはいけないと、先代から固く言い渡されているので、出所はうちの中ではない。
もう少し前向きに生きても良いんじゃないかと、我が一族ながら思わなくもないが。
「しかし、必要ではあるが重要ではないと、今までこの地を放置気味だったのではないかと、思うのだ」
一層笑みが深くなり、私の心臓は更に縮み上がる。胆力も無いので出来ればとっとと気を失いたいというのが本心だ。
「自ら、この地を治めるのが、今後を思えば最良だと判断した」
ちょっと待った。国王になれるほどの実力のある人間をこんな所に納めちゃっていいわけないと思う。
「あの」
「あなたは、この一族に相応しく、権力欲が欠片もない。王族が入ったところで、旗頭になどと思うこともないだろう」
そんな恐ろしいこと考えられるはずがない。だいたい、今の言葉で、家族が全滅した。しまった。私も一緒に気を失えば良かった。
「そうですね」
私に同意以外の言葉を返せなんて無理な話だ。言ったが最後、更に立場が悪くなる予感しかしない。むしろ舌舐めずりして待っている気しかしない。
かくて、我が家に王族を迎えるという華々しい栄誉とともに、家族は全員胃痛の種を抱え込むことになった。
「なにより、面倒だというのは同意だ」
そっと耳元で囁かれた言葉に、今度こそ本当に気を失えるのではないかと思ったが、残念なことに、私まで気を失うと、彼を送り出す人間がいなくなるという危機に陥るので、なんとか必死に持ちこたえるしかないと気が付く。
しかし。あれを。よりによってあれを誰かに聞かれていたのか。そして、彼の耳に入ってしまったのか。自業自得だが、あの程度の呟きを正しく理解して、彼に告げ口するなんて、本当に酷い。
むしろ家族に、我が身可愛さに売られたという方がまだ納得がいく。
折角、私に何かあっても累積が及ばぬように、特段親しい友人も作らず、人脈も広げず、片隅でひっそりと息をしていたはずなのに。
いや、ひっそりとしていたのは、黒歴史のせいで、あまり表に出たくないという個人的事情も多大にあるけれど。
それでも、片隅でひっそりと息をして、それなりに騒がしく婚約を解消され、後は悠々自適に穀潰しになる予定だったというのに。
私のどこがお気に召したのかさっぱり分からない。
分からないけれども、この現実は、覆りようも無かった。
気が付けば、兄弟は全て外に出されることになっていたし、準備万端、用意周到すぎて、ぐうの音も漏らしたらいけない気がする。
何をしても私の寿命が縮む未来しか見えない。
そして、絶対に聞いてはいけない。
どこを気に入ったのか。
なんて。
一触即発綱渡りの現状に気が付いたが、今までなんとかのらくら躱してきたのだ、きっとこれからも何とかなる。
ああけれど、うっかりどこかで呟いたのを聞かれそうだ。
その時は、どうやってはぐらかしたものだろうか。
婚約が破棄されていればこんな気苦労ともおさらばできたというのに、全くヒロインも根性がないものだと、居ない人に責任転嫁をしながら、これからを思って吐きそうになる溜息を必死に飲み込んだ。
半ばまで書いて、「私」の名前は「私」が呟かないし、彼のことを知りたくない「私」は、彼の名前を呼ばないし、と言う事態に陥り、いっそのこと、ヒーローも主語抜けさせてしまえと、「私」オンリーな呟きとなりました。
なんか、話の接ぎが悪かったりするのは、「私」が色々と思考を飛ばしているせいなんですよと、言い訳をして置いてみたり。