金井可奈〜エピソード1〜
新学期二日目。今日も教卓の前にはターゲットの金井可奈がホームルームを始めている。
「おはようみんな。今日の予定だがいよいよ二年生になって初めての授業がある。もちろん、先生方も初の授業に向けて相当な準備をしてくれているはずだ。間違っても寝たり授業の邪魔はしないように心掛けてくれ。特に荒谷君、いいな。」
朝から委員長、金井可奈の堅苦しい挨拶を聞いて今日も一日が始まる。この女を落とすだぁ、きついだろ。しかし俺のことどれだけ嫌いなんだよ。きつい視線を終始感じながらホームルームはチャイムと共に終わりを告げた。確か一限は新学期恒例の委員会やクラスの係決めの時間だ。確実に可奈が仕切るな。まずいな、全く接点を持てない。そういえばリィーファがこんなこと言ってたような…
「センサーが反応するということは幸せエネルギーが0にとても近い状況ですごく危険です。早く主人様のエネルギーを分けるようにしてくださいね!」
こんな無理難題やらせやがってあの天使め。仕方がない俺の方からアプローチしてみるか。まずはそうだな。クラスの掃除当番を一緒にやる事だ、しかも教室掃除なら尚更良い。教室はみんなやりたがらないし何しろ掃除後の下校にも誘いやすい。よし、完璧だ。これでいこう。おっとチャイムだ。それとほぼ同時に可奈が教卓に移動する。
「着席してくれたまえ。早速だが学び舎が汚れているのは気持ちが良くないし勉学に精が出ん。そうだろう、そこでまずは掃除場所と当番から決めたいと思う。黒板に我がクラスの分担場所を書いておいた、各々自分のやりたい場所を今から配布するこの用紙に書いて私に提出してくれ。」
黒板を見ると右から教室、トイレ、廊下、中庭、第二理科室の五つが綺麗に書かれている。経験上は一番人気は間違いなく第二理科室だ。理由は明確。まず広い、多種多様な実験道具、勢いの強い水道、そして上下移動型黒板。高校とはいえこれはテンションが上がるのだ。それに比べて教室掃除は人気がない。幼稚園児に聞いた「嫌いな野菜ランキング」のピーマンくらいに好まれない。これも理由は明確。まずやることが多い、担任教諭の眼が光る、圧倒的に汚い、時間がかかり下校が遅くなる。この結果から教室はジャンケンになるのは確定だなぁ。それじゃ俺は…
配られた用紙に適当に書こうとした時、俺の机、俺のペン先、俺の全てにとてつもない数の強い視線を感じた。我慢出来なかったのか一人の女子が俺に話しかける。それにつられて教室中に女子の声の嵐が押し寄せる。
「ねぇ、新太君はどこの掃除場所にするのー。私と一緒に掃除しようよー。」
「ちょっと抜け駆けしないでよ。私と掃除しましょうよ」
「困ってるじゃないのよ。あんなの放っておいて私と綺麗にするっしょ。」
なんだか俺に選択権がないような雰囲気になって……それにそんなにうるさくするとあいつが黙ってないぞ。ほらこっち来た。
「うるさいぞ。誰とやるだの、一緒が良いだの。もう高校生だろう。もっと自らを強く持て。強くあろうとしろ。周りに自分を合わせるな。あと、荒谷君、そろそろ私も怒るぞ。君のような人がいるからクラスが浮つき軟弱な集団ができてしまうのだ。」
俺の関連でクラスにも喝を入れたか。静かにはなったけどなんだかざわざわしてるぞ。しかし言ってることはもっともだ。このタイミングだな。ここまで後手に回って来た俺もミッションクリアに向けて動いていくぞ。
「そういう委員長はどこの掃除場所を希望するんだよ。」
何気ない一言。しかしこの一言で良い。この一言でごくごく自然に掃除場所を聞き出す事が出来るのだ。可奈は俺の質問に即答する。
「私は委員長だ。教室に決まっているだろう。しかしなぜ私の希望を教えねばならんのだ。私の話を聞いていたか?他人は他人で自分は自分だ。」
怒られはしたがミッションは完了。教室だ。しかし教室の雰囲気が変わる。静粛の中にさっきまでとは違うざわざわが教室中を包む。なんだこの感じ…
用紙を配って約三分経った頃、委員長の可奈が教卓に手を置き話し始める。
「よし、みんな書いたな。後ろから集めて私に提出してくれ。少し待ってもらいたい。こちらで集計する……………。第二理科室が人気だな。廊下とトイレと中庭はこの人数で問題ない。それにしても教室が私と荒谷の二人しか希望していないとはな。まぁ良い、第二理科室を希望した者はジャンケンをして、負けた者は教室の掃除を担当してもらう。」
第二理科室を希望した人達が集まりジャンケンをする。ジャンケンは一回で勝負がついた。何の問題もないはずだった。しかし問題は不意に唐突に現れる。それはジャンケンに負けたある女子グループのトップ篠原志乃の発した一言が原因だった。
「うわぁ最悪、教室かよー。ってことはあいつと一緒に掃除やるってことー。へこむわー、まじで萎えるわー。」
何気ない本音かもしれない。この本音が発せられた瞬間クラスの雰囲気は一変する。ある一人の人物を標的にしている眼だ。しかしその標的はジャンケンに負けて愚痴を言った篠原志乃に対してではない。志乃の半ば強制的な賛同を求める雰囲気はクラス中をその気にさせる。
そう、教室掃除が嫌な訳ではない、そこにあるのは完全な八つ当たり。そしてクラスの冷たい視線は明らかに可奈に向いている。
確かに可奈の遠慮のない言い方や立ち振る舞いは周りを寄せ付けない何かがある。しかし教室掃除になった事の腹癒せをその委員長の可奈にぶつけるのは違うと思う。正しいのはどちらで間違っているのはどちらかなのは明白なのに、これが集団の怖さ、集団の心理。こういう時、正しい方なんて事は論点にないのだ。あるのは自分が多数派でありたいという身勝手な心境のみ。これは明らかにおかしい。黙ってはいられなかった。
「おい、いい加減にし……………」
俺が言いかけたところでここまで黙っていた教卓の前にいる可奈が口を開く。
「嫌いなら素直に嫌いって言った方が清々しいわよ篠原さん。ほら言いなさい、金井可奈が嫌いだって。それに嫌なら掃除なんてしなくていいわ。綺麗にしようとする人間が綺麗にしないと掃除をする意味がないもの。したくない人がする方が邪魔よ。あなたはやらなくて構わない、帰れば良いわ。」
我慢出来なかったか。思ってる事全部言ったな。
「本当にー、ラッキー。じゃ一週間よろしくね。私はインスタ映えするパンケーキ食べに行くんで忙しいからー。教室掃除で良かったー。持ってるわー私。」
志乃はそう捨てセリフを吐いて着席した。対する可奈は教卓の前で立ち尽くしたままだった。教室にとてつもない寒さを感じた。しかしこの寒さに終わりを告げたのは誰でもなかった。一限目終了のチャイムだった。チャイムが鳴ってもしばらく誰も教室を出ようとはしなかった。いや、出る事が出来ない空気感だった。まだ一限目が終わっただけ、今日は六限まであり下校時刻は四時を少し過ぎる頃だ。二限目の現代文の授業が始まるまでの休み時間は十五分。温かいココアでも飲もうかと一階の自動販売機へ向かう為、足早に教室を後にした。
俺が席を立つと続々と椅子を引く音が聞こえた。集団って怖いなぁ。