第五話:素直になれない彼女
仲村廣樹の高校生時代の話です。ちょくちょく誤字脱字直します。
純也は上の空で廣樹と奈那の口喧嘩や京子の会話を聞いていた。店の天井を見上げるとため息を吐き、奈那と関係を持つきっかけとなった日の事を思い出していた。
――正午の仙台駅――
夏休み開始直後、純也は雑誌を見つめながら仙台駅構内にある公衆電話の前に立っていた。
『……本当にライブの抽選って公衆電話からかけた方が繋がるものなのか? なんか……ただの都市伝説な気がしてきたぞ? 公衆電話は一般回線とは違うから繋がり易いって、実は災害とか緊急時の三桁数字の電話番号だけなんじゃねえの?』そんなことを考えていた。
それからしばらくの間、公衆電話から音楽雑誌に書いてある電話番号をかけ続けていたが、まったく繋がらなかった。
「――くそっ! まったく繋がらねえじゃんか……」
そう叫んで勢いよく公衆電話の受話器を戻した。そんな時、ふと妙案が浮かんだ。
『……ん? 待てよ、廣樹に頼んで二人でかければ……可能性は単純に倍……アイツの携帯も使えば四倍になるんだよな? やっぱり、俺って頭良いな!』
善は急げとポケットから携帯を取り出すと、早速、廣樹の携帯にかけた。呼び出しの後にお決まりのアナウンスが流れる。
「……電波の届かないか……って、あの野郎……まさか……携帯電話の電源を切ってるんじゃねえだろうな? いつもはかければすぐ出るくせに、なんでこうゆう肝心な時に全く繋がらないんだよ! ……こうゆう時は本当に使えないヤツだ。こうなったら喫茶店で携帯のバッテリー切れるまで、廣樹に鬼みたいにかけてやる!」
そんな独り言をブツブツと呟きながら、駅構内にある喫茶店に向かって歩き出した。
「――よう純也、一人で何してるの? どうせ暇なんだろ? なんか飲み物でも奢ってくれ!」
声の方を見ると笑顔で奈那が立っていた。
「――げっ! 奈那!」
奈那は純也の足に蹴りを入れた。
「――いてっ! ふざけんな! いきなり何すんだよ奈那!」と、純也が叫んだ。
「――奈那先輩な! 罰として私にケーキ付でジュースを奢れ!」
「――はい? ちょっと何を言ってるかわからないんですけど……何をいきなりバカな事を言ってるの? なんで俺が恩義も無い人間に、態々自分の大切な金を払って、奢らないといけないの? そんなだからウチみたいな高校で貴方と英美里だけ、まるで漫画みたいに仲良くダブルんじゃないですか?」
「――なっ! 英美里なんかと一緒にすんな! アイツは男の尻ばっかり追いかけてるから、出席日数が足りなくなってダブったんだろ!」
「へぇ……そうですか……遊びに夢中で学校に来ないで、出席日数が足りなくなってダブった貴方と何処が違うんですかね? ……先輩、世間ではそういうのを五十歩百歩、どんぐりの背比べって言うんですよ? 知ってます?」
純也は深い溜め息を吐くと歩き出そうとした。面倒ごとに巻き込まれる前に一秒でも早くこの場を離れたかったのだ。
「――あ、ちょっと待ってよ!」
そうゆうと小走りで追いかけて純也の手を握った。純也は立ち止まると握られた手を黙って見ていたが口を開いた。
「……なあに? この握ってるお手々は?」
「――さ、喫茶店に行こうぜ? 私、美味しいケーキ食べれる店を知ってんだ」
純也を強引に引っ張ると奈那は歩き出した。
喫茶店の席につくと純也がメニューを一通り見た。革製のメニュー表には、多種多様な珈琲豆や紅茶の茶葉が産地や味など丁寧な説明付きで記載されていた。そしてゆっくりと口を開いた。
「……あの……先輩? ここって……普通は高校生がおいそれと簡単に来るような価格帯のお店ではないですよね?」
「まあ……そうかもしれないな。だけどさ、純也は金持ってるんだろ? こんな可愛い女子を捕まえてケチケチすんなって! そんなんじゃモテないぞ?」と、奈那が笑いながら言った。
「……いやいや、可愛い女って誰の事? 普通は自分で可愛いとか言わねぇだろ? どんだけナルシストなんだよ?」純也は通りを歩く人を見ながら小声で呟いた。
「――言っとくけど、ぜったいに奢ったりしねぇからな! 会計は絶対に別にしろよ? 自分の分はちゃんと自分で払えよ!」
「……純也さ、義務教育で先生から道徳の時間に習わなかった? 男は女に対して優しくするもので、飲食の支払いはすべて男がするのが常識だって話。純也は道徳の授業中に絶対に他の事してたタイプだろ? 例えば机の下で隠れて雑誌やマンガ読むとか……」
「――はあ? 何、訳がわからない寝言を言ってるの? むしろ、それって自分の事じゃないの? 男にも拒否権と選択権ってモノがあるんだよ!」と、純也は奈那を睨みながら言った。
「……そんなこと言ったってさ、私だって……そんなに持ち合わせがあるわけじゃないし……」
奈那はスクールバッグから長財布を出すと、純也の前で開いて自分の財布の中身を見せた。純也は軽く覗き込むと肩を落とし、深い溜め息を吐き、そして話し出した。
「……紙幣がたった一枚だけ、しかも千円札って。今時の中坊だって……もっと持ってるよ。それ……本物かは知らないけれどさ、ヴィトンの財布でしょ? それなのに最低額の紙幣が一枚だけとか……そんな見栄を張って……恥ずかしくないわけ?」
「――う、うるせえな! 女は色々と金がかかるんだよ! 金目のモノっていったら……親がくれたこのライブのペアチケットくらいかな? どうせ、可愛い娘にチケットをくれるなら、一緒に横浜までの旅費もよこせっていうの! 大体、ペア限定のチケットってさ、可愛い娘が心配じゃねぇのかよ? チケットショップに行ったら行ったで、何のチケットかも確認しないで、未成年からの買い取りは出来ません、とか冷めた台詞を言いやがるし……ったく、あの店員もふざけやがって……」
奈那はブツブツ言いながら、財布から出したチケットをテーブルに無造作に置いた。
純也はそのチケットを二度、三度見し、覗き込み凝視する。そのまましばらくの間、微動だにしないでまるで石のように固まっていた。
「……か、買ってやる! こ、このチケットは俺が買い取ってやるよ! もちろん、ここの支払いも……俺が全部俺が出してやる! 好きなモノを頼め! それで文句無いだろ?」
純也は心の中で叫んだ。『天祐は我にあり』欲しかったライブチケットで、しかもアリーナ席ときたもんだ。このチャンス逃す手は無い! 財布から壱萬円札を二枚取り出すと無造作にテーブルに放った。
「どうだ? これで文句はねぇだろう?」
そう言って純也が手を伸ばすと、奈那がチケットを先に引き下げた。
「――いや、あるね! チケットは二万で売ってやる。その代り、このライブに私も連れていけ。交通費諸々はもちろん純也持ちでな!」と、奈那は勝ち誇った顔で言い放った。
純也は正直言って迷った。ライブには、もちろん何が何でも絶対に行きたい。奈那の交通費くらいなら、この超が付くプレミアの付いているこのライブチケットを、会場でダフ屋から買ったと思えば全然安いと思えるし、そもそも売る人間がいるかわからないから買える保証も一切無い。唯一、問題なのは奈那が女という事だった。自分より歳が一つ上で、自分の好意は皆無にだとしても、未成年の男が女子高生を他県に遅い時間まで連れ出しても良いものだろうか? そんな昔気質な事を思っていた。だが、喫茶店でタイミングよく流れた、今回のライブで聴けるだろう新曲を聴くと、そんな考えはすぐに消え去った。
「……わかったよ。連れて行けば良いんだろ? その代わり、例え財布を落としても、そのチケットだけは絶対に失くしたりすんなよ!」
それから数日後、純也は奈那と待ち合わせをした仙台駅の政宗像前にいた。駅構内を歩く人達を眺めながら、時折、腕時計で時間を確認していた。奈那と約束している時間前を指して秒針が規則正しく動いている。
黒いパンツにグレーのシャツ。時折、純也の前を通過する軽そうな女子が速度を緩め、ニコニコしながら純也をチラ見していた。
『……俺の格好ってもしかして……浮いてる? ライブだから補導されないように大人っぽい服を選んだつもりだけど、やっぱり慣れない格好はするもんじゃないな……』
純也は心の中で呟いていたが、腕時計を見る度につい独り言が漏れる。
「……奈那のヤツ、ちゃんと来るんだろうな? 約束した時間までまだあるし、新幹線の時間までは四十分程度は余裕がある。だけどな……アイツの普段の適当過ぎる日常生活を知っているだけに……やっぱり……心配だ……こんなことなら携帯電話はともかく、ポケベルくらいは持ってるだろうし、番号を聞いておけば良かったな……」思わずため息がこぼれる。
純也は駅構内を同極の磁石のように、お互い触れる事無く歩く人達を何気なく目で追っていた。遠くの行き交う男達が皆同じように何処かを見ていた。自然に男達が視線を向ける方角に目がいった。純也もその視線の先にいた一人の女性に気づいた。ダークブラウンの長いナチュラルウェーブ、ちょっとロックなトップスにタイトなロングスカート。サングラスをかけてはいるが、美人なのは遠目に見てもすぐに理解が出来た。
『……へぇ、あの人……結構イイ線いってるな……って、こんな俺が言っても失礼か……どうせなら奈那なんかでなく、あんな可愛いお姉ちゃんとライブに行きたいもんだよなぁ』と、純也は心で本音を呟いた。
純也が先程からずっと目で追うように見ていたせいか、その女性とサングラス越しに目が合った気がした。その瞬間、女性は純也に対し軽く微笑んだような気がした。ヤバイ、と反射的に目を反らした。再び視線を戻すと、その女性はこちらにゆっくりと近づいてくる。女性まで、あと三十メートルくらいの距離になった時、純也は慌てて背中を向けた。
「……おーまたせ! 純也は早いな、イイ女を全く待たせないなんて、感心感心……」と、奈那の聴き慣れた声が後ろから聞こえた。
これであの女性には、変な勘違いをされないで済むだろうと安堵した。胸を撫で下ろして振り返ると、一気に胸の鼓動が速くなる。目の前にいたのはあのサングラスをかけた美人だった。
「……ひ、柊……先輩だよね?」と、自分でもわかるくらいに情けない声が出てしまった。
「……はい? 私以外に他の誰がいるんだよ? ……もう、私の顔を忘れたのか?」と、言いながらサングラスをずらしてみせた。
「――待っていました、合格ライン、早くサングラス取って見せてよ、真顔も素敵みたいな?」と、奈那はお道化て少し前に流行った流行歌を口ずさんだ。
「――え? えぇ! だって、髪型だって違うし……そもそも奈那って……こんなに美人だったっけ?」
「……あのな、私は元から美人だぞ? 今頃になって気づいたのか? まったく……お前は女を見る目がねぇな」と、奈那は笑顔で少し揶揄うような口調で言った。
「ま、まぁ……普段でも……どちらかと言えば、確かに美人な部類には入ると思うけどさ……いつもはポニーテールに髪を結わいてるし、そんな綺麗な化粧だって、全然してないし、そもそも不良っぽいっていうか……もっとこう……ガキ臭いって言うか、色気が無いというか……」
奈那は純也の脛を勢いよく蹴った。純也は痛みで思わず膝を折った。
「――女にガキ臭いとか、色気が無いとか言うな! ……あのな、普通に考えて高校生がここまで化粧して学校に行けるか? 髪だって結わいた方が楽だし、何より多少染めても目立たないだろ? 純也は廣樹と一緒に何年不良やってるんだ?」
「……でもさ、いくら何でも変わり過ぎじゃ……むしろ全くの別人? 後ろにチャックとか付いてないよね?」
純也が全てを言い終わる前に、奈那は純也の腕に自分の腕を絡めて引っ張りながら言った。
「――もう! いいから行こうぜ! お洒落の街、港横浜にさ!」
「……いや、港横浜って……それってさ……なんか……田舎者丸出しじゃん……」思わず純也は深い溜息を吐いた。
新幹線の駅のホームに着いても奈那は相変わらず腕を絡めていた。
「……あの……奈那さん? いつまでこの腕を絡めているんでしょうか?」
「嫌か? 別に良いじゃん! せっかくなんだからさ、カップルみたいに楽しもうぜ? こんなイイ女を連れてんだ。周りのヤツに鼻が高いだろう?」
純也は何か言いかけたが、燥いだ奈那が迷子になって探すよりは百倍マシだろうと思い、首を小さく左右に振った。それに、どうせ新幹線に乗れば流石に飽きてやめるだろうとも思った。それと今日の奈那は、いつもより数段美人に見えるから、少しだけ気分も良く、あまり嫌ではなかった。
「……はいはい、そうですね」
純也はホームの売店で買ったパソコン雑誌を読みながら、奈那と並んで東北新幹線の指定席に座っていた。新幹線に乗って三十分、先ほど福島駅を通過したばかりだというのに既に寝れるこの女。絶対にドライバーを無視して、普通に車の助手席で寝るタイプに違いない。『まぁ、俺は自動車免許を持ってないし、免許を取れる年齢でもないからありえないけどな』と、純也はそんなくだらないことを思っていた。
横で眠る奈那をチラリと見ながら、これでもう少し口調が女性らしければ、彼氏の一人や二人、奈那ならすぐにでも出来るだろうと思った。その時だったポケットのポケベルのバイブレーションが作動した。見ると廣樹からで今は暇かという内容だった。ポケットから携帯電話を取り出すと、少し考えて今日は用事があるから遊べるようになったら自分から連絡するという文章を数字で打った。隣を見ると目を閉じ寝息をたてている奈那は、思わず見惚れそうな美しさを感じるくらいに綺麗だった。
「……ほんと、先輩は黙っていれば、こんなに綺麗な人なのにな。男勝りの話し方や、勝気な性格で、きっと人生を三割くらいは損してるよ……」と、そんな独り言を言った自分を鼻で笑った。
再び視線を雑誌に戻すと、今年発売されたパソコンのスペック比較が出ていた。丁度、そろそろパソコンを買い替えようと考えていた事もあり、魅入るようにその記事に没頭した。
東京駅で新幹線から降りた二人は、これからどうするかを話し合っていた。
「――俺達、これから新横浜まで行くんだけどさ、どんなルートにする? 開演まではまだかなり時間があるから一度駅から出て喫茶店とかで休憩しても良いけど? とりあえず横浜駅辺りまで行ってから考える?」
「……あのさ、どうせなら……東横線で寄り道してから行かない?」
奈那は純也を見ると、まるで何か楽しみがあるような明るい顔で言ってきた。
「東横線っていうと……東急で……確か……始発駅は……」
純也は記憶を辿るように考えていたが、ハっとなり真顔でいった。
「……却下、東横線って始発駅が渋谷駅だろ? 渋谷なんか見ていたら開演に間に合わなくなっちまうよ!」
「――ねぇ、行こうよ! 渋谷のセンター街って不良が多いじゃんか、女だけで歩くの怖いからずっと行けなかったんだよぉ。だからさぁ、ね? お願い! お願いだから……行こう?」
奈那は甘えた声で懇願したが、純也は首を大きく左右に振ると言った。
「――駄目だ! 奈那と渋谷に行くなんて、あらゆるリスクしか思い浮かばない!」
「……ん? リスクって?」奈那が首を捻ると尋ねた。
「まず一番が渋谷の街を見過ぎて開演に遅刻、あとはセンター街で不良に絡まれて可愛い奈那を拉致られるとか……どうしてもって言うなら……気が向いたら、そのうち付き合ってやるからさ、また今度の機会にしてくれよ?」純也が諭すような口調で言った。
そう言われて、奈那は一瞬だけ驚いた顔をし、口元が微笑んだ。そして人差し指で純也の胸を強く押すと言った。
「――わかったよ。でも、絶対だからな! 男が一度約束したんだから……死んでも付き合えよ!」
付き合う気が全く無かった純也は気持ちの篭もっていない口調で返した。
「……はいはい。気が向いたら、その時はいくらでも付き合わせて頂きますよ」
「――約束だからな! じゃあ、今回の行き方は全部純也に任せる」
話がついた二人は昼食を取る為に東京駅地下街に向かった。
「――江戸前鮨ってさ、一度食べてみたかったんだよね」
笑いながら嬉しそうに地下街を歩く純也の横を奈那が歩いていた。
「……純也さ、別に美味しい寿司なんて仙台でも食べられるじゃん? しかも、三陸産の美味しい寿司を食べられるじゃん? それなのに、なんで態々東京湾みたいな汚れた海で採れた魚の寿司をそんなに食べたいんだ?」
「……ふ、わかってないな。寿司の原点と言えば、江戸前鮨だからに決まってるだろ」
奈那はなるほどと小さく何度か頷くと、納得した表情で博識な純也を見て小声で言った。
「――これでまた一つ、イイ女になれたかも……」
「ん? なんか言った?」
奈那は笑顔で小さく首を振った。
二人は食事を済ますと、寿司屋から出てきた。
「――なんかさ、値段……高くなかった? 二人前にちょっと追加で食べただけで壱萬円近くって……やっぱり高くない?」
「……奈那さ、俺に奢ってもらった挙句に、高いネタばっかり食べて……その言葉は可笑しくないか?」
奈那は純也の肩を軽く叩くと、笑顔でありふれた台詞を言った。
「男がそんな小さい事を気にすんなって! イイ女に金掛かるのは仕方ないじゃんか」
「……ま、いっか」純也は奈那を見ると鼻で笑った。
京浜東北線に乗る為、ホームに向かい歩き出した二人だが、ヒールを履いた奈那と、スニーカーで歩く純也の歩幅と速度の違いから、二人は人混みで何度もはぐれそうになった。純也がしびれを切らして立ち止まると奈那に言った。
「はぐれても困るし、手を繋ごうぜ?」
純也は奈那の手を軽く握り、ゆっくりと歩き出した。
「――え? ……うん」と、奈那は少し照れながら答えた。
ホームついた二人は電車が到着するのを待っていた。
「あのさ……純也って、実は……彼女とかいたりする?」
「――は? そんなのいる訳無いじゃん。もし、彼女がいたら変な誤解を生んでも困るから、奈那と此処にいないし、まして女と二人でライブになんて、普通は行かないだろ?」
「……そう……だよね……」奈那の口元が緩んだ。「やっぱり、いくら東北で一番の都会と言っても仙台と違って都内の人混みは凄いね? 私、ちょっと驚いちゃったよ」
「――まあ、仙台と東京じゃ人口が違い過ぎるし、更に俺達みたいに地方から来てる人間もいるから多くて当たり前ではあるんだけどな……でも、確かに多いな……」
「……うん。純也ってさ、彼女を作ろうとか思わないの?」
自分でもどんな答えを待っているのか解らない。だが、無意識に訊いてしまった。
「……彼女? 今は廣樹達と遊ぶのが本当に楽しいし、彼女を作ろうとか考えた事も無かった気がするな。でも、今まで彼女が出来たことが無いし、正直わかんねぇや……」と、笑って答えた。
奈那は隣にいる純也の手を軽く握ると俯いたまま小声で言った。
「……ねえ、あのさ……私とさ……試しに……彼氏、彼女として……付き合ってみない?」
純也は奈那を見てクスクス笑うと、奈那の頭を優しくポンポンした。
「面白そうだし……別に良いよ。今日だけ二人は恋人って事でさ!」
タイミングよくアナウンスが流れると、すぐに電車がホームに到着し、二人は根岸線に乗り込んだ。
横浜駅に着いた二人は、せっかくなので横浜駅近辺を少し散策してから新横浜に行く事にした。路地裏を歩いていると、路面で中古から新品までいろいろなアクセサリーを並べて売っている。中には有名なジュエリーブランドまである。怪しさを拭えない外国人は座り込んでこちらを無言で見ていた。
「――ねぇ、少しだけ見ても良い?」目を輝かせて奈那が純也に訊いた。
なんか、好きそうだなと思った純也は快諾すると、時間がかかるなと思い、煙草に火を点け、ガードレールに寄りかかると紫煙を吐き出し、何時間振りかに吸った煙草の至高の味を堪能した。
「――ねぇ、純也も見たら?」
「――いや、俺はアクセサリーとか付けないから。それに……見てもあんまり判らないしさ」
そう言って並べられたアクセサリーを一通り見ると、一つのブレスレットに目が留まった。手に取って見ると見た感じプラチナ製のようだが刻印が無い。一品モノかメッキのどちらかという事だろう。何故かそこに五十円と書かれて並んでいた小学校で使うような磁石を手に取ると、そっと近づけたが全くくっつかない。
「――へぇ、こんなのあったんだ。全然気づかなかった。ちょっとつけてみようっと……」
奈那が着けたブレスレットは自然さを醸し出す程に奈那に似合っていた。つけたは良いが外せない奈那を見かねて、純也はブレスレットを外してあげると、再びまじまじと魅入った。
「――これ、いくらですか?」と、ブレスレットを店主に渡すと純也は尋ねた。
外国人は少し迷ったようにブレスレットを見ていたが、人さし指を立てて壱萬円と言ってきた。
「じゃあ、これで……」
純也は財布から壱萬円札を出すと、絵笑顔で店主に渡し、店主からブレスレットを受け取ると奈那の腕に着けてた。
「失くしても嫌だし、なんか奈那に似ってるから、しばらくつけていて良いよ」
「――え? くれるの?」
「……いや、まだあげるとは言ってないから……。――それより他に行こうぜ!」
そういうと、奈那の手を握り歩き出した。しばらく歩き二人は自販機で買った缶珈琲を飲みながら休憩をした。
「……ねぇ、ところでこのブレスレットって明らかに女性用だよね? ……なんで買ったの?」と、奈那が不思議そうに尋ねた。
「ううん……先輩に似合っていたから。……それじゃ駄目?」
奈那は驚いて純也の顔を見た。純也は飲み終えた缶を灰皿代わりに煙草に火を点け、紫煙を吐くと笑顔で言った。
「……なんてね。本当はさ、多分あそこに並んでいたモノがバッタもんじゃないかなって思ったからさ」
「……バッタもんって、偽物って事?」と、奈那が訊いた。
「――いやいや、違うよ。バッタもんの本当の意味は全く違う意味なんだよ。正規のルートで販売が出来ない商品って意味。俗に言われてる訳あり品?」
「――え? それって……もしかして……」
笑顔になると純也が頷いて言った。
「――そう、盗難品とか。俺は鑑定とか出来ないけどさ、そのブレスレットって多分だけど、刻印も無いし……わからないけどさ、磁石もつかなかったし貴金属は間違いないと思うし、色合いからプラチナ製だと思う。多分だけど、その小さな宝石も……本物だと思うんだよね?」
「――へえ、知らなかった。……貴金属って磁石につかないんだ。でもさ、たった壱萬円だよ? 流石にその値段で売らないでしょ?」
「……どうだろうな? 盗難品なら、もちろん鑑定になんて出せないし、自分の目利きだけが頼りだからな……もし、リピーター客が欲しかったら……こうゆう事もあり得るんじゃない? だからさ、仙台に戻ったら鑑定してもらうからさ、その時はもう一回デートしような?」純也は笑顔で奈那にウインクした。
「……う、うん。ところで……コレ……もしも、本物だったら、いくら位だと思う?」
「ヒミツ。今は余計な事を言っても仕方ないだろ? 偽物だったら先輩にあげるからさ、それで許してよ? そろそろ新横浜に向かわないと、ライブ間に合わないから行こうぜ!」
コンサート会場に着くと、想像はしていたが凄い数のファンで溢れていた。
「――今更だけどさ、奈那もファンだったとは知らなかった。どの曲が好きなの?」
「……ううん、私は嫌いでは無いけれど……ファンになるほどは好きじゃない……かな? 少なくとも……今はね?」
「……今は? じゃあ、なんでファンでも無いのに、このクソ暑い真夏に、はるばる横浜まで来たんだよ?」と、純也は不思議そうに訊いた。
「……いたかったから。……純也とデートして……一緒にいたかったから! 私、純也の事が好きなんだよね。自分でもわからないけど、気づいたら……かなり好きになっちゃてた。……たぶん、あの日から少しづつ……好きになっていったんだと思う。私だって……気持ちを言葉にして好きって言うのは怖いよ? でも、純也と一日過ごした今日なら……なんか……言える気がしたから……だから、言ったんだぞ! ちょっとは感謝しろよ!」
今までずっと言いたかった想いを言葉にし、すっきりした顔の奈那がそこにいた。
突然の告白に純也は思考が鈍り、瞬きだけして少しの間だが石像のように固まっていた。
「……いや、いきなり奈那に好きって言われても……。俺も奈那は嫌いでは無いけどさ……だからって、いきなり付き合うとか、そうゆう感情にまではならないし……。しかも、楽しみにしていたライブの開演寸前にいきなり予想外の告白されたって……なんて言えば良いか……」
奈那は軽くため息をつくと純也の正面に立った。純也の顔を両手で持つと引き寄せてキスをした。その瞬間、純也の中で周囲の音が消え、一瞬静まり、そしてまた時間差で賑わった。
「――これでお前が私を好きかどうかわかったか? 私が純也を好きなのは確かだから!」
純也は動揺して混乱しかけた思考で一生懸命考えようとした。
「……あのさ、あの日からって……いったいどの日の事? 俺が奈那に好かれるような事をした記憶がないんだけれど……もし、忘れていたらごめん……」純也は自分でもよくわからない質問をしていた。
「……私が、純也と初めて会った日だよ。留年が決まって、少しした頃なんだけどさ、偶然帰りの駅のホームで純也達と出会ったんだ。自分がサボりまくっていた自業自得とはいえさ、私が陰でクラスのみんなに留年ってあだ名で呼ばれていてさ、あの頃はいつも何かあれば、柄にもなく結構落ち込んでたんだよね……」
「俺と……初めて会った日……ねぇ……」純也はまだ思い出せず、イマイチわかっていなかった。
「駅のホームで、私が純也と廣樹に初めて話した日だってば! 私と同じクラスに新庄ってガキ大将みたいなヤツいるでしょ? 帰りの電車を待ってる駅のホームで、アイツが私をダブリ先輩って言った時、いきなり純也が新庄を思いっきりぶん殴ってから『人には言って良い事と悪い事があるだろ! お前は言葉の刃が人をどれだけ傷つけるか、それをわかって言ってるのか? ましてや、相手は女だぞ? 俺がお前を毎日苛めて、学校に来たくないようにして、お前もダブらないとそんな簡単な事さえも解らないのか?』って、言ってくれたじゃん? 仙台駅に着いた時、ホームでお礼を言って話した時『明日も笑顔で学校来いよな? 俺等はもう同じ学年なんだからさ、嫌なことあったら俺に言って来いよ』って言ってくれたじゃん? ……結構さ、胸キュンだったんだ」キラキラした目で奈那が言った。
「……あぁ、あの日ね。……あぁ、はいはい、そんな事も……確かにありましたね……」
純也は奈那の話を聞いてハッキリと思い出した。体育の時間に廣樹に完膚無きまでにバスケットで負け、日本史の小テストでも廣樹に負け、自販機の釣銭を取り忘れて戻ると、案の定お釣りはもう無く、イライラが爆発寸前の駅のホームでくだらない話をしていた隣のクラスの同級生、つまり奈那のクラスメイトの新庄という名前らしい男に八つ当たりした日。純也は殴った相手の名前が新庄という事を今初めて知った。これは誤解をちゃんと解いておかないと、きっともっとややこしい事になると思い口を開いた。
「あ、あのさ……」
純也が話し出す前に奈那は先に話を始めた。
「――私さ、あれから殆ど毎日、ちゃんと学校には行ってるんだ。……ありがとう」
「……う、うん。気にするなって! 俺達タメなんだからさ!」
なんでこういう時の女は、こんなにも可愛くヒロインのように見えてしまうものなのだろう? と、純也は思った。こんなことを言われたらもう言い出せる訳がない。
ライブは盛り上がり、ライブ会場はアンコールの歓声の嵐だった。帰路の新横浜駅に向かう観客の波を抜け、二人は自販機の前にいた。
「――私、やっぱりライブに来たら好きになった。そんな気がしていたんだよね? きっと生で迫力ある声を聴いたら心に響いて好きになるんだろうなぁってさ」
純也が腕時計を見ると、時計の針は二十三時を差していた。
「……あ、あのさ……今更になってこんな事を聞くのもアレなんだけどさ……親にはなんて言って出てきたの? どう考えても今から電車では仙台に帰れないからさ……帰りは夜行バスになると思うんだけど……それも発車に間に合うか……微妙……なんだよね?」
純也はもっと時間を気にするべきだったと、今更になって自分の愚かさを憎んだ。
「……そっか、じゃあ……とりあえず夜行バス乗り場に向かおっか?」
奈那は笑顔でそういうと歩き出し、純也を時折見ながら話を始めた。
「……親にはこのライブに行ってくる。心配な時は、ライブが始まる前なら出るから私の携帯に電話を頂戴って。もしかしたら、友達の親戚の家にお世話になるかもしれないって言って出てきたんだ。その時はパパの携帯電話に電話するねって……」
「……家の電話じゃなくて……親父の携帯電話なんだ。へぇ、今まで電話が来ないって事は奈那って親に結構な信用があるんだな? ……意外だ」純也は炭酸飲料を歩き飲みしながら言った。
「――ううん。多分……父親には殆ど信用なんてされてないよ?」
「……でもさ、電話が来てないって事は……信用されてるんじゃねぇの?」
「ううん。だって携帯電話は部屋の充電器に置いて来たもん!」
その瞬間、純也が勢いよく炭酸飲料を吹き出した。そして激しく咳き込んだ。
「――ちょっと! な、なにをやってんの! 両親が心配するでしょうが! 心配して捜索願とか出されたらどうするの!」純也は奈那の方を見ると真剣な表情で語気を強めて言った。
「……人生で一度や二度くらい、女の子ならこうゆうことするものでしょ?」奈那は笑いながら純也の肩を叩いた。
「……いやいや、何言ってるの? 俺たちは高校生なんですけど! そんな……ドラマとかじゃないんだからさ!」
「……別に良いじゃん。私がちょっとくらい女の子したって……」奈那は小声で囁いた。
その台詞を聞いた純也は何かを考えているようだった。
「――わかった……もう良いよ。この話は終わりな。それより夜行バス乗り場に急ごうぜ」
純也は無言のまま奈那の手を引いて足早に歩き出した。
夜行バス乗り場に着くと、純也は奈那の手を離し、全力でチケット売り場に向かって走り出した。
「――す、すいません! 仙台行きの夜行バスのチケットを二枚!」
「かしこまりました」そういって売り場の女性は端末を操作し始めた。「次の便ですと……六時二十五分になりますが……それで大丈夫でしょうか?」
「――ろ、六時って、あと五時間くらいはあるじゃんか!」と、思わず声に出してしまった。
丁度、奈那が追いつくようにチケット売り場に追いついて来た。
「……どうだった?」
「次の便……六時半くらいだってさ……」
焦りながら純也が話すと、奈那は『ふうんそうなんだ』くらいのノリで頷いた。
「……そっか……じゃあ、カラオケでもしながら時間潰そっか?」笑顔で奈那が言った。
「いや、カラオケって……ちょっとは焦ろうよ?」純也は深いため息を吐き出した。
とりあえずと都内に向かう電車に乗った二人は、車窓から仙台とは違い明るい街並みを見ながら、これからどうするかを話し合った。その結果、奈那のワガママな希望で渋谷に向かうことにした。
「……まあ、渋谷駅付近ならカラオケは沢山有るだろうしな。夜のセンター街とか本当は行きたくはないけれど……だからって、まったく土地勘が無い街でウロウロするのもどうかと思うし……ま、いいか」純也は独り言のように呟いた。
何度か電車を乗り換え、どうにか渋谷駅に到着した二人は、ハチ公前でこれがかの有名な犬の像かと二人で眺めていた。傍から見れば田舎者丸出しだが、今の二人には関係無かった。
「やっぱり……渋谷の街って若者が多いな」奈那が目を輝かせながら言った。
「まぁ……若者の街っていうくらいだから当たり前だろ」純也が呆れ気味にツッコんだ。
奈那は純也の脛を勢いよく蹴った。純也は痛みで思わず膝を折った。
「前にもこんなシーンがあった気がするけど、いちいち気に食わない事がある度、キレイに弁慶の泣き所を蹴るのやめてくれない?」純也が奈那に言った。
「――純也が人の感動に水差すから悪いんだろ!」奈那は純也を睨みつけた。
「……いやいや、人の感動って……たかが渋谷の街だろ? 仙台よりは都会なだけで感動するほどの街か? あと二年くらいすれば東京に住もうと思えば住める訳だし、そしたらいくらでも来れるんじゃないの?」
「……わからないよ」奈那が寂しそうな表情で呟いた。
「そんな、余命一年の大病患っている訳じゃあるまいし……」
「……確かに病気とかそうゆう心配は無いけどさ。でも、二年後にまだ私が日本にいるかわからないし……うちの親が次に転勤するなら……次はアメリカかもしれないって……その時は家族で引っ越して……私が向こうの大学に通えるなって……両親は結構……乗り気なんだよね? ……私の気持ちなんて気にしてないんだよ……」奈那が泣きそうな表情で純也を見ながら言った。
「……親の海外転勤か……傍から見れば勝ち組な家庭に見えるんだろうな。実際は当の本人からすれば……色々とあるんだろうけどさ……」
純也は、自分がもし、その同じ立場になったらのならどうだろうと考えてみた。廣樹と離れ、知り合いが誰もいない、言葉も自信が持てない街へと越していく。改めて考えてみると、親の都合による転校がいかに子供の環境を激変させるか容易に想像出来た。
「――柊先輩……今日は遊びますか! せっかく先輩が来たかった渋谷に来たんだし、何も考えずに沢山楽しみましょう!」
「……純也……やっぱり良いヤツだな?」奈那は純也にぎゅうっと抱きついた。「だけど……先輩はやめて、今日くらいはずっと奈那って呼ばれたいの! あと……敬語も無し!」
それを聞いた純也が頷くと、二人は渋谷の夜の街を歩きだした。
良かったら、感想や意見よろしくお願い致します。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。