第四話:彼女は先輩
仲村廣樹の高校生時代の話です。
――仙台駅――
季節は残暑も厳しい九月。葉山純也は、仙台駅構内に設置されたATMにキャッシュカードを入れると、手慣れた仕草で液晶画面を操作し、銀行口座の残高照会をしていた。
『俺って凄くない? 高校生で預金残高が三百万円以上って天才じゃね?』心の中でそんな台詞を呟きながら表示された画面を見てニヤケた。
ふと、時間が気になり腕時計を見た。高校生が持つには少し贅沢なクロノグラフ、秒針が全く動いていない。独り言の様にその電池が切れた腕時計を見て呟く。
「……電池切れか……仕方無い。とりあえず電池交換に行くか……」
純也は、普段からよく行く使っている駅東口側にある電気店に向かう為、ATMを後にした。そして駅東口に向かう連絡通路を目指し歩き出し、構内を無造作に動く人混みを縫うように歩いていると、聞き覚えのある声に呼び止められた。
「――純也くん、これから何処かに行くの?」
声に呼ばれ振り返ると、笑顔で小さく手を振る西秋香菜が立っていた。香菜に軽く会釈すると、止まった腕時計を見せながら言った。
「――あ、香菜さん……腕時計の電池が切れたから交換をしに行こうと思って……」
「――へぇ、そうなんだ。もし、まだ時間があるならさ……ちょっと、お姉さんとお茶しない?」笑顔で構内の喫茶店を指さしながら言った。
仙台駅二階の通路に面して営業しているチェーン店。個人の喫茶店と違い、メニューに大した拘りはないが、値段も味も及第点には達している。
「――もちろん、良いですよ!」
純也は軽く頷き、笑顔で答えると二人は喫茶店へと向かい歩き出した。
――駅構内の喫茶店――
お互いに斜め横の空いた席に鞄を置くと、純也は冷たい珈琲、香菜は温かい珈琲を飲みながら、何気ない日常会話を始めた。
「――ところでさ、純也くんって……彼女を作ったりはしないの? 廣樹には彼女がいるし、自分も彼女が欲しいなぁって思わない?」
「――え?」
純也は一瞬、香菜が彼女を紹介してくれるのかと思ったが、香菜がそういうお節介をするタイプではないと思い、話を続けた。
「……お、俺ですか? いや……そんな簡単に彼女が出来たりしないですよ? 俺は顔だって廣樹みたいにカッコ良くないですし……」
「――またまたぁ、そんなご謙遜しちゃって……実は、意外にモテるでしょ?」
「――いや、本当にモテませんって! もし、モテるなら俺は自惚れて人生を楽しんでますよ?」
香菜は、何処か納得いかない表情で首を捻ると口を開いた。
「……そう……かなぁ? 私は純也くんのルックスも、充分平均点以上だと思うけどな? 本当はね、私が彼女候補を紹介とか出来たら良いんだけど……私の周りってガチで夜の商売している子ばっかりだからさ……純也くんみたいな男の子を紹介したら、たぶん骨の髄まで食べられちゃうもんなぁ……」唇を微かに舐めると少し茶化すように言った。
「……ほ、骨の髄ですか……男なら……ちょっと、そそられる言葉ですね」笑いながら答えた。
「――まったく! 私、どうなっても知らないよ? 年上の女って本当に怖いんだからね? 純也くんみたいな育て甲斐のある子なんて捕まえたら……昼も夜もずっと束縛しちゃうよ? 有望な年下の彼氏って、ある意味で女のステータスなんだからね?」
「――えっ? ……そうなんですか?」純也は喜びながらも、少し警戒した表情で言った。
「――って、それはそうでしょ! お水の女に寄って来る男なんて、殆どがハズレ馬券みたいな男か、下心持ったオジサンばっかりだもん。私達みたいな業種の女がね、純也くんとか廣樹みたいな男を彼氏にするなんて、宝くじの高額当選を当てるくらい難しいんだから……」
「――いやいやいや! だって、水商売の人って基本的に綺麗でモテるでしょ? みんな客としてお店に来るんですよね? ……だったら、作ろうと思えば男なんて掃いて捨てる程にいるんじゃないですか?」
純也は、そんな話は信じられないという顔で笑いながら言った。
「……やっぱりわかってない」香菜は深いため息をつき、心から呆れた表情だった。「店に通う男なんて半分以上が奥さんがいる既婚者だったり、たまに独身が来ても遊びとか身体目当ての男が殆どだから……そんな男と一回でも関係を持ったら彼氏面したり、飽きられちゃったり、それで満足してもう店には来なくなったりで、純也くんが思ってるような真面な男なんて殆どいないんだよ? 大体、女に困ってない男が、知り合いでもない限り、態々(わざわざ)金を使ってまで、キャバクラとかスナックに来たりはしないからね?」
その話を聞いて純也は妙に納得した。確かに女に困ってない男が、態々無駄な金を使ってまで飲みに通うとは思えない。少なくとも自分ならそうだと思った。
「……さてと、そろそろ美容院を予約した時間だし、私は行こうかな。またね、ココはお姉さんの奢りだから、ゆっくりしていってね?」
香菜はそういうとテーブルに置かれた伝票を持って立ち上がった。
「……あ、ありがとうございます。御馳走様でした」と言って純也は香奈を見送った。
一人残されたテーブルで、飲みかけの珈琲を見つめながら独り言を呟いた。
「……彼女か……やっぱり彼女にするなら先輩よりは同級生とか後輩かな……」
ふと、何故か京子の顔がぼんやりと浮かんだ。
「……でも、菅原みたいな彼女は冗談抜きでパスだな」純也が首を振った「――いや、本当に無しだ! あの廣樹が尻に敷かれてる感……俺だったらキレて絶対に続かないと思うし……」
電池交換を済ませた腕時計を手首にはめると時間を見た。
「……午後三時五十分かぁ……何をするにも中途半端な時間だよな……」
暇を持て余しているので、普段はまず行かないだろう駅前の路地を興味本位で散策してみることにした。電気店を出て駅の北側にある裏路地に向かい軽快に歩き出した。
――仙台駅北口にある裏路地――
純也は制服姿だったが、人通りも無いし、大丈夫だろうと歩き煙草をしながら、ゆっくりと散策していた。『普段は通らない裏路地って、なんだか新鮮だな』と思っていると、前方に見覚えのある制服を着た女子高生が、私服の男二人に挟まれるように立っていた。
「――げっ! あれってウチの制服じゃんか!」慌てて煙草を側溝に捨てると、何食わぬ顔で歩み寄った。
「――今あるだけで良いからさ……ただ、金を貸してって言ってるだけじゃん? ちゃんと、いつかは必ず返すからさ! ――ま、いつになるかはわからないけどさ!」男の片方がふざけた口調で笑いながら言った。
二人の不良が純也と同じ高校に通う女子高生を恐喝していたのだ。
『……なんだ、ただ普通に絡まれているだけかよ。あのネクタイは……後輩か……ま、女だし仕方ないから助けてやるか』純也はそう心で呟くと男達に向かって話かけた。
「――あのさ、誰がどう見ても嫌がってるようにしか見えないんだけど? その子もさ、不細工な男の貧乏人に恵んでやるような金は一円も無いってさ……そう顔にハッキリと書いてあるけど気づかない?」
男の一人が振り返ると、純也を睨んでいきなり足に蹴りを入れてきた。
「――お前、誰に喧嘩……」
次の瞬間、純也の眼つきが鋭くなると、蹴りを躱し、逆に男の脇腹に蹴りを入れた。脇腹に綺麗に入った為、崩れるようにしゃがみ込み悶絶した。純也は、呆気にとられたもう一人の男を数発殴ると睨みながら言った。
「誰って? ――お前等に決まってるだろ! 男が女なんかに絡んでんじゃねえよ! うちの可愛い後輩に絡みやがって、前歯を全部折られたいのか!」
実力の差を実感した二人の男は聞き取れない台詞を吐き捨てながら走り去っていった。
「大丈夫? ケガとかしなかった? この辺はあんなゴキブリみたいな輩が結構いるからさ、あんまり人目につかない路地とかは使わない方が良いよ?」
「――あ、ありがとうございます。先輩、喧嘩強いんですね?」女子高生が仔犬のように懐いた表情で純也に話かけてきた。
「――はっ? キミは何を言ってるの? 俺がいなかったら、自分がどうなっていたかわかってる?」と、呆れた口調で言った。
「――はじめまして。私、中里美由貴って言います。……でも、先輩は絡まれていた私を見て、ちゃんと助けてくれたじゃないですか?」と笑顔で返してきた。
「……いや……あのさ、会ったの……多分……今日が初めてだよね? ま、それはいいや。世の中には悪いヤツが沢山いるから気をつけなよ?」純也はそう言うと再び歩き出した。
「――ちょっと、名前くらいは教えて下さいよ、先輩!」
関わりたくない純也は、振り返らないで手を上げると数回振って歩き出した。
『なんか……ああゆう子って調子が狂うな……本当に付き合ってられない。あぁ……なんか疲れたし、帰ってゲームでもして寝よう……マジで調子狂うわ……』心でそう呟いた。
――次の日の昼休み――
純也は食事を終えた廣樹と京子に図書室で数学を教えていた。
「――お前等さ、いつも二人でイチャイチャするのは良いけどだけどさ、ちょっとは真面目に勉強もやったら? ……高校生がこんな簡単な数学も解けなくて恥ずかしくないんですかね?」と呆れた口調で二人を交互に見ながら言った。
「――だから! オマエに教えてもらってるんじゃん? 教師より純也の方が教え方が上手いんだって!」と、廣樹が言った。
「――私達は純也みたいに頭が良くないの! 次のテストが八十点以下だったら、ママがしばらく廣樹の家に泊まりに行くなって言うんだもん! 私達の愛がかかってるんだから、ちゃんと教えてよ!」
「……あのさ、京子。当たり前みたいに、しれっと言ったけどさ……今のは誰が聞いても……どう考えても、普通の高校生の口から出てくる台詞じゃないからな? 自覚してる?」
その時、昼休みの終わりを告げるチャイムが鳴った。図書室にいた生徒が一斉に立ち上がり、自分のクラスへと足早に戻っていく、純也達三人も、立ち上がると自分達の教室に向かい歩き出した。
純也が廊下を歩きながら二人に話しかける。
「……二人とも放課後に追試だな。お前等さ、四六時中いつも一緒にいるんだし、泊りにも行ってるんだから、二人で勉強したら一気に成績が伸びるんじゃないの? 普段、お前らって二人で何してるんだよ?」
「……まぁ、映画見たり、話したり、色々とな……」と、廣樹が何かを濁すような口調で言った。
「……純也のスケベ……そんなこと……聞かないでよ」と、目を反らしながら京子が言った。
「――はいっ? ……ちょっと、信じられないんだけど! 廣樹の部屋でヤるなんてマジで考えられないんですけど! 実家だぞ、実家! どっかホテルに行ってヤって来いよ! ホテルに行ってさ!」と、純也が頭を抱えながら二人に言った。
放課後、三人は図書室の隅で再び数学の勉強をし、その採点をしている純也を二人は真剣に見つめていた。
「……お前等さ、やれば出来るじゃん! 最初からちゃんと勉強しろよな? 普段、家でどんな勉強をしてるんだよ?」
「――え? いや、やってないよ。俺も京子も家で宿題以外の勉強なんてしないもん!」
「……マジで? それ本気で言ってるの? 君達は……本当に高校生ですか?」純也はオデコに手を当てて深いため息を吐く。
「――そんな事より、私達の点数はどうだったの? ねぇ、焦らさないで、早く教えてよ!」と京子が急かすように言った。
「――廣樹くん……九十点、京子さん……九十五点。本当にさ……二人ともちゃんと勉強しろよな? 廣樹も京子も進学するんだろ? 今、勉強しないでどうするんだよ? 受験はそんなに甘くねぇぞ」
「……す、すみません」と廣樹が小声で言った。
「うん……廣樹には進学してもらいたいけど……私は……どうかな? 高校くらいは出た方が良いけど、勉強は好きじゃないし……夢が白バイ警官になることだから、大卒よりは高卒で早くなりたいって気持ちの方が大きいからさ。……まだ、どうなるかはわからないけどね?」と、京子が笑いながら純也に言った。
「――そっか、京子にはすごく立派な夢があるんだな。俺には……そんなハッキリした目標なんて無いからさ……ちょっと羨ましいよ。でも……てっきり、京子の夢って――廣樹のお嫁さんになる……とか、言うと思っていたよ」
二人は純也をしばらく真顔で見ていたが、先に廣樹が口を開いた。
「……純也、京子が俺の奥さんになるのが夢だって? 何、馬鹿なこと言ってるんだ?」
「――そうだよ。何、当たり前のこと言ってるの? 私が廣樹のお嫁さんになるのは、夢じゃなくて決定事項だから夢とかそんな曖昧なモノじゃないの!」
それを聞いて純也がクスっと笑った。
「……確かにそうだよな。このまま仲慎ましい二人でいて、俺に一番最初に結婚式の招待状を送ってくれよな? 本当に廣樹が羨ましい……俺も誰かをそれくらい本気で愛してみたいもんだ」と、純也はクスっと笑いながら言った。
「……純也には……ちょっと無理かもね? だってさ、今まで一度だって相手を誰かから奪いたい! って思うくらいに本気で好きになったこと無いでしょ? 私から見ても純也はイイ奴だけどさ、異性に対して何処か冷めているって言うか、冷静に見ているところがあるもん。でも、未来なんてわからないから、今日とか明日、運命の彼女に出会って、人生観がガラッと変わるかもよ? 実際、私がそうだったみたいにね。クラスメイトの学級委員長としてしか見ていなかった廣樹だけど、今は心から廣樹を愛してるもん!」と、京子が純也に熱弁した。
「……そうだな……そんなの感情は……菅原に廣樹を寝取られた時くらいしか思ったことない感情だな……」と、純也が独り言みたいに呟いた。
「――ちょっと、キモイんですけど! ……男が私の大事な廣樹をそんな目で見ないでよ!」と、言って廣樹を自分の方に引き寄せた。
「――き、キモイって……俺に対して失礼じゃね?」
「……だって、男が男を好きって……誰がどう考えても、アブノーマルじゃん!」京子が身を引きながら言った。
「――ふ、ふざけんじゃねえよ! 菅原は男の友情ってモノを知らねぇのかよ!」と、言って純也が語気を荒立てた。
「――は? そんなの知らないわよ! だって、私は女だし、友情より愛情だもん!」と、言って舌を出した。
二人の話を傍観していた廣樹がクスクスと笑いだした。
「――まったく、二人とも静かにしないといけない図書室でコントみたいな会話するなよな?」と、廣樹は二人を茶化した。
その時だった。社会科の教師が廣樹達三人の名字を呼び捨て『図書室で騒ぐのはみんなの迷惑になるから他に行け!』と注意してきた。
仕方なく教室に戻った三人は帰宅する準備をしていた。
「――アンタのせいで怒られたじゃない!」と、京子が鞄に教科書を入れながら純也に文句を言った。
「――す、菅原こそふざけるなよ! それが勉強を教えてもらった恩人に対する台詞かよ!」
「――煩いわね! 前から思っていたんだけど、なんで私の事を京子じゃなくて、菅原って呼ぶのよ? 普通のクラスメイトなら未だしも、今の純也は仲の良い唯一の男友達でしょ? 別に京子って呼び捨てで構わないわよ!」
「――へっ? いや、だって……菅原は廣樹の彼女だしさ、俺が京子って呼び捨ては……流石に気まずいだろ?」と、言って廣樹の顔を見ながら自分の意見に同意を求めた。
「――いいや、俺は全然気にしないよ? 京子本人がそれで構わないって言ってるんだからさ、純也が京子を呼び捨てにしたって全く気にしないし、別に良いんじゃないの?」と、廣樹は笑顔で答え、京子の方を見ると「彼氏の親友が呼び捨てにしたって、怒らないものだろ?」と、言った。
「私の彼氏が構わないって言ってるんだから、今から私の事は京子って呼びなさいよ! わかった?」
「……そ、それで本当に良いのか? 前に菅原……じゃなかった、きょ、京子の事を呼び捨てにしたクラスの男子に『彼氏でも無いクセに下の名前で呼び捨てにするな』って、あの時はお前が本気で怒っていたじゃんか?」と、純也が訊いた。
「――そんなの当たり前でしょ! 廣樹は彼氏だし、純也は私の親友なんだから、全然構わないわよ。私の事を何も知らないようなクラスの男が、彼氏みたいに呼ぶから怒っただけだし!」
「……そっか、俺は京子の親友か……わかった、今からは京子って呼ぶようにするよ」純也はどこか嬉しそうに言った。
「――わかれば良し! さ、お腹空いたし、三人でマック寄って帰ろうよ」と、言って京子が笑顔で提案した。
「――良いね! 賛成!」と、廣樹が純也がほぼ同時に笑顔で言った。
――翌日の昼休みの教室――
廣樹と京子が机越しに向かい合って座り、世間話をしていた。
隣の席で北村、倉井、海江田がファッション雑誌を見ながら、これが欲しい、これは要らないと、くだらない会話をしていた。
「……それにしても、本当に廣樹と菅原は仲が良いな?」と、海江田が二人に話をふってきた。
それを聞いた北村が軽く舌打ちをすると、倉井がニヤケながら言った。
「北村は菅原の事が好きだからな、前に菅原のことを京子って呼んで……彼氏でも無いクセに下の名前で呼び捨てにするなってフラれたもんな?」まるで京子の口調を真似するように続けた。「北村みたいにバイクにも乗れないヤツ、微塵も興味なんて無いから!」ってな……「だから、俺らをバイクの免許に誘ったんだろ?」
「――べ、別に……あんな女の事は全然好きじゃねえよ!」と、北村が京子をチラッと見ながらムキになって言った。
しばらくすると、紙袋を抱えた純也が廣樹達に近寄ってきた。
「――お待たせ、悪い悪い、購買部がさ、珍しくすごく混んでたから時間を食っちまったよ。これが廣樹のあんドーナツとメロンパン、それにパックの牛乳な。そして俺のおにぎり二個とお茶。最後に……サンドイッチと冷たい紅茶が京子の分っと……」
純也が京子の名前を呼び捨てで呼んだ声を聞いた瞬間、隣の席に座ってジュースを飲んでいた北村と倉井が飲んでいたジュースを勢いよく吹き出した。そして海江田は驚いた表情で純也を見ていた。
「――ちょっと、汚い! アンタ達なにやってるのよ!」と、京子が思わず立ち上がって距離をおいた。
「――汚ねえな! お前等さ、飲んでる物を吹き出してんじゃねえよ!」と、純也も続くように言った。
「――す、菅原って廣樹と別れて、すぐに純也とくっついたのかよ?」と、北村が驚いた表情で京子に訊いてきた。
「――はぁ? なに、訳の分からない事を言ってるのよ! 私が廣樹と別れる訳が無いし、純也が彼氏な訳も無いでしょ? アンタ達、本当の馬鹿? それとも昼間から寝ぼけてるの?」
「……じゃ、じゃあ、なんで純也が菅原の事を京子って呼び捨てにしてるんだよ? 昨日まで俺達と一緒で純也も菅原って呼んでいただろ? 俺達には彼氏でも無いクセに、自分のことを下の名前で呼び捨てにするなって言ってるじゃねえか! どう考えても、可笑しいだろ?」と、納得ができない表情で北村が言った。
「……俺達には? いや、菅原のことを下の名前で呼び捨てで怒られたのも、呼び捨てで呼んだのも……北村だけだろ?」海江田が小声で呟いた。
「――ちょっと! 純也をアンタ等みたいな不良ABCと一緒にすんるんじゃないわよ! 別に純也は廣樹の大親友だし、私の親友でもあるんだから、別に京子って呼び捨てにしても、なんら可笑しく無いでしょ!」と、机を叩きながら言った。
「――ふ、不良ABCだと……俺達を馬鹿にするのもいい加減にしろよ! 今まで学級委員長の廣樹の彼女だからって多めに見ていたけどよ、ちょっとくらい他の女子より可愛いからって調子に乗りやがって……」と、言うと北村が京子の制服の襟首を掴んだ。
「――なっ! 北村ふざけんなって!」海江田が叫んだ。
その瞬間、純也が京子の制服を掴んだ北村の手を振り払うと、北村の首を持って壁に勢いよく押し付けた。
「――おいっ! 出来ない我慢をするのが男じゃないのか? 京子は女だぞ! 俺の前で男が女に暴力なんか振るってるじゃねえよ!」と、言って純也は手を放し、北村の肩を殴った。
「……わ、悪かったよ、ごめんな……菅原……」と、純也から目を反らした北村は素直に謝った。
北村は机を蹴り飛ばしてトイレの方へと向かい、倉井と海江田もそれを追いかけるように教室を後にした。
「――流石はキラーマシン! 戦闘力が段違いだな?」と、言って廣樹は純也を揶揄った。
「……な、なんだよ、その……キラーマシンって……」純也が訊いた。
「テレビゲームに出て来る、魔法無効の強敵モンスター?」と、廣樹が言った。
「……いや、それは知ってるから……」純也からため息がこぼれた。
「――さてと、俺は学級委員長のお仕事してくるかなっと」廣樹はそういうと、教室を後にして不良達を追いかけた。
「……ありがとうね、純也」京子は純也を見ると素直にお礼を言った。
「そんな気にするなよ。俺がカチンときただけだからさ!」と、純也は笑顔で言った。
「……それにしても、廣樹も馬鹿なんだから……あんな奴ら放っておけば良いのに……」と、言って京子は心配そうにトイレに向かう廣樹の背中を見ていた。
「……男は馬鹿な位で丁度いいんだよ」と、純也が独り言のように呟いた。
「――悪いな、京子が御転婆過ぎてさ」廣樹はトイレでドアを殴って怒りを発散している北村に声をかけた。
「……廣樹、お前はさ、委員長だけど俺等を色眼鏡で見ないし、良いヤツだからあんまり揉めたく無いんだ。悪いけどさ、今は構わないでくれないか?」と、倉井が言った。
それに続いて海江田も口を開くと、廣樹を諭す様な口調で話し出した。
「……今は純也もいないんだしさ、俺達三人相手に一人で喧嘩をしても……結果は見えてるだろ?」
「……結果が見えてる……喧嘩……ね……」廣樹は口元で微笑んだ。「――でも、それは……ちょっと出来ない相談かな? 学級委員長の俺が揉め事を見て見ないフリは出来ないだろう?」更に軽い笑みを浮かべると廣樹は続けた。「それに北村は……どうせ自分より喧嘩弱いクセに、俺が京子と付き合いやがってとか……内心では思っているんだろう?」
廣樹はまるで北村の核心をつくような台詞を言った。
その台詞を聞いた北村は言葉に詰まった。図星だったのだ。
「……廣樹、俺もあんまりオマエみたいな奴に、舐められる訳にはいかねえんだわ!」と、北村が廣樹の襟首掴みながら言った。「――純也と仲が良いからってあんまり調子にのるなよ!」
「……そんなに熱くなるなよ」と、廣樹は冷めた眼つきで言った。
「――廣樹……謝れ、許して欲しかったら俺に謝れよ!」北村が語気を荒立たせて叫ぶ。
それを聞いた廣樹が、クスっと笑うと口を開いた。
「……俺が? 北村に謝る? なんで?」
「――だから! 自分が調子にのってすみませ……」
その時だった、廣樹は自分の襟を掴んでいた北村の股間を蹴り上げた。その瞬間、悶絶しながら崩れ落ちた。
「――な、なんだよそれ! 卑怯じゃねえか!」と残りの二人が言った。
「……ゴメンね。俺ってさ、ツレがヤンチャだからさ、よく知らないヤツに絡まれるんだよね? だから……これでも意外と喧嘩とかしてるんだよ。結果、お前達みたいなのには慣れてるんだ。暴力は嫌いなんだけどさ、また京子に何かされても困るから、ちゃんと話にケリをつけておかないとな。それに……三対一なら、これくらいの事はチャラだろ?」
「――ふ、ふざけんな! そんな反則技で勝った気になってるんじゃねえよ!」と、言って海江田が殴りかかった。廣樹は不意を突かれ、頬を殴られたせいで唇を切った。唾を床に吐き捨てると海江田を殴り返した。
「――そうだよな、やっぱ、男は拳で語らないとな!」廣樹は拳を反対の拳を握りながら言った。
「――あんまり調子にのるなよ廣樹!」と、言って倉井が廣樹を羽織り締めにした。
「――甘いんだよ倉井!」と、廣樹が言った。
左右に大きく体を振って、少しずらすと肘でみぞおちに一撃を食らわせた。鈍い悲鳴と共に手を放した倉井を廣樹は足払いをして倒すと勢いよく蹴りをいれた。
「残りは海江田だけだな!」と、言って廣樹が踏み出した。
「――待った! 降参だよ、廣樹が喧嘩強いのは、もう充分わかったから! もうこの辺で勘弁してくれよ」と、言って海江田は両手をあげた。
「そっか、それならと拳で語り合ったんだし、これで仲直りだな?」そう言って廣樹はしゃがみ込んでる二人に手を差し出した。
何か話をしながら昼飯を食べている純也と京子に廣樹が話しかけた。
「ただいま……トイレでちょっと親睦を深めてきた」
「――ちょっと、唇切れてるじゃん! 廣樹、大丈夫?」そう言って京子が心配そうに廣樹にハンカチを差し出した。「純也のバカ! これのどこが話し合いで解決してるのよ!」
「あれれ……オカシイな? 廣樹の事だから喧嘩にはならないと思ったんだけどなぁ……」と、純也は缶入りのお茶を飲みながら言った。
「全然、大丈夫だって! 軽い掠り傷だからさ」そう言って京子の頭を撫でながら、純也を見て笑顔で言った。「まぁ……三人だから、もうちょいヤルと思っていたけどな?」
「こんなもんだろ、アイツ等は所詮、口だけのヤンキーだろ? お疲れさま、学級委員長も色々と大変だな? 俺には真似できない芸当だよ」と、純也は廣樹を揶揄うように言った。
「まあね、誰かさんといると楽しいアクシデントに巡り合うから、自然と喧嘩も強くなっちゃった」
「廣樹って……そんなに喧嘩が強かったの?」京子はキョトンとした顔で言った。「なんだ、心配して損した気分……」
「何かさ……トゲない? その言い方って……」そっぽを向いた京子を廣樹は覗き込むように言った。「クラスの中に溝が出来ちゃうといけないから、俺が体を張って語ってきたんだぜ?」
「で、いったいどんな話してきたの?」と、京子が訊いてきた。
「簡単に言うなら……男なら、誰だって京子みたいなイイ女は呼び捨てにしたいだろうけど、呼び捨てにしたいなら、俺みたいな良い男になって惚れさせてみろって拳で語ってきた感じ?」
「……つまり、どういう意味?」
京子はイマイチ言ってる意味が理解できないでいた。
「要は、俺が認められない男のクセに、京子の許可も無く簡単に馴れ馴れしく呼び捨てにするなってことだよ」
「……廣樹は本当に、負けず嫌いなんだから……」と、京子は呆れた口調で言った。
「そんなことよりさ、昼休みが終わる前に飯食っちまえよ!」純也が廣樹にアンドーナツを差し出して言った。
帰りのホームルームが終わると北村が京子の席に来た。
「……菅原……ごめんな、廣樹の事を殴っちまってよ」と、北村が申し訳無さそうに言った。「俺さ、菅原が本気で好きだったからさ……廣樹と菅原が楽しそうにしているの……なんか面白くなくてさ……」
「……知ってるよ。北村が、私を好きなのは中学の時から気づいていた。何かあれば私に絡んできたり、私に寄ってくる男に絡んだりしてたもんね……」と、北村を見上げながら京子が言った。「――でもね! 私、アンタのそういうネチネチしたところが大嫌い! そして、何よりも……顔が私の好みじゃないもん……」
京子の言葉に、北村は思わず言葉に詰まった。かなりショックだった。それを少し離れた所で盗み聞きしていた倉井と海江田はスイッチが入ったように大声で笑った。
「プププ……そもそも……顔が好みじゃないもんだってよ!」と、倉井が腹を抱えて笑っている。
「今まで菅原に振り向いて欲しくて、中学で同じクラスになってから色々してきたのに、根本から無理だったんだな!」と、海江田も笑いながら言った。
「……お前等、人がフラれているのに慰めの言葉も無いのかよ!」北村が涙ぐんで言った。
「悪い、悪い。でもさ、北村には俺等がいるじゃん? 別に菅原だけが女じゃないって!」
「そうだよ、俺達がいるんだからさ!」
北村に左右から肩を組むと海江田と倉井が言った。
「――廣樹っ! 菅原を泣かせたらタダじゃおかないからなっ!」と、中指を立てると廣樹に向かって叫んだ。
廣樹はそれを見て笑顔になると言った。
「……大丈夫、泣かされるのはいつも俺の方だから」
学校から駅に向かう帰り道、廣樹、京子、純也の三人は横一列に並んで歩いていた。
「あの……仲村先輩、ちょっと良いですか?」と、後ろから声をかけられた。
廣樹達が振り返ると、見知らぬ女子高生がモジモジしながら立っていた。制服から同じ高校に通う生徒という事は間違いない。
「……仲村先輩? ――廣樹、誰よこの後輩!」と、京子が廣樹を睨みながら言った。
「――し、知らねえよ。こんな子、本当に知らないから!」廣樹が慌てて言い返した。
「……あ、この前、駅近くで不良に絡まれていた子だ……」と、純也が言った。
その言葉を聞いた廣樹と京子の二人は、思わず純也の顔を覗き込むように見た。
「この前は本当にありがとうございました。今日こそ先輩の名前を教えて下さい! 私、この前も自己紹介しましたけれど、中里美由貴っていいます」と、美由貴は純也を見ながら言った。
廣樹と京子は思わずお互いの顔を見た。二人は目が合うと同時に、耐えようにも耐え切れず、笑みが口角に浮かんだ。恋人同士のアイコンタクトに言葉は要らなかった。
「……名前って葉山くんの?」と、京子が笑顔で言った。
「名前って純也ちゃんの?」と、廣樹が言った。
「――おいっ! お前等、今の呼び方はどう考えても可笑しいだろ!」と、純也が叫んだ。「なんで、いつも純也って呼んでるのに、今だけ葉山くんと純也ちゃんなんだよ!」
「……先輩の名前、純也って言うんですね。純也かぁ……純也……この前はありがとうございました」と、美由貴がニコニコしながら笑顔で言った。
「――いやいや、君も可笑しいからね? 殆ど初対面なんだから、普通は葉山先輩でしょ? なんでいきなり下の名前で呼んでるの? しかも呼び捨てのタメ口で!」と、純也が言った。
「別に良いじゃん、みんな純也って呼んでるんだからさ……」と、廣樹は肩を叩きながら言った。
「――よ、よくねえよ! なんで俺が後輩にタメ口で呼び捨てにされないといけないんだよ?」
京子は美由貴の手を引きながら笑顔で言った。
「そこに喫茶店があるし、珈琲でも飲みながら話そうよ?」
そこは少しクラシカルな内装の明るい店内にカラフルなテーブルの並んだお洒落な喫茶店だった。京子と美由貴、廣樹と純也が隣に座り、珈琲を四つ頼んだ後、京子は横に座る美由貴に話しかけた。
「――美由貴ちゃんってさ、可愛いね。髪型も可愛いし、顔も男受けする顔だしさ、彼氏なら自慢したくなるだろうな……」そう言って純也をチラ見した。
「……本当に純也には勿体ない……こんな純也の何処が良いの?」と、廣樹が訊いた。
次の瞬間、京子はテーブルの下で廣樹の脛を蹴った。
「――いてっ、何するんだよ京子!」
「廣樹は余計な事を言うから黙ってなさいよ!」と、言って睨み付けた。「ごめんね、私の彼氏ってデリカシーの欠片も無いから許してあげてね?」と、横に座る美由貴に笑顔で言った。
京子は親指を立てると、廣樹に表に出ろと合図した。廣樹は少し顔を引き攣ると京子の後ろを歩いて店の外へと向かった。
「――アンタ、バカでしょ? せっかく純也に彼女が出来そうなのに、なんで茶々いれて邪魔してるのよ!」京子は店の外に出るなり腰に手を当て叫んだ。
「……ああ、そういう事か。なら、最初から言ってくれたら良いのに……」
京子は肩を落とすと深いため息をついた。
「そんなこと堂々と言ったら、純也が警戒するに決まってるじゃない!」
「……確かに……そうだな……」と、廣樹が納得したような表情になった。
「――さ、中に戻るわよ!」
喫茶店に戻ると、純也は黙って顔を反らし、まるで沈黙は金と言わんばかりに珈琲を啜っていた。
「ごめんね、美由貴ちゃん、絡まれていた時に純也に助けてもらったの? なんか運命感じるよね?」
京子が美由貴
「……いや、本当に……ただの偶然なんだけどな。暇だったからさ、普段行かない路地でも散策しようかなって思ってさ、そしたら、この子が不良にカツアゲされていたから、気まぐれで助けただけだし……」と、純也が言った。
「純也が絡まれている後輩に会った。それは偶然じゃなくて必然だろ?」と、廣樹が言った。
「……廣樹くんさ、必然の意味ってわかってる? 必ずそうなること。それよりほかになりようのないことって意味だからな? 俺が面倒くさいから良いや、ほっておこうって選択肢を選んでも良かった訳だし、それにさ……」
純也が廣樹を見ながら語っていると京子が話に割り込んだ。
「――ちょっと! あんたの可愛い後輩が、目の前で絡まれてるんだから、そこはちゃんと助けなさいよ! 男がエセ勇者みたいな台詞、しれっと言ってんじゃないわよ!」と、京子が身を乗り出して言った。
「……そんなに照れんなって、純也がこんな可愛い女の子を見殺しに出来る訳ないだろ?」
廣樹の台詞に純也は言葉が詰まった。確かに図星だったのだ。彼女が可愛いかどうかは別として、絡まれている女性を見つけて、見過ごす自信は微塵も持てなかった。
「……私、可愛いですか? そんなに可愛いって言われたら……なんか照れちゃいます……」
「――でもさ、美由貴ちゃんはなんで不良に絡まれていたの? 普通、君ならナンパはされることはあっても、絡まれたりはしないでしょ? まあ……京子だったわかるんだけどさ」
次の瞬間、京子はテーブルの下で廣樹の脛を再び蹴った。
「――いてっ、何するんだよ京子!」
「――私だったらわかるって、どういう意味よ!」と、言って廣樹を睨み付けた。
「そういうトコがって言ってるんだよ! その勝気で喧嘩っ早いところだよ!」
廣樹は京子に蹴られた脛を撫でながら言った。
「私のそういうところが好きなクセに……まったく、廣樹も素直じゃないんだから……」
それを聞いて美由貴がクスクスと笑った。
「先輩たちって本当に仲が良いんですね、羨ましいです。仲村先輩の彼女さんのお名前って……」と、京子を見ながら訊いた。
「あ、ごめんね。私の自己紹介まだだったね? 私は菅原京子っていうの、よろしくね」と、笑顔で言った。「そう言えばさ、なんで廣樹の名前だけは知っていたの?」
「……仲村先輩のことですか? 食堂で見かけた時にクラスの男子に訊いたら教えてくれました」
「そうなんだ。へえ、廣樹ってこんなんで意外と有名人なんだね?」京子が廣樹の顔を見ながら言った。
「――はい、前に調子にのって仲村先輩に絡んだ同級生がいるけど、そのあとで地獄を見たから一年の男子は絶対に関わったらいけないって言ってました」
それを聞いた純也が吹き出した。
「プププ……関わったらいけない先輩って言われてやんの!」
「……廣樹……いったい何をしたの?」と、京子が訊いた。
「……どっかの中学で頭を張っていたとか言って、一年のクセに学校占めるって絡んできた暴走族してるって言っていたアイツのことかな? いやさ、俺がぶん殴っても良かったんだけどさ。世の中の厳しさを体感させようと校舎裏に行ったらさ、タイミングよく洋介先輩が煙草吸っていたからさ、どうせなら本当の世の中の厳しさ教えた方が良いかなって思ってさ、洋介先輩にタイトルマッチしたいって紹介してやったんだよね」廣樹は笑いながら言った。
「……うわ、最悪……洋介先輩って純也の通ってた空手道場のあの先輩でしょ? でも……よりによって……廣樹に喧嘩を売るなんて……馬鹿な一年もいたものね……」京子が顔も知らない後輩に半分同情したような口調で言った。
「確かに……洋介先輩は酷いな、全国大会行くような化け物だし……何より暴走族が大嫌いだからな。廣樹ってさ、たまに悪魔みたいな事を普通にやるよな?」と、純也は廣樹を見ながら言った。
「……な、なんだよ、俺が悪者かよ?」廣樹は少し不貞腐れた。「でもさ、そんなにうちの番長になりたいなら……飛び級でウチの番長みたいな洋介先輩と喧嘩した方が早いじゃん?」と笑いながら言った。
「……あのさ、近所の野良猫のボスがさ、野生の虎に勝てるか?」と、純也が廣樹に訊いた。
「そんなの勝てる訳ないじゃん!」しれっと廣樹が言った。
「……ですよね? それなのに挑ませるか普通……」と、言って純也は深いため息をついた。
「ま、俺も一年の頃に挑んでボロ負けたしなぁ……懐かしいな……」
それを聞いた純也と京子が同時に廣樹を見て口を開いた。
「――やっぱ、バカでしょ?」
廣樹は二人を交互に見た。
「――だってさ、そんなのやってみないとわからないじゃん?」と、廣樹が笑顔で言った。
「……じゃあ、聞くけどさ。廣樹はあの洋介先輩に勝てると思ったわけ?」と、純也が訊いた。
「……ぶっちゃけ、噂は聞いてもさ、まさかあそこまで化け物とは思わなかったからさ、怖いモノ見たさみたいな軽い気持ちで……挑んだんだよね?」と、廣樹が笑いながら言った。
「で、惨敗したわけね……普通……入学そうそうから空手の全国大会出場で校門に垂れ幕でるような奴に挑むか?」と、純也がため息をつきながら同情した口調で言った。
「――ざ、惨敗って言うな!」と、廣樹が言った。
「……廣樹、話が逸れてるよね?」と、京子が冷たい声で話しかけてきた。
うんうんと小さく頷くとそれから廣樹は大人しくなった。
「ねえ? 純也の携帯電話とポケベルの番号って何番だっけ? また名刺頂戴」
京子は純也に手を差し出すと言った。
「……あのさ、それをこの子にあげるつもりだろ? そんな見え見えの内容とわかっていながら誰がやるか!」と、言って純也は京子から顔を反らした。
京子は鞄から財布を出すと、純也の名刺を取り出し、美由貴に差し出した。
「これ、あげるね。純也の連絡先だから、好きな時に勝手に連絡して良いからね?」と、笑顔で言った。
「――え、良いんですか! ありがとうございます先輩!」そう言って美由貴は京子に抱きついた。
「――おい! 京子ふざけるなよ? 勝手に人のプライベートなことを教えてんじゃねえよ! しかも、ちゃんと持ってるじゃんかよ!」純也は立ち上がると京子に言った。
「後で私が美由貴ちゃんに教えても、今ここで教えても結果は同じでしょ? だったら、本人の前で教えた方が良いでしょ?」と、京子は笑顔で言った。
「……なんで、教える前提で話が進んでるんだ?」純也が深いため息をついた。
美由貴は時計を見ると三人を見ながら申し訳無さそうに口を開いた。
「……すみません。そろそろ塾の時間なので……私はこの辺りで失礼させてもらいますね? あの……お代っていくらになりますか?」
「――あ、良いよ。彼女が誘った後輩に出させる訳にはいかないから、俺が払っておくよ」廣樹が顔の前で手を振りながら言った。
美由貴は立ち上がり、三人に会釈をしながら足早に店を後にした。廣樹と京子は笑顔で手を振って美由貴を見送った。
「――ちょっと、何で不貞腐れてるのよ? 純也、あんた男でしょ」と、京子が言った。
「……普通さ、人の連絡先を本人の承諾無しに教えるか?」
「良いじゃん、良いじゃん! 私なりに純也の事を応援してるんだよ? 純也にも彼女が出来たら四人でダブルデートとか出来るじゃない? 彼女がいる高校生活は楽しいよ?」純也を見ながら京子は楽しそうに笑顔で語った。
廣樹は珈琲を一気に飲み干すと二人を見た。
「で、どうする? まだいるなら、おかわり頼もうと思うんだけど……」と、廣樹が言った。
「別に頼んでも良いんじゃないか? 俺はまだ時間あるし、京子もどうせ暇なんだろ?」と、純也が言った。
カランカランと入口の鈴が鳴り、ドアが開くと一人の女子高生が入ってきた。短いスカートにポニテールで七三分けを流すような髪型、細い眉に切れ長な目、細い顎に首、京子とはまた違う意味での美人だが、耳にはピアスと典型的な気の強そうな不良少女だった。
「――げっ! 奈那!」
廣樹と純也がほぼ同時に声を発した。それを聞いて店に入ってきた女子高生は二人を睨み付けた。
「――柊先輩な、廣樹は私の後輩だろ! 気安く呼び捨てにしてんじゃねーよ!」
「……だってさ、奈那先輩はダブリだから俺達と学年は同級じゃん」廣樹が軽々しく言った。
「そうだよ、そうだよ、奈那……先輩は、ウチ等と同じ二年じゃん?」と、純也が言った。
「まあまあ、いくら奈那先輩が可愛いからって、二人とも先輩を揶揄わないの。二人とも素直じゃないんだから……」と、京子が廣樹達を見ながら言った。
「――京子は本当に可愛くて、良いヤツだな!」
柊奈那は近づいてくると京子の頭を撫でながら言った。奈那は美由貴が帰った席に座ると紅茶を注文した。
「……ところでさ、ここに飲みかけの珈琲があるけど、他に誰かいるのか?」
奈那は美由貴が飲んでいた珈琲を指さながら廣樹に尋ねた。
「……それを理解している上で、当たり前にそこに座るんだ。ああ、さっきまで純也の彼女がいたけどさ、なんでも塾の時間だからって、今さっき帰ったんで……」と、廣樹が言った。
「――おい! あのコは彼女でもなんでもないだろ! さっきから勝手なことばっかりペラペラと言ってんじゃねえぞ!」純也が廣樹の頭を軽く殴りながら言った。
「美由貴ちゃんは可愛い子なんだし、純也もまんざらでもないんだしさ、アンタも気があるんだから付き合ってあげれば良いじゃない?」京子は珈琲を啜りながら純也を見て言った。
「……あのな、手も繋いだこと無い、昨日今日に知り合った女を彼女とか言える訳が無いだろ?」
純也は肩を落とすと呆れた様子で深く息を吐き出した。
さっきから聞いていた奈那が無言で純也を見ていたが、急に口元が微笑んだと思うと話し出した。
「――そっか、昨日今日知り合ったようなキスも手も繋いでない女が純也の彼女か……。じゃあ、身体の関係がある女は……いったいなんて呼ばれるんだろうな?」と、奈那がニヤニヤしながら言った。
それを聞いた純也が咳き込だ後に口を開いた。
「――あ、あの……柊奈那先輩? 今……自分が何を言っているのか……解ってらっしゃいます?」
純也が珍しく焦った様子で奈那に話しかけた。その様子を見て廣樹が不思議そうな表情で純也を見た。
「――え? そんなの立派な彼女に決まってるじゃないですか。もしかして……奈那先輩、ついに彼氏が出来たんですか? 先輩、おめでとうございます」と、京子が嬉しそうに言った。
「……ううん、それはどうだろう? 相手が私をどう思っているかにもよるしなぁ……お互いの気持ちがあっての彼氏と彼女だろうしなぁ……」と、奈那は不敵な笑みを浮かべると純也をチラチラと見ながら言った。
純也は時折、奈那を見てはずっと黙っていた。その時だった、店員が奈那が注文した紅茶と廣樹の追加の珈琲を持ってきた。それを二人の前に丁寧に並べると、店のカウンターへ空いたカップを持って戻って行った。
「……純也? さっきから……なんか……様子がおかしいぞ?」と、廣樹が珈琲を啜りながら言った。
「そうだよ、さっきからなんかおかしいよ?」
京子も廣樹に続くように、純也を見ながら言ったが、純也は相変わらず沈黙を守っていた。
「別にさ……奈那に美由貴ちゃんのことがバレたって構わないだろ? 別に奈那は俺達とクラスだって違うし、美由貴ちゃんと学年だって違うんだからさ?」と、廣樹が純也の肩を優しく叩きながら言った。
「――そうだよ! 奈那先輩だって、廣樹と違って純也の事はちょっとくらいは気に入っているかもしれないけどさ、だからって……純也の恋路を邪魔とかしないと思うよ? 奈那先輩、そうですよね?」と、京子が奈那を見ながら訊いた。
「――ああ、私は純也に気に入った女がいたとしても、だからって野暮な真似はしない。まだ約束した期限が来たわけでもないしねぇ……」奈那は含みのある笑みを浮かべながら純也を見て言った。
「――なっ!」純也はそれを聞いて絶句した。
「……約束した……期限?」廣樹と京子がハモるように言った。
廣樹と京子はお互いの顔を見ると、首を傾げてから純也の顔を見た。
「奈那、俺になんか恨みでも……まぁ、恨みはあるかも知れないけどさ……」純也は奈那を見ながら縋る様な声で言った。「――だからって何も! 何もこいつ等の前で、ワザとらしく言うことは無いじゃんか! 話が全然違うじゃないだろ!」と、純也が叫んだ。
「――ああ、うるさい、うるさい! 純也が私に対する返事をする前に、他の女にうつつ抜かしてるから悪いんじゃねえか!」純也を見ると軽く睨みつけ強めの口調で言った。
「……奈那? 俺達には言ってる意味が、全くわからないんだけど……」と、廣樹は何とも言えない表情で奈那に訊いた。
「まあ、不可侵条約っていうか……本当は廣樹と京子にはこの事は黙ってるっていう約束だったけどさ、先に約束を破ったのは、純也だから構わないよな?」と、奈那が純也を見ながら訊いた。
「……不可侵条約? 約束? 純也……奈那先輩と……何か約束したの?」と、京子が恐る恐る純也に訊いた。
小さな頃から御転婆娘で有名で、唯我独尊という言葉がピッタリな奈那と約束をするなんて、不平等条約みたいな内容だと奈那の事を良く知る京子は安易に想像出来た。
沈黙を守る純也を尻目に奈那がゆっくりと口を開いた。
「――夏休みにさ、純也と二人で横浜のライブを見に行ったんだけどな、お泊りで……」
奈那が話してる途中で、目を見開いた廣樹と京子が同時に叫んだ。
「――と、泊りで!?」
そう叫ぶと二人は思わず純也の方を見た。
「――ち、ちげえだろ、奈那! 最初から泊りで行ったんじゃなくて、コンサートが長引いたせいで夜行バスに乗り遅れて、どうせ朝まで電車を待つなら仮眠出来る方が良いって流れで泊まったんだろ! 紛らわしい言い回しいてんじゃねえよ!」と、純也が語気を強めて言った。
「結果的に、うち等二人でラブホに泊まったんだから……同じじゃん?」と、奈那が言い返した。
「ラ、ラ、ラブホテル? ……まさか純也……奈那先輩と……シちゃったの? 先輩の相手って純也のことだったの?」と、京子が純也に腫れ物に触るように訊いた。
それに対して純也は俯いたまま黙っていた。
「……奈那さ、それって何月何日の話?」と、廣樹が興味深々に訊いた。
「確か……八月五日だけど、それがなんか廣樹に関係あるのか?」と、奈那が訊き返した。
「――ぬ、抜かれた! 純也に童貞を卒業する日を抜かれた! 京子が相手じゃなかったら、俺はきっと立ち直れなかった。俺は相手が京子で、京子は初めてだったから許せるけどさ……」
「――ば、ば、馬鹿じゃないの! 廣樹ってば先輩の前で何言ってるのよ! 信じらんない!」
京子は勢いよく立ち上がると赤面のまま廣樹に向かって叫んだ。
「あはは、京子は本当に可愛いな。廣樹、京子を泣かせたら私が許さないからな」
「大丈夫ですって。いつも泣かされるの俺ですから」と、廣樹は笑いながら言った。
「廣樹は良い男だな、本当に京子は幸せ者だ。可愛い後輩の京子が幸せそうで、先輩の私も嬉しいよ」奈那は廣樹と京子を交互に見ながら言った。
「……で、もちろん奈那先輩と付き合うんでしょ? 美由貴ちゃんは確かに可愛い子だったけど、先輩と……そうゆう関係まで持っちゃったんだからさ、諦めて男なら責任取りなさいよ? 先輩は……ちょっと話し方が男っぽいけど、本当は後輩想いだし、それに元々純也に好意があったんだから、きっと上手くいくわよ……たぶん」と、京子がどこか自信無さげに言った。
「でもさ……なんでよりによって、奈那なんかとシちゃったんだよ? どうせ、奈那の事だからさ、純也が初めてじゃなかったんだろうし……だって、純也ならその気になれば他にいくらでも良い女とすぐにヤれただろ? それこそさっきの美由紀ちゃんとか……」と、廣樹が言った。
次の瞬間、奈那がテーブルを強く叩き、カップが音をたてた。
「――はあ? 私なんかだと? 私は純也以外と寝たことないぞ! ふざけんなよ廣樹! 私だって女の子なんだからな! 傷つくんだからな! 大体、さっきからオマエは私の事を奈那、奈那って呼び捨てにしやがって、純也とか付き合ってる彼氏が呼ぶなら未だしも、廣樹は私の彼氏でもなんでも無いだろ! それに私は一応は先輩様だぞ! さっきの言葉は無しだ無し、撤回だ! お前は最低の男だ! 世界中の女の敵だ!」と、奈那が廣樹に言い放った。
「――え! 奈那って処女だったの? ……意外だ……なんか、嘘臭いけど……はいはい、すみませんね。柊さんはダブって同級生なんだから、別に先輩って呼ばなくても良いと思うんですけど……」と、廣樹が前半少し驚きはしたが、後半は面倒くさそうに言った。
「――それでも年齢は、私が上だろうが!」奈那が言い返した。
廣樹と奈那がお互いを罵倒しながら口喧嘩をし、京子が二人の間で仲裁している。
良かったら、感想や意見よろしくお願い致します。自分の小説は基本同じ時間軸の同じ登場人物になります。