第一話:オートバイと彼女
仲村廣樹の高校生時代の話です。ちょくちょく誤字脱字直します。
――平成九年七月――
国分町、それは宮城県仙台市にあり東北一の繁華街と呼ばれる夜の街だ。
メインストリートから外れ、ラブホテルやスナック、キャバクラなどが並ぶこの界隈は、夜に華が咲く通りだけに、まだ暑さがピークの昼下がりの時間帯では、酒屋の配達用トラックや通り抜けにタクシーが時折通るだけでそれほど人や車は多くはない。
この時間帯に見かける人間と言えば、仕事を一時的に放棄する為にサラリーマンやOLが、人目を避けた路地の自販機を利用していたり、周囲を気にする行為をする者が、密会をする為に使う空間へと消えていく程度だ。同じく仕事を放棄をするにしても、休憩の為に喫茶店など使えば済む。だが、その金さえも惜しみ、仕事が出来ない負い目からこのような場所を自然と選んでしまうのだろう。夜の繁華街が金をばら撒く勝ち組が集まる場所ならば、昼間の路地裏は社会の典型的な負け組が多く集まる場所となっていた。
そんな裏通りを一組の若い男女が歩いていた。仲村廣樹と同級生の菅原京子だ。二人の間には、会話も少なく微妙な距離感があり、傍目からすれば二人は周囲の雰囲気からは少し浮いて見える。
廣樹は整った顔立ちで美形の部類だが、少しギラついた目つきの為、周囲からは少し近寄りがたいイメージが漂っていた。身長は百七十センチ程の平均的、引き締まった細身の身体、ちょっと探せばに其処等にいくらでもいそうな青年だ。一緒の歩いている京子は、少し明るく染めた長い髪、切れ長の目、廣樹より身長は少し小さいが女性としては高く、出るトコは出ている細身の身体。不良独特の気の強そうな雰囲気は漂うものの、黙っていれば数人に一人は彼女を目で追うくらい美人の部類に入るだろう。そんな京子は廣樹の後ろを追うように歩いていた。
廣樹は急に立ち止まると、チノパンのポケットを漁り煙草と使い捨てライターを取り出すと、手慣れた仕草で火をつけ軽く吸うとゆっくりと紫煙を吐いた。周りを軽く見回した後、再びゆっくりと歩き始めた。
廣樹とすれ違う皆が何かを言いたげに横目で見ていた。その姿を横目で追う事はしても、誰も注意などしない、それが他人との余計な関わりを極力避けて回避する現代の社会常識なのだろう。
京子は周囲を気にしながら廣樹に近寄り、横に並ぶと小声で話しかけた。
「ちょっとマジで! いくら今日は私達が私服だからってさ……流石に……堂々と歩き煙草はヤバくない? ……一応さ、まだ高校生なんだよ?」
自分のクラスメイトが、堂々と歩き煙草をしたことに京子が驚いて当然だった。二人はまだ高校二年生で、廣樹はこれで曲りなりにもクラスの学級委員長という立場なのだ。
「――ったく、煩いなぁ。大丈夫だって! 菅原は心配し過ぎなんだよ……」
廣樹は心配性な京子をめんどくさそうに睨みつけ、根拠の無い自信で諭し始めたが、それを聞いた京子はガクッと肩を落とし、目を伏せ大きなため息をつき、呆れた口調でこう返した。
「……アンタさ、どれだけ不良委員長なわけ? ここまで煙草を堂々と煙草を吸う学級委員長なんて、日本中探したって他にいないよ? それ、わかってる?」
廣樹は唇を軽く舐めると彼女の事を見ないで言った。
「そんなため息ばっかりついていると……せっかくの幸せが逃げちゃうぜ?」
その言葉に京子は下唇を軽く噛むと横目で睨んだ。
「――は? 幸せ? 委員長……それ、今の私に本気で言ってるの?」
廣樹は既に誕生日を迎え十七歳だが、まだ誕生日が来ていない菅原は一歳下の十六歳だった。日本国憲法で煙草を吸って良いのは、当たり前だが二十歳からである。
二人が裏通りをしばらく歩いていると、反対側から歩いてきた二人が、お互いに微妙な距離感を保ち、周囲を横目で確認しながら歩いていた。この街の雰囲気には、何処となく馴染まないサラリーマンとOL。その二人に気づいた廣樹は、何処か言葉にならない違和感を真っ先に感じた。
二人はこちらをチラ見しながら何かを小声で話しているようで、廣樹と目が合うとこちらに向かって足早に近づいてきた。廣樹は歩き煙草を続けたまま、前方から視線を逸らさずに隣の菅原に小声で話かけた。
「……菅原、暫くは何があっても大人しく何も喋らないでいてね?」
菅原は急に会話を振られ、言葉の意味を理解出来ぬままに焦った表情で小声で返した。
「――はぁ? え? なんで? ……うん、わかった」
廣樹達はラブホテルの入り口付近で、お互いがすれ違う時に二人の方から声をかけてきた。
「――私達、警察官なんだけど……二人とも随分若いみたいだね? ……君達、年はいくつなのかな?」
男性警官はいきなり廣樹の腕を強く掴み、女性警察官は手慣れた仕草で道を塞ぎ、流れるような動作で警察手帳を見せてきた。この二人は巡回警らをしていた少年課の私服警官だった。
廣樹は男性警官に腕を掴まれたまま、少し反省した様子で口にした。
「アハハ……やっぱり煙草ですよね? ……すみません、まだ十九歳です」
彼の台詞を聞いて菅原は自分の耳を疑った。どうせ、そんな嘘はすぐにバレるに決まっている。それに十九歳もまだ煙草を吸っても良い年齢ではない。
警官達はお互いの顔を見た。男性警察官が、よく通る少し大きな声、テキパキとした口調で廣樹達に対して聞いてきた。
「……十九歳ってことは……君達は大学生……とかかな? そうだな……何か自分達の年齢を証明が出来る物とかは……あるかな? あと……生年月日はいつ?」
話す口調は穏やかだったが、眼鏡の奥では瞳が冷たく刺すように光り、とても廣樹を信じている様子には見えない。
「昭和五十三年五月十一日生、干支は午です。えっと……学生証は学校に持っていく鞄に入れたままだから……持ってないしな……。あ、財布の中にメンバーズカードならありますよ?」
廣樹がポケットから二つ折りの財布を出し、財布ごと男性警官に手渡すとやっと腕を離してくれた。
「どれ? ……でも、メンバーズカードじゃ駄目だな……。ん、レシート?」
広げたレシートを見た男性警官と女性警官は、レシートを見ながら何かを小声で話していた。レシートは東都の大学購買部で、文房具など数点を買った内容のモノだった。
廣樹達は話している内容をよく聞き取れなかった。警察官独特の相手が聞き取り難い話し方なのだろう。
「ところで、あなたも同じ東都大学の学生さんかしら? こんな場所にいるなんて、あなた達は付き合ってるの? あなたも自分の身分が証明を出来る物はあるかしら?」女性警官が、自分の聞きたい事を次々と質問してきた。
「――えっ? えっと……」予期せぬ突然の質問の嵐に、頭の中がパニックになり唇が震えた。『えっと……なんて言えば良いんだろう? あー、――もうっ! こんな不良委員長なんかと一緒にいるから私までこんな目に!』そんな怒りが頭の中で生まれ、無意識の廣樹を睨みつけた。
廣樹が口を開いたのはその直後だった。
「――すみません。こいつはまだ誕生日が来てないんですよ。だから、歳は自分の一歳下になります。……彼女、こんな経験が無いからパニクっているんだと思います。そもそも、こんな可愛い娘をほっとく男なんているんですかね?」
もしかしたら演技かも知れないが、廣樹は急に感情的な口調で話し出した。
「――お巡りさん達が余計なこと言って、コイツが他の男に乗り換えて、僕が彼女にフラれたらどうしてくれるんですか! ホント、冗談無しで恨むだけじゃ済ましませんよ!」
廣樹の口からは、よくもここまで出てくるなと思えるほど、ペラペラと次から次に言葉が出てきた。それを聞いた警察達は腕を組み、時折、二人を見ては何かを考えている。
「……す、すみませんでした」急に廣樹が素直に頭を深々と下げて謝った。「煙草を吸っていたのは僕ですから、自分は警察署まで行きます! 彼女は煙草を吸っていなかった訳だし、このまま帰して僕だけを補導して下さい!」再び頭を深く下げて謝った。
「――あー、わかったわかった!」男性警官から刺すような光りは消え、深いため息が出た。「俺達もさ……流石に大学生を煙草で補導して警察署に戻るわけにはいかないし、今回は注意だけにしておくから! だが、キミはまだ未成年なんだから、あんまり堂々と煙草を吸うんじゃないぞ! 今回のように大切な彼女にも迷惑が掛かる訳だし……わかったかい?」
男性警官は廣樹の肩を叩きながら、少し強めの口調で注意をした。
「……はい。本当にすみませんでした」再び、素直に謝った。
「……京子……俺のせいで迷惑をかけてごめんな……」少し元気が無い口調で京子にも頭を下げた。
それを見た警官達は、頷いて納得している様子だった。
「二人とも、もう行って良いわよ」
女性警官がその言葉を放った後、二人を開放してくれた。
京子は少し歩いてから振り返り、もう警察官がいないことを確認すると、怒りを露わにして抗議した。
「――ふざけんな! 全然っ大丈夫じゃないだろ!」
怒気をこめた声で廣樹の足に蹴りまでいれた。
「……ご、ごめんなさい」 廣樹は自分の非を認め、素直に頭を下げた。
「――委員長ってさ、本当に凄いよね? これで学級委員長やってるなんて、本当に信じられない!」京子は興奮が抑えられず怒りで震えていた。「普通、あの状況なら二十歳って言うでしょ? それをあえて十九歳という微妙に信憑性がある年齢をさらっと言うあたり、――絶対に! 確信犯だよね? ――絶対に! 今回が初めてじゃ無いだろ?」
口では怒り不機嫌だったが、内心では頭の回転が速く、肝が据わっている廣樹という人間を少しだけ尊敬した。
廣樹がついた嘘は、自分の年齢詐称とワザと年齢を詐称して書いたであろうメンバーズカードだけだった。あとは数字のマジックで、嘘は何一つ言っていなかった。高校の学生証もスクールバッグに入れてあるし、菅原が誕生日前で一歳年下な事も、大学生ということも警官がレシートと会話の流れから、自分達が勝手に思い込んだ事だ。実際は十七歳だが、見た感じで十九歳という信憑性がある年齢を言う、極め付けは大学購買部のレシートをワザと入れておくという小技、まるで詐欺師のような手際の良さだった。
「それってさ、俺を褒めてるのか? それとも貶してるのか?」廣樹は横を歩く菅原に少し不機嫌な口調で訊いた。
「うーん……褒めてるってことで良いよ」
菅原は首を捻り少し考えた後に、笑顔でそう答え、廣樹からの質問は笑って誤魔化された。
「あ、それから、捕まったのは初めてだからな。もしも、菅原がいなかったら全力で走って逃げきってたし……」廣樹は逃げ切るという根拠の無いことを勝ち誇ったような声で言った。
「はぁ? 女を置いて一人で逃げるとか……マジで有り得ないんだけど!」
それを聞いた京子は再び不機嫌になり、廣樹を横目で睨みつけた。
「――いや、だから逃げなかっただろって!」
――カラオケボックス――
二人は、暑さから逃げるように日陰を歩き、目的地のカラオケボックスに来ていたが、元々カラオケをあまり歌わない廣樹は、ジュースを飲みながら煙草を吸っては寛いでいた。京子に関しても、歌うような雰囲気には見えない。
「……ねぇ? ……ところでさ、さっき言っていたコトって……本気でそう思って言ったの?」京子は恥ずかしそうに顔を赤らめながら、急に萎らしくなって質問してきた。
廣樹は質問の内容を全く理解できず聞き返した。
「――はっ? 何の話を言ってるの?」
「いや……私が……可愛いって話……ねぇ、どうなのよ?」自分の言ったことを恥ずかしがり廣樹の顔を見ようとはしない。
それを聞いた廣樹は、京子を鼻で笑いチラッと見ると、咥えていた煙草を灰皿で消し黙っていた。
「――おいっ! なんか言えよ!」京子が急に強い口調になり、テーブルを叩いた。
カラオケボックスは防音性が高い為、音は室内にしか響かなかったが、叩かれた弾みでテーブルに置かれてたすべての物が音をたてた。
廣樹は軽くため息をつくと、まるで友達と日常会話するような口調で話す。
「――あのさ、俺が菅原を可愛いと思ったら駄目なわけ?」
京子は喜びをまぶたに浮かべ聞き返してきた。
「……別に駄目じゃないけどさ……本当にそう思う?」上目づかいで覗き込むように訊き返した。
廣樹はその言葉を聞くと、少しの間を空けて京子の目を見ながら口を開いた。
「……どうしたんだよ急に? お前は自分が美人だって事を自覚してないのか?」
廣樹はゆっくりと上を向くと軽く首捻った。マールボロライトメンソールの箱から取り出した煙草をトントンすると咥えた。火をつけ、一口だけ吸うと手慣れた仕草で灰皿に置いた。『めんどくさい』や『褒めてちゃん』など、心の声が何処からかふつふつと湧いてきた。一刻も早くこの雰囲気を打破したくさえ思えてきた。
「――ううん、なんでもない! ……委員長ありがとうね」その気持ちが伝わったのか、話題を自分から変えてきた。「……ところでさ、さっきの二人がなんで私服警官だってわかったわけ?」
「あぁ、アレか。――簡単だよ、だって、手ぶらでスーツなんて本職か警官くらいだろ? ろくな荷物の持っていないあの二人に前者はまず有り得ないだろ? それにさ、二人ともスーツに走り易い靴を履いて、煙草を吸ってる俺を見つけた瞬間に急に早足になって近づいてきた。……ま、そんなところかな? ……って思っただけ」咥えた煙草を吸いながら独り言のように呟いた。
「……委員長って凄い観察力してるんだな? 普段はあり得ないくらいにマイペースで、いつも何を考えているのか、全くわからないけど……」顔を覗き込むように見ているが、褒めてるか貶してるかわからない。
廣樹は時間が気になり左手の腕時計を見ると、少し前に午後三時を回っていた。おもむろにポケットから携帯電話を出すと、回転型セレクターのジョグダイヤルをクルクルピッピ操作し、目的の番号を探すと、1341151321039000902504133243『ウタオウカン ゴヒャクゴ ゴウシツ』手慣れた仕草で数字を流れるように打ちこんだ。
アイツのポケベルに……メッセージを送ったんだね。京子は廣樹の携帯を打つ仕草で内容をすべて理解した。
「……委員長……こんなことに付き合わせて……本当にごめん」沈んだ表情のまま申し訳なさそうに謝った。
「――ったく、そんなに気にするなよ菅原……。だって、俺らはクラスメイトだろ? それに委員長がクラスメイトの悩みを聞くのは当たり前のことだからさ」急に真面目な表情になった。「確認するけどさ、そいつともう寄りを戻す気は全く無いんだろ? 俺がちょっとくらいヤンチャしても許してくれよな?」最後は見守るような優しい顔で穏やかに話した。
京子は廣樹の顔を見て安心したのか、笑顔になるとコクンと一度だけ首を上下させた。
京子から廣樹が聞いた話はこうだった。京子に対し、年上の彼氏が肉体関係を求めてきたが、あまりに執拗に言うので断って『もう、別れる』と言ったら、最後にもう一度会ってちゃんと話をしたいと言ってきたと言うのだ。その彼氏と二人だけで再び会う事に恐怖を覚えた京子が、偶然に街で会った廣樹に一緒に来て欲しいと頼んだのだ。それはどこにでもある男女の恋愛話だが、双方に合意の意思が無ければ一方的な強要に過ぎない。
しばらくすると、ドアが勢いよく開いた。茶髪のロン毛、大きめのTシャツに腰履きしたダボダボのジーンズを履くという、典型的な不良のファッションをした一人の男は、室内を見渡すように入るといきなり叫んだ。
「――京子、ここにいるのか?」
「……健太」京子は小さい声でそう呟くと、廣樹の陰に隠れて、廣樹が羽織ったワイシャツの裾をギュッと掴んだ。
廣樹は京子の手の甲を軽く叩くと、座ったままで健太の目を見ながら落ち着いた口調で話し出した。
「ま、立ち話もなんだし……とりあえず、お互い座って話しましょうよ?」
だが、それに対した行動を渋る健太に、廣樹が思わず激しい口調を叩きつけた。
「――ヤクザじゃねーんだからさ! いきなり殴り合いのケンカしに来た訳じゃねぇだろ?」
廣樹の剣幕に圧された健太は、二人を見ると渋々ではあったが、足を組んで反対側のソファーにドスンと腰かけた。テーブルに置かれた廣樹の煙草をまるで我が物顔で手に取り、火をつけると一口吸って灰皿に置いた。まるで、自分の方が二人より立場が上だと誇示するような態度だった。
健太は廣樹を睨みつけながら訊いてきた。
「……で、京子。誰なんだよ? このガキは?」
「…………」
京子は恐怖してか、廣樹のシャツを更に強く掴んだまま口を閉ざしていた。それに気づいた健太は少し優しい口調になると、自分と目を合わせない京子を見ながら話し始めた。
「……お前には俺がいるだろう? 確かに俺が少し強引な所があったことは謝る。だけどさ、恋人同士なら……別にそうゆう関係になるのも普通だろ? 違うか?」
京子が黙ったまま自分からは話さない事に痺れを切らし、強めの語気で更に訊いた。
「――で、コイツとはどんな関係だよ? クラスメイトか? それとも誰か知り合いの彼氏か?」
その『お前には俺がいるだろう』という台詞。健太の中ではまだ京子が自分の彼女だと思っているのだ。その為、健太の頭の中に廣樹が京子の新しい彼氏という考えは微塵も無かった。
廣樹は口元に微かな笑みを浮かべながら京子の代わりにハッキリとした声で答えた。
「……俺と京子の関係ですか? 京子とラブホの入り口で警官に補導される関係ですけど……何か? なんなら……今ココでキスでもしてやろうか?」
この台詞には、今まで黙っていた京子も思わず口を挟んだ。
「――ちょ、ちょっと! なに勝手なこと言ってんだよ!」
それを聞いた健太が鬼のような形相で京子を睨み付けた。
「――な、なんだと京子! ……テメーって奴は! 俺には『処女だから』とか可愛い台詞を言って散々嫌がったクセに……。コイツにはすぐ純潔を捧げたってのか! ……それとも、処女ってこと自体が嘘だったのか? ――オイっ! どっちなんだよ! ちゃんとハッキリと答えろよ!」
健太は勢いよくテーブルを叩くと、京子を睨みつけハッキリとした回答を求めてきた。
「……アホくさ……だからモテねぇんだよ……」
廣樹はそう言うと、手を伸ばし、伸びをすると灰皿に置かれたままの煙草を掴み、ゆっくりと灰皿に押し付けるように消した。
「あんたさ、ただ単に女子高生の処女とヤリたかっただけなんじゃねぇの?」呆れた表情で、まるで健太の本心を見透かすように言った。
「――あ? だったら、何だって言うんだよ? テメーが京子の純潔を奪ったのか?」
健太は歯を食いしばり睨みつけると、処女を奪ったかどうかに執拗に拘った。廣樹は煙草を取り出すと置かれたカラオケボックスのマッチで火をつけ、ゆっくりと深い一服をした。
「……なんだ、図星かよ。ま、相手が京子だからさ、男だし……気持ちはよく解るけどさ……男として……カスだねアンタ。狙った女が処女じゃないと解ければ、急にその態度かよ? 有名な格言……男は女の最初の男になりたがるだっけ? だけどさ、器が小さいなアンタは! 器が小さい男はアッチも小さいんだってな」
吸い終わった煙草を灰皿に力任せに押し付けながら消すと急に立ち上がり、いきなり健太の胸倉を掴んで引き寄せた。
「――お前さ、そんなに処女とヤリてーんなら、女の方から寄ってくるくらい自分を磨くか、外国にでも行って金で買ってこいよ! 過去にお前と京子とどんな関係だったかは知らねぇし、全く興味も無いけどさ――俺の大切な京子とお前程度の男とじゃ! 全然、釣り合いが取れてねぇんだよ!」
廣樹はそう怒鳴り散らすと、健太をソファーに向けて勢いよく張り飛ばした。その冷たく刺すような鋭い眼光と独特の通る声には凄みさえ感じられた。
健太は完全に廣樹の剣幕に圧されていた。先程までは、年上だからと強気いたが目に恐怖の色が現れていた。腰履きのせいで直ぐには立ち上がれず更に弱気になる。見上げた廣樹は先程以上に攻撃的な目つきだった。
「……わかったよ、わかった。そんなにムキになるなよな? なっ?」
健太はまるで猛獣を宥めるかのように言った。バランスを崩しながらも立ち上がり、廣樹を観察すると、両腕に無数の擦り傷跡や真新しい傷があり、まるで喧嘩ばかりしてるような腕だった。しかし、立ち上がった事で威勢を取り戻した健太は廣樹の襟をつかむと言い放った。
「――オマエさ、どっかの高校生だろ? 年上の俺に盾突いてタダで済むと思ってるのか?」年上が偉いと言わんばかりの口調と恨みが籠った眼差しで怒鳴りつけた。
廣樹は襟元からゆっくりと健太の手を解き、強い力で健太の胸を勢いよく押しソファーに再び突き放した。
「――あ? そんなの知らねぇよ? 俺が京子と同じ高校生だったらなんだよ? 後でどんだけ仲間を連れて来ようが、今はオマエだけだろが!」
廣樹は京子がいる為、ここで争うわけにいかないイラつきを隠せずにいた。廣樹の今までの人生で『表に出ろ』その台詞を今日ほど言いたいと思った日は無かった。拳が鳴るほどに強く握りながらも怒りから目をヒクヒクさせながら凄い眼光で健太を睨みつけた。
廣樹達が通う高校は、色々な科がある総合高校で、進学校であり、不良校でもあった。ただ、この街で高校名を聞けば、街で問題ばかり起こす一部の科が目立ち過ぎて、市内では不良高校のイメージが一般的だった。実際は普通科に通う二人だが、それを知らない健太は二人をガラの悪い商業科と勝手に決めつけていた。高校内の絆が強く、進学科や普通科の生徒が絡まれていれば、商業科の生徒が助ける独特の校風は、大学のような授業内容によるものだった。授業の多数を占める選択制教科は全科共通授業の為、三年生時には殆どが科によって別の授業になるとはいえ、二年生の最後までは同じ授業を受けるのだから、科が違っても自然と仲が良くなり、友情というモノが芽生えることもある。
自分の脅しが全く効かず、全然引かない廣樹に怯んだ健太は、入り口のドアへと逃げるように向かった。
「――ったく! 穴空き女なんてもう要らねぇよ! 精々、二人で仲良くやれ!」
健太は振り返りもせず、最後にそう捨て台詞を吐くと、せめてものカッコをつけ勢いよくドアを閉めて立ち去った。
廣樹が、ふと、横を見ると京子はまるで抜け殻のように放心状態になっていた。少しそっとしておこうと思い、腰を下すと、再び煙草に火を点けて暫くは大人しくしていた。
静まり返った室内だったが『バンっ!』急に机を力強く叩く音がカラオケルームに響く。
「――はぁ! 一体どういう事? アイツって、私の身体だけが目当てだったってこと? ふざけんなって! 私が好きで付き合ったんじゃないの? ――ねぇ、違うの?」今にも噛みつきそうな顔つきで怒りを露わにした。
廣樹は横に座る京子に対し、まるで同性のクラスメイトと話すような馴れ馴れしい口調で話した。
「ま、大概の男なんてあんなモノだろう? 俺だってチャンスがあったなら、綺麗事なんて……たぶん、言わないだろうし……」
「――はいっ? アンタも私とヤりたいと思ってるってこと?」いきなり襟を掴み、廣樹に八つ当たりしてきた。
「……そりゃあさ、俺だって男だもん。……菅原がね、自分の意思でヤラせてくれるって言うならウェルカムだよ? だって、菅原は美人だし……ちょっとだけ、気が強いけどさ……彼女として自慢が出来る女だと思うし……」
廣樹はお互いが合意の上ならと素直に答えたが、京子は後半の予想外だった言葉に挙動不審になる。
「――え? え? ホントに? ……いや、そんな事……いきなり言われても困るし……でも、誉めらるのは……なんか……嬉しいかもしれない……」顔を真っ赤にして、こそばゆい感情から反射的に瞳を逸らした。照れて廣樹の顔を真面に見れない。
廣樹は一仕事終えたみたいにふうっと肩で息をする。『……女っていうのは、ホント喜怒哀楽が激しい生き物だな』そんな事を思いながらも、京子の変わり身の早さに脱帽した。
「……委員長さ、なんでアイツを殴らなかったの?」ふと、不思議そうな顔で廣樹に問いかけた。
前に弱気なクラスメイトが、昼休みに違うクラスの生徒に恐喝されていた時、クラスの不良達は面白がって傍観者になった。だが、学食から教室に戻ってきた廣樹が訳も聞かずに違うクラスの生徒に数名に殴り掛かった事件を思い出したのだ。クラスメイトが恐喝されていた時、自分は『やり返せよ、男だろ?』と小馬鹿にしていた。だが、廣樹はクラスに戻るなり「――お前等、俺のクラスでふざけた事やってんじゃねぇぞコラ!」と言って近くの椅子を持つなり、リーダー格の生徒を殴りつけ、廣樹のツレが他の数人を蹴り飛ばしたのだ。
「……いや……俺、ビビリだからさ」廣樹は笑いながらお道化てみせた。
それを聞いて京子は真剣な眼差しで睨みつけた。
「――は? 今はそんな冗談要らないから……ちゃんと真面目に答えてよ!」
廣樹は無言のまま京子の目をしばらく見ると観念し口を開いた。
「……だってさ、こんな狭い空間で暴れて、巻き沿いで菅原をケガさせる訳にはいかないだろ? アイツが菅原の顔とかを殴ったら、多分……俺は人殺しになっちまうよ?」いったい何処までが本気かわからない言葉を笑いながら話した。
廣樹が手をかざして見ると時計の針を見ると、午後四時を軽く回っていた。カラオケボックスのフリータイムは午後五時までだ。要件の済んだ二人は、カラオケボックスを後にすることに決めた。店から出ると街は昼の顔から、煌びやかな夜の顔に向け化粧がはじまっていた。
「今……何時?」
不意に廣樹の横を歩く京子が訊いた。
「……午後四時三十二分」時計を見ると廣樹が正確な時刻を伝えた。
「……ありがとう」京子は廣樹をチラッと見るといった。「委員長……今日は本当にありがとう。あ、あのさ……さっきの……俺の京子って言葉……どんなつもりで言ったの?」横に並び歩幅を合わせると、廣樹を覗き込み少し低いトーンで訊いた。
『こんなタイミングで……俺が学級委員長だから……クラスの奴は全員俺のモノとか……ジャイアンジョーク言ったら……やっぱり菅原だって……流石に怒るよな……』車道を走る車を見ながらそんなことを心の中で思ったが、もちろん、そんな事を素直に言う訳にはいかない為、無難な回答を考え、即答した。
「……いや、菅原が俺の彼女だったらって気持ちで話をしていたからさ」顔を見たらたぶん目でバレると思い、少し照れたフリをして俯きながら話を続けた。「だから……つい口走ちゃってさ……ごめんな菅原……」
それを聞いた京子が廣樹を見ないで言った。
「……そっか、ふぅん……彼女ねぇ……私が……仲村の彼女か……」そんな妄想をしたら思わず口元が緩み、今度はモジモジしながらも廣樹を見て話しかけてきた。「……明日さ、今日のお礼に一緒に遊ぼうよ……って言ったら……ダメ……かな?」
休日に女の子と二人きりで遊ぶのなんて何年振りだろう? 廣樹はそんなことを考えた。少なくとも、記憶を遡る限りでは即答が出来るくらい最近の話では無かった。お礼にとは言っているが、そもそもクラスでも友達が多い菅原が夏休みが始まったばかりなのに、『何の予定も無く暇なのだろうか?』と思い逆に聞き返した。
「明日? ……俺は別に構わないけど、菅原こそなんか予定は無かったの? 菅原は友達もそれなりにいるしさ……」遠慮気味に菅原の顔を見た。
「――うん、何も無いよ。じゃあ、約束だぞ! 明日の午前十時に榴ヶ沢駅で待ち合わせね?」目が細くなる程の笑顔を廣樹に返した。
「わかった。じゃあ、明日の十時、榴ヶ沢駅な」笑顔の京子に微笑しながら言った。
「……学校みたいに寝坊して遅刻したら、本気で怒るからね?」軽く睨みながら廣樹にそう告げると、手を振ってバイバイし、夕方の人ごみに向かって消えるように走って行った。
廣樹は立ち止まったまま、彼女が消えた人混みをしばらく見ていた。『もし……菅原みたいな……気が強いけど……可愛い彼女がいたら……きっと、毎日がもっと楽しいだろうな。……ただ、束縛は厳しそうだけど……』無意識に笑顔になるとそんなくだらないことを思った。
廣樹は仙台駅に向かって人混みをゆっくりと歩きながら、今日一日の出来事を振り返っていた。
ふと、ぐぅぅっと腹が鳴り、自分が空腹なことに気付いた。ポケットから携帯電話を取り出すと、ジョグダイヤルをクルクルピッピとして番号を探し親友に電話をかけた。
『――もしもし、俺だけど。これからさ、一緒に飯食べない?』明るい口調で電話先の友人にそう話した。
――次の日――
廣樹は約束の榴ヶ沢駅に向かう為、列車ホームのベンチに腰掛けていた。
夏休みが始まったばかりで、閑散とした通いなれた仙台駅のホーム。学生服の生徒が少ないせいか、いつもの多種多様な制服が行きかう駅の列車ホームと違って何処か新鮮に見えた。仙台は学生都市と呼ばれるだけあって普段は学生服が多い、夏休みの学生服が少くない仙台駅を毎年見てはいるがイマイチ慣れはしなかった。
暑さから吹き抜ける風が気持ちよく感じる。
列車ホームのベンチに座っていると聞き覚えがある声に呼ばれた。
「あ、委員長どっか行くの? それとも学校に何か忘れ物でもしたの?」
声の主は、クラスでオタク四天王というあだ名で呼ばれる四人組の一人加藤礼二だった。四人はギャルゲ、プラモ、鉄道、コスプレ撮影を極め、一部の生徒から一目置かれていた。廣樹も去年友達と一緒に千葉県にモーターショーに行く時、格安な移動方法を教えてもらった事があった。
廣樹は四人を見渡しながら訊いた。
「ああ、俺は用事があって榴ヶ沢駅まで行くんだ。で、お前達は?」
「俺達は今から新幹線で、東京にゲームと買い物と撮影会の為に行ってくるんだ! 委員長にもなんかお土産を買って来るからさ、夏休み明けるの楽しみにしていてね!」
リュックを背負った少年達は、これから行く東京へのワクワクを抑えられないような笑顔で、廣樹に内容を詳しく話してくれ、話し終えると再び歩き出した。
「――お、おい!」廣樹は歩き出した浮かた四人を、少し大きめの声で呼び止めた。「変な輩に絡まれても都内じゃ助けてやれないし……あんまり変な路地とかには行くなよ?」
四人が前に街中で違うクラスの不良に絡まれて、金を巻き上げられそうになったことを思い出し忠告した。
「了解、今回は人通りが多い所ばかりだけど……一応、気をつけるよ。……ありがとうね、委員長」
仲の良い四人は、そう言うと廣樹に手を振りながら新幹線の乗り換え口に向かって歩きだした。
それから少しの間、廣樹はベンチで人の流れを見ていた。列車ホームに到着した待っていた電車に乗り込むと、しばらく揺られて榴ヶ沢駅に向かう。『ところで遊ぶって何するんだろう? やっぱ、映画とかゲーセン?』休日の閑散とした少し揺れる車内で、そんなことを考えていた。
榴ヶ沢駅に着き電車から降りると、列車ホームと改札口を見回したが京子の姿は無かった。晴れた夏空は気持ちよく、雲も殆ど無いが、廣樹以外は駅員がホウキでホームを掃いているだけだ。
「……はぁ……普通に菅原いねぇし……」思わず独り言を呟いてしまった。
珍しく休日に早起きまでして来たということから、思わず深いため息が出てしまった。
「――ま、改札はこっちだけだし、どうせ定期券で戻れるから駅から多少は出ても平気だろう。喉も乾いたし、珈琲でも飲むか……」
仕方ないので駅から出て、駅向かいにあるコンビニで飲み物でも買うことにした。改札口を出ると信号待ちの他校の女子高生がキャッキャッと話に華を咲かせていた。弓道部だろう、長いケースを二人とも肩から掛けていた。それを見た廣樹が釣り竿でも入りそうだと思った。もし、すっぽかされたら、天気も良いし、一度家に帰って近くに釣りに行こうと思った。
廣樹はコンビニに着くと缶入りの珈琲を買い店を出た。店内に入る時には確かに無かった一台のバイクが停まっていた。バイクは真っ赤なカワサキZZRだった。前にバイク好きなクラスメイトにZZRをダブルゼットアールと言ってそれは違うと笑われたことを思い出した。
「見るからに速そうだなぁ。ま、バイクの免許が無いから俺は乗れないけどな」缶珈琲を飲みながら、バイクを見て独り言を呟いた。
廣樹は車が大好きだが、車と同じでエンジンで動くバイクにも、少しだけ興味はあった。
「……まぁ、それなりに速いわよ」
後ろからの聞き覚えのある声に振り返ると京子が笑顔で立っていた。
「――えっ! おまえ、こんな速そうなバイクに乗れるの?」驚いて拍子抜けした声が出てしまった。
「――なっ! 失礼な! ちゃんと乗れるわよ!」ムキになって言い返してきた。
「……まさか、このバイクで行く……とか言わない……よな?」思わず廣樹の表情が強張る。
五感で感じるようなとても嫌な予感。
「そんなの当たり前でしょ? 水族館にはバイクで行った方が早いんだから!」ビビっている廣樹に笑顔で答えた。「ちゃんと、委員長の分のヘルメットも持ってきたら大丈夫」見惚れるような無邪気な笑顔で、廣樹にヘルメットを差し出した。
「……いや、バイクはちょっと……別に電車でも……」思わず唇と顔の筋肉が引き攣る。
廣樹の反応が不満らしく、気の強い京子はキッと睨み付けた。
「はい? 何、ビビってんのよ! ――アンタ、男でしょ!」
「……ほら、なんて言うか……俺がバランス崩したフリして……ワザと胸とか揉んだら……悪いじゃん?」電波の悪いラジオみたいに途切れながらいった。
「……委員長はそんな事をしないでしょ?」両腕を組みながら廣樹を睨んで言った。
「……まぁね」斜め下の地面を見ながら小さな声で答えた。
『……嫌だなぁ……バイクの後ろとか本気で怖いんだけど……』
廣樹は生まれて初めて乗るバイクへの恐怖からそんな事を思っていた。
結局、京子に『ビビリだ』『男だろう?』『ビビってんじゃねぇぞ!』と言われ続け、廣樹は引くに引けず、覚悟を決めてバイクに乗ることを決意した。しかし、実際に乗ってみると、肌に感じる風はとても気持ち良く、スピード感が好きな事もあり、気づいた時にはすっかりバイクの虜になっていた。
「――風が見えるよ。バイクってさ、すごく気持ちいいな!」廣樹は心地よい開放感から、ヘルメット越しでも声が大きくなった。
「……風が見える?」京子がクスッと笑った「――ね? そうでしょっ!」
京子は『風が見える』なんて変わった事を言うな、と思いながらも嬉しそうに答えた。
二人が乗るバイクは風を切り、空いた国道を車を縫う様に走っていく。
――水族館――
廣樹は水族館に着くと、先程から気になっていた事を訊いた。
「ところでさ、なんで水族館にしたの?」
「……委員長ってさ、魚が好きなんでしょ? 前にクラスの誰かと釣りが大好きとか言っていた話を聞いていたから……」と少し遠慮した口調で、廣樹の様子を伺うように言った。
話を聞くと廣樹が誰かと釣りの話をしていたことを思い出して、今日の行き先を水族館にしたらしい。
「……よく覚えてたな? でも……ありがとう。今日は心置きなく楽しませてもらうよ」
廣樹は少年のような笑顔は、いつものとは違い優しい感じがした。
それからは京子が待ちくたびれて、『もう先に進もう』と言う程、初めて水族館に来た少年のようにじっくりと廣樹は水族館鑑賞を堪能していた。
フードコートで二人が昼食を取っていると、背後から聞き覚えのある声に話掛けられた。
「廣樹達ってさ、付き合ってたのか? オマエがこんな御転婆な彼女が選ぶなんて意外だな? ……と、言うよりもだ……何故に親友の俺にさえ黙っているかなぁ……ちょっと、マジでショックなんだけど……」
声の主は廣樹達と同じクラスで、廣樹の大親友、葉山純也だった。
それを聞いた廣樹は笑いながら純也に話しかけた。
「……ほほう、純也くんには俺達が恋人同士に見えたか? でも、残念ながら違うんだなぁ」
菅原はその台詞を聞いて、思わず俯き黙ってしまった。
『……そうだよね。別に委員長は私と付き合ってる訳では……』切なそうな表情でそう思った。自分でもよくわからないこの感情に少し戸惑っていた。
その時、廣樹は逆に純也の脇腹を突きながら言った。
「――でもさ! 折角、こんな可愛い菅原とデートが出来るチャンスがあるのに、男がそれを断る理由なんて無いだろ? 断ったら一生後悔するぜ!」廣樹は笑いながら純也の肩を叩いた。「そもそも、お前こそ誰と来たんだよ? 俺に黙っていたいくらいに可愛い彼女か? ほら、盗らないから言ってみそ!」
楽しそうに揶揄ってくる廣樹に対し、純也は表情も変えずに答えた。
「俺か? この近くに親戚の家があるんだよ。、夏休みで家族で遊びに来てるから、俺は一人でのんびとした時間を堪能する為に散歩がてらに来ただけだよ。別に男が一人でここに来ても良いだろ?」
「……はいはい、高校生で金融屋の真似事やるような人間は……やっぱり、考えることが違いますね」廣樹は無邪気に笑いながら揶揄った。
「――おい、高校生で金融屋の真似事ってなんだよ!」
まるでふざけたことを言うなと、顔に書いてあるようだった。
「だって、学校の奴らから担保と金利取ってヤミ金やってるじゃん! 純也の合格点貰えるようなコはいないってか?」廣樹は純也の肩に手を置いて、顔を見ながらふと溜息をつく。「……これだから面食いは嫌なんだよな……」
純也は思わず廣樹の顔を睨みつけた。
「――はぁ? ふざけるなよ! マニアックな面食いの廣樹に言われたくねぇよ!」
「――はぁ! そっちこそふざけんなよ? 俺はちゃんと真面な美的センスしてるから、菅原とデートしてんだろ!」
純也はフっと鼻で笑うと廣樹の肩を数回叩いた。
「じゃあ、二人とも仲良くな! 邪魔者は退散するよ」二人にそう伝えると、クルリと振り返り立ち去ろうとした。
廣樹は改まった声で歩いて行く純也を呼び止めた。
「……あ、俺が菅原にフラれたら恥ずかしいからさ……この事は絶対、誰にも言うなよ!」
純也はクスっと背中で笑い立ち止まると、振り返らずにゆっくりと手を上げて数回だけ振り、再び歩き出した。
『……委員長、もしかして……私に気を使ってくれたの?』口には出さなかったが少し嬉しくなった。暖かい感情になり廣樹の背中を見つめた。「さ、次に行こうよ?」笑顔で廣樹の手をギュッと握ると引っ張るように歩き出した。
「――おい! いきなり手を握るなよ。びっくりするだろ!」驚いて思わず京子の顔を見た。
いきなり菅原に手を握られた廣樹の心臓は鼓動が早くなっていた。
「ウチらデートしてるんだから、別に手を繋いだって構わないじゃん?」頬にえくぼが出来るほど楽しそうな笑顔で答えた。
「――デ、デート!」廣樹は驚いた顔と、思わず声で口に出したそのフレーズに柄にもなく少し照れてしまった。
イルカショーが終わった後の人が疎らな閑散とした会場、主役のいない水面は静かで風が生んだかすかな波紋があるだけだった。百人以上は楽に入れる大きな階段状のシートも、今は数人のカップルや家族が離れて座り休んだり飲食してるだけだった。その会場の隅で、二人は並んでジュースを片手にソフトクリームを食べながら、しばらく会話も無いまま無言で静かな水面を見ながら座っていた。
廣樹は彼女の横顔を何かを言いたそうな顔で見つめ、ソフトクリームを食べ終わると遠慮気味な声を出して話しかけた。
「……なぁ、菅原」
京子は遠くを見るような瞳で水面の波を見ていたが、廣樹に呼ばれて我に返り横を見た。
「――え? 真面目な顔してどうしたの?」驚いて思わず廣樹に訊いた。
『俺と付き合ってくれとか急に言われたら答えに困っちゃうかも! あ、でも廣樹となら付き合っても良いかなぁって……少しだけ思ったよ』照れながら自分の中で勝手に廣樹と会話していた。
廣樹は俯き、暫く黙っていたが急に口を開いた。
「あのさ……やっぱ、バイクの運転とか免許を取るのって難しいの?」
「――へっ? ……バイクの……免許?」予想しなかった答えに情けない声をあげた。「……免許って……え? 委員長が取るの!」その後、意味を理解すると驚きから眉が上がり大きな声になった。
期待外れとはいえ、みんなの手本となるべき学級委員長が、自分から悪いお手本になろうとするのだから、京子が驚くのも無理はない。
「そんなの……俺以外に……誰が取るんだよ?」目を細め京子の目をじっと見ながら言った。
「……いや、だってさ、バイクの免許を取るなんてバイバリ校則違反じゃん! 校則で禁止されている自動二輪の免許取って、委員長がバイク乗るのは流石に大問題でしょ?」飽きれ気味に廣樹を諭した。
「だって……菅原も持ってるだろ? 今日、オマエの後ろに乗ったら……気持ち良くってさ」
後部座席に座った事を思い出したのか、気持ちの籠った言葉だった。
「うふふ……委員長は……単純だね?」思わず笑顔になって廣樹を見つめるとクスクスと笑った。
「……た、単純で悪かったな」不貞腐れるように地面に向かい顔を逸らした。
京子は心地よい風に吹かれながら不貞腐れた廣樹の顔を見ていたが、まるで宥めるようにいった。
「……別に悪くないよ? ――うん、悪くない!」
廣樹はチラリと彼女を見たが、へそを曲げたように再び水面を見ると黙っていた。京子はそんな廣樹をしばらく無言で見ていたが、唇を震わせながら口を開いた。
「……ね、ねぇ? ひ、廣樹くんってさ、どんなバイクが好きなの?」廣樹の顔を見ながら急に訊いてきた。
初めて呼んだ『廣樹』という下の名前と使い慣れない『くん』という単語を使い、更に使い慣れない話し方から顔が強張ってしまい、ぎこちないな口調になってしまった。
「……急にどうしたんだよ? 廣樹くんなんてさ、お前らしくないだろう? みんなも読んでるし別に廣樹って呼び捨てで良いよ」不思議そうな顔で京子を見ると、かすかに首を振りながら答えた。
気を遣う菅原と素のままの廣樹、二人のコミュニケーションには接点が見いだせず何処か違和感があった。
「そう……なんだ。……廣樹ってさ、どんなバイクが好きなの?」少し照れながらも呼び捨てで訊いた。
廣樹は腕を組んで少し考えると、急に明るい声と表情になって答えた。
「やっぱり速いバイク、そしてカッコいいヤツ!」
バイクにそこまで詳しくないこともあり、すごくアバウトな回答だった。
「……例えば?」京子は廣樹の顔を覗き込み、廣樹の答えがモドカシイと思いながらも、じっと我慢し詳しく訊いた。
「……そうだな。菅原が乗ってるバイクなんて良いな。カッコいいし、速いしさ」
水面の波を見ながら笑顔で楽しそうに語った。
「……ZZR? まぁ……フルカールだから速そうには見えるかな? でもね、世の中には速いバイクってもっと沢山あるんだ」イキイキとした表情で廣樹を見ると話を続けた。「二輪の技術は日本が世界で一番なんだから! でね、バイクって――」
菅原はそれからしばらく、目をキラキラさせながら延々と楽しそうにバイクの話していた。
気づくと廣樹がハトが豆鉄砲をくらったようなキョトンとした表情で菅原を見ていた。
「……やっぱり……みんなと同じで、廣樹も……女がバイクに熱くなるって変だと思う……よね?」俯くと深いため息をついた。
しかし、廣樹は数回左右に大きく首を振った後、ハッキリと言った。
「――ううん、違うって! むしろ、その真逆だよ! 話はすごく楽しかったし、何よりも菅原の表情がさ、あまりも輝いていたからつい見惚れただけ!」
そう答えた笑顔は、いつもの自由で掴み所のない廣樹だった。
「……ありがとう廣樹、私……そんなこと言われたの初めてだよ」
廣樹の歯に衣着せぬ素直な言葉には、思わず笑顔になってしまい、少しの照れと今まで誰にも理解されなかった自分が好きなモノを理解してもらえた嬉しさを感じていた。
「……アハハ、彼氏でも無い俺なんかに褒められても……嬉しくないか」
廣樹は彼女に感じた愛おしい気持ちを笑って誤魔化した。
「何それ? 告白してるつもりなの?」廣樹の台詞に思わずクスクスと笑ってしまった。
廣樹が自分の事を揶揄っていると思ったので、合わせてフザけて見せた。
「……でもさ、菅原は俺なんかと……付き合ったりしないだろ?」
廣樹は、紙コップに入った氷で薄まった炭酸飲料をストローで飲み、俯きながら真面目な口調でいった。最初は本当に軽い気持ちだった。だが、今は自分でもわかるくらいに彼女に惹かれていた。周囲を見ると殆どが、楽しそうな恋人や家族連れだけに余計に切ない気持ちになった。煙草でも吸って気を紛らわそうにも、まるで追い打ちをかけるように園内は全面禁煙だ。
京子も、廣樹の真面目な口調にその想いを理解しながらも、素直になれない自分にもどかしさを感じていた。『――そんな事ない! 廣樹となら付き合っても良いって思ったよ。……なんて、素直に自分の気持ちを言えたならな……』そう思うと自然と沈んだ表情になってしまう。それが今の素直な気持ちだった。
「……そうね、廣樹はちょっと選ばないかな?」悟られまいと作り笑いをして答えてしまった。恋愛経験の無さと、つまらない強がりから、つい本音と逆の気持ちを言ってしまう。
「――だろ? 菅原はさ、不良でバイク乗るような御転婆娘だけどさ、一途で純情なトコもあるし、……それにやっぱり美人だしさ」微かに笑いながら思った事を言葉にした。「いくら俺が彼女にしたいと思ってもさ、やっぱり、本人の意思が一番大事だろ? 俺なんて……きっと相手になんかしないだろうし、今日の水族館だって……多分、昨日のお礼なんだろ?」切ない表情のまま、残りの言いたいことを全て話す。
廣樹は自分の気持ちに素直だった。どうせ友達止まりなんだと思えば、気が楽になりベラベラと話せたし、今の自分が京子の事をどう思っているか伝えるには充分だと思えた。
「……馬鹿……男らしく、ハッキリ好きなら、好きって言いなさいよ! そしたら……アンタでも解る答え言ってあげるから!」左手の中指で廣樹の額をデコピンすると、笑いながらいった。
「……す、菅原の事が好き。はじめは可愛い女の子って感じだったけど……気づいたら――大好きになってた!……これで返事を聞かせてくれるかな?」両手で痛い額を擦りながら彼女の方を見て話す。自分でも経験した事が無いくらいに鼓動が早くなり、まるでウーハーのように身体に響いているのがわかった。先程は自然と深いため息が出てしまったが、『別にフラれたって良いや、その時は純也に慰めてもらえば良いだけだ』そう思うとまるで足枷が取れたみたいに気持ちが楽になった。廣樹は瞳を閉じ、全ての指を組んだまま俯き、今から自分がどんな言葉で彼女にフラれるかを静かに待っていた。
京子は廣樹の俯いた横顔に、自分の顔をそっと近づけると、頬に軽く口づけをした。
「アンタ……今からは私の彼氏なんだから、菅原じゃなくて京子って呼びなさいよ! わかった?」
京子は笑顔になると廣樹の腕に自分の腕を組ませ、軽く体重をかけながら押してきた。
「――え? ええっ! お、俺と……付き合ってくれるの?」京子の予期せぬ台詞に思わず情けない声と表情になった。
「――何よ! アンタが自分から付き合って欲しいって言ったんじゃない!」両手で廣樹の頬を引っ張った。
それはいつもの気が強い京子らしい反応だった。
「……私だってさ、廣樹とだったら……付き合っても良いかなって思ったよ。でもさ、きっと私みたいなバイク好きな女なんて選ばないだろうと思っていたし……本当に嬉しかったんだからね……バカ!」
愛おしくなる程にしおらしくなり、廣樹にそう伝えると、ぷいっとそっぽを向いてしまった。
「――だってさ、さっき京子が自分で俺は選ばないって言ったじゃんか!」
廣樹が彼女を見て言い返すと、京子は彼の顔をチラリと見ると少し照れた笑顔になった。
「ま、まぁ……言ったけどさ」バツが悪そうに廣樹の顔を見て言った。「でも、告白されたら一度は断るのが礼儀でしょ? 惜しかったな、次は私にそんな事言わせないように頑張れよ少年」今度は喜色満面の笑みで言った。
その台詞を聞いて廣樹は、心臓が先程の何倍も高鳴り、一瞬だけ固まり驚いた顔をした。少しの間を空けて京子を再び見ると笑顔になり、口を開いた。
「……はいはい。じゃあ、京子とツーリングに行けるようにとりあえずバイクの免許に通うか」
廣樹は笑いながら京子の顔を見てそう言うと、手を捻ってジェスチャーして見せる。
「じゃあ、私が毎日送迎してあげる!」横に置かれたヘルメットを軽く数回叩きながら笑顔になった。
「まずは家に帰ったら……うちの両親を説得しないといけないな……」廣樹は覚悟を決めた口調で、空を見上げながらいった。
つられて京子が夏の清々しい青空を見上げると、雲の切れ間に一本の飛行機雲が走っていた。その雲をゆっくりと目で追うと、仙台空港に向かう便だろうか、小さく見える機体から真っすぐに飛行機雲が延び続けている。視線を戻すと、廣樹の顔が息を感じる距離にあって、唇が触れそうになった。
――夏休み最終週――
それからの二人の夏休みは、毎日自動車学校に通う、帰りに街でデート、そしてまた明日。そんな毎日を二人は満喫し、充実した日々を過ごしていき、夏休みの終わる頃に廣樹は念願の中型自動二輪の運転免許を取得した。
「じゃーん! 一発で合格したぞ!」顔から嬉しさが顔から溢れていた。
自慢げに自動二輪の免許を見せながらも、心はどこか寂しい複雑な心境だった。
「……でもさ、これで京子のリアシートは卒業だな」軽いため息が出てしまった。
それを察したのか、廣樹の頭を優しく撫でながら言った。
「……また乗りたくなったら、いつでも積んであげるからさ」いつもと違うバイクを見ながらゆっくりと口を開いた。「免許を取ったし、すぐにでも乗りたいだろうから、私のバイクなら貸しても良いんだけど……私のバイク修理に出してるから今日は無いんだ。これは代車だから貸せないし……」切なそうに呟いた。
だが、次の瞬間、廣樹の方を見ると、思いついたような表情で訊いた。
「……ところで廣樹って、どんなバイク買うの?」
「京子と同じZZR、お揃いだしさ」笑顔で即答した。
それはまるで、既に決まっていたいたような感じさえした。
「へぇ……ZZRにしたんだ」
京子は廣樹が自分とお揃いのバイクを選んでくれたことが無性に嬉しかった。
「――うん。親父に免許取りたいって言ったらさ、絶対に通学には使わないのと、暴走族をやらなければバイクくらい買ってやるって即OKだった。その代り、大人になったら親父が欲しい外車を買って返せだってさ。どれだけ利息が高い恩返しだよって思ったよ」大げさなジェスチャーをしながら笑って話した。
「……あはは、……なかなか面白いお父さんだね?」京子も笑いながら相槌を打った。
「――ねぇ、バイクっていつ来るの?」
「……実は、もう家にあるんだよね」少し照れながら話すと京子を見た。「親父がさ、廣樹が親に頼みごとをするなんて滅多に無いから嬉しいな。とか言って、バイクのカタログ見せてたら勝手に注文しててさ。免許より前にガレージに届いてるんだよね。アハハ」父親の勝手さに恥ずかしさを覚えながら話した。
「えー! 今から遊びに行っても良い?」
バイクに目が無い京子は廣樹に腕に抱きつくと懇願してきた。
「……別に良いけど、今から?」いきなりの提案に少し驚いた表情になる。
いつもながら京子の行動力には驚くことが多い。
「――うん! そう、今から! ナウ!」京子は笑顔で何度も上下に頷く。
――廣樹の自宅近くのガレージ――
廣樹がカギを刺してガレージのシャッターを開けると、白い国産スポーツクーペの横に、ナンバープレートも付いたライムグリーンのZZRがひっそりと停まっていた。
きっとあの日、京子と付き合わなければバイクに乗ることは一生無かっただろう。廣樹はまだエンジンもかけたことが無い自分のバイクと、バイクで走る楽しさを教えてくれた彼女を交互に見ながらそんな事を考えていた。
「――ねぇ? せっかく来たんだし、今から廣樹の部屋に遊びに行っても良い?」腕に手を回すと断られる前提で訊いた。
「ん? 別に構わないよ。ここはガレージで自宅は少し離れているからついてきて」
素っ気ない返事をするとガレージの照明を消した。ガラガラと音をたてながらガレージのシャッターを閉めると、二人はバイク話に華を咲かせながら歩き出した。
レンガ造りで立派な洋風建築だった。京子は今までの廣樹の話から、彼がそこそこ金持ちの息子だろうとは思っていたが、ここまで立派な家とは思ってもみなかった。
「――ただいま。彼女を連れて来たからさ、勝手に部屋に来たりしないでね」
廣樹が玄関に入るなり大きな声でそう言うと、ドアの向こうからドタドタと走る音がした。その直後に勢いよくドアが開いて両親が一緒に出てきた。
「はじめまして。うちの生意気な息子がお世話になってます」父親がとても親とは思えない台詞であいさつしてきた。
「はじめまして。廣樹の母です。あら随分と可愛い子ね」母親も笑顔であいさつしてきた。
廣樹の両親はどちらも優しそうで、京子が想像した通り家族の仲は良さそうだ。
「は、はじめまして。菅原京子と申します。廣樹君にはいつもお世話になってます」
勢いとはいえ、初めてお邪魔したボーイフレンドの家にドキドキしていた。
「さ、二階が俺の部屋だからおいでよ」
両親をスルーして二階に向かう廣樹が階段の途中から呼びかけてきた。
「……お、お邪魔します」
少し照れながら両親に会釈すると、廣樹を追って二階へと足早に向かった。
「ごめんな。うちの両親さ、俺が彼女を連れて来たの初めてだからさ、興味深々なんだよ」
「そうなの? へぇ、意外だね。でも、こんな彼女連れてきてガッカリしてたりして?」
そうは言ったが、内心は自分が初めて廣樹の部屋に入った異性と思うと嬉しかった。確かに廣樹に自分以外に彼女がいたという話は聞いたことは無かった。だが、クラスでそこそこ人気もあるし、コミュニケーション能力も高いので、みんなに黙って他校に彼女がいたしても、なんら不思議では無い。
「アハハ、それは絶対に無いよ。まあ、家族だから二人の態度を見ればわかるし、逆に可愛い彼女で喜んでいるんじゃない?」
廣樹はそんな事を言いながら、ソファーに座り煙草に火を点け紫煙を吐き出した。
「そこらに適当に座ってよ」
京子は廣樹の横に借りてきた猫のように、ちょこんと座るとゆっくりと部屋を見渡した。部屋の隅に立て掛けられた数本の釣り竿、釣り好きと言っていたのであるのは当然の話だが、思っていたよりも本格的に釣りをするようだ。近くのコルクボードに貼られた十枚近くの写真には、大きな魚を持った廣樹が満面の笑みで映っていた。本棚には小説などの本が数えきれないほど綺麗に並べられていた。テレビをあまり見ないと言っていてもドラマの話についていけるのは、きっと本で読んでいるので筋書きを知ってたのだろう。机の上にはノートパソコンと筆記用具が置かれていた。ベッドは男子高校生らしく、起きたままといった感じでグチャグチャに乱れていた。きっと、寝る前に直して寝てるのだろう。自分たちが座っているソファーに目の前に置かれたガラステーブル、それに車のポスターなど予想していた感じのありふれた男子高校生といった感じの部屋だった。
「……廣樹の部屋って意外とすっきりしてるね?」にこやかな笑顔で話しかけた。
「え? そうかな? だって、布団とか起きたままになってるし、京子が来るならもっと綺麗に掃除しておけば良かったよ」廣樹は頭を掻きながら照れて答えた。
「……エッチな本とか……やっぱりあるの?」少し戸惑いながらも訊いてみた。
「――は? そんなの無いよ。だって京子がいるじゃん!」鼻で笑いながら答えた。
「……え? どういう意味……かな?」照れて伏し目になる。
いきなりのことにドキドキしながら尋ねた。まさか、自分に肉体関係を求めているのかとまで考えてしまった。
「……いや、そのままだけど。京子がいるのに他の女子に興味を持ったりしないよ。だからって、京子にヤラせてとかは言わないけどね」屈託のない笑顔で京子の顔を見た。
笑いながら揶揄っているが、何故か憎めないといつも思う。きっと笑顔は人の怒りさえも中和してしまうのだろう。
「……あ、ありがとう」恥ずかしさから、照れて小声になってしまった。
廣樹は近づくと、京子の頭をそっと優しく撫でた。
「京子、いつもありがとうな。……いきなりごめん。でも、なんかこうしたかったんだ」
「……普段、人に褒められたりしないから……ちょっと、照れるよ」俯くと恥ずかしそうに顔をゆがめて笑った。
廣樹の不意の行動に驚きはしたが、体中にこみ上げてくるくすぐったい思いに嫌な感じはしなかった。よく考えれば、今まで人に褒められることなんてあまり無かった。だが、廣樹と同じクラスになってからは不思議と褒められる事が増えたような気がする。
別に京子に限った事ではないが、廣樹は人の長所を見つけることが上手かった。一年生の時に虐められていたオタク四人が、進級して廣樹と同じクラスになり、今ではクラスで一目置かれているのも、廣樹が長所を見つけクラスメイトに頼られるようにしたからである。プラモの組み立てが上手く、手先が器用な為、腕時計のバンドや電池交換など、今ではクラスでも皆に頼られている。鉄道が好きな為、クラスの皆が出かける時は乗り換えや料金など必ず相談してくる。コスプレ撮影が好きで写真撮影が好きな為、女子や付き合ったばかりのクラスメイトに昼休みや放課後に写真撮影を頼まれている。そして加藤はゲームが好きでパソコンやゲームに詳しい為、パソコンの設定やゲームの攻略をいつも誰かに聞かれている。クラスの全員が、誰にでも気軽に話しかけるような雰囲気になればイジメなんてモノは自然と消えていく。廣樹がクラスの学級委員長になると、イジメなんてモノは自然と消えはじめた。それは一部の生徒と教師からは、委員長の廣樹に対し絶大な尊敬と信頼を生んだ。彼のズバ抜けたコミュニケーション能力は、もちろん自分にも恩恵があった。色んな生徒に勉強を教えてもらったり、映画やアニメのDVD、漫画を貸してもらったりしているのだ。
それから二人は、しばらく部屋で楽しく世間話をして時間を過ごしていた。
「……もう、こんな時間かぁ……じゃあ、送るよ」
壁の時計を見た廣樹が立ち上がると振り返り、京子を見ると机の引き出しから一本のカギを取り出した。
「……バイクのキー? ……送るって……まさかバイクじゃないよね?」京子がきょとんとした顔でいった。
「――そんな訳無いじゃん! 免許取るまで知らなかったけど、取得後一年は二人乗り禁止だろ? 知らないで京子の後ろに乗っていたけど、捕まったらどうするつもりだったんだよ?」
廣樹は少し呆れた口調だった。前から気になっていたので、この機会に訊いてみることにした。
その質問に困った京子は、廣樹を見て笑顔を作ってから答えた。
「あ、いや……捕まったら仕方ないかなぁって……」顔を逸らすとバツが悪くて笑いながらはぐらかした。
「――まったく、京子はこれだから……」呆れた顔で大きな溜息をついた。「……これはバイクの楽しさ教えてくれたお礼に……京子に受け取って貰いたいんだ。俺の初めてのバイクのスペアキー」
そう言うと、まだ汚れても削れてもいない、真新しいバイクの鍵を京子の手に差し出した。
「……廣樹。ありがとう。大切にするね」心の中に喜びが沸き、思わず笑顔になる。
京子は嬉しそうに受け取ると早速自分のカギと一緒に付け、湧き水のように染み出た愛情から廣樹の首に手を回しゆっくりとキスをした。
「……廣樹、大好き!」
もう廣樹が恋しくてたまらない、そんな気持ちだった。
京子の唇と女性らしい柔らかい感触と共に、微かないい香りが漂った。
「……俺のファーストキス、京子だったな」少し照れながら頭を掻いて言った。
「……私だって……初めてだよ」照れながら廣樹の顔を見た。
「……へぇ、そうなんだ……」彼女のその言葉に相槌を打って答えた。「――え? えぇぇ! だ、だって、京子には彼氏がいたじゃん? ……ま、絵にかいたような、教本に出てきそうな本当のゴミ屑みたいなヤツだったけどさ」京子の予想だにしない言葉に本気で驚き、ファーストキスが自分だと思うと嬉しかったが、最後に元カレを出してはぐらかした。
「――だって! 付き合った期間って一ヶ月どころか一週間も無かったんだよ? だから……それなのにキスなんて……あるわけ無いじゃん……」モジモジしながら上目づかいで答えた。
「――マ、マジで? 一週間も付き合ってないのに……ヤラせろって言ったの……アイツ」
廣樹は身体の中に、自分でも抑えようもないマグマのような怒りがフツフツと沸き上がってきた。
「……うん。だから……嫌がったんじゃん。お互いもよくに知らないし訳だし……」切なそうな声でそういうと声のトーンが下がった。
「……アイツには地獄すらも生ぬるい」握られた拳は、怒りでプルプルと震えていた。
「――何それ? アニメの台詞じゃん!」それを見て京子は腹を抱えて笑った。
「……送ってくれてありがとうね、今日もすごく楽しかった」
廣樹に家まで送ってもらった京子は、笑顔で玄関前でそうお礼を言いながらも別れを惜しんでいた。
「……あと一週間もしたらまた学校だね? 明日には私のバイク戻るし、二学期は廣樹と沢山バイクで何処かに行きたいな……」誰に言うでもなく真っ赤な夕空を見ながら言った。
「……あのさ、だったら……夏休み最後の思い出にツーリング行かない?」
廣樹は今思いついたばかりの内容だけに、少し戸惑いながら訊いた。
京子は少し間を空けて聞き返してきた。
「……夏休み最後の思い出に……二人だけでツーリングって事?」
不意の提案に少し驚いた表情だった。
「――そう! バイクでツーリング」無邪気な少年のように目を輝かせていた。
「……それってさ……泊まりってこと?」モジモジしながら小さな声で言った。
「――えっ? ……えっと……ごめん。そこまで考えてなかった……ごめん」
彼女の予想外の爆弾発言に、一瞬で廣樹は頭が真っ白になってしまった。
「……まったく廣樹は。ヤンチャなクセに変に奥手なトコあるし……」まるで独り言のようにブツブツといった。「――もぅ! 女が泊まりって言ったんだから……察しなさいよ! バカ!」今度は大きな声で言ってきた。
「……ごめん。俺さ、京子が大事だから……アイツみたいに京子を傷つけたくはないからさ」改まった声で俯きながら話した。健太みたいな自分勝手な男になりたくなかった。その為、いつも気持ちにブレーキがかかり、自分からは強くアプローチが出来なかったのだ。
「……廣樹……誘ってくれてありがとう」嬉しさから声がかすれた。廣樹を見て大きく息を吸うといった。「――私、廣樹の彼女で幸せだよ!」屈託の無い笑顔で答えた。「だから、廣樹とだったら……構わないから!」唇を噛みしめるとそう言った。「何処に行くか決まったら……電話してね?」恥ずかしさから廣樹の顔を見れず顔を逸らしたまま伝え、振り向かずに家の中へと走って行った。
廣樹は自分が京子にとても強い力で気持ちが吸い寄せられている事を感じた。
――二学期初日――
「――よう廣樹、二学期もよろしくな。学食に飯でも食いにいこうぜ」
純也は昼休みになると、廣樹の席まで来て昼食に誘ってきた。
「あぁ、よろしくな。……あのさ、メシ食うの京子も一緒で構わない?」様子を伺うように少し戸惑いながら訊いた。
「ん? 全然構わないぜ。でも、お前ら本当にくっついちまったんだな?」揶揄いながら、廣樹の背中をポンポンと数回叩いた。
「……ま、まぁ、純也のおかげで今は付き合ってるよ」少し照れながら言った。
あの日、もし、水族館で純也と偶然会わなかったら……『付き合ってたのか?』と純也に聞かれなかったら……自分達っていったいどうなっていたのだろう? それでもいずれは付き合っていたのだろうか? もしかしたら、普通にちょっと気になる異性のクラスメイトのままだったのかもしれない。あの時に純也に会わなければ、京子とは付き合っていなかったかもしれない。そう思うと、廣樹には純也がなんだか恋のキューピットみたいに思えてきた。
学食に着くと、純也の反対側に廣樹と京子が座り、三人で楽しく食事を始めた。
「あ、廣樹のポカリ貰うね?」そういって廣樹の飲みかけのポカリを何口か飲んだ。
「うん、良いよ。なんだ、パスタ残すなら俺が貰っちゃおうかな?」
今度は、廣樹が京子の前に置かれたパスタと自分が頼んだ定食を交換した。そのままトレイに置かれたフォークでペロリと完食した。
「廣樹、ミニトマト残してるじゃん! 貰っちゃおうっと!」
廣樹が使った箸で掴むと口に運んだ。さっきから二人の行動を黙って見ていた純也が、痺れを切らして口火を切った。
「……あ、あのさ……お前らって、ちょっと……仲良過ぎじゃね?」二人を交互に見ながら言った。
「――だって、俺らは付き合ってるもん! 普通、仲は良いものだろ?」
廣樹は純也の問いに即答で答え、京子もウンウンと相槌を打つように頷いた。
「あ、いや……そうじゃなくてさ……そ、そうだよな……アハハ」と純也は作り笑いをしていったが『普通、高校生が堂々とみんなの前で間接キスなんてしねぇだろ!』と心の中で二人に向かって叫んだ。
「……どうしたんだ純也? ――あ、わかった! 夏休みの宿題を何か忘れたとか?」
ケラケラと笑いながら廣樹が純也に話しかけた。
「駄目だよ、私だって廣樹と二人で、夏休み後半に頑張って済ませたんだからさ」笑いながら顔の前で手を振った。
「――ち、ちげーから! もう良いよ! 俺は先に教室に戻ってるからさ!」
そう言って頭を掻くと、純也はトレイを持って立ち上がった。
「……なんだ? どうしたんだアイツ?」横に座る京子を見て言った。
「さぁ?」京子は首を捻って答えた。
――自習の時間――
「――ねぇねぇ、京子ってさ、仲村くんと本当に付き合ってるの? 京子は彼氏がいて良いなぁ……仲村くんでしょ……彼、優しいし、話も面白いし、彼氏にするには良いよね……」
「――夏休み明けたらさ、ちゃっかり彼氏持ちになってるんだもん。京子ズルいよ!」
「――でもさ、バイク乗れない男とは絶対に付き合わないって言ってたのにねぇ……」
「――ねぇ? 委員長はバイクなんて校則違反、絶対にしない男子だもんね……」
京子と席が近く仲の良い女友達数人が、恋バナに華を咲かせるように話しかけてきた。
「……うん、廣樹とはちゃんと付き合ってるよ。……別に……バイクだけが、男の全てじゃないと思うけどな……」
流石に学級委員長をしている廣樹が、免許とバイクを保有していることは友達だとしても言えないし、廣樹の事はバイクが理由で好きになった訳ではない為、そう言ったのだが、女友達は京子の予想しなかった意外な答えに少し驚いた様子だった。
「……なんか、京子変わったね。話し方も何処か丸くなったし……」
「――この京子が好きになるくらいだし、きっと委員長ってよっぽど良い男なんだろうね?」
一人の女子が周囲に同意を求めるような言い回しでみんなに話した。
「――それもそっか! じゃあ、私も仲村くんの彼女に立候補……」
――バンっ! 勢いよく机を叩く音が教室に静寂を呼んだ。クラスの数名が思わず反射的にビクッとなる。
「――廣樹に手を出したら……絶対にタダじゃおかない!」京子は女友達を刺すような視線で睨みつけた。いくら仲が良い友達とはいえ、京子にとってこの台詞だけは絶対に許せなかった。
夏休みが終わり、廣樹と付き合い始めた事もあり、京子が少しは女性らしくなったせいで、忘れかけていた不良の部分をクラスの皆が再確認した。
「――うるせぇな! 自習なんだから静かにしろよ! 菅原もよ、廣樹とくっついて彼氏が出来たからって、俺らの前であんまり調子にノってんじゃねぇぞ!」
クラスの不良数人が大きな声で遠くの席から怒鳴るように言った。
「……ごめん、煩かった……よね」
京子が申し訳無さそうに不良たちに謝ると、クラスが一瞬だけ静寂に包まれた。
「……ごめん京子、そんなつもりで言った訳では無かったんだけど……」
先程の台詞を言った女子達が、反省した小さな声で京子に謝った。
「うんん、大丈夫……私こそごめん……熱くなっちゃった……」
その時、離れた席で純也と話していた廣樹が、大きな声で京子に話しかけてきた。
「――京子! 俺は京子以外と付き合ったりしないから。そんなに俺を信用出来ないのかよ?」
「……解ってるけどぉ。ついカチンときちゃったの!」廣樹にむかって、まるで別人のような可愛い声で返した。
それを聞いたクラスのほぼ全員が、絶対に京子はツンデレだと思った。しばらくすると、再び生徒達はまるで何も無かったように個々に話し出した。
廣樹はクラスが落ち着いた事を確認すると、ゆっくりと立ち上がり歩き出した。先程の不良達の席まで来ると口を開いた。
「――ごめんな、俺の京子が煩くてさ、俺の話だからさ、次から京子じゃなくて、文句は彼氏の俺に言ってきてよ!」見るからに怒りが籠った目付きと、独特の通る声には凄みが感じられた。
純也も続いて近づいてくると口を開いた。
「――普段、お前らは授業中まで煩いクセに、あんまり親友の彼女を揶揄うのは面白くないなぁ? 俺さ、暴力は嫌いなんだけどさ……喧嘩を売られたなら……それは話が別だよね?」怒りに満ちた視線で睨みつけ、凄い握力で不良二人の肩を握った。
「――廣樹、純也ごめん。……今のは俺らが悪かったよ」
不良達はその後、教室で静かにしていた。
――放課後――
階段を下って帰ろうとする廣樹と純也に、待ってと言わんばかりに京子が駆け寄ってきた。
「廣樹、純也、途中まで一緒に帰ろうよ」近づきながら言ってきた。
二人の前で立ち止まると、教室からずっと走ってきた京子は息を整えていた。
「さっきは……ありがとう、なんか嬉しかった」二人の間に入り、廣樹の腕に自分の腕を絡めながら言った。「――純也も、ありがとうね!」純也にも腕を絡ませながら笑顔でお礼を言った。
京子に笑顔でお礼を言われ、京子の形の良い胸の柔らかい感触を腕に感じた二人は思わずお互いの顔を見た。
「……別に良いよ。彼氏なんだから当たり前だろ?」首を掻きながら答えた。
「――気にするなって! 俺が勝手に頭にきただけだからさ」純也も思わず照れてはぐらかした。
「そんな事よりさ、せっかく三人でいるんだし……たまには仙台駅まで歩いて帰ろうぜ」純也は笑顔で二人に提案してきた。
「――賛成!」廣樹と京子がハモるように提案にのった。
二人の間に京子がいても、そんな事は関係無く、楽しそうに話しながら歩く廣樹と純也、廣樹と純也の間を歩き、ポカリスエットを飲みながら、京子はふとこんな事を思った。『学校に行けば会えるのがクラスメイト、理由が無いと会わないのが友達、口実を作ってまで会いたくなるのが大好きな廣樹』
「急に俺等を見てニヤニヤしてさ、どうしたんだよ菅原?」純也が京子に訊いた。
「……ねぇ? 私ってココにいても良いんだよね? 二人の友情をずっと近くで見ていても良いんだよね?」
京子は廣樹と純也の腕に自分の腕を絡ませ、二人を交互に見ながら笑顔になった。
「急にどうしたんだよ? 当たり前じゃないか。なぁ? 純也」
「――もちろんだよ! 何、当たり前の事を言ってんだ?」京子を見ると純也は笑いながらいった。
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