5
東大陸の最西端ポートフィリオ。
港町の喧噪の中に身を隠し、西航路行きの定期船を待つ一団を少し小高い丘の上から見下ろす。確実に乗ったと思わせなければいけない。ベゼルがごろりと突き抜けるほど青い空の下寝転がる。確実に乗ったと思わせるには一度は乗り込む必要がある。
西大陸へは定期船の他に貨物船が数日毎にやって来る。今日はその貨物船やって来るはずだが、遅れているのかなかなか姿を見せない事に若干苛立ちを覚える。
なんせ彼等を巻いて仕舞わなければならない。ここに辿り着いたのもどういったルートを取ったのかベゼルの教えられていない最短ルートがあるようで一足早くカミーユが港湾施設付近で見張る体制を既に整えていた。
流石に16から商隊をまとめている人間とほんの5年と少し供に過ごしただけでは色々な物が違いすぎる。どうしたって東大陸に彼等が居ては動きにくい。
どうしたものかと空を仰いでいると汽笛の低い音が聞こえた。来たという高揚感を抑えながら少し待つことにした。積み荷を降ろして再び積み込むまでに2日半。その最後の数時間が勝負だろう。
カミーユはまだ乗り込まない。向こうに出たという確実な証言が得られていないのだろう。どうするかな。酒場で船員を捕まえて潜り込む算段を整えて貰うか、直接頼むか。
動かないカミーユを見下ろしながら、これは正に持久戦だなと腰を据える覚悟をした。
晴れて積み荷が飲み込まれていくコンテナ船付近にようやくベゼルが姿を現したのは何日経った頃か、カミーユは隊をまとめて取り囲むように手を打つ。乗り込む。そう決め打ったからだ。
「ベゼル、お客さん乗りこんだみたいだぜ?」
船長を見付けたのはたまたまだった。西大陸ってどんなところかと場末のバーで聞き回っていたら、一度行ったらわかるありゃ悪魔の所行で無けりゃ魔法の国だ、あらゆる物が此方とは違う。そう話に割り込んできたのが船長だった。
根掘り葉掘りあれこれと次々に質問するベゼルが可笑しくてたまらなかったのか、すぐさま仲良くなり、実は西大陸に行きたいが追われていて直ぐに行けない、そんな話をしたら船長からこう切り出してきた。乗った振りをして出航と共に船を離れりゃ良いのさ。
離岸した船は徐々に加速する。沖まではタグボートの馬力が物を言う。唸るエンジン音と供に甲板を目指す声が聞こえた。一方では艫へと向かって走り出す。
甲板へと上がるドアが開いた瞬間、加速しきった体を陸へと投げ出す。
届け!
宙を舞う体に願えば硬い護岸が胸に当たり息が詰まる。
衝撃を受けた体を何とかよじ登らせていると周りで作業していた人々が手助けしてくれた。謝辞を述べてから船を見つめる。
此方を向いている顔と目が合った気がした。あくまでも気だけだ、タグボートの力に乗せられて既に結構な距離を進んでいた見えるわけがない。
稼いだ時間を無駄にしないようにベゼルは隠しておいた馬の背に跨がる。ここから少し長旅になるな、と、頭の中で考えながら地図を広げる。カミーユの事だ何処に行ったか判らないようにしよう、必要も無い村と村を遠回りしながら夜の闇に紛れながら無理な行軍を続けた。
馬は何頭潰したか。
目指したのはあの塔の自分の育った国と呼ぶにはおこがましい場所を目指していた。
鬱蒼とした森を抜ける際、会ったら面倒だなと思っていた夜盗と遭遇した。何時だったかボコボコにした見覚えのある面子がベゼルを見て一瞬怯んだが、商隊を連れているわけでも無く、野宿を繰り返したような疲れた顔に一斉に襲い来る。
馬上からさっと交わすように降り立ち馬の尻を叩いて荷物を逃がす。まぁ、駄馬だったら戻っては来ないし荷物も無くなるのは覚悟の上だが夜盗に取られるよりはましだと判断した。
「珍しいなぁ、一人とは」
夜盗の頭だろうな卑しい笑いを浮かべてベゼルとの距離を集団で詰める。
手持ちの武器は剣のみ。
取り押さえられたら負けだ。何されるかたまったもんじゃない上に首と胴体がくっついててくれるか想像も出来ない。
「一人は、まぁ、否定しないけどお前らが勝てるのかよ俺に」
威勢を張ってはみる。前にボコボコにしたことがあるのは事実だし、今ヤバイかな?なんてそんな姿を晒せば確実に仕留めに掛かるだろう。
一か八か張ったもんがちみたいな所で口から出任せ、嘘八百を平気で言えるくらいには度胸だけは鍛えられた。それだけは本当、カミーユ達に感謝しかない。が、そんな事を言い放った数刻前の自分を殴ってでも止めるべきだったんだ。
喉から鼻血だか口の中切ったんだかどっか痛めたんだか溢れる血を地面に吐き出す。というよりもほぼダラダラと流れて鉄の味しか感じないわ、血のせいで目の前が薄赤くぼやけて見えるわ、殴られ蹴られ体中どこもかしこも痛いわたまったもんじゃない。あと、長い。何人目か何人がかりか解らないがよくもまあこれだけ恨みを買った物だと自分を褒めてあげたくなりながらぼやけて揺れる視界のはしに白い何かが見えて、しかもそれが俺に向かってこう言った「助けて欲しいですか?」と。あ~なる程天使とか言う奴ってこんな状況になってやっと来るのか、最低だなと俺は目を閉じた。
「…か?」
死んだら痛くないはずの体に冷たい水分が鼻の下からかかり、息が詰まる。逆流してくる水分は血の塊を含み嘔吐きながら薄目を開けた。やって来た所業が悪すぎて地獄に墜ちたかと目を開けると第二波の水分が頭の上から注ぎ込まれた。
「生きてますか?」
生きてるかと聞いていると言うことは、死んでないのかと目だけで辺りを覗うと髪を掴まれ木か岩か何かに背中を預けさせられた。
「ベゼル」
虚ろに彷徨う視線の先に、見知った顔が1つ。
「よお…」
そこで途切れた意識の先に慌てた声が続いた気がした。腕も腹もどこもかしこも痛むはずなのに、やたら生暖かい温もりが深く深く俺を何処かへと運んでいった。
懐かしいというか、それしか記憶には無いのだが俺が小さい頃の夢を見た気がした。見える景色は窓から見下ろせるだけの街の景色で、その窓の外からたまにごくたまにやって来ては俺を楽しませてくれた人。
外に出られないのは不自由だとはその人が来るまでは思わなかった、歳をおうごとにその人の存在はとても大きくなった。
ここから出られたらもっとこの人と居られるのかなと。
沢山の季節毎の花、夜の空の話、翼の民。
「サー…」
俺の記憶、名前を呼ぼうと伸ばした腕は空を切った代わりに、額に心地よい熱が乗り薄く目を開けた。
「何です?」
目覚めに悪い顔が目の前にあるのは、悪夢を途中から見ていたんだということだろうか。目の前にアンバーの冷酷な顔が見える。
「地獄に墜ちたのか」
「お望みなら今すぐにでも冥府の門を開けて差し上げますよ?ベゼル」
本当にやりかねない、そう思うと言うことはつまり、死んでないのかと自分の胸に手を置いてみた。
「悪運、つぇ」
自分の運の強さもなかなかの物だと思いながらゆっくりと起き上がる。
「で、里に帰ってるはずのアンタが何で居るのさ」
痛む腹に手を宛てながら声を出す、呼吸するだけで体が痛む、と言うことは折れてるのか、手加減無しかよと短く浅い呼吸を繰り返す。
「隊に合流しようとした道中、船の上で悪態ついてるカミーユを見付けまして、話を聞いたら貴方が居なくなったから探しに行ったら出し抜かれたと、私もやっと探し出したと思ったらボコボコにされてる最中でしたので、面白そうだったので上から見ていたんです」
あぁ、そうかいと短い呼吸のなかで溜息を吐いた。
「よくもあれだけ恨みを」
「はは…俺もそう思う」
結構真剣に人の恨みは買う物じゃないなと思いつつも、そこまで恨まれる事はしてないはずだよなと胸に手を宛てる。
そんな遣り取りをしていると宿、だと思う部屋の扉が開き誰か人が入ってきた。
「アンバー、あまり良い物は有りませんでしたよ、とりあえずリンゴと水とあと幾つか食べ物…あぁ、やっと気が付きましたか」
手荷物をテーブルに置きながら此方を振り返ったのは見慣れない顔でベゼルは眉根を寄せた。
「あ、私アンバーの弟です、サルバトスです」
差し出された手を握り返すと、アンバーの弟とは思えない優しそうな表情をしていた。本当に兄弟だろうかと疑問に思う程には似ていない。
「すげ…魔法良いな」
そう思わずには居られない。先程まで苦痛に浅い呼吸を繰り返していた体はサルバトスの魔法のお陰でもう何処も痛みを感じない。
「法術ですよ、魔法は魔法使い私が使えるのは幾つかの法術です。」
「何が違うんだ?」
「魔法は魔獣や有翼種等のハーフが使うことが出来る法則に縛られず新しく手を加えていくことが可能だ、法術は一定の法則に従って発動させることが出来る有翼種だけが使うことが出来る物をいう」
「ふーん、俺は?使える?傷を一瞬でなおすとか凄い使えるじゃん!」
傷薬代とか結構馬鹿にならないしな、と頭の中の台帳をめくり上げる。そう考えるとやっぱり法術良いなと思わずにはいられない。
「お前には…光の法術は使えないよ」
傷薬代節約して新しい防具買うんだと思っていた矢先、アンバーが残念なお知らせだがと銘打ってそう俺に伝えた。
「何で?!」
「光の法術を使うには光の法術が使える親から産まれなきゃ無理だから、お前も俺もだから無理」
アンバーの残酷な一言にガクリと肩を項垂れながら、あれ?兄弟なんじゃないのか?と過ぎったが聞いてはいけない物のような気がして俺は口を閉ざした。
その代わり、アンバーがカミーユからの伝言を俺にくれた。
『先に西大陸に居る、用事が終わり次第合流せよ』
「はは…家出同然なのに…カミーユってさ捨て犬の類に弱そうだよね」
そう零した言葉の所在のなさに意にもかえさない人物の居ることの有り難みといったらそれはもう。
「で、あなた、隊を抜けて何がしたかったんです?」
少し怒ったような顔のアンバーに丁度目に映る窓の外の塔を顎で指し示した。
「塔を調べたい」