2
「お前が?誰を?子供の頃アルトンオオクワガタが頭に止まった程度で泣き叫んで逃げ回ってたお前が?」
カミーユは鼻で笑ってから目の前のそれでも表情を変えないアルゴットを初めて見た。
「そう、子供の頃虫も殺せなかった奴は、大人になったら人間一人を自分の手を汚さずに殺したんだよ」
不味い表情だな。カミーユがちらっと倉庫代わりの馬車に目を移してから、目の前の沈痛な表情を浮かべる男へと向き直った。
「それとな、頼んだ銀時計だが…もういらないんだ…金は払うが流してくれ」
頼まれていたのは、細かい銀細工の時計の対となる男物の時計だったなとカミーユが思い描きつつ返事を返した。
「何だよ渡せなかったのか?…解った、でも良い品なんだ流す前に物を見ろよ」
頷く姿を見てから、馬車を離れる。
ベゼルの隠れている馬車を開けて、中で外のことなぞ知らぬという顔をしているベゼルとぶつかった。
「そこの小箱取ってくれ」
「これ?」
豪華な装飾が施されているわけでは無い小箱を受け取り、中を確かめているカミーユの横からベゼルが覗き込む。
「綺麗!カッコいいね!」
「見る目あるな、名工ラサの作品だ」
蓋を開けて、アルゴットの前に時計を置くと、そっと一度だけ撫でてからはっきりとした口調で、流してくれと再び告げた。
それから数日後、あの葬儀は執り行われ、正式にこの世から一人の人物が居なくなった。
旅の商隊と共に流れる生活はベゼルにとってはあの時の感覚を思い出させてくれる。明日着く街はどんな街か、旅のさなかの狩りは何が取れるのか。
時は流れて更に5年が過ぎていた。
「カミーユ、メッセンジャーから手紙貰ってきた」
今では街で銀狼ベゼルと呼ばれる程になった。髪の毛の色が年々銀髪になり、濃い髪の色はもう何処にも見当たらない。
商隊の仲間はカミーユの無茶のせいで心労が祟ったのだろうと言い、ベゼルの事をむしろ一層可愛がっていた。
「すっかり商隊の顔だな、お前が同席すると商談が上手くいくんだよなぁ」
ベゼルの手から道中狩りで捕まえたウサギが数匹と共に巻き手紙を受け取った。
どこか頼りない印象を与えていたベゼルの体は年を追う毎に意外にもしっかりとした体つきになり、身長も高くはないが低くもない程には伸びた。
過ぎた年数をふっと手紙から目を上げてカミーユは薄く笑みを浮かべた。
「アルゴットの国で国王の戴冠式がある、お前護衛として行くか?」
すっかり姿形を変えつつあるものの、その左瞼から頬を貫く二本線は消え失せることなく存在感を表していた。もっとも、この創の成す事といえば、甘い表情を更に浮きだたせ街の女達が我先にと押しかける要素の一部となっている程だ。会っても判らないだろうと踏んでベゼルへと尋ねるとアンバーのが適任だとサラッと言ってのけ、獲物を抱え荷馬車群の真ん中に居る料理人へと渡していた。
夜、所用から戻ったアンバーへと話をすると顔を曇らせ行けないとだけ言われた。それを踏まえた上で焚き火と酒を楽しむベゼルへと再度話を振ると渋々ではあるが了承した。
何で何度も振られねばならないのか、とはおもったがアンバーは戻ってきてから浮かない表情のままで、何故行けないのかを尋ねられる状況ではなく、カミーユは水浴びへと一人出掛けた。
ざばーっと頭から水を掛け、背後の焚き火の中心で仲間と談笑しているベゼルを盗み見る。その手には随分傷んでボロボロになってはいるものの、その汚れ具合までもが計算されたかのようなあの銀時計が光っていた。
流すと言った日、絶対に払いきるから買わせて欲しいと言われて幾らか値引いて払い下げた物は、その宣言通り無事総ての借金を返済しきった。
文字の読み書き以外、アンバーや他の仲間から体術槍術弓術剣術あらゆる物を学び、護衛として他の商隊に着いて行ったりして稼ぐ術を身に着けても、必ずこの隊に戻ってきては旅先の美味い酒や干した日持ちのする良い食べ物なんかを仲間に土産として持ち帰ってくる。
ここを家と認識しているのかは聞いたことが無いが、必ず戻ってくる辺り、家だと思っているのだろうなと頭を石鹸で満たしてから振り払った。
「ベゼル!一度王都に戻るぞ」
家は、暖かな暖炉と、家族の笑い声の満たされた場所だろうと頭の中で叫んでから振り向けば、ぽかんとした顔が此方を向いている。
「何で?3日くらい前に行ったばっかりだよ、仕入れも積み荷も荷下ろしも無いのに?」
「式典用の衣装は?」
「モロニアルタウンで買い揃えたら良いんじゃ無いの?」
頭から零れる水滴をわざとベゼルの頭の上に落として、盛大に罵る。
「街の舞踏会に行くんじゃねーんだよ、国の式典だ、盛装しかるべきだろ、このアルセール商会の代表として往くなら尚更だ!」
とは言った物の、貧乏性が骨の髄まで染み着いたようなベゼルが新品の盛装を揃えるとは思えない。
「街の方の家に俺の少し前のがある、そいつを貸してやるよ」
「…ただ?」
想像以上の貧乏性にカミーユは、借金返済大変だったんだなと薄らと思い描いた。
街の外れ、少し小高い丘の上に瀟洒な建物が目に映る。
建物に近くと柵越しに小さな頭がひょこひょことこっちを見てから黄色い声を上げて此方に向かってくる。
「おい、危ないから降りるぞ」
確かにあの速さで此方に来られたら馬が驚くなと降り立つと同時に何処から姿を洗わしたのか、泥だらけの手がカミーユの服の裾を掴んだ。べったりと茶色い手形が無数に着いているのはどうも自分も同じらしいと足元に視線を移して理解した。
「な、言ったろ?洗濯屋に出す前のやつにしろって」
顔は引き攣った笑みを浮かべながらベゼルが足下の砂利を蹴る。少し湿ったそこに手をドンとついてからニヤリと笑い手形を付けた子供へと襲いかかる。
巷で銀狼などと呼ばれ、そこらの山賊ならばあの銀髪が目に入ったら逃げ出すと言われてる人物が、子供を追いかけ回してはケラケラと笑い、カミーユの前に笑いを押しつぶした顔で立ちはだかった。
「何だよ」
「今だ!」
そう叫ぶなり何処からか泥団子が一斉にカミーユへと襲いかかり、頭の先から靴の先までもが一気に汚れていった。
「お、まえ、ら」
ふるふると頭の泥を振り落として居るところに建物の中から少し年のいった婦人が2人飛び出してきた。
「アルセール?!何事ですか?」
「よお」
泥ですっかり汚れた顔を向け、片手を上げたところでベしゃっと鈍い音が続いた。
「ひでぇ、耳の中まで泥だらけじゃねーか」
湯浴みを終えたカミーユが一緒に入った子供等の髪を乾かしながら文句を零す。婦人も二人がかりで次々に拭いていく。
「わりぃな、急に来て」
「いいえ、子供等も喜びますから」
ベゼルを一人で湯浴みさせるために他の子供等を一手に引き受けたからか、自分の耳からたらーっと汚れた液体が続いて出てくる。
「御用は何ですか?」
「あぁ、それな、俺が昔使ってた式典用の衣装ここにおいてあったろ?あれ、今日一緒に来た奴の丈に直してくれね?」
「…女性かと思ってました…」
不意打ちのような言葉に、その背後に立っていたベゼルが困ったという顔をしていた。
「だってよ、お前顔の作りが子供っぽいんじゃねーか?」
「失礼だな、確か今年で21になるはずなんだけどな」
言いながらベゼルは自分の顔を触れて鏡を見ていたそして、随分と鏡の前で顔を触れてからカミーユへと振り返った。
「俺、成長してない気がする」
何言ってんだよとカミーユが笑い飛ばしてから、真剣に鏡を見つめている。
「してるしてる、成長してるから気にすんなって」
頭をぐしゃぐしゃと撫でながら、カミーユが勝手知ったるように何処かの部屋に消えた、その間もベゼルは鏡を見つめていた。
身長が伸びて体つきもまともになった頃、髪の色が急激に銀髪に変わった。伴って黒かったはずの目の色は今や薄い金色のような茶色で、何がどうという事ではないが、見た目の変貌はあっても肉体としては数年前から差ほど変化がない気がする。
じっと見つめていたベゼルの頭にガツンと衝撃が走り、振り返ると木のハンガーに吊された一張羅が姿を見せる。
「着丈なおすから着てみろよ」
そう渡された物を羽織ると丁度良いというよりも少し短い位だった。
その姿にカミーユが、絶対成長してるから気にするなと釘を刺してきた。
*
行けないと撥ねつけたアンバーの個室兼執務用の馬車を尋ねたのはそれから数日後。少し空気の重い中カミーユが酒の入ったグラスを傾けた。
「恐らくお前と同じ有翼種だ」
有翼種、それは太古の昔神々が己と似せたモノを世に放った時の3種のうちの一つ。
獣の姿をした魔獣種、翼を持った有翼種、翼も持たず獣でも無いモノの人。
これら3種がそれぞれ助け合うようにして世界は均衡を保っていたのは数千年前までの話だ。
数千年前、有翼種の一人が均衡を崩し世界はすっかり分断された、とは言え魔獣の中でも魔王と成り果てた物に従う物もいればそうでなく平和路線を歩む物もいる。勿論有翼種もそうだが、有翼種は魔王を産んだ事もあり、極力人とも魔獣とも接触しないようにしてきていた。
その為か、有翼種狩りなんかが行われるわ見世物として売買されたり、剥製にされたりと尚更に有翼種は人とも魔獣とも距離を置いて、こうして目に触れるのも珍しい中、自分が有翼種とも知らずに居るのは珍しいどころの話ではない。
「ご本人も、有翼種だとは知らないようですしね」
そう、有翼種の特徴といえば、肉体の機能が一番高い所で成長を止め、長い時間を過ごす事が出来る。もっとも『ツガイ』と呼ばれる契約をすると『ツガイ』と呼ばれる相方までもがそういった体の機能を持つようになるらしい、この目の前で大酒を水の如く煽るアンバーは既に数百年、この体で生きているらしい。
「まぁ、有翼種だとしても私の探し微とで無ければどうでもいいのですが」
さらりと言ってのける相手にカミーユは溜息を零さずにはいられない。もう直ぐにでも出そうな溜息は次の一言で飲み込んだ。
「ともあれ、血の紋を見なければどうとも言えませんよ、借りに有翼種との混血児かもしれませんし、その場合尚更保護しなければなりませんし」
「あぁ、魔王の手にくれてやるわけにはいかないからな」
何体か捌いた後のような顔付きのカミーユの酒瓶を空にしてアンバーが小窓の外の月に何かを流した。
「世界を放浪する商隊の本業が魔王退治だなんて知ったらあの人どんな顔するでしょうかね?」
「しらね、あんま驚かないと思うけど」
笑い声をかみ殺しながらアンバーが酒を煽る。それは、楽しみですねと一言零して。